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All Chapters of Dress Circle: Chapter 31 - Chapter 40

50 Chapters

先に奪ったのは

季節が移るのはあっという間だ。長くて短い夏休みも終わり、気付けば肌寒い風が吹くようになった。特別悪いことはないけど、良いこともない。舗装された、とても平坦な道を歩いている。一架はまだ目覚めきってない頭で、今日も通学路を歩いていた。「よっ、一架!」「おぉ、柊。と……」学校の昇降口の手前で名前を呼ばれ、足を止める。振り返ると、よく知ってる二人が後ろにいた。「おはよう、一架先輩」「おはようございますだろ、柚? 一架は一応先輩なんだから」「オイ、一応って何だよ」颯爽と現れたのは幼なじみの柊と、後輩の柚。彼らは一目でわかるぐらい距離が縮まった。何か一悶着あったみたいだけど、今は穏やかに付き合ってるみたいだ。柚の方を盗み見て、密かに思案する。……眼鏡外したんだな。俺の方も安泰だ。柊の家に連れて行った日から、柚にちょっかいを出されることは完全になくなった。柊が良い具合にストッパーになってくれてるんだろう。おかげでとても平和な日々を過ごせている。これで見た目もキャラ被らないし、学年は違うといえポジションを切り離せる。「なぁ、そういえば一架は好きな奴いないの? 俺、お前からそういう話聞いたこと全然ないけど」三人で廊下を歩く。途中、柊は冗談っぽく訊ねてきた。もし柚からこれまでの事を聞いてるのなら、こんな質問はしてこないはず。ということは、柚は朝間さんを含めた乱交の件について、柊には何も話してないようだ。案の定、彼は澄まし顔で隣を歩いている。でもその方がいい。俺が継美さんと付き合ってることは隠しておこう。「……あぁ、いないよ。俺はまだいいかなー。学校中にいるファンを裏切るようなことはできないからね」「えぇ? 大丈夫だよー、もうそんな熱狂的なファンは残ってないって。一架が誰と恋愛しても、誰も気にしないよ!」柊は明るく笑った。俺の為に言ってくれたんだろうけど、何か逆に傷つく言葉だ。もう誰も俺のことなんて想ってない……。その心情に気付いたのか、柚はそっぽを向いて必死に笑いを堪えている。このガキ。「まっ、一架も早く好きな人見つかるといいな。じゃあまた!」階段をのぼりきったところで二人と別れた。俺も自分の教室へ向かい、見慣れた景色に飛び込む。「おはよう!」「おー、おはよう一架!」にこやかに挨拶すると、近くにいたクラスメイトは笑顔で近寄ってき
last updateLast Updated : 2025-10-22
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#1

屋上階段から教室までは距離があって、全力で走っても着いたのは時間ギリギリだった。間違いなくセーフだけど、クラスメイトは全員着席して、チャイムが鳴るのを待ってる状態だった。慌てて前方を向く。「崔本、もう始まるから早く席に着け」教壇では継美さんが、呆れたように腰に手を当てる。彼の担当科目の英語が最初で良かった。軽く会釈して、一番前の自分の席に着く。継美さんは全員分の解答用紙を持って俺の目の前に回る。そのとき、少し屈んで囁いた。「机に出すのはペンと消しゴムだけ。筆箱は仕舞って」あぁ、そうだ。まだ息が上がって焦ってたから忘れていた。「あ、はい。すいません」慌ててチャックを開ける。ペンの数自体は大して入れてない俺の筆箱。だから中のものを机の上にぶちまけた。それがいけなかった。「…………ん?」自分の目を疑う。筆箱にはペンなんて一本も入っていない。消しゴムもシャー芯も、文房具と言えるものは一つも入ってなかった。代わりに机の上に転がったのは、真っ白な物体。ペンよりはずっと短い棒状のもの。触ったことがある回数は片手で数えるぐらい。まず自分とは関わりのない、────大量の煙草が、俺の筆箱の中に入っていた。「え。一架、それ何。……煙草?」目の前に居た継美さんはもちろん、隣にいた友人もそれに気付いて手を伸ばす。あまりにたくさん詰め込まれていた為、何本かの煙草は転がって床に落ちた。さすがに、数秒は思考が停止した。同年代の中では危機的状況に陥った経験が多いし、ある程度の不測の事態は咄嗟に対応ができる自信があった。けどこれは予想外で、ブレーカーが落ちてしまったかのように頭が働かない。恐らく、目の前に居るこの人の影響も……少なからずあった。どう思われてるのか怖くて、上手い言い訳を考えようにも俯いた顔を上げられない。「いやっ……違うんです、これは! …………何だろ」いや、マジで何なんだ。俺の筆箱じゃない。なんて言い訳はできない。昨日まで俺がこの筆箱を持っていたことはクラスメイト皆が見ている。しかしここで黙ったらもっと悪い方に転がる。下手でもいいから、とにかく言い訳しないと。「俺のこの筆箱、階段のところで捨てられてて、今取ってきたばっかりなんです そしたら中身がすり替えられて……っ」自分のペンがないことも付け加えて説明した。有り難いことにクラスメイ
last updateLast Updated : 2025-10-23
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#2

そっと手が伸び、頭を撫でられる。最初こそ後ろに引き気味だったが、次第に前のめりになった。あんなに子ども扱いされるのが嫌いだったのに、すごく気持ちいい。一架はゆっくり、継美の胸に寄りかかった。「隠しててごめん。嫌がらせとか慣れてるし、むしろ仕事してた時の方が酷かったから、大丈夫かなって思って……」「うん……まあ、確かにそうかもな。ごめんな」触れた手は自然と繋がる。こんなところを誰かに見られたら煙草どころの騒ぎじゃない。それでも今は、今だけは離れることはできなかった。もし引き剥がされてしまったら、もう二度とこんな風に寄りかかれない気がする。どこかでひっそりと息をする。ちっぽけなプライドが心に根を張っていて、無理やり引き剥がしたら怪我しそうだ。彼に心配をかけたくないと想いと、自分で解決できるという自負がぶつかっている。「……他に、何か変わったことはないか? 困ったこととか、気になってることとか」「ううん。特にないよ」継美があまりにも不安そうな顔を浮かべている為、一架は慌てて笑顔をつくった。「もしまた嫌がらせされたらすぐに言え。もう他の先生達も知ってるし、犯人捜しじゃないけど悪化は防げるはずだ。……というより、絶対防いでみせる。俺がいるから」強い力で手を握られる。一架は瞼を伏せた。散り散りになる心を無理やり掻き集めて、押し込められた。それができるのは、世界中でもこの人だけ。「ありがと、継美さん」ここが一番欲していた自分の居場所。明日なんて来なくていいから、ずっとこのままでいたい。そんなことを願ってしまうのは彼と離れたくないからなのか。それとも今日が終わるのが怖いから、か……。きっと両方だ。俺はもう、“独り”は耐えられない人間になってしまったから。その日から特に、身の回りに注意を払って過ごした。移動教室以外はほぼ動くのをやめ、行動範囲を狭めたせいか日が経つのも早く感じた。あっという間にテスト期間は終わり、教室の空気も随分と和らいだようだった。「一架、あれから何もされてないか?」放課後、たまたま廊下ですれ違った柊が心配そうに近付いてきた。彼は昔からイジメは許さないタイプだったから、今回の噂を聞いて特に気にしてくれている。「サンキュー、大丈夫だよ。よく考えたら俺が気を付ければよかっただけの話だし」「そういう問題じゃないだろー…
last updateLast Updated : 2025-10-24
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#3

それから一週間が経った。嫌がらせはしばし落ち着き、また以前の生活に戻りかけていた。……が、今度は返ってきたテストの結果にため息が止まらなかった。煙草騒動のせいで期待薄だったとはいえ、全教科トータルで学年三位。継美さんに一位をとると宣言したことを死ぬほど後悔してる。「一架、そーんな落ち込むなって。中間は準備運動みたいなもんだろ? 次の期末テストで巻き返せばいいじゃんか!」学校の廊下で、柊は精一杯励ましてくれた。彼の気遣いは素直に心に響く。嬉しいし、弱気になってるせいか涙腺が緩みそうになる。「そうだな。サンキュー、柊。次頑張るよ」でも約束を守れなかったから、継美さんに頼んだ“ご褒美”はお預けだな。それだけがやっぱり悲しい。「へぇ~、一架先輩成績ガタ落ちしたんですか?」そして沈んだ心を逆撫でする、喜びに満ち満ちた幼い声。何とか真顔は保ったつもりだけど、多少睨みをきかしてしまったかもしれない。「先輩のことだからどうせ慢心が過ぎたんだろうけど、柊先輩の言うとおり次がありますからね。今日の挫折が明日の糧になって先輩に微笑みかけるよ。多分」「柚、お前オモテ出ろ」柊の隣でにこやかに笑っている、いつもと変わらない柚。これにはかなり腹が立って、思いきり引っぱたいてやりたくなった。でもそこはフォロー役の柊が笑って制する。「まぁまぁ、喧嘩は駄目だぞ。一架が今回全力を出せなかったのは嫌がらせの件もあるからな。しょうがない」「嫌がらせ? って、何です?」何も知らない柚は柊の言葉に反応し、不思議そうに聞き返した。柚の視線を受け、柊は困ったように眉を下げた。「一架は最近、誰かから嫌がらせされるんだよ。この前は筆箱に大量の煙草が詰められてたらしい」「そりゃ手の込んだ嫌がらせですね。まあでも一架先輩って敵多そうですもんね。なんと言ってもナルシストだし」「ナルシストは関係ねーだろ! つうかナルシストで何が悪いんだよ! 誰が困るってんだ!? あぁ!?」このところ色々あり過ぎて、受け流せばいい柚の冗談に取り乱してしまった。彼は柊の後ろに隠れ、柊はまた焦った様子で俺達の喧嘩を仲裁する。「まぁまぁ、落ちつけ。柚も先輩をからかうのはいい加減にしろ。一架はちょっと自己愛が強いだけなんだ」「それを世間ではナルシストって言うんじゃないですか」「そうなんだけど、違うって言っと
last updateLast Updated : 2025-10-26
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#4

後日。嫌がらせはぴたりと止まった。それは助かるけど、急に動きがなくなると逆に警戒心が強まる。嵐の前の静けさのようで不気味だ。それに何もされてないけど、妙に視線を感じる時がある。まるで誰かに監視されてるような、嫌な感じ。ただの気のせいならいいんだけど……。「崔本くん、おはよう!」「わっ!」けっこうな力で背中を叩かれ、思わずよろめく。いつも付きまとわれてるような感覚は、“これ”のせいかもしれない。「ねぇ、その伊達メガネ似合ってるけどさ……。君は素顔の方がずっと可愛いんだから外せばいいのに」爽やかな笑顔を浮かべる同級生、延岡。最近は本当によく話しかけられる。いや、口説かれてる……のか?「しょうがないんだよ。これは俺の類まれなる美貌を隠すためでもあるんだ。美しすぎると狙われるから、もはや防犯グッズなんだ」「あはは、面白い。うん、一理あるね」延岡は普段からにこにこと笑っている。クラスでも中心にいるみたいだし、きっと毎日楽しくてしょうがないんだろう。いや、別に羨ましくはない。俺なんてクラスどころか学校の中心にいるしな。俺の辞書に嫉妬という言葉はない。内心頷いていると、彼はまた尋常じゃなく顔を近付けてきた。「今日の放課後とか、時間ある? テストも終わったことだし、どこかで遊ぼうよ」彼は「気晴らしになるし」と微笑んだ。本当なら頷いていいところだけど……やっぱり、彼に対して心を許してはいけない気がする。学校のチャイムをかき消すほどの警鐘が鳴ってる。「えっ、と……」なんて断ろうか迷っていると、後ろから明るい声で名前を呼ばれた。「一架せーんぱいっ。おはよー」「柚!」突如割り込んできた影につい口元が緩む。現れたのは柚だった。よしよし、ナイスタイミングだ。やればできるじゃないか。「ん。後輩?」案の定、延岡は柚を見て小首を傾げる。「あぁ、俺の後輩。実はちょっとこいつに大事な話があって……ごめん、また今度!」「いたっ! ちょっと、先輩!?」延岡には笑顔で謝りつつ、柚の襟を掴んで引っ張った。そのままだいぶ上の階まで進み、彼と距離をとったことを確認する。ふー、危機一髪。うまく逃げられた。「先輩、痛い! 離してよ!」「あ、あぁ。わるいわるい」逃げるのに必死で体重の軽い柚を引きずってしまっていた。それには慌てて謝罪し、彼の頭を乱暴に
last updateLast Updated : 2025-10-27
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#5

────どうして人は自分以外の誰かを好きになるんだろう。どうせ最後には全て忘れるのに。結局自分が一番可愛いのに、守りたいのに、誰かを好きになることのメリットは何だろう。独りが寂しいから。尽くしてもらえるから。……抱いてもらえるから、か。延岡祐代は疑問に思っていた。同級生が恋愛に興味を抱き始めてからずっと自問自答してきた、未解決の難問。彼は自分以外の誰かを好きになったことがない。周りには好きな対象をころころ変える友人がいて、それが尚さら混乱の渦を巻き起こしたのかもしれない。恋情という感情が、一番理解できない。友人は次から次へと「好き」の対象を変える。それはまるで新発売のゲームに飛びつく子どもの姿と同じに思えた。本当に「好き」だったのなら、また関係を戻したいとか思わないんだろうか。だって、昔好きだった本や音楽はたまに聴きたくなる。それと恋愛は、やっぱり別物なのか。人を好きになったことがない自分にはいまいち分からない。友人は一度別れた人のことは目もくれない。そして次の対象を捜し回る。恋人を作ることに躍起になっている。何故なのか。高校に入って間もない頃、何でも知っている“彼”に訊ねた。『自分の種を引き継ぐ子どもをつくる為かな。男女間なら自己の遺伝子保存が目的だろうね。本能行動だよ、プログラミングされてるんだから当然だ』何とも単純明快な答えが返ってきた。けど子どもを産めない同性を強く求めるのは、どういった欲望からなのか。それも合わせて訊いてみた。原動力が必ずあるはずだ。優しいから好き、頼れるから好き、かっこいいから好き…………そんな外的な理由ではなくて、原因はきっと自分の中にある。何よりも誰よりも、「愛されたい」という本能。「繋がりたい」から手を伸ばすんだ。『そうそう、それだよ。訊かなくても分かってるじゃない。愛されたいから誰かを愛するんだ』────でも君は、誰も好きにならないんだよね?彼は綺麗な顔で微笑んだ。自分を一番綺麗に魅せる表情を知ってる。それをまた遠慮なく使うんだから、本当に自信家で強かな人だと思った。それが分かったとき、確かに彼に惹かれた。これが「好き」という感情なのかどうかは分からないけど、今まで抱いたことのない感情だ。『俺、好きな人ができました。あなたのことが……好きです』どんな手を使っても手に入れたい
last updateLast Updated : 2025-10-27
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#6

「さてと……」一方で、朝間はまだ公園に残っていた。延岡と抱き合っていたアスレチックの影から抜け出し、近くの自販機に視線を移す。「盗み聞きか。怒らないから出ておいで」宥めるような言葉を発してから十秒は経とうとしていたが、やがてため息まじりの声が返ってきた。「なんだ、気付いてたなら言ってくださいよ。悪趣味だな」自販機の奥から人影が揺らめく。出てきたのは柚だった。「用があるなら堂々と会いに来てくれて構わないんだよ。……柚君、だよね。最後に一架と一緒にホテルへ来た」「わ、覚えててくれたんですか? ありがとうございます」「そりゃあ一架の可愛い後輩君ならね」屈託なく微笑む朝間に、柚も愛想のいい笑いを浮かべた。しかし甲高い声のトーンを、徐々に落としていく。「俺は一架先輩にまぁまぁお世話になったので。昔はともかく、今は先輩を守ってあげたいんです」「守る?」朝間は顎を引いて聞き返した。「あなたのことですよ。さっき居た……延岡先輩ですっけ。高校生に高校生を使ってちょっかい出すとか、かなり人間性を疑うんですけど」なるべく丁寧に言おうとしたのに、挑発的な物言いになってしまった。。柚はつくっていた笑顔を消して、また一歩朝間に近付いた。心の底では距離をとれと言っている。しかしその声に従えないくらい、今は気が昂っていた。「延岡先輩の仕業だろうけど、一架先輩は嫌がらせを受けて、唯一の取り柄のテストもボロボロだった。それからずっと元気がないんですよ。……可哀想です」嫌がらせ、という言葉に朝間はわずかに反応した。これは効果的かもしれないと、構わず言葉を続けた。「あなたが一架先輩を何年想おうが勝手だけど、どう考えても行き過ぎてる。はっきり言ってストーカーですよ……いい加減諦めて、他に好きな人を見つけたらどうですか? 先輩はあなたの他に好きな人がいるんだから」そう言った瞬間、全身に衝撃を受けた。背中が痛いのは近くの遊具に押し付けられたからだ。今目の前で、朝間が自分に覆い被さっている。直立したままだが、強い力で両手を押さえられていた。疲れたわけでもないのに息が上がる。「お喋りな子だね、高城柚君。威勢のいい子は嫌いじゃないけど……牙をむく相手は選ぶことをおすすめするよ」さらに強い力で両腕を拘束される。確かな焦りと共に、柚は待った甲斐があった、と思った。よう
last updateLast Updated : 2025-10-28
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#7

「ふあぁ……ねむ」翌朝、一架は睡魔と戦いながら登校した。せっかく新しいゲームが配信された為思いきり遊んでいたのに、寝る直前に色々なことを考えてしまい、結果寝付けなかった。もう悩み事なんて全てとっぱらって、早く平和な日々に戻りたい。アンニュイになりながら階段を上っていると、ちょうど柚とバッティングした。「あ。今日は遅いんだね、一架先輩。でもちょうど良かった」「普通の登校時間だろ。どうした?」「昨日話してた噂のこと。やっぱり延岡先輩とは関わんない方がいいよ。あのひと先輩のファンだって自称してるけど、朝間って人の犬みたいだから」「朝間さん……?」軽く、後ろから殴られたようで目が覚めた。朝から物騒な話を聞かされたこともあり、心拍数が上がる。……いや、“彼”の名前を耳にしたせいだろうか。「延岡先輩もあの男の人も、先輩が思ってる以上に執着してるみたいだね。気をつけなよ」柚はため息まじりに呟いて長い前髪を払った。その際、かすかに手首が見える。そこは一目で分かるぐらい紫色の痣が痛々しく広がっていた。「おい、これどうした?」彼の腕を掴み、間近で確認した。見れば、もう片方の手もそれらしき痕が残っている。「お前、まさか朝間さんに会ったのか!?」「あ~……うん。何かちょっと怒らせちゃった、あはは」笑って答える柚とは反対に、本気で怒鳴った。「馬鹿かお前は! 相手は大人なんだぞ!」自分も彼とそこまで体格差はないが、それでも背が低く、女子のように華奢な柚が適う相手ではない。キレさせたら尚さらだ。これだから怖いもの知らずは困る。「危ないことしやがって……!」「でも……延岡先輩を見張ってたから、あの人が関係してること分かったんだよ? 普通に考えたら、先輩にそこまで恨みを持つ人なんて俺には思いつかないし……」声が次第に小さくなる。見ると、柚は珍しく落ち込んだ顔をしていた。彼なりに良かれと思って行動したんだろう。それが逆に怒鳴られたもんだからショックを受けてるみたいだ。あぁもう……。一架は自分の髪を乱暴に掻き分けた後、柚の下がった視線に合わせて前に屈んだ。「確かにな。ありがと。……でも、もう二度と危ない真似はすんな」彼にデコピンし、強制的に顔を上げさせた。するとようやく笑顔を浮かべ、今度は誇らしげに手をかざした。「あは、先輩に心配されるほど落ち
last updateLast Updated : 2025-10-29
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#8

「はー……っ」今日も無事に我が家に帰ってこられた。肩を豪快に回し強ばった筋肉をほぐす。文化祭が近い為、最近は生徒会で打ち合わせをすることが多い。外はすっかり真っ暗だ。一架は玄関で靴を脱ぎ、そのままダイニングへ向かう。すると珍しく、父がひとりで晩酌をしていた。「ただいま。今日は響子さん来ないんだっけ?」そう問い掛けたところで思い直す。彼女が来ないからこそ酒を呑んでるんだろう。人前……いや、女性の前では紳士なんだからな。テーブルに並べられているのはデパ地下で買ったような惣菜ばかり。幼い頃から父が料理を作ってる姿なんてほとんど見たことがない。きっと、これから先もずっと……。「響子さんの次男がインフルエンザになったらしくてな。少しの間、家でつきっきりだそうだ」「ほんと? 可哀想だね。早く治るといいけど……」「お前は? 学校とか、何も変わりないか?」父は徳利を置くと徐に立ち上がった。俺が鞄をソファに放っても気にせず、キッチンの方へ向かう。俺は声が届くよう、少し腹に力を込めた。「変わんないよ。授業も難しくないし、毎日楽しい」できるだけ明るく言ったつもりなのに、自分の耳では棒読みの台詞に聞こえた。親しい友人相手なら嘘だと見抜かれてしまいそうだ。本当に笑ってしまう。こんな演技力で元子役なんて。……口が裂けても、これからは話しちゃいけないな。「あ、響子さんが来ないってことは俺が料理しないとか」父が買ってきた酒のつまみのような惣菜はほとんど残ってない。今まで響子さんがいない時は適当にカップラーメンを食べてたけど、良い機会だ。真面目に料理の練習をしてみよう。料理のレパートリーが増えれば、いずれ恋人にも作ってあげられるかもしれない。……父にも。でも、仮に作ったとしても食べてくれるだろうか。足元に視線が下がる。意味のないため息がもれそうになったけど、その前に鈍い足音が聞こえてきた。「腹減っただろ。大したもんじゃないけど、ほら」「豚汁?」「そんなところだ」彼がテーブルに持ってきてくれたのは美味しそうな香りの豚汁だった。どうせなら米も炊けばいいのに。……でも、父は酒が飲みたいだけだった。シメに何か食べたいだけで、がっつりご飯を作る気はないんだろう。汁物とはいえ、彼がつくった料理を食べるのは相当久しぶりだ。本当に、小さい頃以来かもしれない「いただ
last updateLast Updated : 2025-10-30
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対比

「予定より大幅に上回る来客数……今回の展示会も大成功でしたね」広いホールに佇み、展示物の片付けに追われるスタッフ達に目を向ける。次いで、今日の集客数をタブレットで確認しているに企画部の青年に振り返った。「先月のプロジェクトもすごい動員数だったし……やっぱり朝間さんのサポートのおかげです」「いいえ、私は何も」丁寧に頭を下げ、周りのスタッフに挨拶してから会場を出た。朝間はスマホで時間を確認して、襟元を緩めた。今日は提携先の企画参加で、一日中来客の応対をしていた。普段から話し続けるのは慣れてるものの、さすがに喉が痛む。時間的にも自宅に直帰することを決め、駐車場へ続く街道を歩いた。すると前方に佇み、こちらを直視してる青年が居たので足を止める。体感では、二秒ほど時間が止まった。「初めまして。朝間さん、ですよね。少しだけお話できませんか」まだ若いが、まじまじ見てしまうほど丁寧なお辞儀だった。物腰も口調も柔らかで、接客の多い身からすると好印象。しかし心を許すかどうは別の話だ。「突然すみません。私、高校の教員をしている梼原継美と申します」「存じてます。一架の担任の先生でしょう? 実は僕も、貴方とゆっくりお話してみたいと思ってたんです」朝間は笑顔を浮かべた。継美の隣に並び、少し先のバーを指さす。「お仕事帰りでしょう。良ければ飲みながらお話しません?」「いえ、車なので。ただのお茶なら、そこの喫茶店でも」「ふふ。すいません、それならここで大丈夫です。俺も車だし、喉が乾いていただけなので」方向を変え、すぐ近くの自販機に向かう。缶コーヒーを二本買い、一本を継美に手渡した。「……ありがとうございます」「いいえ。わざわざ会いに来てくださったんですから」よく場所が分かりましたね、と言うと彼は一瞬気まずそうにした。それ以上はあえて踏み込まず、朝間は顔を背けた。あっという間にコーヒーを飲みきり、缶をゴミ箱に捨てる。もっとも継美はプルタブも開けずに、通り行く人々を眺めた。「そんな気を遣わないでくださいね。俺と継美さん、同い年みたいだし。……それでお話というのは、やっぱり一架のことですよね」「はい。どうしても直接会って訊きたかったんです。貴方は一架を……彼をどうしたいんですか?」束の間の沈黙。その後零れる小さなため息。朝間は困り顔で継美を見つめていた
last updateLast Updated : 2025-10-31
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