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第47話

Auteur: 藤崎 美咲
星乃は心臓がドクンと跳ね、思わず周囲を見回した。

空港を行き交う人々はみな忙しそうに歩いており、こちらの様子に気づく者はいない。仮に気づいたとしても、恋人同士のじゃれ合い程度にしか見えないのか、一瞥しただけで目を逸らしていった。

それでも、星乃の顔は赤くなる。「遥生、ちょっと……なにしてるの、降ろしてよ!」

彼女の足元に滲んだ赤い痕を見下ろしながら、遥生は冷静に言った。「降ろしたって、歩けるのか?」

その口調は静かだったが、彼は星乃の性格を誰よりも知っている。弱音を吐くことが嫌いで、どれだけ痛くても、本人の口から出てくるのはせいぜい三割程度の本音だ。

足が痛いなんて言うのなら、それはもう本当に歩けないほどに限界なのだ。

星乃は「大丈夫」と言いかけたが、遥生の黒く澄んだ瞳と視線がぶつかり、その言葉は喉元で止まった。不思議と抵抗する力さえ失せて、彼の腕の中で大人しくなった。

けれど――やはり恥ずかしさは拭えなかった。「でも、こんなことまでしなくても……」

「昔だって、何度も抱きかかえただろ」遥生は淡々と答える。

UMEを立ち上げたばかりの頃、資金調達や他社との提携のためにビジネス担当が必要だった。けれど、人材は次々に辞めていき、最終的に前に出るのは自分か星乃しかいなかった。

人付き合いが苦手な遥生の代わりに、星乃が自ら申し出て、営業の場に立った。

宴席ではお酒がつきもので、しかも女性というだけで無理に飲まされることも多かった。

ある夜、遥生は研究室の仕事を切り上げて、会場まで迎えに行った。そこで見たのは、酔いつぶれて壁にもたれたままうずくまる星乃と、彼女のまわりに立つ数人の男たちだった。

遥生は彼らを追い払い、彼女を背負って病院へ連れて行こうとした。けれど、星乃は酔って身体のバランスを保てず、背中から何度もずり落ちてしまう。仕方なく、遥生は彼女を抱きかかえて運んだ。

星乃はひどく酔っていたため、その時のことをほとんど覚えていない。

でも、二人は幼い頃からの知り合いで、性別を意識する前から、遥生は彼女を何度も抱き上げていた。

唇を引き結びながら、星乃は小声でつぶやく。「でも、今はもう子どもじゃないし……誰かに写真でも撮られたら」

遥生はわずかに眉をひそめる。「悠真に見られるのが怖いのか?それとも冬川家?」

星乃はぴたりと口をつぐんだ。

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