All Chapters of 失われた二つの旋律: Chapter 11 - Chapter 20

25 Chapters

告げられなかった別れ ②

 まずはエミリアの投稿から調べてみよう。 リサはエミリアのInstagramにアクセスした。アレックスとの関係が分かればしめたものだ。 美しい風景や楽器を演奏するエミリアの華やかな姿が掲載されている。リサはそれぞれの写真に添えられたキャプション、そしてコメントを注意深く読んでいった。 しかし、エミリアが悩んでいる様子は特に見受けられなかった。彼女の言動も、ファンや知人の書き込みも、疑念を抱かせるようなものは一切ない。 次にリサは、エミリアのXにアクセスした。 日常の些細な出来事や感じたことが書いてある。興味深いのは、ある日を境に投稿が途絶えていたことだ。「最後の投稿の日付……。目撃証言があった日と一致している」 掲載された幾つかの写真の風景は見覚えのあるものだった。ついこの前、美咲と一緒に行った山の風景だ。「エミリアは確かに山に行っている」 写真は風景写真ばかりだった。誰かと一緒に写っている写真は見当たらない。 一人で来たのだろうか。しかし、エミリアにはファンがいる。ファン以外の人、例えばアレックスと一緒に写ることはしないのではないか。 幾ら親しい間柄とは言え、表向きにはアレックスは一緒に演奏を共にする音楽仲間の一人だ。少なくとも、ファンはそう思っている。ファンとは嫉妬深い生き物だ。その人たちを悪戯に傷つけるような真似をするとは思えない。「失踪のカギとなるような書き込みや写真はなし。しかし山に行ったのは事実。目撃情報は間違ってはいない」 リサは調べて分かったことを手帳に記載していった。 時間を確認しようと、携帯電話に手を伸ばした時、美咲からメールが届いていることに気付いた。メールの件名は『至急連絡を』だった。リサはすぐにメールを開いた。 メールの内容はこうだった。《エミリアが失踪する前日にエミリアと話をしていた人物を見つけたの。とにかく直接話がしたいから、メールを見たらすぐに連絡して》 一体何だろう。と訝しく思いながら、リサはすぐに美咲に電話をかけた。電話が繋がるまでの間、リサの心臓は小刻みに高鳴った。「美咲、メール見たよ。何が分かったの?」 リサは逸る気持ちを抑えながら尋ねた。「エミリアを山に呼び出した人が分かったの。今から会えない?」 美咲の声は緊張に満ちていた。 リサは一瞬、言葉を失った。 本当だろうか? そんな
last updateLast Updated : 2025-09-10
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沈黙の前奏 ①

 二人はざわめきの絶えないカフェの隅に腰を下ろし、周囲の視線を気にしつつ、言葉を選ぶように会話を始めた。「美咲、エミリアを山に呼び出した人って誰だったの?」「それが、あの日、私たちが山で目撃した人のことらしいの。いたでしょ、怪しい人」 美咲が身を乗り出すように言った。 リサはあの日のことを思い出した。数多くいる人の中、他の人たちとは明らかに異なる動きをしていた人物。異なる道を選んで歩き、木の根元や草むらを覗き込んでいた怪しい男……。「それって誰からの情報?」「アレックス・ヴァンダーヴィルトよ。いつもカフェでエミリアと一緒に演奏しているピアニスト。あの怪しい男、店の常連客だってことが分かったの。演奏が終わった後、エミリアに近づいて行って話しかけたんだって」 アレックスはエミリアとは長い付き合いだった。情報源としては信頼できる。しかし……。「別に話をするくらいなら、おかしくはないと思うけど……」 あの店は格式が高い店ではない。演奏後に客と会話を交わすことなんてよくある話だ。「そこなんだけどさ」 美咲は身を乗り出して小声で話し始めた。「話しかけたのは、その日が初めてなんだって。いつもは演奏が終わったら食事をし始めるのに、その日に限って、何故かエミリアに話しかけてるの。あまり人と会話を交わしたがらない人らしいよ」 美咲は言い終えると、今度はバッグから一枚の写真を取り出した。「実はね。リサを呼び出したのは、これを見せたかったからなの」 リサはテーブルに置かれた写真をじっと見つめた。「ほんとだ。この人……山で見た人だ」 アレックスの背後で、男がエミリアと話をしている。「私たちが山で見たあの男が、失踪する前日にエミリアに話しかけていたなんて、偶然だとは思えないでしょ。それに見て、このエミリアの表情」 そう言って、美咲はエミリアを指さした。「どう? 怖がっているように見えない?」 リサはしばらく黙って写真を見つめたあと、ゆっくりと頷いた。「そう見えなくもないかな」 エミリアがぎこちなく笑い、男から距離を取るように少し身を引いている。曇りのある笑い方だ。「リサ、どう思う?」「うーん……確かに怪しいとは思うけど、まだ根拠が薄いかな」 リサは首を傾けながら答えた。 前日に話しかけたというだけで、美咲は“山に呼び出した人物”と決めつけて
last updateLast Updated : 2025-09-12
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沈黙の前奏 ②

 リサは美咲とカフェで別れる間際、ふと思い出して美咲に尋ねた。「そう言えば、電話で『エミリアを山に呼び出した人が分かった』って言っていたけど、エミリアと常連客の会話の内容を知ってるの?」 写真を見る限り、アレックスと二人との間には距離があった。アレックスには二人の会話は聞こえていないはずだ。「ううん。そこまでは知らないけど」 美咲に悪びれた素振りは見られない。美咲はそのように感じたから、その内容を私に伝えただけなのだ。 やはり、男は前日にエミリアと会話を交わしただけだ。美咲は呼び出した事実を掴んではいない。 バイアスが掛かった状態で常連客を怪しんだ結果、「前日にエミリアと会話を交わした」という事実が、美咲の脳内で「山に呼び出した」と間違った情報に変換されたのだ。 情報というのは、人を介したら、たちまち湾曲されてしまう。その人の想いが情報に影響を与えてしまうからだ。気づいたら事実とかけ離れたものになっている。困ったことに当の本人は、そのことに気づきもしない。 思い込みには注意しなければ……。 リサの脳裏に苦い経験が蘇る。 かつて友人が持ち込んだ情報を鵜呑みにし、確信を持って行動に移したことがあった。その情報が合っているのか、それとも間違っているのか確かめもせずに……。情報源が信頼の置ける友人だったことで、私の目は曇ってしまっていた。 その結果、私は大きなミスを犯してしまうことになる。それまで時間を掛けて築き上げてきた情報が根底から覆され、全てが崩れ落ちた瞬間だった。 その時の痛みは、未だ心の奥底に深く刻み込まれている。 現時点で、はっきり言えることは、常連客が失踪に関与したかどうか全く分かっていないということだ。 美咲の見解も合っているのかもしれない。しかし私は自分で見聞きした情報を信じたいと思う。実際に足を運んで情報を集め、一つ一つ確認するのがベストだ。 さて、これからどうするか。 リサは深呼吸し、頭を整理した。 常連客に直接会って話を聞きたいところだが、さすがにそういう訳にはいかない。仮に犯人だった場合、相手を警戒させてしまい、その後の調査に支障をきたすことになる。最悪は危害を加えられるかもしれない。 まずは、その日、その場所にいた人から聞き込みをするのが良いだろう。「美咲、私、今からカフェに行って、例の常連客のことを聞いて
last updateLast Updated : 2025-09-12
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『カフェ アルペジオ』 ①

 夕方の街は、薄暗くなり始めた空の下で灯りがぽつぽつと灯り、少しずつ活気を帯びていた。 リサはカフェ「アルペジオ」の前に立った。店内から温かな光とジャズの音色が漏れ出している。 カフェの中は落ち着いた雰囲気で、客たちがリラックスして楽しんでいる様子が伺えた。 店内の片隅には、アレックスがいつも演奏していたピアノが静かに佇んでいる。エミリアは姿を消すまで、その隣でヴァイオリンを演奏していた。 この店には何度か来たことがある。当時、まだエミリアはいなかったが、時折、誰かを招待して演奏会が開かれていた。 リサは心を落ち着かせてカウンターへと向かった。聞き込み調査の前はいつも緊張する。「すみません、少しお時間いただけますか?」 リサは笑顔を浮かべつつ、店員に声をかけた。「はい、どうされましたか?」 店員は笑顔で応じた。「突然、お邪魔して申し訳ありません。私はこういうものです」 リサは丁寧にお辞儀をして名刺を差し出した。「ジャーナリストですか……」 店員は名刺に目を通し、少し真剣な顔つきになった。無理もない。これから、あれこれと訊かれるのだから。「エミリアさんのことを調べているのですが、実は彼女が最後に演奏した日についてお聞きしたいのです。エミリアについて何か気になることはありませんでしたか?」 店員は少し考え込んだ後、「特に変わった様子はなかったように思いますよ」と言った。 彼女は突然の質問に対して警戒心を抱いている様子だったが、リサは構わず さらに質問を投げかけた。「その日の演奏が終わった後のことですが、常連客の一人がエミリアに近づいて話しかけたと聞きました。その時の様子について、何か覚えていませんか?」「ああ、そういえば、その日エミリアさんに話しかけていた男性ならいましたよ。最近は見かけませんが……。いつも静かに一人で過ごしている方ですが、何故かその日だけエミリアさんに近づいて話しかけたので珍しいなと……。でも何も起きませんでしたよ。エミリアさんはその人に対して何の警戒もしていませんでしたし、非常に友好的で笑みも浮かべていましたから」 警戒していない。友好的だった。か……。だけど、それは店員が抱いた印象に過ぎない。 この店員の話から分かることは、『エミリアは警戒した素振りを見せなかった。友好的な対応をした』ということだけだ。実際
last updateLast Updated : 2025-09-14
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『カフェ アルペジオ』 ②

「では、その男性ですが、変わった点などはありませんでしたか」 店員はしばらく考えてから、少し戸惑いを見せつつも話し始めた。「そうですね。エミリアさんと話し終わった後のことですが、ぶつぶつと何かを呟きながら店の周りを歩き回っていました。何か落とし物でもあったのかと思って声をかけたのですが、どういう訳か全く反応がありませんでした」「反応がなかった?」「はい。何度も声をかけたのですが」 そんなことがあるだろうか……。 リサは店の周囲をぶつぶつと呟きながら歩き回る男性の姿をイメージしつつ、それがエミリアの失踪とどう関係しているのかを考えた。「それってどういうことでしょうか。話を聞いていると、まるで、その男性が何か大きな問題を抱えていたようにも思えるのですが……」 リサは自分の推測を口に出してしまったことを後悔した。答えを導くような質問は避けるべきだ。 店員は困惑した表情を浮かべたが、リサの真剣な様子を見て口を開いた。「確かに、普通の様子ではありませんでした。ですが、常連客とは言っても話し込んだことがないので、そこまでは……」「そうですよね。失礼いたしました」 仮に知っていたとしても、他人のプライバシーのことまでは話さないだろう。「あの、もうよろしいでしょうか。これから予約客の準備をしなければならないので」「ああ、はい。本日は忙しい中、足を止めてしまって申し訳ありませんでした。非常に参考になりました。また何か思い出したことがあれば、ご一報ください」 そう言って、リサは深々と頭を下げた。 リサは帰り道、店員から聞いた情報を頭の中で整理した。 エミリアの失踪後、その常連客は店に来なくなったと言っていた。しかし、エミリアの演奏を聴くのが目的だったとするのならば、特に不自然な話ではない。 演奏後、いつもならエミリアに話しかけることをしない常連客が、その日に限って話しかけた。という点は気になるが、ただ単に『素晴らし
last updateLast Updated : 2025-09-14
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視線の交錯 ①

 石場は書斎のデスクに座って、パソコンの画面をじっと見つめていた。失踪に関しては大して興味が湧かない。事件などといった大袈裟なものではなさそうだからだ。しかし誰にも告げずに、この街を去った理由は何なのか。その背景には興味がある。 どうして、そこまで他人の行動に興味を持つのか──それは自分でも、よく分かっているつもりだ。虐待や同僚の裏切りなど数々の辛い経験を積んできた人なら、誰だって興味を持つ。 過去の体験がそうさせるのだ。 視線の揺れ、声の抑揚、沈黙の長さ——そうした微細な兆しに、過去の自分が反応する。 誰が危険で、誰が信じられるのか。どの言葉が本音で、どの笑顔が偽りなのか。それを見極めなければ、この社会で生き続けることはできない。 かつての傷が「また来るぞ」と囁くのだ。これは謂わば、呪文のようなもの。自分では、どうすることもできない。 これは防衛本能であり、過去の亡霊との対話でもある。 エミリアの心理状態を探ろうと考えた石場は、エミリアの経歴や行動、そして背景について詳しく調べることにした。 まずは『エミリア・ハートフィールド』の名前をインターネットの検索エンジンに入力し、エミリアに関する情報を収集し始めた。エミリアのSNSアカウントや公式ウェブサイト、過去のインタビュー記事などが次々とヒットしていく。──思ったより、沢山あるな。 エミリアの公式サイトには、経歴や活動履歴が詳細に掲載されている。石場はそれらの情報を一つ一つ精査していった。 エミリアのプロフィールには、彼女が音楽一家に生まれ、幼少期からピアノを習い始めたことや、数々の音楽コンクールでの受賞歴が記されていた。 エミリアは音楽活動のために数多くの国を訪れ、それぞれの地で様々な音楽家たちと共演している。 この町に来るまでの経歴は、これ以上にないと言って良い。──音楽一家に生まれ、幼少期から音楽に親しみ、そして数々のコンクールで受賞か……。随分と恵まれた人生を送っているんだな。 石場は少し苛立ちを感じた。 エミリアの華やかな経歴と輝かしい成功を見ていると、どうしても自分と向き合わなくてはならなくなる。 エミリアに対する複雑な感情を抱えたまま、石場はエミリアの交流歴をさらに遡った。しかし、目を見張るような手がかりを見つけることはできなかった。断片的なやり取りばかりが並んでいる
last updateLast Updated : 2025-09-16
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視線の交錯 ②

「おっ、これは」 画面に表示されたのは、エミリアの失踪に関する考察をまとめたブログ記事だった。投稿者は彼女の過去の発言や行動を分析し、独自の仮説を展開している。 石場は思わずスクロールを止め、目を凝らした。 ブログ記事にはエミリアが最近訪れた場所や、そこでの出来事が細部まで丁寧に記されていた。だが、その記述には批判的なトーンが混じっており、エミリアの行動や意図を一方的に決めつける内容になっていた。石場には、それらが偏向的な視点で書かれているように感じられた。【エミリアが山でインスピレーションを得ていた】──その可能性も勿論あるが、それを山に行った理由にしてしまうのは無理があるだろう。あまりにも強引だ。 石場は首を傾げながらも、先を読み進めた。記事には、更にこう書いてあった。【エミリアが音楽活動を隠れ蓑にして、自分の名声を高めようとしている。そのような声も聞かれた】【自分の利益を追求する為に慈善活動を装っているだけではないか。という疑いの目もあった】──偏向的な見方をするとしても、書くのなら何らかの根拠を示すべきだろう。しかも自分の意見を述べているくせに他人の意見かのように装っている。 石場は根拠のない推測に苛立ちを感じた。──エミリアは良い家庭で育っている。楽をして生きてきた資産家の娘だ。時間と金に余裕があり、働く必要はなかった。才能を伸ばすことだけに神経を注げば良い立場にいた人間だ。音楽活動は趣味の延長であり、金持ちの道楽と言って良い。今さら地位や名声、金が欲しいということはない。 石場はパソコンの画面から視線を外して、しばらく思索に耽った。──ペンネームは『白百合』か。こいつの目的は何だろう? エミリアが事件に巻き込まれたと主張したいのか。 再び記事に目を通していると、エミリアについて筆者の私見が述べられている箇所に辿り着いた。【よくエミリアのことを、『いつも笑顔で素敵』と言っている人がいる。だけど誰だってエミリアの立場だったら笑って生きていられると思う。エミリアだって、突然の不幸に見舞われて生活レベルが落ちたとしたら、
last updateLast Updated : 2025-09-16
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視線の交錯 ③

【私たちの姿を見て隠れた……】 石場はその記述を読んで思わず、目を見開いた。自分のことを指しているのではないかと感じたからだ。──まさか、こいつはあの日、山にいた奴ではないか。私が山の斜面を登っていた時に遠くからじろじろと眺めていた……。確か二人いたはずだ。 あの日のことが思い起こされる。──私はただエミリアの心情を想像しながら歩き回っていただけ。木の陰に隠れたのは、お前らが私を見ていたからだ。お前らだって、私が見た時に姿を隠したじゃないか。 まるで自分が犯人であるかのような書きぶりに、怒りが込み上げてくる。それでも石場は感情に流されることなく、冷静さを保とうとした。──このままでは大変な目に遭う。何としてでも、ここで食い止めなければ……。今のところ、私という個人を特定する書き込みはないようだ。阻止するとしたら今しかない。 石場は危機感を募らせ、事態の収束に向けて動き出す決意を固めた。──それにしても、この白百合という人物は一体、何者なんだ。やっとあの会社から解放されたというのに。また疑われなければならないなんて……。 石場は、かつて勤めていた職場のことを思い出した。──ろくでもない奴しかいない会社だった。思い出すだけでも腹立たしい。あの頃もそうだった。根拠もなく噂を立てられ、勝手な憶測で責められた。 今、また同じような状況に巻き込まれようとしている。──私のことなんて何も知らないくせに好き勝手に書きやがって。私はあれこれと詮索されるのが大嫌いなんだ。 石場は胸中に怒りがこみ上げてくるのを感じた。──エミリアに関する考察もそうだが、あまりにも浅はかだ。こいつは表面的なところだけを見て、憶測で物事を決めつけている。──この怒りをどこにぶつけたら良いのか。 そう思っていた時、ふと石場は一つの答えに辿り着いた。──まさか、こいつがエミリアを追い詰めた張本人なのでは。だから私を犯人に仕立て上げようと……。 石場は思考を巡らせた。──これは私への挑戦状だ。こいつの敵意は明
last updateLast Updated : 2025-09-16
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届かない声 ①

 エミリアの失踪以来、美咲は心の中に不安を抱えていた。リサと山に行った時に見かけた不審な男。あの男に姿を見られたのかもしれない。 あの男は社内では名の知れた存在だった。直接言葉を交わしたことはない。しかし、誰もが口を揃えて言っていた──「関わらない方がいい」と。 私があの男の姿を見た時に、とっさに身を隠したのは、それが理由だ。 一体、あの男は山で何をしていたのだろう。いずれにしても、もうあの山には行かない方が良さそうだ。 次に私は何をするべきだろうか。リサはあの男のことを調べると言っていた。 美咲は椅子の背もたれに身体を預けた。 そういえば、リサがアレックスのことをやけに気にしていたな。リサがあの男を追うなら、私はアレックスから情報を聞き出してみるか。 アレックスはエミリアの家に身を寄せて、日々を共にしていた。アレックスなら何か知っているはずだ。 しかし何をどう訊き出せば良いのか……。 今、一番苦しんでいるのはアレックスだ。エミリアの失踪以降、彼はずっと一人で苦しんでいる。あれこれと詮索するのは、止めておいた方が良いのではないか。 毎朝のようにエミリアと演奏していた、あのカフェにも、アレックスはしばらく行っていない。演奏する気にはなれないらしい。それだけ気を落としているということだ。 だけど、アレックスに会いたいしな……。 彼が苦しんでいるのなら、そばにいてあげたい。 何も訊き出せなくてもいい。ただ顔を見て、声をかけてあげるだけでも、少しは彼の支えになれるかもしれない。 美咲の胸の内で、そのような想いが緩やかに膨らんでいった。 エミリアの家は、郊外の穏やかな空気に包まれた住宅街の一角にある。 古い洋館の、その佇まいはどこか懐かしさと優雅さを兼ね備えていた。高い石垣に囲まれた庭には季節の花々が咲き誇り、古びた門扉がその年月を感じさせる。 玄関に続く石畳の小道を進むと、立派な玄関扉が美咲を迎えた。扉の両側にはステンドグラスの窓があり、そこに柔らかな光が差し込んでいる。 美咲は軽くノックしてからドアを開け、そして中に入った。家の中は静寂に包まれており、かすかにピアノの音が響いている。随分と哀しげな音だ。 アレックスがピアノの前で沈んだ表情をしているのが目に入った。「アレックス、大丈夫? 写真を返しに来たんだけど……」 アレックス
last updateLast Updated : 2025-09-18
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届かない声 ②

「エミリアはどこか静かな場所で休息を取っているのかもしれないね。あのように見えても、エミリアには繊細なところがあったから。一人になりたい時だってあるだろうし……」 たぶんエミリアが華やかな舞台を捨てて田舎に来たのは、周囲からの期待に押しつぶされそうになったからだ。だから休息している可能性はある。アレックスに何も告げずに出て行った理由までは分からないけど……。「もっと早く、私がエミリアに寄り添っていたら、こんなことには……。あの頃は仕事に追われていて、心に余裕がなかった。自分のことしか見ていなかったんだ。それがずっと、心に引っかかってる。後悔してるよ」 アレックスは視線を遠くに投げたまま、言葉を探すように口を動かした。肩がわずかに落ち、背中に影が差している。 エミリアがアレックスに何も言わなかったのは、きっと、アレックスに心配させたくなかったからだ。エミリアには、そういった側面があった。「アレックス。誰にだって自分のことで手一杯になることはあるよ。アレックスが悪いわけじゃない。今からでも遅くはないと思う。エミリアを見つけて、エミリアの思いを共有すれば良いんだから」 そう言って、美咲はそっとアレックスの手に触れた。「そうだね。まずはエミリアを見つける方が先だね。落ち込んではいられない」 アレックスは希望を感じたのか、少しだけ笑みを浮かべた。 アレックスの表情がほのかに明るさを帯びたことに、美咲は胸を撫で下ろした。しかし、その安堵の裏で美咲の心は複雑な思いに揺れていた。 エミリアが無事であるという希望と、もし何か悪いことが起きていたらという不安が交錯する。 本当にエミリアは無事なのだろうか。どこかで助けを待っているのではないか。 そんな思いが頭をよぎる中、アレックスの手を握る美咲の手には、言葉にできない温もりとざわめきが混じり合っていた。 美咲はしばらくアレックスの瞳を見つめた後、そっと微笑みながら言った。「アレックス、もし何か思い出したり、話したくなったら、いつでも連絡してね」「ありがとう、美咲。君の言葉が心の支えになるよ」 アレックスは感謝の意を込めて微笑みで返した。しかし、その笑みはどこかぎこちないものだった。「じゃあ、私、そろそろ行くね。また何かあったら連絡するから。アレックスも思い出したことがあったら連絡して」「うん、そうす
last updateLast Updated : 2025-09-21
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