夏目汐(なつめ しお)の夫は、東都の法曹界で「無敗将軍」と称えられる長坂研一(ながさか けんいち)である。彼らは世間から見れば理想の夫婦だった。しかし、彼女を自らの手で刑務所へ送り込んだのも、また彼であった。理由はただ一つ、彼の初恋の人である篠田裕美(しのだ ゆみ)が激情により過失致死、つまり汐の父を殺してしまったからだ。本来なら彼女の正義を貫くべき夫は、法廷で彼女の対峙する側に座り、彼女が殺人に関与した証拠を提出したのである。三年間の刑務所生活で、彼女はありとあらゆる苦しみを味わった。彼が残したのは、ただ一言の「ごめん」、そして「待っている」という言葉だけだった。「3527番、出所後はまっとうに生きなさい」刑務所の重い鉄の門がゆっくりと開いた。路肩には黒いセダンが待ち構えている。しかし、車から降りてきたのは汐の夫ではなく、彼の助手だった。「奥さん、長坂さんはちょっと用事があって。俺がお迎えに来ました」汐の曇った瞳には、深い疲れが刻まれていた。彼女は無反応のまま、車の後部座席へと歩みを進めた。「あ、奥さん、ちょっと待ってください」助手は彼女を呼び止めると、慌てて助手席から柚の葉を取り出し、申し訳なさそうな眼差しで言った。「長坂さんが言ってました、柚の葉で厄払いを、とのことです。奥さん、失礼します」そう言うと、手にした柚の葉で汐の身体をはたいた。汐の瞳には、嘲笑の色が満ちていた。「私が厄介だから?私を自らの手で刑務所に送り込んだのが誰だったか、彼は忘れてしまったの?」服役中の三年間、彼女はあの日のことを決して忘れられなかった――裕美が精神病を発症し、ガソリン入りの缶を手に彼女の家から飛び出し、彼女を焼き殺そうとした。しかし、誤って彼女の父を焼き殺してしまったのだ。彼女はすべてを研一に打ち明けた。だが、裁判の当日、彼は彼女の敵側に立った。汐の弁護士が分厚い証拠書類を手に滔々と弁論を展開し、彼女のために必死に反論している最中、研一は冷静な眼差しで、静かに一つの封筒を取り出した。「皆さんがご存じないことをお話します。私にはもう一つの身分があります。それは夏目汐の夫であるということです。私の知る限り、夏目汐の父は彼女が幼少期に彼女にわいせつ行為を働き、更に成人後には強姦未遂
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