All Chapters of 偽りの婚姻から脱出、御曹司は私に惚れ: Chapter 1011 - Chapter 1012

1012 Chapters

第1011話

「この屋敷の名義人は染谷央介という男だ」烈生は何かがおかしくてたまらないというように、口元をわずかに吊り上げた。「秦家が抱えている、表に出せない資産の一つさ。たとえ九条正修が京市にある拠点をすべて封鎖したとしても、まさか俺がこんな場所に、お前のためだけの宮殿を築いているなんて思いもしないだろう」――染谷央介。奈穂はその名前を心の奥に刻み込んだ。「げほっ……ごほ、ごほっ!」激しい咳が会話を遮る。胃をえぐるような痛みに耐えきれず、奈穂は体を丸めた。これは演技ではない。冷たい海水にさらされたことで、もともとの胃の病が限界まで悪化していた。烈生の表情が初めて変わる。あからさまな動揺。長年かけて作り上げてきた「完璧な紳士」の仮面から、初めて焦りが覗いた。「医者だ!三原(みはら)先生を呼べ!」彼は扉の方に向かって声を張り上げた。奈穂はベッドの縁にもたれ、爪が食い込むほど強く掌を握り締める。――良かった。人の出入りがあるなら、この場所は完全な密室ではない。烈生がタオルを取りに離れた、その一瞬。奈穂は素早く部屋全体へ視線を走らせた。窓はない。換気口からはかなり強い風が流れ込んでいる。おそらくここは地下深く。金色の鎖はベッドの下で床に埋め込まれた固定金具につながっていた。ほどなくして烈生が戻り、温めたタオルを彼女の額にそっと当てた。「心配しなくていい。三原先生はすぐ来る。奈穂。ちゃんと薬を飲んでくれるなら、お前の望みは何でも叶えてあげる」「……陽の光が見たい」奈穂は目を閉じたまま、弱々しく呟く。だがその言葉は、相手を誘導するために計算されたものだった。「夕日でもいい。一目だけでも見たいの」烈生の体がぴくりと固まる。しかし次の瞬間には、穏やかな笑みを浮かべ、彼女の肩を優しく叩いた。「体調が戻ったら、その時に考えよう」……その頃、港の埠頭。正修は、すでに瓦礫と化した桟橋の前に立っていた。海風が黒いコートを激しく揺らす。普段なら決して揺らぐことのない自制心も、冷静さも、この瞬間には完全に崩れ去っていた。「社長……潜水班はもう三度捜索しましたが、潮の流れが速すぎます。水戸さんが転落した地点は……」二郎の声は震えていた。上司の顔を見ることすらできない。正修
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第1012話

正修はハンドルを握る手に力を込めていた。あまりにも強く握り締めているせいで、指の関節は血の気を失い、痛々しいほど白くなっている。アクセルは床まで踏み込まれ、フロントガラスに叩きつけられた雨粒は次々と砕け散る。SUVは放たれた矢のように秦グループに向かって突き進んだ。濡れた路面をタイヤが切り裂き、耳をつんざくようなスキール音を響かせる。だが、秦グループの本社ビルまであと二ブロックというところで、助手席に置かれた暗号化衛星電話が激しく鳴り響いた。「社長!」二郎の切迫した声が飛び込んでくる。「伊集院北斗がもう耐え切れず、全部吐きました!公海で船を襲撃した件は秦音凛が一から仕組んだものだそうです。それから――彼女は秦烈生の海外資産に関する暗号キーのリストを持っています!水戸さんの監禁場所も、その中に記されている可能性があります!」正修は躊躇なくハンドルを切った。車体は雨の夜道で鋭い弧を描き、そのまま反転して西方向に向けて疾走する。「京市拘置所に向かえ」その声は、氷を削って作られたように冷たい。「秦烈生がかくれんぼをしたいなら……まずは妹の口から地図を吐かせる」……その頃、地下の密室。空気は冷え切り、モスグリーンに染まった部屋の空気が、淀むようにまとわりついていた。三原一郎(みはら いちろう)が入室すると、かすかな消毒液の匂いが流れ込む。五十代半ばほどの男だった。長年手術台に向かい続けたせいで背中は少し丸まり、その眼差しには、裏社会の金に長く関わってきた闇医者特有の慎重さが滲んでいる。奈穂はモスグリーンのベルベット張りのベッドに横たわっていた。顔色は青白く、シーツと見分けがつかないほどだ。胃の痙攣は鋭い激痛から鈍く長引く痛みへと変わっていたが、そのぶん苦しみは体の奥深くまで染み込んでいる。息を吸うたびに、胸の奥が焼けつくように痛んだ。「秦社長」一郎は目を伏せたまま医療バッグを開く。ベッドの女性をまともに見ることすら避けている。「水戸さんは海に転落したショックと、持病の胃疾患が重なり、急性の胃痙攣を起こしています。鎮静と鎮痛剤を投与した後、点滴を開始する必要があります」「慎重にやれ」烈生は無表情のまま言った。その静かな声には、ぞっとするような威圧感が宿っている。「注射痕以外、一切傷を残す
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