石畳の渡り廊下は、夜の冷えをたっぷり吸いこんでいた。月光に濡れた床は白銀に光り、柱の影が長く伸びる。風が抜ける音だけが響く静寂の回廊に、軽やかな靴音が重なる。マリナが姿を見せた。両腕には数冊の本。書庫からの帰りだろう。肩を小さく竦め、吐息を白く散らす。歩みは穏やかでも、瞳の奥は今日の出来事を反芻していた。――ルクシアの笑み。毒を含んだ言葉。その一つひとつが胸に焼きついて離れない。そんな彼女の前に影が差す。柱の陰から現れたのはエリシア。月明かりに照らされた顔は怒りと焦燥に紅潮していた。「こんな夜更けに……熱心ね、庶民のくせに」彼女は腕を組み、マリナの進路を塞ぐ。マリナは足を止め、抱えた本を整えながら静かに応じた。「勉強するのは、誰の邪魔にもならないでしょう」その落ち着きが、逆にエリシアを苛立たせる。昼間の茶会での劣等感が蘇り、胸を焼く。「……やっぱり気に食わない。レナータの隣に立てるのは、私だけなのに!」彼女の指先に冷気が集まり、廊下の空気が震えた。氷片が生まれては消え、夜気を歪ませる。マリナの髪が風に揺れる。膝が勝手に震え、両の手は氷のように冷たく固まった。喉が張り付く感覚に、必死に息を整える。反撃の力はある。けれど――貴族に正面から抗えば、破滅。理性が声を上げ、身体を縛り付ける。「やめて。こんなところで魔法を使えば騒ぎになる」声は震えを押し殺していたが、抱えた本の下で指先が強く震えている。その様子を見て、エリシアは歪んだ笑みを浮かべた。「怖いの? 庶民らしくていいわね」冷気がさらに広がり、石畳に白い霜が走る。マリナは顔を逸らさず、ただ瞳で射返した。「……しつこい」その拒絶の響きに、エリシアの顔が一瞬揺れる。悔しさに唇が震える。だが彼女はすぐに顔を背け、踵を返した。「覚えておきなさい。レナータの隣に立つのは――私よ」名を残すように吐き捨てて、足音を響かせながら闇に消えていった。残された空気は冷たく重く、マリナの呼吸を奪う。胸の奥に焦げるような痛みが残った。――その時。「随分楽しそうだな」低く気怠げな声が廊下を震わせた。マリナが振り返ると、月光の先からヴァレンが歩いてくる。赤褐色の瞳が愉快そうに細められ、口元には狩人の笑み。「ヴァレン……」マリナの声に緊張が滲む。「可哀想にな。怖い目で睨まれて、凍りついたか
Last Updated : 2025-09-15 Read more