「うん」女性はそう返事すると、スーツケースを押しながら出口へと向かった。携帯の向こうは沈黙に包まれ、どちらからも通話を切ろうとする気配はなかった。女性が、自分の名前が書かれたネームプレートを持った空港職員を見つけた時、電話の向こうの男は何かに気づいたようだった。澄んだ声で、彼は言った。「想花のことは、心配しなくていい」女性は軽く返事をする。「あなたがいてくれるなら、もちろん安心よ」「落ち着いたら連絡して」男の声は淡々としていた。「ええ」女性は梓に携帯を返した。出迎えのスタッフは迎えると、【加藤天音様】と書かれたプレートを近くの銀色の柵に掛けた。アシスタントは女性の後ろを小走りで追いかけながら言った。「また石みたいに口数の少ないあの人にイライラさせられましたか?一体どうして彼のプロポーズを受け入れたのか、未だに不思議で仕方ないですよ!」「詮索好きね」女性は薬指の銀色の指輪を軽く撫でると、スタッフに案内されるまま車に乗り込んだ。「加藤部長、まずはホテルへ向かいますか、それとも……」「木村局長に先に会いたいです」「木村局長も歓迎会を開きたいと言っていました」助手席の男は微笑み、運転手に指示を出した。「G・Sレストランへ」同じ頃、空港の到着ロビーからスーツ姿の男たちが十数人出てきた。先頭の男は身長190センチ近く、白いシャツに黒いスラックス姿で、彫りの深い端正な顔立ちをしていた。きりっとした眉と目は少し垂れ気味で、かなりの威圧感があった。「蓮司さん」甘ったるい声が聞こえ、続いて露出度の高い服を着て、化粧の濃い女が男の前に現れた。「ずっと待ってたのよ。さあ、ご飯食べに行こう」遠藤蛍(えんどう ほたる)は微笑みながら男の腕に手を伸ばそうとした。男は冷たい視線を投げかけると、蛍の手は宙に浮いたまま止まった。彼が潔癖症で、人に触れられるのを嫌うのを忘れていた。「遠藤さん、うちの旦那様は木村局長との面会を急いでいます。会ってから食事でも遅くはありません」ボディーガードのリーダーが慌てて仲裁に入った。「木村おじさんとは家族ぐるみの付き合いなの。電話一本で会えるわ」蛍は嬉しそうに携帯を取り出し電話をかけると、小声で相手にささやく。「G・Sレストランの808号室。後でね」808号室。木村和也(き
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