朝の光は、雨上がりの校舎をゆっくり洗った。廊下の窓辺に湿った匂いが残り、床に落ちた影は薄く、遠くで鳥の声がか細く続く。昨日の焦げ跡の掲示板はそのままで、けれど視線はそこに長く留まらない。足音は速くなく、囁きは低い。「昨日の……聞いた?」「白い紙、二枚並んでたって」「昼に読み合わせ、またやるらしいよ」言葉の形はやさしくなって、温度だけが残る。壁に新しい紙が一枚。細い字で〈読み合わせ 参加者募集〉。名前を書く欄は小さく、最初の行に、まだ乾ききらない墨の点があった。マリナは紙の前で立ち止まり、指先に残る昨日の紙のざらつきを思い出す。喉の奥に小さく息が溜まり、吐くと肩が少し軽くなった。——一日で、こんな。胸の奥で言葉がほどけて、背筋に沿って広がる。希望がひとつ、怖さがひとつ。どちらも同じくらい静かだった。* * *教室の空気は、昨日より柔らかいのに、机の角だけがはっきりしている。ノートを開く音が何度も重なり、その間に小さな声が滑り込む。「マリナさん……あの、昨日……」振り向くと、目を伏せたままの子がいて、手の甲にインクの汚れがついていた。「前で、読んでほしい、です。次……」「私じゃなくても——」言い終わる前に、顔が上がる。「マリナさんじゃないと……届かないから」言い切られたわけじゃない。声がそこで止まり、唇が揺れただけ。それでも胸の内側に、二つの針が同時に刺さってくる。嬉しさと、重さ。両方に触れられて、体の奥がきゅっと鳴る。——私の声が、私だけのものじゃなくなる。目を閉じて確かめ、開いたとき、視界の色は少し落ち着いていた。マリナは小さく頷いて、ノートの端をそっと叩いた。「……一緒にね」それで十分だと自分に言い、息を整えた。* * *訓練場の砂はまだ湿っていて、足の跡が浅く残る。空気の音が近く、話し声は低い。トマスの周りに、庶民の顔と貴族の顔が混ざって集まり、視線はほとんど同じ高さだった。「次の監査、日程……」「出入口、誰が見る?」「紙、どこに置く?」質問は短く、間は小さく、答えは増えていく。トマスは指で砂をなぞり、形のない地図を作っては消す。「——午前。入り口は二人ずつ。読み手は……替えながら」言葉は長くない。周りの肩が順に落ちる。安心、というより、重さの向きが揃う音。仲間のひとりが笑って、軽く肩を叩いた。「お前が
Last Updated : 2025-10-18 Read more