All Chapters of 冷酷御曹司は逃げた妻を愛してやまない: Chapter 91 - Chapter 100

113 Chapters

4-10 異変、再び 1

 朝の報道部はいつものように騒がしかった。「おはようございます……」出社した沙月が報道部に入った瞬間、部署にいた局員が一斉に沙月を振り返り……慌てたように視線をそらす。(……え?)周囲からの視線に人一倍敏感な沙月はすぐに異変を感じながら、自分の席に着いた。(気のせい……? 何だかいつもと雰囲気が違うように感じるけれど……?)澪が報道部にいたあの頃のように足を引っかけられることも、機材室に閉じ込められることも今は無くなっていた。澪の命令により、沙月に嫌がらせをしていた局員たちは全員が司の介入で左遷や、別部署に飛ばされたからだ。それ以来、沙月への嫌がらせはピタリと止んだ。そして誰もが沙月の陰にいる司の存在に怯え、関わらないように距離を置いていた。相変わらず報道部での沙月は孤立していたものの、以前に比べて格段に働きやすい職場になっていたはずなのに……。PCを立ち上げながら、沙月は周囲を伺う。すると近くにいた女性局員と目が合った。彼女は沙月と挨拶や、仕事上での会話を交わす程度の中ではあった。それなのに今日に限り、彼女は一瞬強張った表情を浮かべると、慌てたように視線をそらせてしまったのだ。(え……? 何? 今の態度は……?)そこへ、男性局員が近くを通りかかった。「おはようございます」沙月が挨拶すると、局員はギョッとした表情を浮かべる。「あ、あぁ……お、おはようございます」そして男性局員は急ぎ足で去って行く。「どうしたのかしら……?」ポツリと呟いたとき、背後から視線を感じて振り向いた。すると局員たちが沙月をじっと見つめている。彼等は沙月が振り向いたことで、まるで蜘蛛の子を散らすように慌てた様子で去って行った。(何……この雰囲気。まさか……また以前のように戻ってしまったの……?)胸騒ぎを感じ、心音がドクドク早まっていく。沙月の脳裏に機材室に閉じ込められたときの苦い記憶が蘇る。(絶対におかしい……まさか、昨日の脅迫文と何か関係があるのかしら……? でもまだ直接何か言われたわけでは無いし……あら?)社内メールに新着メールが届いていることに気付いた。『報道部、局員へ。至急確認を』と記されている。「至急のメール……?」緊張しながら、沙月はフォルダをクリックした――
last updateLast Updated : 2025-12-26
Read more

4-11 告発メール

「!」メールを開いた沙月は、声にならない悲鳴を上げた。PC画面を見つめる身体が小刻みに震える。「そ、そんな……どう……して……?」【内部通報】天野沙月は、社内いじめの件で顧問弁護士・霧島朔耶に訴訟を起こす準備を進めている。また、霧島を自宅マンションに招き入れ、個人的な関係を利用して訴訟を有利に進めようとしている。すでに複数の局員が巻き込まれており、今後さらなる問題が発生する可能性がある。メールには、そう記されていた。(な、何……このメール……訴訟って……? 私が……霧島さんを……誘惑……?)頭が真っ白になり、胸の動悸が激しくなる。意味が理解できない……いや、理解したくなかった。メールにはさらに写真も添付されている。もはやイヤな予感しかしなかったが、確かめないわけにはいかなかった。「……」カチッ。震える指先でファイルをクリックした瞬間――「っ!」肩が大きく跳ねた。そこに映っていたのは、笑顔の沙月が霧島を自分の部屋に招き入れている写真だった。沙月は悲鳴を上げそうになり、両手で口を覆った。(そんな……嘘でしょう? どうしてこの写真が……?)どう見ても、沙月が霧島を誘っているようにしか見えない。心臓が脈打ち、今にも胸から飛び出しそうだった。(誰が……こんな写真を……? 私があのマンションに住んでいるのを知っているのは、司と霧島さんだけ。でも霧島さんがこんなことするはずない……まさか、司が……!?)司の顔が脳裏に浮かぶ。(私のマンションに来たのも、今朝外で待ち構えていたのも……何か裏があったの? これが目的だったの……?)司が何を考えているのか、もう分からなかった。ただ一つ。今朝の局員たちの妙な態度の理由だけは、はっきりした。このメールは部署内の一斉メールになっている。(多分、部署の人たち全員がこのメールを見ているはずだわ……だから、皆様子がおかしかったのね……?)ドクンドクンと心臓が早鐘を打つ。視線を感じて顔を上げると、局員たちがこちらを見ていた。沙月と目が合うと、気まずそうに視線をそらし、そのまま離れていく。(そんな……! 私は何もしていないのに……!)澪がアナウンス部に移り、イヤなデスクは左遷。澪の息のかかった女性局員たちも全員異動になり、ようやく働きやすい環境になってきたばかりだという
last updateLast Updated : 2025-12-27
Read more

4-12 不穏な打ち合わせ室

 沙月はテーブルを挟んで、デスクと向かい合わせに座っていた。デスクは難しい顔で、何やら資料のようなものを目にしている。カチコチカチコチ……打ち合わせ室は静まり返り、時計の針の音だけがやけに大きく響いている。(一体何を言われるのかしら……)沙月の緊張はピークに達し、テーブルの下で掌をギュっと握りしめる。するとおもむろにデスクが顔を上げ、資料をテーブルに置くと口を開いた。「さて、天野さん。何故呼び出されたか……理由は分かっているかな?」「……はい、分かっています……」社内メールを見てしまった以上、頷かないわけにはいかなかった。「そうか。なら……」「待ってください! どうか私の話を聞いてください!」このまま話を進められては、自分に不利に働く。そう思った沙月は、思わずデスクの言葉を遮った。「……」デスクは眉を寄せ、わずかに目を細める。「お話を途中で遮ってしまい、申し訳ございません。ですが、あのメールに書かれているのは全くのデタラメです!」「なら、メールに添付されていた写真はどう説明するのだね? 君と霧島さんは親しい間柄に見える。自ら彼を部屋に招き入れていたのではないかね?」「それは違います。確かに霧島さんを部屋に上げたことは認めますが……私と霧島さんは部屋が隣同士で、そのことが昨日偶然分かったのです。それで、私が家具を組み立てられなくて困っていることを話したら、霧島さんが手伝ってくださって……写真は、その時のものです! お願いです、信じてください! 私、訴訟の準備なんて絶対にしていません!」息を切らしながら必死に説明する沙月を、デスクは無言で見つめていた。その沈黙が、沙月の不安をさらに煽る。「あ、あの……? デスク……?」すると――「そうか、分かった」デスクはゆっくりと頷いた。「え? あ、あの……」「君が嘘をついていないことはよく分かったよ」「……信じてくれるのですか?」沙月は眼を見開く。「あぁ、もちろんだ。君はそんなことをするような人物ではない。真面目に働いてくれていることも知っているよ」「……ほ、本当……ですか?」「あぁ、本当だとも。今の君の態度でよく分かったよ」沙月の顔に安堵の表情が浮かび、深々と頭を下げた。「ありがとうございます……信じてくださって」「だが……このまま黙って済ますわけにはいかない」
last updateLast Updated : 2026-01-01
Read more

4-13 料亭『紅葉』 1

「司……? 今度は一体何よ?」ただでさえ気が滅入っているところに届いた司からのメール。沙月は深いため息をつき、スマホをタップした。『今日の帰りは何時になる?』たったそれだけの文章が目に飛び込んできた。「……」更に憂鬱な気持ちになってくる。(何なの? この上から目線な態度は……どうして私にかまってくるのよ。もう他人になるのに)苛立ちを感じながら、沙月は返信を打ち始めた。『今夜は局の夕食会に参加しなければならないので、結構です』送信ボタンを押すと、沙月はPCの電源を入れて仕事に取りかかった。今日は取材音声の文字起こしが大量にあって忙しかったのだ。ようやく集中しようとした矢先――再び司からのメールが入ってきた。「……もう、またなの……?」周囲の視線もある。沙月は着信を無視し、黙々と文字起こしを続けた。しかし、すぐにまたスマホが震える。(もう、一体何なのよ!)苛立ちを抑えきれず、沙月はスマホを掴んで画面を開いた。『夕食会だと? 何時からだ? 場所は?』『返信しろ。さもなくば局に押しかけるぞ』「!」その内容を目にした瞬間、沙月は呆れ果てた。「呆れた……脅迫するつもり?」だが……。司が本当に局に来てしまえば、噂がさらに悪化するのは目に見えている。(仕方ないわね……)観念した沙月は、正直に返信した。『今夜19時に、局の近くにある小料理屋『紅葉』で夕食会に参加するので、迎えは結構です』送信すると、スマホは静かになった。司からの返信は、それきり来ることはなかった。(……納得したのかしら?)司からの返信が途絶えたスマホをじっと見つめ……胸の奥に小さな不安を抱えたまま仕事を再開した。だが、集中しようとしても、文字起こしの音声が耳に入ってこない。何故なら夕食会のことが頭から離れなかったからだ。(夕食会……本当に大丈夫よね……?)何度も自分に言い聞かせ……ようやく業務を終わらせた頃には、外はすっかり薄暗くなっていた。時計を見ると、もう十八時半を過ぎている。(そろそろ行かないと……)沙月は荷物をまとめ、「お疲れさまでした」と小声で挨拶すると局を出た――****店のルートはあらかじめ調べてある。不安な気持ちを押し殺しながら、沙月は店へ向かった。(誤解を解くため……それだけのはず……)自分に言い聞かせながら繁
last updateLast Updated : 2026-01-02
Read more

4-14 料亭『紅葉』2

 足を止めた女性店員は入り口で声をかけた。「失礼いたします。お連れ様をお連れいたしました」店員が引き戸をあけたその瞬間、室内の光景が露わになる。「!」思わず沙月は息を飲んだ。そこにいたのはデスク。そして、見知らぬ男が三人。全員が一斉に、まるで沙月を品定めでもするかのように視線を向けてきた。(そ、そんな……全員男性なんて……!)沙月の背中に冷たい汗が流れる。「あ、あの……」助けを求めるように女性店員へ視線を向けるも、彼女は目を合わせることなく男たちに向かって会釈した。「それではごゆっくり、お楽しみくださいませ」――お楽しみください。その言葉に深い意味はないのかもしれない。けれど沙月を震え上がらせるには十分だった。女性店員は沙月にも軽く会釈すると、まるで「こういうことは日常」と言わんばかりに、スタスタと歩き去ってしまった。「あっ……!」思わず手を伸ばしたが、その手は空を切る。「天野さん、そんなところにいないで入ってきなさい」そこへ背後からデスクに呼ばれる。その声は静かなのに、有無を言わせぬ迫力があった。「え……? あ、あの……」入り口で躊躇していると、さらにデスクが追い打ちをかける。「……何をしに来たのか、分かっているのだろう?」「! は、はい……分かりました……」震える声を抑えながら、沙月は靴を脱ぐと畳の上へと足を踏み入れた。室内に上がり込んだ途端――「!」沙月の肩が大きく跳ねた。部屋の奥にはふすまで仕切られた小部屋があり、その隙間から敷かれた布団が見えたのだ。(……ど、どうして……布団が……?)全身から血の気が引く。高校時代……倉庫に連れ込まれて襲われそうになった記憶が蘇ってくる。ドクンドクン……心臓が早鐘を打ち、今にも口から飛び出しそうだ。「天野さん、君はここに座るといい」デスクが指し示したのは、恰幅の良い五十代ほどの男の隣だった。その男はニヤリとも笑わず、ただじっと沙月を見つめている。まるで獲物が来るのを待っていたかのように。(……どうして私の席だけ、こんな場所なの……?)しかし、歯向かう訳にはいかない。恐る恐る男の隣に座ると、すぐさま男が盃を差し出してきた。「まあまあ、まずは一杯。緊張しなくていいからね」他の二人の男たちが、妙に大げさに笑い声を上げる。「○○さんの隣に座
last updateLast Updated : 2026-01-03
Read more

4-15 2人の距離感

 どこか遠くで声が聞こえている。「……なるほど、そうか……」低い声は、どこか聞き覚えがあり……なぜか安らぎを感じられた。(……誰が……話しているの……?)「……ああ、今は大丈夫だ。沙月は……まだ眠っている」名前を口にされ、ぼんやりしていた意識が徐々に戻ってくる。(もしかして……あの声は司……?)瞼が重かったが、沙月はゆっくり目を開ける。するとベッドに寝かされていたことに気付いた。オレンジ色の薄明かりに包まれた室内はどこか見覚えがある。「え……?」身体を起こそうとした瞬間、ズキリと頭が痛んだ。「痛っ……」顔をしかめながら周囲を見渡し、沙月は息を呑んだ。(う、嘘……! この部屋は……! 私が司と使っていた寝室……!)声の聞こえる方向に視線を向ければ、窓際に寄せたテーブルにYシャツ姿の司が見える。 彼は沙月が目覚めたことに気付かずに通話を続けていた。「……いいか、佐野。……接待の件、徹底的に調べろ。あの男……絶対に許さない。二度と沙月に手出し出来ないようにしてやる……」怒りを押し殺した司の声が静かな部屋に響く。(もしかして、私の為に何かしようとしているの……?)司の様子が知りたくなり、沙月はゆっくり身を起こした。「あぁ、それで……ん?」通話を続けていた司が気配に気づいて振り向き、2人の視界が交錯する。司は目を見開き、直ぐに電話口に告げる。「すまない、一度切るぞ」ピッ通話を切ると司は立ち上がり、ベッドに近づいてくる。そして沙月を見下ろした。「……目が覚めたんだな?」その表情には、複雑な感情が宿っている。「え、ええ……それで……どうして……」ここに……? そう訊ねようとした矢先。「この馬鹿! あんな場所に一人で行くなんて……どれほど危険かということがか分からなかったのか!? お前は一体何を考えているんだ!」いきなり司が怒鳴りつけてきた。その目には激しい怒りが宿っている。「あ……」いつもの沙月ならここで何か言い返していただろう。だが、身の危険を感じながら料亭に行ったのは事実。そして実際危険な目に遭いそうなところを助け出してくれたのは司なのだ。「……ごめんなさい……」素直に謝ると司が戸惑いを見せる。「あ……い、いや。その……すまない。別に……怒鳴るつもりは無かったのだが……」沙月は首を振った。「
last updateLast Updated : 2026-01-04
Read more

4-16 予想外の報告

――23時タワーマンションの窓には、高層ビル群の見事な夜景が広がっていた。高級ソファに座る澪は、美しい夜景を眺めている。彼女の右手には赤い液体が注がれたワイングラスが揺れていた。「フフフ……今頃沙月は、あの女癖が悪くて有名な黒川専務の餌食になっているはず……いい気味だわ」満足げに微笑んだその時、スマホが着信を知らせた。相手はデスクからだ。「この時間に連絡が来たということは……どうやらうまくいったようね」余裕の笑みを浮かべると、澪はスマホをタップした。「どうだった? うまくいったのでしょう?」すると、通話口からデスクの興奮した声が聞こえてきた。『朝霧さん! 一体どういうことだね!』「ちょっと! 大きな声出さないでちょうだい! いきなり何なのよ?」耳元からスマホを外し、澪は眉をひそめる。『君に言われた通り、彼女を追い詰めて料亭に誘い出した。計画通りに黒川氏の隣に座らせ、他のメンバーと一緒に場を盛り上げて酒を飲ませて酔わせた。そこで黒川氏と彼女の二人だけにして、我々はその場を後にした』「それが段取りでしょ?」『そうだ。そこまでは完璧だった。だが……その後が問題だ。先程黒川氏から怒りの電話が入ってきたんだよ!』「怒りの電話?」『接待を楽しみにしていたのに、よくも台無しにしてくれたなと! 何が起きたのかと、黒川氏に話を聞いてみたところ、天野社長が突然料亭に現れたらしい』「何ですって!? 司が!?」澪の目が見開かれる。『そうだ。彼は部屋に入るなり、倒れていた天野さんを抱き上げて、告げたそうだ。黒川専務、あなたが日常的に受けている接待の記録を会社に知られたくなければ、二度と彼女に手を出すなって!』「そんな……!」『黒川氏は大層激怒していたよ。君に責任を取らせろとまで言われた。だがね、朝霧さん……』デスクの声が低くなる。『私は天野社長を敵に回すつもりはない。あの人物は我々がどうこうできる相手じゃない。申し訳ないが、私はもうこの件から手を引かせてもらう』澪は無言で唇をかみしめた。『大体、何だ? 天野社長は君の婚約者だったはずではないのか? それなのに何故こんなことになっているのだ。天野沙月……以前から天野社長と苗字が同じなので怪しいと思っていたのだが、まさか……』「うるさいわね! そんなことは、あなたに関係ないでしょう!」ヒ
last updateLast Updated : 2026-01-06
Read more

4-17 目覚めの朝

――翌朝朝の眩しい太陽の光がカーテンの隙間からさしこみ、沙月の顔を照らす。「うぅ~ん……」眩しさに、寝返りを打ったところで沙月はパチリと目を覚ました。「……え?」見覚えのある天井に、ドキリとする。何故ならここは、かつて司と夫婦として一緒に暮らしていた家の寝室だったからだ。沙月は慌てて飛び起きた。「どうして……私、ここに……? あ! そうだった……!」昨夜の記憶が断片的に蘇る。デスクから半ば強要されて参加した料亭の席。そこにいたのはデスクと見知らぬ三人の男性。五十代半ばと思しき男性の隣に座らされたこと。無理に酒を勧められ、気づけばその男性と二人きりになっていたこと。隣室に連れていかれると布団が敷かれており、その上に突き飛ばされたこと。そこへ司が現れて、そのまま自分は意識を失い……。(そうだ……昨夜、私……あの料亭で……!)思い出した瞬間、背筋がゾクリとした。(大丈夫……未遂で終わってる。私は何も……されてない……)両手で自分の身体を抱き締め、首を振った。「ところで今何時なのかしら……?」壁に掛けてある時計を見ると6時を少し過ぎている。「! 大変……! 早く起きなくちゃ!」沙月はベッドから降り、今の自分の姿を確認した。上着は脱いでいたが、通勤着のままだ。「一度家に戻って着替えないと……」昨夜のことを考えると、とてもではないが出勤する気にはなれなかった。(でも駄目。こんなことくらいで仕事を休んだら、増々何を言われるか分かったものじゃない。メールの件もあのままにしておけないし) 廊下に出ると、リビングの方から物音が聞こえてきた。(……誰かいる?)恐る恐るドアを開けると、そこには司と家政婦の節子がいた。テーブルに向かっている司は、コーヒーを片手にPCを眺めていた。節子はキッチンに立って朝食の準備をしている。二人は沙月が入ってきた気配に気づいて顔を上げた。「あの……お、おはようございます……」バツが悪く、小声で挨拶すると節子が笑顔を向けてきた。「まぁ、奥様。おめざめになりましたか?」「……はい……」もう奥様ではないと言いたかったが、司がこちらをじっと見つめているので言葉に出来なかった。「起きたのか、具合はどうだ?」司はコーヒーを口にした。「だ、大丈夫……です」まさか体調の心配をされるとは思わず
last updateLast Updated : 2026-01-07
Read more

4-18 不器用な優しさ

 家の前に停めた車の助手席ドアが、司の手によって開かれた。「乗れ」それは有無を言わさない圧があった。「……」沙月は一瞬躊躇うも、昨夜の出来事を思い出して頷く。「……ありがとう」礼を述べて乗り込むと司は無言でドアを閉め、運転席へ戻った。司はハンドルを握り、エンジンを掛けると車が走り出した。「「……」」車が走り出してすこしの間、車内には沈黙が降りた。が……やがて司が口を開く。「……昨夜、お前を狙っていた男だが……」「え?」司の声は低く、怒りを抑えているかのようだ。「名前は黒川俊明。大手広告代理店の専務だ」「黒川……俊明……」昨夜の男の顔が蘇り、沙月は身体を強張らせた。司は続ける。「業界では有名な男だ。自分の立場を利用して、若い女を接待の相手にさせ……大勢被害者がいる。それだけじゃない、賄賂も受け取っている最低の男だ」司は淡々と語るも、全身から怒りが滲み出ていた。沙月の顔から血の気が引く。「……そんな人が……」司は前を向いたまま低い声で尋ねた。「……誰があの接待を設けた?」沙月は唇を噛んだ。「……局の新しいデスクよ……」「フン。やはりな」「え? やはりって……どういうこと?」「別にお前が知らなくていい」「何でよ!」思わず声が上ずる。するとちょうど車は赤信号で止まり、司は横目で沙月を見た。「もっと危険な目に遭いたいか?」「……っ」その一言で、沙月は押し黙った。再び信号は青になり、車が走り出す。「「……」」少しの間、車内が再び静かになる。「……」沙月はチラリと運転席を見ると、司は前を向いてハンドルを握りしめている。だが、その表情は険しい。(もしかして怒らせてしまった……? でもこのまま黙ってるわけにはいかないし……)そこで沙月は思い切って別のことを尋ねた。「……どうしてあの場に現れたの?」司は前を向いたまま答える。「何だ、忘れたのか? 自分からメールで言ってきただろう」「メール……?」「19時に、局の近くある小料理屋『紅葉』で夕食会に参加するって。あの料亭は、以前からいかがわしい接待に使われていた。それで嫌な予感がしたから行ってみたんだ」ぶっきらぼうな言い方なのに、その言葉の奥には優しさが感じられた。(……どうして司は……? 私を気にかけるの……?)疑問を残したまま、沙月は口
last updateLast Updated : 2026-01-08
Read more

4-19 奇妙な空気

――カチャ…… バスルームの扉が開き、湯気がふわりと漏れ出した。シャワーを浴び終えた沙月がリビングへ戻ると、司はソファに腰掛けて経済新聞に目を通していた。「終わったのか?」新聞から顔を上げた司が、沙月を一瞥する。「え、ええ。終わったわ……」「そうか」再び新聞に視線を落とす司。壁の時計は七時半を指している。(どうしよう……出勤するにはまだ早いし……それにまだ食事も……)チラリと司を見ると、熱心に新聞を読んでおり、帰る気配などまるでない。(やっぱり本気で私を局まで送るつもりかしら……)昨夜からほとんど何も口にしていない沙月は空腹を感じていた。そこで小さく息を吐くとキッチンへ向かった。(仕方ないわね……)エプロンを締め、冷蔵庫を開ける。「何か作るのか?」背後から司の声がした。「ええ。作ると言ってもトーストにハムエッグ、それと野菜スープよ」「……ふ~ん」じっと見つめてくる視線に、沙月は思わず肩をすくめた。(な、何よ、その何か言いたげな目は……あ、もしかして……)無駄とは思いつつ、野菜を刻みながら尋ねた。「……貴方も食べる?」「ああ、そうだな」「え……?」意外な返事に沙月は思わず顔を上げたが、司はもう新聞に戻っていた。(聞き間違い……じゃないわよね?)首を傾げながらも、沙月は朝食の準備を進めた……。――30分後。「お待たせ」リビングで新聞を読んでいた司の元へ、沙月は出来上がった料理を運んだ。トレーの上にはトースト、ハムエッグ、野菜スープ、そしてコーヒー。「……出来たのか?」司は新聞を畳み、料理を見つめた。「ええ、簡単な物だけど」沙月は自分の分も運んで向かい側に座ると、司はフォークを手に取った。「いただきます」「え……?」思わず司を見た。今まで一度も、司が「いただきます」と言って食事を始めたことなどなかった。司は気にした様子もなく、ハムエッグを口に運ぶ。沙月も慌てて自分のフォークを手に取った。(……何なの、この空気。怒ってるわけじゃない……よね? でも、何を考えているのか全然分からない……)司は淡々と食べ進めていく。やがて、コーヒーを一口飲んだ司が、ぽつりと口を開いた。「ごちそうさま。……うまかった」「え!?」沙月は思わず手を止めた。胸がドクンと跳ねる。(こんな簡単な料理なのに…
last updateLast Updated : 2026-01-10
Read more
PREV
1
...
789101112
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status