「やれやれ、一体どこで付着したのか。今朝、十分に払い落としたつもりだったんだが」そう言って石場は立ち上がり、服に付いている土埃を払い落とした。 まだアレックスの物哀しいメロディが耳に残っている。演奏が終わって十分以上は経つというのに……。心に染み入るようなその旋律が頭の中で何度も繰り返されている。 石場はしばらくの間、ぼんやりとその余韻に浸っていたが、店員がやってきたことで我に返った。 アメリカンコーヒーにエッグベネディクト。いつも変わらないメニューがテーブルに並べられる。朝くらいはルーティーンを守らないと、その日、一日のリズムが崩れてしまいそうで怖い。この生活をかれこれ、もう十年は続けている。 石場は窓際の席で新聞を広げて一息ついた。この地域だけに発行される地方新聞だ。まず一番先に目に飛び込んできたのは、失踪した音楽家エミリアの親友であるアレックスのインタビュー記事だった。記事によれば、彼女はアレックスに何も告げずに突然、姿を消したということだった。 エミリアとアレックスは長い付き合いであり、アレックスは彼女の音楽に対する情熱や才能、そして出会う人達に対しての真摯な姿勢をよく知っていた。その彼女が何も言わずに姿を消すなんてことは、アレックスには信じがたいことだった。 失踪の概要はこうだ。謎に包まれた失踪。彼女はどうして消えたのか《ある日の晩、音楽家のエミリア・ハートフィールドは、愛用のヴァイオリンを抱えてステージから消えた。彼女は名声と才能を持ち、世界中で称賛され、この町にやってきた。きっと、この片田舎の小さな町に癒しを求めてきたのだろう。彼女が姿を消して以降、人々を魅了するあの音色は聴くことができなくなった。彼女がいなくなった音楽ホールやカフェは静寂に包まれ、観客たちは驚きと不安に満ちた表情を浮かべたままだ。彼女は音を操る天才であり、彼女の演奏は多くの人を魅了した。彼女の音楽がどこかで響いていることを信じたい。またいつの日か、この場所に戻ってくることを祈って……》 先ほどから周りの人たちが話していたことは、このことだったのか。失踪した。行方が分からなくなっただの、一体、何のことかと思っていたが。 コンサート前に突然の失踪、確かにセンセーショナルな話かもしれない。しかし、ここは田舎だ。都会からやって来た人間がある日、突然いなくなるなんて、何
Last Updated : 2025-09-01 Read more