玲は、もともと泳ぎが得意なほうではなかった。先ほどまで弘樹に強く引きずられ、海の中で揺さぶられていたときも、必死に足先で海底を探り、なんとか踏ん張っていただけにすぎない。だが、弘樹に乱暴に引かれたうえ、追い打ちをかけるように大波にさらされ、玲はまるで巨大な網に絡め取られ、そのまま深海へ引きずり込まれるような感覚に陥った。冷たく、塩辛い海水が一気に全身を包み込み、目を開けることも、声を出すこともできない。視界は闇に閉ざされ、感覚だけが急速に遠のいていく。「玲!」「玲――!」朦朧とする意識の中、暗闇の向こうから、焦りを帯びた二つの男の声が続けて聞こえた。後から響いた、聞き慣れたその声には、隠しきれない恐怖と動揺が滲み、今にも泣き出しそうなほど切迫していた。その声に縋るように、玲は苦しさの中で腹部に添えていた手を必死に動かし、上へ、上へと浮かぼうとする。たとえ波に逆らえなくても、せめて一瞬でも顔を出し、秀一に自分の居場所を伝えたかった。けれど、海は甘くなかった。うねり続ける潮の力は、玲ひとりがどうにかできるものではない。どれだけ必死に手足を動かしても、体は前へ進まず、むしろその場で空回りしているような感覚ばかりが募る。顔を上げても、水面は相変わらず遠いまま。距離が縮む気配などなく、体力が奪われるにつれて、玲の体はじわじわと沈んでいった。――このまま、終わりなの?胸が締めつけられる。彼女には、まだ守らなければならない命があった。お腹の中の小さな命は、まだこの世界を一度も見ていない。そんな結末、受け入れられるはずがない。玲は涙をにじませ、必死に腕を振りながら、心の中で何度も秀一の名を叫んだ。だが、ここは海の中だ。酸素は尽きかけ、ついに口元から、意思とは関係なく泡がこぼれ出る。視界は急速に暗くなり、玲の身体は、そのまま深い闇へと沈んでいった。――その瞬間。見慣れた、大きな手が、突然、彼女の身体を強くつかんだ。次の瞬間、顎を支えられ、冷えきった唇に柔らかな感触が重なる。一気に温かな空気が流れ込み、玲のまつ毛が小さく震えた。耳元では激しい水音が渦を巻き、身体が勢いよく上へ引き上げられていくのがわかる。やがて――閉じたまぶたの向こうに、ぼんやりとした光が差し込み、鼻腔いっぱいに新鮮な空気が流れ込んだ。
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