Semua Bab 失われた二つの旋律: Bab 61 - Bab 70

98 Bab

断ち切られた絆を追って ①

 数時間後、リサは北関東にある地方都市へと辿り着いた。 灰色の雲が垂れ込める空の下、フロントガラス越しに見える街並みは冷たく沈んでいた。 妹の行方を掴むのは容易ではなかった。 以前、調査会社時代のツテを使って、裏から戸籍の附票を洗ってみたが、その試みは門前払いに終わった。 閲覧制限が掛けられており、役所の窓口で請求が拒絶されたのだ。それは、DV被害者などが利用する支援措置が適用されているという決定的な証拠でもあった。 彼女は公的な記録から姿を消し、徹底的に石場家から逃げていたのだ。 現在の名字さえ定かではない中、数年前に途絶えた最後の記録と、「北の地方都市にいるらしい」という不確かな情報だけを頼りに、リサは調査を進めるしかなかった。 この街に、石場家の闇から唯一逃げ延びた生存者がいる。 リサはアクセルを踏み込み、妹の現在の住所と思われる場所へと車を走らせた。 そこは新興住宅地の一角だった。鉛色の空が低く垂れ込め、冷たい風が乾いた路上の埃を巻き上げている。 石場が支配する古びた洋館や、両親が隠れ住む寂れたアパートとは対照的な、あまりにも普通で、平和な風景── 同じような色合いの建売住宅が整然と並び、庭先には子供用の自転車や遊具が置かれている。 その過剰なまでの普通さこそが、妹・由美子が何よりも渇望し、過去を捨てて必死に守ろうとしてきたものなのだろう。 リサは並びの一つに車を寄せ、表札を確認した。『高木』 事前の調査によれば、これが由美子の現在の姓だ。彼女は結婚し、母としてこの街で生きている。 リサは深呼吸をして、インターホンを押した。 しばらくして、扉の向こうから女性の警戒したような声が聞こえた。「はい、どなたですか?」「突然申し訳ありません。フリージャーナリストの沢村理沙と申します。少しお話を伺いたいことがありまして……」「ジャーナリスト……。申し訳ありませんが、そういうセールスは結構です」 冷ややかな拒絶。すぐに通話を切られそうになり、リサは慌てて言葉を継いだ。「石場家のことについてです! お兄さんの……石場和弘さんのことで、お伝えしたいことがあります」 その瞬間、インターホンの向こうの空気が凍りついたのが分かった。 長い、重苦しい沈黙。 やがて、ガチャリと鍵が開く音がして、ドアがわずかに開いた。チェーンはかかっ
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-01-03
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断ち切られた絆を追って ②

「……あの家の名前を、ここで出さないでください」 彼女はリサを睨みつけるようにして言った。 声を押し殺しているが、ドアノブを握る手が白く変色するほど震えている。「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。ですが、どうしてもあなたにお話を聞く必要があったのです。今、石場さんの周りで不可解な出来事が起きています。女性が行方不明になり、私の友人にも危険が及んでいます」 リサは誠意を込めて訴えた。「あなただけが頼りなんです。あの家で過去に何があったのか。お兄さんがなぜあのような行動を取るのか……それを知っているのは、生き証人であるあなたしかいません」 生き証人とは大げさに聞こえるかもしれない。だけど、あの両親はもはや死んだも同然だ。 妹──高木由美子は、リサの言葉を聞いても、ドアチェーンを外そうとはしなかった。「私には関係ありません」 由美子は唇を噛み締め、リサを睨みつけた。「私はもう、あの人たちとは縁を切っています。戸籍も抜いて、名前も変えて、全くの赤の他人になったんです。兄が何をしようと、両親がどうなろうと、私には一切関係のないことです」「ご両親は……今、石場さんとは別に、アパートで暮らしています。まるで息子から逃げるかのように」 リサが告げると、由美子の表情が歪んだ。それは同情ではなく、底知れぬ嫌悪の表情だった。「自業自得ですよ」 由美子は吐き捨てるように呟いた。「あの人たちは、被害者ではありません。兄という怪物を生み出し、それを野放しにしてきた共犯者です。自分たちが可愛いから、世間体が大事だから、兄の異常性から目を逸らし、すべてを隠蔽してきた。……今さら逃げ出したところで、罪が消えるわけがない」 由美子の言葉は、リサの推測を裏付けるものだった。 やはり、両親はただ怯えているだけではない。彼らは過去の虐待と、その後の石場の暴走を隠すために、積極的に見ないふりを続けてきたのだ。「由美子さん、お願いします。数分で構いません。お兄さんのこと、そして亡くなったもう一人のお兄さんのことを教えていただけませんか。真実を明らかにする鍵は、あなたが持っている記憶の中にしかないのです」 リサは必死に食い下がった。 由美子はリサをじっと見つめ、そして迷うように視線を落とした。「……ここじゃ、話せません。近所に聞かれたくないんです」 由美子は周囲を気に
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-11-29
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断ち切られた絆を追って ③

 駅前のファミリーレストランは、ランチタイムを過ぎても家族連れや学生たちで賑わっていた。 明るい店内、食器がぶつかる音、笑い声。 それらが逆に、ボックス席に向かい合って座る二人の間の空気を、重く際立たせていた。 喧騒に包まれた店内の一角で、由美子はブラックコーヒーを一口飲み、意を決したように口を開いた。「兄は……和弘は壊れているんです。昔から……」 由美子の視線は、カップの中の黒い液体に落ちたままだ。 由美子の瞳が揺れている。怯えているのがこちらにも伝わってくるかのようだ。「あの家は、地獄でした。父は厳格を通り越して暴力的で、母はそれに従うだけの操り人形。父にとって子供は自分の所有物でしかありませんでした。期待通りに動かなければ不良品扱い。兄は……長男として、父の暴力の矛先を一心に受けていました」「土倉のことですね」 リサがそっと尋ねると、由美子は驚いたように顔を上げた。「知っているんですか……? そう、あの裏庭にある土倉です。父は気に入らないことがあると、兄をあそこに閉じ込めました。夏でも冬でも関係なく、一晩中。電気もない真っ暗な中に、食事も与えず放置するんです」 由美子は自身の二の腕を抱きしめた。「私は布団の中で、遠くから聞こえる兄の泣き叫ぶ声を聞いていました。『開けてよ、ごめんなさい、父さん、開けてよ!』って……。その声が聞こえている間は、まだマシだったんです。一番怖かったのは、兄の声が聞こえなくなった時でした」「聞こえなくなった時?」「ええ。ある大雨の夜のことです」 由美子の声が震え始めた。「その夜も、兄は土倉に入れられていました。外は台風のような嵐で、激しい雨音が屋根を叩いていました。最初は兄の泣き声が聞こえていたんです。でも、雨が強くなると同時に、兄の声がピタリと止まりました。私は心配になって、父の目を盗んで傘を差し、土倉の様子を見に行ったんです」 リサは息を呑んで聞き入った。「重い木の扉の隙間から、中を覗きました。……兄は、泣いていませんでした。真っ暗な土倉の隅で、膝を抱えて座り込み、天井を見上げていました。そして……笑っていたんです」「笑っていた……?」「いいえ、正確には笑みとは違います。恍惚とした表情で、ブツブツと何かを呟いていました。『音が消える』『きれいだ』って。……兄は、自分を閉じ込める雨音に、安らぎを
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-11-29
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断ち切られた絆を追って ④

「健太兄さんが亡くなった時のこと、詳しく教えていただけますか?」 リサの問いに、由美子は唇を噛み締め、遠い過去の記憶を手繰り寄せるように話し始めた。「……私が小学校に上がる前の夏でした。あの日、和弘兄さんと健太兄さんは、二人で近くの川へ遊びに行ったんです」 由美子はテーブルの上で組み合わせた指を、白くなるほど強く握りしめた。「私はまだ小さかったので、家で留守番をしていたのですが、夕方になっても二人は帰って来ませんでした。母が心配して探しに行こうとした時、和弘兄さんが一人で戻ってきたんです」 由美子の眉間が険しく寄る。当時の光景が、今まさに目の前で再生されているかのような反応だ。「兄さんは、びしょ濡れでした。でも、慌てている様子も、泣いている様子もなかった。ただ玄関に立ち尽くし、母に向かって無機質な声でこう言ったんです。『健太が、いなくなった』と」 リサはペンを走らせる手を止め、由美子の横顔を見つめた。 子供が兄弟の事故に遭遇した場合、パニックになるのが普通だ。その反応の欠落は、土倉から出てきた時の能面のような無表情と重なる。「警察や消防団が川を捜索しました。健太兄さんが見つかったのは、それから二日後。下流の岩場でした」 由美子は一度言葉を切り、荒くなった呼吸を整えるように大きく息を吸い込んだ。「事故死として処理されました。足を滑らせて転落し、溺れたのだと。でも……私は見てしまったんです」「見た?」 由美子が顔を上げ、リサを射抜くような強い視線を向けた。「お葬式の日です。親戚たちが帰り、静まり返った和室で、和弘兄さんが健太兄さんの遺影の前に座っていました。私は声をかけようとして、襖の隙間から兄の背中を見たんです。……兄さんは、肩を震わせていました。最初は泣いているのかと思いました。でも、違った」 由美子はテーブルの上で、震える両手をきつく握り合わせた。「兄さんは、笑っていました」 店内の喧騒が一瞬、遠のいた気がした。「肩を震わせて、くつくつと。悲しくて泣いているのではありません。あれは、邪魔なものが消えて清々したというような、あるいは面白いショーを見た後のような、冷酷な笑いでした。その背中を見た瞬間、私は理解したんです。ああ、この人はもう、私の知っている和弘兄さんじゃない。この身体の中にいるのは、私が知らない『別の誰か』なんだ、と」
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-11-29
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断ち切られた絆を追って ⑤

 リサは背筋に走る悪寒を抑えながら、事実関係を確認する。「ご両親は和弘さんの様子について何か言ったり、対策をとったりはしなかったのですか?」 由美子は忌々しげに吐き捨てた。「健太兄さんがいなくなった日、兄が一人で戻ってきた時の異常な落ち着きように、父と母は顔色を変えていたので、その時から兄の異常さには気付いていたはずなんです。でも、父と母は何も言わなかった。世間体を気にして不幸な事故という筋書きに固執し、兄を病院に見せることすらしませんでした」「見て見ぬふりを……し続けたと?」「まだ見て見ぬふりをする方が良かったのかもしれません。それどころか、父は腫れ物に触るように兄を避けつつ、兄が少しでも奇妙な言動を見せると、ヒステリックに土倉に閉じ込める回数を増やしていったんです。私が家にいた十数年の間、土倉の扉が閉ざされる音を聞かなかった月はありません」 悪循環だ。その異常ともいえる光景を妹の由美子は、大人になるまで一番近くで目撃し続けてきたことになる。「だから私は、家を出てすぐに戸籍を抜き、結婚を機に名前を変えて、完全に縁を切ったんです。二度と、家族と、あの“怪物”に見つからないように」「由美子さん、最後に一つだけ」 リサは核心に触れる問いを、慎重に選びながら投げかけた。「今の和弘さんは……あの日、川で健太さんの身に何が起きたのか。そしてその時、自分が何をしていたのか……覚えていると思いますか?」 リサの問いに、由美子は首を横に振った。「いいえ。たぶん、覚えていないでしょう。兄の中には、泣き虫で臆病な『和弘』と、冷酷な『怪物』が共存しています。ですが、普段の兄は、自分が被害者だと思い込んでいますから」 そこまで話すと、由美子は疲れ切ったように椅子に背を預けた。「私が家を出たきっかけとなったのは、兄に殺されかけたからなんです。高校生の時、私が部屋で音楽を聴いていたら、突然、部屋に入ってきた兄から首を絞められました。『うるさい』『静かにしろ』って……。あの時の目も、土倉で見た目と同じでした。私は必死で逃げて、そのまま家を出ました。私が話せるのはこれだけです。お願いです、もう私に関わらないでください。あの家と関わると……不幸になります」 由美子は伝票を掴み、逃げるように席を立った。 リサは引き止めることなく、去っていく彼女の背中を見送った。 手に
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-12-11
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覚醒の呼び鈴 ①

 リサはレンタカーの運転席に滑り込み、ドアを閉めた。 車内という密室に静寂が戻ると同時に、先ほどの由美子との会話、そして数日前の美咲との言い争いが、交互に脳裏をよぎる。『病的な防衛本能ね……。ねえ、リサ。それを私に話して、どうしたいの? 「だから許すべきだ」とでも言いたいの?』 美咲の言葉は切実で、リサの胸に深く刺さったままだった。 一方的に通話を切られたあの日から、連絡を取り合っていない。今、電話をかけたところで、美咲は出てくれるのだろうか。いや、むしろ波風をさらに立てるだけではないか── リサはスマートフォンの画面を見つめ、一瞬、躊躇した。 だが、迷っている時間はない。 由美子の証言が事実だとすれば、石場の中には制御不能な「何か」が潜んでいることになる。それが動き出す可能性がゼロではない以上、美咲の命は感情的な行き違いよりも遥かに重い天秤に乗せられているのだ。 万が一があってからでは遅い。嫌われてもいい。警告だけは伝えなければ…… リサはダッシュボードにスマートフォンを固定し、ハンズフリー通話のボタンをタップした。 呼び出し音がスピーカーから無機質に響く。 リサは祈るようにハンドルを握りしめた。「……はい」 数コールの後、美咲の声が車内に流れた。 その声は硬く、まだ怒りの余韻を含んでいるようにも聞こえたが、着信拒否をされなかったことにリサは安堵した。「美咲……。喧嘩の直後にごめんなさい。でも、どうしても伝えなきゃいけないことがあって。緊急事態なの」「緊急事態……?」「妹さんに会えたわ。そして、無視できない証言を得た」 リサはエンジンを始動させながら、しかし車は発進させずに早口で告げた。「時間がないから結論だけ言うわ。あなたの直感は当たっていたかもしれない。石場和弘の中には、彼自身も制御できない別人格が潜んでいる可能性がある。それも、極めて攻撃的な人格が」 スピーカーの向こうで、美咲が息を呑む気配がした。「妹さんは、それを怪物と呼んでいたわ。幼少期、兄の死に関わっている疑いもある。……いい、美咲。まだ推測の域は出ないけれど、これはもう、単なるストーカーや失踪事件という枠で捉えるべきじゃない。もしその人格が過去の清算のために動き出しているとしたら、次はおそらく両親が狙われる。でも、あなたもターゲットになる可能性は捨てきれない
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-12-01
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覚醒の呼び鈴 ②

 美咲は、通話の切れたスマートフォンを耳から離し、静まり返った部屋を見渡した。 カーテンは閉め切られ、昼間だというのに薄暗い。 リサの言葉が耳の奥で反響している。『怪物』『別人格』『排除すべき障害』── まだ恐怖はぬぐいきれていない。 だが、数日前にリサに怒りをぶつけたあの瞬間から、美咲の中の何かが確実に変わっていた。 それまで美咲を支配していたのは、石場への恐怖と、何もできない自分への無力感だった。しかし、リサへの反発として吐き出した怒りは、彼女の心に久しぶりに強いエネルギーを送り込んだのだ。 怒ることができるということは、心が死んでいない証拠だ。まだ立ち向かう気力が残っている。「私しかいないでしょう」 リサの最後の言葉が、美咲の胸に残っていた小さな残り火に油を注いだ。 この調査を始めたのは私だ。リサを巻き込んだのも私だ。それなのに、恐怖に負けて彼女を拒絶し、私は安全な場所に隠れている。本当にリサ一人に任せるつもりなのか?「……違う」 美咲は小さく呟いた。 指先はまだ震えている。 その震えが、ふと美咲の脳裏に苦い記憶を呼び起こした。 かつて、理不尽な悪意に晒され、部屋の隅でただ膝を抱えて震えていた、あの忌まわしい日々の記憶だ。 今の震えは、あの時とは違う。 私はもう、あの頃の無力な学生じゃない。ただ怯えて逃げることしかできなかった過去の自分とは違うのだ。 あの時の絶望を、もう二度と繰り返したくはない。 石場に追われたあの夜、私は確かに死ぬほどの恐怖を感じた。けれど、その恐怖より強く感じたのは違和感の方だった。 あの時の石場の目は、山で見かけた時の、あの怯えるような目ではなかった。 リサが言うように彼の中に別人格がいるとするなら、私がかつて噂で聞いていた石場──不器用で、仕事ができなくて、誰からも相手にされていなかったあの冴えない男は、今どこにいるのか? 美咲は立ち上がった。 震える足に力を込め、閉ざしていたカーテンを勢いよく開け放つ。 午後の強い日差しが、澱んだ部屋の空気を切り裂いた。「リサは両親の元へ行った。なら、私は……」 美咲の視線が、机の上に置かれた一枚の写真に止まる。 それは、リサに見せた「エミリアと石場が話している写真」だ。そしてその横には、アレックスと一緒に写るエミリアの笑顔がある。 私は、何か
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-12-02
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偏見の向こう側 ①

 美咲は再び、アレックスの住む洋館の前に立っていた。 以前ここを訪れた時は、彼を慰めたいという一心だった。だが今は違う。 美咲は重厚な門扉を押し開け、手入れの行き届いた庭へと足を踏み入れた。 アレックスの住む洋館は静寂に包まれていた。かつてはここから、エミリアとアレックスが奏でる二重奏が聞こえてきたものだが、今はただ、重苦しい沈黙が支配している。 美咲は玄関の前で立ち止まり、深呼吸をしてから呼び鈴を鳴らした。 しばらくして、扉が開く。 前回より、随分と出てくるのが遅い。「……美咲? どうしたんだい、こんな時間に」 現れたアレックスは、以前会った時よりもさらに痩せ、目の下の隈が濃くなっているように見えた。「ごめんなさい、アレックス。どうしても確認したいことがあって」 美咲は玄関先で立ち止まったまま、単刀直入に切り出した。「石場和弘という男のこと。……私に嘘をつかないで答えてほしいの」 アレックスの眉がピクリと動く。「石場……? ああ、あのカフェの常連客のこと? 以前も言った通りだ。エミリアに一度だけ話しかけたことがある。それだけだよ」「本当にそれだけ?」 美咲は畳みかけた。「あの日、山で私が目撃した不審な男。あれは石場だった。あなたは、あの日以前から、石場がエミリアに執着していたことを知っていたんじゃないの? 毎日カフェで演奏していたあなたが、常連客の視線に気づかないはずがないわ」 アレックスは深くため息をつき、諦めたようにドアを大きく開けた。 リビングに通された美咲は、座ることもせず、立ったまま彼を見下ろした。「……美咲。君はどうして、そこまで彼を疑うんだい? 警察でさえ、彼を容疑者リストには入れていない。ただの少し変わった男だ。それなのに君は、まるで彼が悪魔であるかのように怯え、そして攻撃しようとしている」 アレックスの痛いところを突く問いかけに、美咲は言葉を詰まらせた。 言いたくない。思い出したくもない。 私の心に古傷に触れるもの…… けれど、この震えの理由を言葉にしなければ、アレックスには届かない。「……似ているのよ」 美咲は喉の奥から声を絞り出した。「昔、私がまだ大学生だった頃……ある男につきまとわれたことがあるの。最初は、通学路ですれ違うだけの他人だった。でも、ある日から視線を感じるようになった。視線はす
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-12-03
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偏見の向こう側 ②

「石場が私を追いかけて来た時のあの目……同じ目だと思った。理屈や証拠じゃないの。私の本能が、細胞全部が『あいつは同じ種類の怪物だ』って警鐘を鳴らした。……だから私は、エミリアが私と似た苦しみに直面したんじゃないかって、どうしてもエミリアと自分を重ねてしまうのよ。私が助からなかったかもしれない未来を、エミリアが私の代わりに生きているんじゃないかって……」 美咲の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。 それは恐怖の涙であり、過去に自分を守ってくれなかった世界への、消えることのない怒りの涙でもあった。「そうか……。君はエミリアを自分のことのように思えていたんだね。すまない、そんな辛い過去があったとは知らなかった」 アレックスは立ち上がり、沈痛な面持ちで美咲に近づいた。 彼女の過剰な反応の正体が、単なる臆病さではなく、生き残るための必死の防衛本能だったことを知り、彼は自分を恥じたようだった。 アレックスは、しばらく躊躇った後、意を決したように口を開いた。「君の直感は鋭いのかもしれない」「え?」「実は……エミリアも、石場のことを気にしていたんだ」 美咲は顔を上げた。「どういうこと?」「だけど、怖がっていたわけじゃない。むしろ逆だ。エミリアは言っていた。『あの人の音の聴き方は、特別だ』と」「特別?」「ああ。彼はいつも、演奏の技術ではなく、その奥にある感情……特に悲しみや喪失感に共鳴していた。エミリアは、彼の中に自分と同じような深い孤独を感じ取っていたんだよ」 アレックスは振り返って、美咲に思いがけない事実を告げた。「失踪する前日、石場がエミリアに話しかけた時のことだ。僕は少し離れた場所にいたが、エミリアが彼に何かを手渡しているのを見た」「手渡した? エミリアが……?」「ああ。小さな、紙切れのようなものだった。楽譜の切れ端か、メモか……。あの当時は単なるお礼のメッセージでも書いてあるのだろうと思ったが、エミリアは彼に何かを託したのかもしれないな。……だとすれば、石場はエミリアの敵ではなく、彼女が最後に信頼した人物だった可能性もある」 美咲は言葉を失い、息を呑んだ。視線が宙をさまよい、唇が開きかけては閉じ、言葉にならない思考が胸の奥で渦を巻く。 石場はストーカーではなかったのか? エミリアが彼に何かを託した? リサが石場の妹から聞き出した内側に
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-12-04
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矛盾するピース

「プロファイリングが合わない……」 リサはハンドルを握る手に力を込めた。 北関東からの帰路、車窓を流れる景色は色を失い、ただの灰色の帯となって後ろへ飛び去っていく。 妹・由美子の証言は衝撃的だった。石場和弘の中に怪物がいる。それは確かなのだろう。 だが、リサの脳裏には、どうしても拭いきれない違和感がへばりついていた。 元上司の宅間や同僚たちは、石場をこう評していた。『要領が悪く、仕事ができない』『感情的で衝動的』だと。 由美子もまた、兄は社会に適応できず、感情の抑制が効かない子供のような存在だったと語っていた。 つまり、石場和弘という人間の本質は不器用で衝動的なのだ。 だが、エミリアの失踪はどうだ。 目撃者は皆無に等しく、遺体はおろか、遺留品ひとつ見つかっていない。 警察の捜査網すら掻い潜る、あまりにも完璧すぎる隠蔽工作── たとえ彼の中に冷酷な別人格がいたとしても…… 石場の中に冷酷な別人格がいる可能性は確かにある。しかし、その別人格が存在したとして、殺人を犯したというのは、推測の域を出ないはずだ。 リサは自問した。 人格が変わっただけで、突然、これほど緻密な計算と実行力が身につくものだろうか? 車も持たず、地縁も薄い彼が、たった一人で遺体を運び出し、痕跡を消し去ることが可能なのか? 魔法使いでもない限り、物理的な限界があるはずだ。 実行犯は本当に石場なのか? あるいは──石場和弘という男は、誰かが描いた巨大な絵図の中で、罪を被せられようとしているだけの好都合な存在に過ぎないのではないか? だとすれば、彼を怪物に仕立て上げ、その影で笑っている真犯人が別にいることになる。「もっと大きな力が働いているのかもしれない……」 リサはアクセルを踏み込んだ。スピードメーターの針が跳ね上がる。 この違和感の正体を突き止めるには、やはり両親に会うしかない。 彼らが何を隠し、何から逃げているのか。そこに、石場の能力を超える何かが隠されているはずだ。
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-12-04
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