朝の鐘が鳴るころ、学院の廊下はいつもより声が多かった。窓の近くで数人が立ち止まり、顔を寄せる。「聞いた? 庶民が勝ったって」「推薦者もざわついてるらしいよ」「でもさ、あの子――マリナ? 結局はレナータ様の影でしょ」別の角では、紙束を抱えた男子が笑いを押し殺す。「エリシア様、このところ足並み遅れてない?」「庶民に話題、取られたってさ」教室の扉が開く音に混じって、囁きは自然に流れを変える。誰かが用意したみたいに、言いまわしが似ている。それなのに、言った本人は自分の言葉だと信じている顔だった。* * *昼の食堂。湯気の向こうで、席を決める視線がすばやく動いた。マリナが盆を持って歩くと、空いているはずの席に先客が腰を下ろす。「ごめーん、ここ、取ってて」「向こう、空いてるよ」笑顔は柔らかい。けれど、距離ははっきりしている。マリナは一瞬だけ足を止め、すぐに別の席へ向かった。「調子に乗ってるんじゃない?」「レナータ様の隣にいるからって」背中に届く声は小さい。マリナは盆を置き、向かいの椅子を引いた。誰も来ない。スープの表面に灯りが揺れて、静かな円を作る。「……おいしい」自分に向けて言って、ひと口すする。味は変わらない。けれど、喉を通るまでに少し時間がかかった。席を立つとき、彼女はトレイを持たない手で小さく拳を握る。震えはない。骨が当たる感触を確かめただけだった。廊下に出ると、二人組が声を潜める。「結局さ、レナータ様ありきだよね」「うん。あの庶民の子、あの場所にいる顔じゃない」マリナは笑って通り過ぎる。足取りは変えない。曲がり角に入る直前、笑みが薄くなり、すぐ元に戻る。* * *同じころ、貴族寮の洗面所でエリシアは鏡の前に立っていた。タオルで指を拭き、顔をまっすぐ見る。「“影”ね」小さく言って、頬に指先を当てる。鏡の向こうで、唇が細く結ばれた。「私は負けない」言葉は硬いが、砕けてはいない。昨日の囁きが耳の奥で反芻される――嫉妬は武器になりますよ。あの仄暗い声が、今日は少しだけ甘く聞こえた。「武器にするなら、握る」エリシアは髪を耳にかけ、身だしなみを整える。「舞台、ね」ドアの外で、少女たちの笑い声が遠く聞こえる。彼女は鏡から目を離さず、深呼吸を一度だけ行い、脚を前に出した。足音が石に吸い込まれる。背筋は崩れない。* *
Last Updated : 2025-09-27 Read more