All Chapters of 冷酷御曹司は逃げた妻を愛してやまない: Chapter 31 - Chapter 40

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2-21 監視する者 1

――昼休みも終わりに近い頃。社員食堂の窓際席に沙月と霧島は向かい合わせに座り、コーヒーを飲んでいた。「どうです? 社員食堂とはいえ、ここのコーヒー、中々美味しいでしょう?」霧島が明るい笑顔で沙月に話しかける。「はい、美味しいですね。香りがすごく良いです」沙月は頷き、珈琲を一口飲んだ。「良かった。気に入っていただけたようで」穏やかな口調で語る霧島を見ていると、何故かふと自分が今抱え込んでいる悩みを打ち明けたくなってしまった。「霧島さん……この度は声をかけていただいて、嬉しかったです。実は私……職場では、あまり歓迎されていないようなのです。新人だから仕方ないのかもしれませんけど……」沙月は手にしていたコーヒーカップに視線を落とし、続けた。「金曜の夜に、大きな集まりがあって出席することになっているんですけど……正直、少し気が重くて。でも出席しないわけにはいかないし……」黙って沙月の話を聞く霧島。その姿勢が今の沙月にとって、すごく好感が持てた。そこでつい本音を口にしてしまった。「……私、昔からあまり弱音を吐くのは得意じゃないんです。でも今日は少しだけ……誰かに話したくなってしまいました」すると霧島は一瞬目を見開き……口元に笑みを浮かべた。「その気持ち、僕も良く分かりますよ」「え?」沙月が顔を上げると、霧島は穏やかな笑顔のまま両手を組んだ。「職場での人間関係って、誰でも少し悩むものだと思いますよ。僕自身も入社したばかりの頃は同じでしたから。コミュニケーションがうまく取れない相手だと、もしかして自分は嫌われているんじゃないかって考えてしまいますよね」「霧島さんがですか? その話、本当ですか?」 彼の話は驚きで、沙月は信じられなかった。「ええ、本当ですよ。ですが、そんなに驚くことですか?」「だって、霧島さんは人当たりも良くて親切な方ですから。誰かに嫌われるなんて、そんな……。その証拠に女性社員たちからとても人気がありますよね?」すると霧島はおどけたように肩をすくめる。「そうでしょうか? 自分ではそんなふうに思っていませんでしたが……天野さんにそう言っていただけると光栄ですね。でも何か思い悩むことがあるなら僕でよければ、聞かせてください。無理に話す必要はありませんが、誰かに話すことで心が軽くなるなら、是非」沙月は心がふっと軽くなっ
last updateLast Updated : 2025-10-11
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2-22 監視する者 2

沙月は周囲を見渡すも、何も視線を感じない。「もしかして先ほどの女性社員たちじゃありませんか?」苦笑する沙月。「う~ん……そうでしょうか?」「はい、そうですよ。だって、あの人たちが言ってましたよ? 霧島さんは憧れの存在だから話しかけるのに勇気がいるって。そう噂されてますから」すると霧島は満面の笑みを浮かべて沙月を見つめた。「それでは天野さんは……」「え? 私がどうかしましたか?」「いえ、何でもありません。それで先ほどの話の続きですが、人間関係で悩んでいるようでしたら相談に乗りますよ。経験者なので、天野さんに良いアドバイスが出来ると思います」霧島は沙月の心の声を真剣に聞こうと身を少し乗り出した。「霧島さん……」霧島の温かい言葉に、沙月の感情があふれ、思わずうつむいた。「……天野さん? どうかしましたか?」心配になった霧島は、沙月の様子を伺うために顔を近づけた。――その瞬間。柱の陰から一人の人物がスマホを構え、録画ボタンを押した。画面に映った角度からは、まるで沙月と霧島が今にもキスしそうに見える構図になっている。実際には二人の間にまだ距離はあった。だがレンズ越しには、唇があと数センチで触れ合いそうに映りこんでいる。互いの顔には柔らかな笑みが浮かんでいた。盗撮者は満足げに画面を拡大する。スマホに映し出された映像は現実以上に艶めかしく、危ういものだった――****――その頃。澪は自分専用の楽屋でスマホの画面を食い入るように見つめていた。そこには沙月と霧島が笑顔で話をしている様子が映し出されている。「ふふ……いいじゃない。これで二人が仲良くしている証拠を収めることが出来たわ」澪は満足そうに口持ちに笑みを浮かべる。指先で動画を巻き戻しながら、澪は何度もその場面を確認した。霧島と沙月が笑顔で話している姿は、澪にとって絶好のネタだった。「報道局の顧問弁護士と、あんなに親しげにするなんて。さすが、私の司を寝取っただけあるわね」スマホを閉じ、デスクの上に置かれたパーティーの出席者リストを見つめた。「天野……沙月」沙月は赤いマーカーペンを手にすると、沙月の名前を丸囲みした。「金曜日が楽しみね。あんたがどんな顔をするのか、今から楽しみだわ」澪は立ち上がり、鏡の前で自分の髪を整えた。そこには完璧な装いの自分がいた。「沙月……あ
last updateLast Updated : 2025-10-12
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2-23 怒涛のパーティ― 1

金曜日、18時――仕事から帰宅した沙月は、早速ドレスに着替えた。このドレスは遥と澪に遭遇した時に購入した物――ある意味因縁のドレスでもある 濃紺のマーメイドラインに、胸元のクリスタルが鏡の中で星のように煌めいてる。いつもより濃い目にメイクを施した沙月は鏡の前に立って髪をまとめようとした。その時、玄関の鍵が回る音が聞こえた。「ただいまー……って、え!?」 帰宅した真琴はリビングに入ってきた瞬間、沙月を見て目を見開いた。「お帰りなさい、真琴」笑顔で出迎える沙月。「素敵! 最高よ、沙月! これこそが私の知っているあなたよ! もしかしたら、今夜のパーティーの主役はあなたが主役になるかもしれないわね」真琴は興奮気味に言う。その言葉に沙月は笑い、鏡の中の自分に視線を戻した。 「主役になれるかどうかは分からないけれど……もう逃げないって決めたのよ。もっと強くならなくちゃ」「……そう。分かったわ」真琴は鏡の中の沙月に頷いた……。**** 出掛ける用意が整った沙月は玄関に立っていた。正面には見送る真琴。「それじゃ、パーティーに行ってくるわね」「うん。行ってらっしゃい。あのね、沙月……」「何?」「すごく奇麗よ。朝霧澪よりもずっとね。だから自分に自信を持つのよ」真琴の言葉に沙月は目を見開く。「! ……ありがとう、真琴」「行ってらっしゃい。頑張ってね」「うん、行ってきます」笑顔で頷き手を振ると、月は玄関の扉を開けてエレベーターホールへ向かった――マンションを出ると、既に事前に手配しておいたタクシーが待機しており、沙月の姿に気付いた男性運転手が降りてきた。「天野沙月様ですか?」「はい、そうです」「どうぞ、お乗りください」「ありがとうございます」沙月が乗り込むと、タクシーはすぐに出発した――**** 夜の高層ビル街を走り抜け、ホテルのエントランス前でタクシーが停車した。ドアが開き、降り立つと沙月はホテルに入って行った。その瞬間、エントランスに立っていたフロントマンが、美しい沙月の姿に思わず息を呑む。「……いらっしゃいませ」その声は、わずかに震えている。沙月は軽く会釈をすると、パーティー会場へ向かった。その背中をフロントマンの視線が吸い寄せられていることを意識しながら――エレベーターの扉が開いて乗り込んだ沙月
last updateLast Updated : 2025-10-13
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2-24 怒涛のパーティー 2

エレベーターを降りた沙月は緊張の面持ちでパーティー会場にやってきた。中へ足を踏み入れると、大勢の客がひしめき合っていた。余程豪華なパーティーなのだろう。参加客の中には沙月が良く知る著名人たちの姿もある。(あの人は……海外を飛び回る有名なルポライターだわ。あそこにいるのは有名な女優ね)周囲を見渡していると、突然壇上から司会者の声がスピーカーを通して会場内に響き渡る「本日は、朝暮澪アナウンサーの復帰を祝うレセプションにお越しいただき、誠にありがとうございます。彼女の新たな門出を、拍手で迎えましょう!」司会者の言葉で会場内に拍手が響き渡る。沙月は無言でパーティー会場の中心へ向かって進み……周囲でざわめきが起こる。「え? あれって……」テレビ局の女性社員たちが沙月に気付き、グラスを持ったまま動きを止める。「沙月さん? そんな……」「存在感が薄いと思っていたのに……」一人がぽつりと呟くと、隣の女性が悔しげに唇を噛んだ。「悔しいけど……似合ってるわね」「ふ、ふん! あ、あれくらい……な、何よ……!」けれど、周囲の男性たちはすでに沙月に視線を奪われていた。「何て美しい人なんだろう……」「芸能人か?」「変な話、朝暮澪より美人じゃないか?」その声は小さかったが、徐々に波紋が広がり始めていた。男性たちの視線や、女性たちのざわめきを気にかけることも無く壇上を見つめる沙月。背筋を伸ばしたその姿は、誰よりも人目を惹いていた。(私はもう逃げない。誰かに怯えることも屈することもしない。自分の為に……ここにいるのだから……!)今、壇上では澪と司の姿がある。笑顔で周囲を見渡している澪は白のドレスに身を包んでいた。それはまるでウェディングドレス姿のようにも見える一方の司は黒のスーツに身を包み、司会者の話を聞いている。すると舞台に立つ天野司と澪も、周囲の視線とともに眩しい沙月の姿に気づき、二人の目は複雑な色を帯びた。沙月の姿を目にした澪は、思わず息を呑み、目を見開いた。その瞳には驚きが浮かんでいたが、すぐに微かな怒りが滲み始める。沙月の存在感に威圧されそうになる澪だったが、次の瞬間。強い意志が澪の瞳に宿る。(司は絶対に私のものよ……沙月、あんたになんか絶対に譲ってやるものですか!)澪の視線は、まるで宣戦布告するかのように沙月へと向けられる。
last updateLast Updated : 2025-10-14
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2-25 怒涛のパーティー 3

澪の声がマイクを通して会場に響き渡り、一瞬、場内が水を打ったように静まり返った。誰もが言葉を失い、グラスを持つ手を止める。隣に立つ司会者も呆気にとられた表情を浮かべていた。まるで時間が止まったかのような沈黙。沙月自身も澪の突然の結婚宣言に驚いていた。(こんな公の場で、いきなりプロポーズするなんて……! 澪さんは一体何を考えているの? それとも、これは演出の一種? だけど……たとえ演出だったとしても、あんなふうに堂々とできるのは、司に愛されている証拠よね。私には、あんなふうに振る舞える勇気なんてなかったもの……)沙月は澪がこちらを見つめていることに気づかず、苦笑いを浮かべながら俯いた。二年前、自分が一人で結婚式の壇上に立ったときの、あの無力感と虚しさが脳裏に蘇る。そして今。朝霧澪が堂々とプロポーズし、それを司が否定しようともしない……。その現実が、沙月の胸に突き刺さった。「……っ」思わず目から涙がこぼれ落ち、壇上の澪に視線を向けたその瞬間。会場の下から雷鳴のような拍手が巻き起こり、祝福の歓声が飛び交う。だが……司は無反応だ。何も言わずに立ち尽くしていることに、徐々に会場はざわつき始めた。「どうしたのかしら……?」「何故何も言わないのだろう?」「返事はしないのか?」拍手は、やがてざわめきに変わる。沙月は涙を拭い、司の方を見上げ……。「!」彼の視線がまっすぐ自分に向けられていることに気づき、息をのんだ。(ど、どうして……?)沙月は、その視線に戸惑いを覚えた。まるで心の奥まで見透かされているようで、足がすくむ。(彼は、いつからこんな目で私を見ていたの?)だが次の瞬間。司は澪の方へ視線を移し、口を閉ざしたまま立ち尽くしていた。予想もしていなかった突然の澪からのプロポーズに、何と答えればよいか分からなかったのだ。「あ、あの……司……さん?」(どうして何も答えてくれないのよ! 私からのプロポーズ……嬉しくないの!? まさか……沙月のことを……!)司はマイクに手を伸ばすこともなく、ただ澪を見つめ続けていた。その沈黙により、会場全体が奇妙な雰囲気に包まれていく。沙月はその様子を、だの傍観者として見つめていると客たちの会話が聞こえてきた。「おい……なんかおかしくないか?」「ああ。普通なら即答するだろう?」「もしか
last updateLast Updated : 2025-10-15
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2-26 怒涛のパーティー 4

パーティーの協賛が天野グループと気付いてしまった沙月。(こんな茶番なパーティーなんか、もういる意味無いわね)踵を返した瞬間、背後の男性とぶつかってしまった。「あっ……!」パシャッ男性が手にしていた赤ワインのグラスが傾き、スーツに深紅の染みが広がった。「あ……! 申し訳ありません……! スーツが……!」沙月は慌ててハンカチを取り出し、染みを拭おうとしたとき。「大丈夫ですよ、天野さん。それより、あなたが濡れなくてよかったです」落ち着いた声が、頭上から聞こえた。(え……? その声は……)顔をあげると、霧島が自分を見下ろしている。「霧島さん! どうしてここに……?」「今日は報道局の顧問としてこちらのパーティーに参加していたのです。スーツのことは気にしないでください」「で、ですが……」すると霧島が笑顔になる。「……奇麗ですね。そのドレス、とてもよくお似合いです。清楚なあなたにぴったりだ」「え……?」沙月は一瞬、言葉を失った。その時、背後から鋭い声が飛んできた。「沙月!」振り返ると、白石夫婦と、勝ち誇った表情の遥が立っていた。遥の唇には、冷たい笑みが浮かんでいる。「お姉ちゃん、こんな場所に来るなんて随分大胆になったものね。ところで今どんな気持ち? 澪さんが司さんと結婚するから、もうすぐ『天野夫人』って肩書きが消えるんでしょう? ねぇ、教えてちょうだいよ」沙月は何も言わず、遥を見つめる。自分でも驚くほどに心の中は冷静だった。(この人たちを喜ばせる台詞は言うつもりはないわ……)「別に、何も思わないわ。だってもう私には関係のないことだから」「なっ……!」遥が声を荒げようとしたとき。「天野さん」不意に霧島が話しかけ、沙月は慌てて振り返った。「あ、は、はい!」「ワインの染みを落としに行きたいので、お手伝いしていただけないでしょうか?」照れ臭そうに笑う霧島。「あ……そ、そうですよね? 私のせいでワインがかかってしまったのですから」霧島は白石家の者たちが口を開く前に会釈した。「彼女の手助けが必要なので失礼いたします。ワインの染みを落としたいので」そして笑顔で沙月に向き直る。「では行きましょう」「はい」沙月は頷き、霧島と供に会場の外へ向かって歩き出した。その背中に、遥の冷たい視線が突き刺さって来るのを感じながら
last updateLast Updated : 2025-10-16
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2-27 意味深な言葉

 沙月と霧島はワインの染みを落とす為、会場を出た。扉が閉まると会場内の熱気に包まれた雰囲気とは異なり、空気がひんやりしている。沙月は霧島の隣を歩きながら、何度も謝った。「……本当に申し訳ございません。霧島さんのスーツに染みを作ってしまうなんて……私、なんてことを……」彼のスーツに広がった染みが、頭から離れない。すると霧島は笑った。「アハハハ……どうかお気になさらないでください。ワインの染みは早めに対処すれば問題ありませんから。そうですね、とりあえずフロントに相談してみましょう。染み抜きの道具があるかもしれません。ここはホテルです。クリーニングには詳しいはずですから」彼の声は落ち着いていて、まるで何事もなかったかのようだった。「そうですね。ではフロントに行ってみましょう」そこで二人はフロントへ向かった。「その染み……落ちると良いのですけど」歩きながら沙月は霧島のスーツに視線を移す。上着には紫色の染みが広がっていた。「そんなに気にしないでください。大体これは僕にも責任がありますから」「え? 責任……? 何故ですか?」沙月は顔を上げた。「ずいぶん奇麗な女性がいるなと思って見惚れていたら、沙月さんとぶつかってしまったのです。なので自分にも非があることですから」その言葉に少しだけ沙月の気持ちがほぐれる。「そうですか。霧島さんが見惚れるなんて、よほど奇麗な人だったのでしょうね」「……」すると霧島が目を見開いて沙月を見る。「霧島さん? どうかしましたか?」「いや……まいったな。奇麗な人って……天野さんのことだったんだけどなぁ」照れ臭そうに霧島が頭をかく。「え!? あ、あの……あ! フロントがありました。行きましょう」沙月は照れ臭い気持ちを隠すように足早にフロントへ向かった。****フロントでは、事情を聞いたスタッフがすぐに応急処置用の染み抜きスプレーとタオルを用意してくれた。来賓用の控室も空いているとのことで、二人はそこへ案内された。控室は静かで、外の喧騒とは隔絶された空間だった。霧島はジャケットを脱ぐと、沙月は早速染み抜き作業に取り掛かった。「……本当に、申し訳ありません」沙月はタオルを持つ手をぎこちなく動かしながら、何度も謝った。「大丈夫ですよ。どうかあまり気にしないでください。ワインの染みは落とせますよ。ですが
last updateLast Updated : 2025-10-17
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2-28 白石家の影 1

「……今のは……一体どういう意味なの?」沙月は霧島が出て行った扉を少しの間見つめていたが……自分がいまするべきことを思い出した。そう。これから沙月は前に進むために、因縁の者たちと対峙するのだ。「私も戻らなくちゃ」霧島の言葉に疑問を抱きながら沙月は控室を後にし、フロントから借りた染み抜きの道具を返却すると会場へ足を向けた。****「……」会場の前にやってくると、沙月は足を止めて扉をじっと見つめた。(この扉の奥には、澪さんと司……そして白石家の人たちがいる)扉の奥には沙月を待ち構えている人々が確実にいる。そしてそこには自分の味方は一人もいないのだ。先程まで霧島と話していた穏やかな空間が、まるで夢だったかのように今では遠く感じる。「……さぁ、行くわよ」自分自身に言い聞かせると、沙月は扉を押して会場へと足を踏み入れた。ザワッ……中へ入ると、いくつもの視線が沙月に向けられる。それは、彼女の美しさに対する驚きと、どこか近寄りがたい雰囲気に対する戸惑いが入り混じったものだった。沙月はそれらの視線に動じることなく歩みを進める。(怯んじゃだめ……堂々と振舞うのよ。そうじゃなければ私を陥れようとする人々の思うツボになるわ)歩き方、表情、纏う空気――先ほどまでとは違い、沙月の中で何かが変わっていた。彼女に視線を向ける人々の中には、当然白石夫妻の姿があった。父の剛志は眉間に皺をよせ、母の美和は口元を固く結んで沙月をじっと見ている。二人の視線は、まるで「異物」を見るように冷たかった。すると、突然美和が人混みをかき分けて足早に沙月に近づいた。「沙月、大事な話があるっていうのに、今まで一体どこへ行ってたの!」鋭い声で尋ねてくる。「先ほど私のせいでワインを被ってスーツを濡らしてしまった男性がいたので、控室で染み抜きをしていたのですけど?」沙月は動じることなく、質問に答える。するとそこへ父がやってきた。「沙月! さっきの壇上の件は、一体どういうことだ! 説明しろ! 何故、あの朝霧澪が司君に結婚を申し込んだ!」声を荒げる剛志。以前までの無力な沙月だったら、震えて話をすることも、視線を合わすことも出来なかっただろう。だが今の沙月は違う。憧れだった報道局に入社し、一社会人として働いているのだ。沙月は一度だけ深呼吸すると真っすぐに剛志を見つ
last updateLast Updated : 2025-10-18
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2-29 白石家の影 2

「離婚だと……!? そんな話、初めて聞いたぞ!」険しい顔で怒鳴りつけてくる剛志。眉間に青筋が立ち、その目は血走っている。「そうですね、今初めて伝えますから」沙月は、その形相にひるむことなく冷静に答える。「お前は天野司がどれ程の男なのか分かって言ってるのか!? あの日本屈指の大財閥、天野グループの御曹司なのだぞ!? それなのに離婚など……気でも狂ったのか!?」「赤の他人の、あんたを私たちが今まで養ってあげたっていうのに……その答えが離婚!? ふざけないで! 恩を仇で返すっていうわけ!?」美和は増々ヒステリックになり、沙月を指さした。「お前はこの家に何一つ利益をもたらさなかったくせに、今度は離婚だなんて……!? ふざけないでちょうだい! お前は白石家の……厄病神よ!」「!」その言葉に、沙月は一瞬凍りついた。目を伏せて唇を噛むも、涙は出なかった。怒りも湧いてこない。あるのは、ただ――虚無感。するとなぜか霧島の言葉が脳裏に浮かぶ。『この先、天野さんがどのような選択をするのか……楽しみにしています』(選択……私は……)「……恩返し……ですか」沙月はゆっくりと顔を上げた。「私が白石家と天野家から、今までどのように扱われてきたかは、私自身が一番よく分かっています。だからこそ、もう終わりにするのです。あなた方の指示は一切受けません。私は天野司と離婚します」「そんなこと、絶対に認めないわよ!!」「そうだ! 離婚はさせない!!」沙月に対する夫妻の怒りは、とどまるところをしらない。「遥は白石家の娘として世間の評判も良いのに、お前は何なの!? 離婚なんて恥さらしもいいところよ! 離婚することが、将来遥の結婚にも影響するって分かっているの!? 見てごらんなさい、離婚経験のあるお嬢様がどこの家にいるっていうの!? 本当になんて自分勝手な女なのかしら。あのとき、卑怯な手を使って遥から天野司を奪っておいて今度は離婚? ふざけないでちょうだい! 離婚すれば白石家から自由になれると思ったら大まちがいよ! 全く図々しいにも程があるわ!」「我々の足を引っ張るな! 司君に嫌われたのなら、今から彼の処へ行って土下座でも何でもして、許しを請うてくるのだ!」怒り猛る二人の言葉に、沙月は視線を白石夫婦の後方で佇む遥に向けた。「……」遥は憎悪の目を沙月に向けていた。
last updateLast Updated : 2025-10-19
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2-30 何かが変わるとき

沙月は遥を真っすぐに見据えた。その瞳には、かつての怯えも迷いもない。むしろ遥の姿を見た瞬間に、胸の奥にしまい込んでいた記憶が鮮明に蘇ってきた。****それは高校一年の出来事。その日、沙月は遥から『このジュース、新発売だから買ってきたの。一緒に飲もう』とプラスチックコップに入った飲物を渡された。まさかそこに薬が盛られているとは思わず、沙月は礼を述べて遥と一緒にジュースを飲んだ。徐々に眠気に襲われ、気づけば暗闇の廃屋に連れ込まれていた。床に転がされている沙月を、見知らぬ数人の男が見下ろし……沙月に襲い掛かって来たのだ。必死で抵抗しながら泣き叫ぶ沙月。そのとき、通りすがりの少年が騒ぎに気づき、助けてくれた。名前も知らないその少年がいなければ、今の自分はなかったかもしれない。あの夜の恐怖は、今も消えていない。遥の笑みを見るたびに、あの記憶が蘇る。――そして翌年。当時沙月は新聞部に所属していた。そしてそこには沙月を慕う後輩の少女がいた。遥と同級生だった少女は、物静かで文章を書くのが大好きだった。沙月は彼女に取材のコツを教えたり、原稿を一緒に読み直したりしていた。それが……遥の嫉妬を買ってしまったのだ。『沙月に媚びてる』『目立ちすぎて鬱陶しい』そんな理由で、彼女は陰湿ないじめに遭った。机の中にゴミを詰められ、原稿を破られ、無視され、悪意ある噂を流された。それでも彼女は、沙月には何も言わなかった。迷惑をかけたくなかったのだろう。沙月が気づいたときには、もう遅かった。ある日、彼女は校舎裏の倉庫でリストカットを図った。幸い命に別状はなかったが、制服のポケットから見つかった遺書には、虐めた相手――白石遥の名前がしっかり記載されていた。学校側は騒然となり、白石遥と両親が呼び出された。だが、白石家はその学校に多額の寄付金を継続的に納めていた。理事長も校長も、遥に強く言うことはできなかった。『遥は留学させます。しばらく日本には戻りません。だからこのことは内密にお願いします』白石夫妻はそう言い、事件を『個人的な問題』として処理するよう学校側に強要した。結局……遺書の存在も、いじめの事実も無かったことにされてしまったのだ。別れを告げることも無く彼女は転校していった。沙月は彼女の為に何もできなかったのだ。そして遥は、『憧れだっ
last updateLast Updated : 2025-10-20
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