詩織はますます頭が痛くなってきた。 「……どっちでもいいわよ、別に」「じゃあ、『カイ』にしよう。俺の名字の『賀来』の、賀の字の下半分だ」朝食後、詩織はオンラインで会議を一件こなした。仕事がひと段落してリビングに出ると、柊也がいつの間にかキッチンに入り込み、昼食の準備を始めている。食材は彼がネットスーパーの宅配で揃えたらしい。肉に野菜にフルーツと、とにかく栄養バランスを重視したらしい豪華なラインナップだ。キッチンから漂ってくる美味しそうな匂いに、普段なら仕事にしか向かない詩織の意識が、ふと宙に浮いたように逸れた。どうしてだろう、言葉にできないほどの安らかな感情が胸を満たしていく。目の前でエプロン姿の彼が料理をしている――この日常的で温かな光景こそ、かつての彼女が喉から手が出るほど渇望していたものだった。だが……今はもう、純粋に彼を想っていたあの頃とは、何もかもが変わってしまったのだ。胸に押し寄せる感傷を振り払うように、詩織は気分を変えようと立ち上がった。しかし、コーヒーメーカーの前に立った瞬間、柊也が湯気を立てるマグカップを持ってキッチンから出てきた。「コーヒーはやめて、これを飲め」「……ただの眠気覚ましよ」彼女は毎日この時間になると、決まって氷をたっぷり入れたアイスのブラックコーヒーで気合を入れるのが日課だった。「日向先生が言ってたぞ。生理痛が酷かったり周期が乱れたりするのは、普段から冷たいものばかり飲んでるのも原因だから、体質を改善しろってな」そう言って、柊也は温かい黒糖ジンジャーティーの入ったカップを彼女のパソコンの脇に置くと、無言で詩織の手からコーヒー用のカップをあっさり奪い取った。さらにそのまま手を伸ばし、彼女の頬を軽くふにふにと摘まむ。まるで小さな子供を甘やかすような、どこまでも優しく響く声だった。「ほら、いい子だから言うことを聞け」そのあまりに柔らかい声と切なげな眼差しに絆され、詩織は完全に思考をショートさせられてしまった。促されるまま、無意識に温かいジンジャーティーを口に含んだ瞬間、ハッとして自分が手玉に取られたことに気づく。あの狡猾な男……!あろうことか、自分の顔の良さを最大限に利用して『色仕掛け』を使ってきやがったのだ。雑誌の編集者との打ち合わせを終えたミキから
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