All Chapters of 冷酷御曹司は逃げた妻を愛してやまない: Chapter 41 - Chapter 50

84 Chapters

2-31 白石家との対峙 1

 いきなり沙月に平手打ちされたことが、遥は信じられなかった。それもそのはず。遥から暴力を振るったことはあるものの、今まで一度も沙月が自分に手を上げたことなどなかったからだ。けれど平手打ちされた左頬は熱を帯び、ジンジンとした痛みが広がり、これは夢ではないと告げている。(う、嘘……? 沙月が私を叩いた……?)遥の目に恐怖が浮かび、白石夫婦は突然の出来事に言葉を失っている。沙月は、その視線を受け止めながら一歩前に進み出た。会場内はいつの間にか立食パーティーが始まっており、ジャズサックスの音楽とともに、歓談が広がっていた。だが、沙月と白石家の間にはピンと張り詰めた空気が漂っている。今までの沙月なら、黙って耐えていた。何を言われても、何をされても口を閉ざしてきた。(だけど今夜は……もう我慢しないわ。終わりにするのよ)沙月は3人を見渡すと、口を開いた。「白石家は、この数年何度も倒産の危機に陥った……そのたびに、私が天野家に頭を下げて助けてもらったの。天野家の助けがなければ、あなたたちは何もかも失っていたはずよ? 会社も財産も、そして住む場所も。こうして今も幸せに暮らしていけるのは、誰のおかげだと思っているの?」感情を抑えた沙月の態度はとても冷静だった。「でも私は?  天野司と『あの夜』を過ごしてしまったことで、世間体と白石家の欲のために望まれない相手と結婚することになってしまった。彼には恋人がいたのに……」沙月の脳裏に、憎々し気に自分を見つめる司の顔が浮かぶ。「知ってた? あれは私の意思じゃなかった。まさかパーティーで勧められたワインに、媚薬が入っていたなんて思うはずないじゃない。それで行き着いた先に、同じように媚薬を盛られていた彼がいたのよ」その話に触れた途端、遥は唇をかみしめた。「私が司と関係を持ったと知った途端、世間体と自分たちの利益のために、強引に天野家に嫁がせたんじゃない。だけど……養女の私には選ぶ余地なんて、どこにもなかった。私はずっと、あなたたちの都合で振り回されてきた。私の意志とは無関係に、勝手に将来を決められてきたのよ。いつだって、ずっと……」沙月は一度俯き……顔を真っすぐ上げた。「夫が他の誰かに優しく微笑むのを見続ける……。あなたたちに、その絶望がわかる? 利用されて、操られて、ただの道具として生きるこの無力さを、
last updateLast Updated : 2025-10-21
Read more

2-32 白石家との対峙 2

「そうだわ、遥。あの時のこと、覚えてる?」「な、何よ……あの時のことって……」「ほら、遥が夜にケーキが食べたいと言い出したときのことよ。あの日も私は1日家事仕事をさせられて、もう立っているのも辛いくらい疲れきっていたのに、私に言ったわよね? 今すぐ駅前にあるケーキ屋で、新作スイーツを買ってこいって。凍えるような寒さの中、ケーキを買って帰ったのに玄関の鍵がかけられてたわ。私、何度もインターホンを鳴らしたり、扉を叩いたのに結局誰も出てきてくれなかった。……あれは嫌がらせだったのよね?」「……」遥は何も言えず、代わりに沙月を睨みつけている。「私は結局中に入れてもらえなかった。それで仕方なく冷たい風が吹き込む物置で一晩過ごしたのよ? 遥の為に買ってきたケーキを抱えて……。あの夜、はっきり悟ったの。私はこの家の家族ではなく、白石家の都合で、いいように扱われるだけの存在なんだって」沙月は白石夫妻を見つめ、再び遥に視線を向けた。「遥。昔、よく私に言ってたわよね?『拾われ子で家族じゃないくせに、どうして私たちと一緒に住んでるの?』って。それを学校の友達の前でも平気でね。それどころか私のクラスメイトたちに命令して、体操着を破いたり、ノートや教科書を焼却炉で燃やしたこともあったわね」沙月の顔に一瞬悲しそうな表情が浮かぶ。「それでも私は、いつかきっと家族として認めてもらえるって……そう信じてた。でも……期待した私が馬鹿だったわ」「ふざけないでよ! どうして私が……!」「知らないとでも思ったの? 私、知ってるのよ。遥がクラスメイトたちに現金を渡して、私に嫌がらせをするように命令してたことを」「!」遥の目が衝撃で見開かれる。「白石家に置いてもらえた恩は、天野家からの三年間の資金援助として既に清算済みよ。白石家が今も破産せずに済んでいるのは、私がいたからだということを忘れないで。天野司と離婚したら、私はあなたがたと一切関係を断つ。だって元々私は白石家とは赤の他人なんだから」その言葉は、白石家にとっての死刑宣告にも等しかった。天野家からの莫大な資金援助を切られるということは、彼らにとって大打撃だったのだ。すると白石夫婦の顔色が一変し、美和が最初に口を開いた。「……沙月、どういうつもりなの……?」「どういうつもりとは?」「今になって強気になるってどういうこと
last updateLast Updated : 2025-10-22
Read more

2-33 ワインの香りと沈む記憶 1

会場の隅で白石家の人間たちが騒ぎを起こしている様子を司は少し離れた場所から見つめていた。そして彼らの会話も全て聞いていた。(知らなかった……沙月は白石家で、そんな不当な目に遭っていたのか……?)司はじっと沙月を見つめる。凛とした横顔は、息をのむほどに美しかった。「沙月……」名前を呟いたとき、ボーイが近づいてきた。「ワインはいかがでしょうか?」差し出されたグラスには赤い液体が揺れ、芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。「……ワイン」司は短く呟き、グラスを受け取る。その香りが、あの夜の記憶を呼び起こした――****――2年前のあの夜。司は謝恩パーティーに参加していた。普段の会社での堅苦しいパーティーとは違い、気心の知れた友人や知人たちが多く参加していた。司自身もパーティーを楽しんでいた。……だから油断していたのだろう。ボーイから差し出されたワインを何も気にせず、口にした。その後しばらくは何も感じることなく、招待客たちと普段通りの談笑を交わしていた。だが……徐々に身体に異変を感じてきた。喉の奥がチリチリと熱くなり始め、胸の内側から、じわじわと火が灯るような感覚。視界が揺れ、額に汗が滲む。呼吸が乱れ始め、気づけば女性たちの姿を目で追い……思わず喉がゴクリとなる。(……これは、マズイ)司はグラスを置き、談笑していた相手に静かに頭を下げた。『……失礼、少々飲み過ぎたようなので、私はこれで失礼いたします』談笑していた相手は戸惑いの表情を浮かべていたが、『お大事になさって下さい』と笑顔で返事をした。『……はぁっ……』ふらつきながら会場を出ると、空気が妙に重たく感じる。Yシャツが肌に張り付くだけで身体がゾクリと刺激される『はぁ……はっ……はぁ……』足取りがおぼつかなくなり、呼吸が浅くなる。スイートルームの扉を開けたときには、すでに視界が霞んでいた。『くっ……!』スプリングの利いたベッドに身を投げ出し、背広を脱ぎ捨てネクタイをむしり取った。『くそっ……』ベッドに横たわると、天井を見つめる。身体の芯が、焼けるように熱い。皮膚の下で、何かが暴れ……司はこの異常に気付いた。――自分は今、無性に女を欲していると。『あのワインのせいだ……きっと何か仕組まれていたに違いない……』荒い息を吐きながら、自分の熱が収まるのをじっと耐え
last updateLast Updated : 2025-10-27
Read more

2-34 ワインの香りと沈む記憶 2

――あの夜から数日が経過し……週が明けた。月曜、午前6時半。ピピピピ……!広々とした寝室にスマホのアラームが鳴り響き、司は目を覚ました。『……朝か……』ベッドから起き上がり、カーテンを開けると朝の眩しい太陽の光が室内を明るく照らす。司は無言のまま洗面ユニットへ向かい、朝の支度を整えるとウォークインクローゼットへ向かった。『今日はこれにするか……』濃紺のスーツと白いシャツ、深いグレーのネクタイを選んで着替えを行った。モノトーンで統一された1LDKの室内は、ホテルのスイートルームを思わせるほどの広さを誇る。必要最低限の家具しか置かれていない室内は生活感が全く無い。まるで司の性格そのものを映しているようだった。『今朝も良い天気だな……』大きな窓からは高層ビル群が見下ろせ、司はここから見える景色が気に入っていた。無駄なことが嫌いな司は朝食を取らない。いつものようにコーヒーメーカーで淹れた珈琲を一杯だけ飲むと、高級ブランドの腕時計をはめてタワーマンションを後にした。全ては、いつも通りの朝だった。あの会長室の扉を開けるまでは――****都内にある45階建ての高層ビル、天野グループ本社――出社した司は受付を通り、役員専用エレベーターに乗りこんだ。『今朝は10時から会議だったな……』やがてエレベーターは最上階に到着した。司はフロアに降り立ち、社長室へ向かうと既に秘書が待っていた。『おはようございます、天野社長。会長がお待ちです。会長室へどうぞ』『会長が……?』司は眉をひそめたが、表情は崩さなかった。『分かった、それでは行ってくる』『行ってらっしゃいませ』秘書に見送られ、長室を出ると、司は応接室へ向かいながら考えた。(月曜の朝から呼び出しとは……何かトラブルでもあったのか?)だが、特に思い当たる節はない。(まぁいい。行けば分かることだ)****応接室に到着した司は扉をノックした。――コンコン『会長、司です。失礼いたします』扉を開けて室内へ入った途端――『司! お前という奴は……一体何ということをしてくれたのだ!』入るや否や、天野グループの会長――父親の怒声が響き渡った。司は一瞬、何のことか分からずに眉を寄せる。『一体何のことでしょうか』その言葉に、父親の顔がさらに険しくなる。『とぼけるな! 金曜の夜
last updateLast Updated : 2025-10-29
Read more

2-35 ワインの香りと沈む記憶 3

――あの夜。ホテルのスイートルーム。オレンジ色の薄暗い照明の中、ベッドの中で司は見知らぬ女と絡み合っていた。熱を帯びた肌に潤んだ瞳。快感により甘く鳴く声は、情欲を煽る。女の身体に唇を落としながら、身体の火照りが治まるまで抱いた記憶が蘇る。(あれは恐らく媚薬の効果だ……そうか。罠だったのか……どうりでおかしいと思った)あれ程見知らぬ女に欲望を抱いたことは今まで一度も無かったし、相手も抵抗することも無く司に身を委ねていた。女の身体は熱に浮かされているかのように火照っていた。(だが……美しい女だった。抱き心地は最高だった。それに、あの声……)司の耳に女の喘ぎ声が蘇る。『聞いているのか! 司!』『はい。聞いています』父親の怒声が再び飛び、司は現実に引き戻される。『ホテルの廊下の監視カメラには、お前が部屋に入り、その後に女性が続いて入っていく映像が映っていた。その映像が、どこからかマスコミの手に渡ってしまったのだ。外部から雇われた清掃スタッフが、翌朝裸で眠る女を見つけて騒ぎを起こして週刊誌に情報を売ったらしい。どれだけの金と人を動かして、記事を潰したと思っている! この一件で、何人の口を封じ、どれだけの信用を失ったと思っている!』父の怒声は続くが、司の表情は変わらない。司は自分が社内でどう思われているかをよく分かっていた。冷たい、情がない。人を人とも思わない。幹部たちの陰口も部下たちの視線も全て承知していたが、司にとってそれは些細なことだった。どう思われようが、自分のやりかたで進む。それが、天野司という男だった。父親は重苦しい表情で告げた。『今回、お前が起こしたスキャンダルは、ただの一夜の過ちでは終わらないぞ。社内の空気が一変し、幹部たちはこの機を逃すまいと騒ぎ立てはじめた。お前を後継者の座から引きずり下ろそうと目論んでいる』『なるほど……ついに奴らは本格的に動き始めましたか』外部の人間を後継者に迎える――それは天野家の名を、余所者に奪われることと等しい。司はそのことも、すでに理解していた。(奴らがその気なら、俺は更に一歩先を行けばいいだけのことだ)『……騒ぎを起こした清掃スタッフは、週刊誌に情報を売った。その記事を潰すために、裏で動いた人間が、女の素性を突き止めた。相手は白石建設の養女……白石沙月だった。先方は今
last updateLast Updated : 2025-10-30
Read more

2-36 ワインの香りと沈む記憶 4

『失礼いたしました』一礼すると、司は会長室を後にした。――パタン静まり返った廊下には誰もいない。司はカツカツと靴音を響かせながら、社長室に戻ると秘書の篠原が待っていた。『お帰りなさいませ、社長』『ああ』 司はデスクの席に座ると命じた。『篠原。今すぐ白石建設の白石沙月について調べてくれ』『白石建設の御令嬢……白石沙月様ですか?』『そうだ。至急で頼む。……近いうちに彼女と結婚することになりそうだからな』すると篠原の眉が上がる。『……! それは確かに急いだほうが良さそうですね。では至急、社の調査部に伝えてまいります』篠原は一礼すると、足早に社長を出て行った。一人になると司はデスクに置かれたPCを立ち上げ、キーを叩いた。【謝恩パーティー 出席者リスト】検索窓に打ち込まれた文字は、すぐに出席者リストを表示させた。『……』司はリストに目を通し……眉をひそめる。『妙だな……リスト客の中に、白石家なんて乗っていないぞ?』出席企業一覧に、白石建設の名はなかった。だが、記録映像には白石沙月の姿が残されている。(招かれてもいないのに、なぜあの場にいた? まさか初めから俺を狙っていたのか? それとも……何か別の理由が……?)疑問はやがて疑惑に代わる。司は指先で軽くデスクを叩きながら、あの夜の出来事を再び回想した――金曜の夜。オレンジ色の明りが仄かに灯るあのスイートルームで司は熱に浮かされたかのように、沙月を抱いた。熱を帯びた白い肌。快感にうち震える細い肢体。そして鼓膜を震わせる、甘い喘ぎ声……。司は今まで数多くの女性を抱いてきたが、沙月のような反応を示す者は今までいなかった。彼女は司に抱かれる前から理性を無くしていたのだ。(あの反応……普通じゃなかった。あれは……絶対に媚薬に違いない。白石沙月は間違いなく媚薬を飲んでいた。そして、この俺も何者かに媚薬を……そうでなければ、あんな風に理性を失うものか)沙月をベッドに引き入れた瞬間、僅かに残っていた理性が全て吹き飛んだ。強引に服を脱がし、絹のような手触りの良い肌に口づけを落とす。耳に残る、甘く震える声。頬を赤らめ、潤んだ瞳で乱れる肢体。『……美しかった』その一言が、胸に湧き上がるもう一つの感情を大きく揺さぶる。(いくら媚薬のせいとはいえ、あれほどまでに俺が欲望に飲ま
last updateLast Updated : 2025-10-31
Read more

2-37 白石家との対面 1

 眼前に広がる白石邸は重厚な造りながら、どこか古びた印象を与える。外観を一瞥すると司は玄関に向かい、インターホンを押した。――ピンポーンすると玄関が開き、白石社長と夫人が笑顔で出迎えた。その背後には遥と沙月の姿もある。『天野社長でいらっしゃいますね?』『まぁ、わざわざ我が家に足を運んでいただき、本当にありがとうございます』夫妻は交互に挨拶すると、遥が前に進み出てきた。『初めまして。私は白石家の娘、遥と申します。どうぞよろしくお願いいたします』満面の笑みで、わざと『娘』という言葉を強調して挨拶する遥。一方の沙月は『沙月と申します』と視線をそらせながら挨拶した。『初めまして、天野司と申します。本日はお時間を取っていただき、ありがとうございます』司は会釈しながら、4人を観察した。白石社長は濃紺のスーツに身を包み、夫人は光沢のあるベージュのワンピース。遥は淡いピンクのセットアップにパールのネックレスを合わせ、華やかな笑顔を浮かべている。そして沙月だけが、くすんだグレーのニットシャツに色褪せたジーンズという簡素な装いだった。髪は無造作に束ねられ、化粧もほとんどしていない。まるで、来客の場に呼ばれた使用人のようだった。司はその姿を見て、ほんの一瞬だけ眉を動かした。(一人だけ随分見すぼらしい服を着ているな……こんな地味なのが、あの夜の女だと言うのか?)しかし、彼女を目にした瞬間、天野司の胸がわずかに震えた。司の記憶の記憶に宿る女。彼女はオレンジ色にぼんやりと照らすライトの下で、彼を見上げていた。その姿はどこか挑発的で……司を甘い誘惑に誘ってきたのだ。だが……今司の目の前にいる女は頭を低く下げ、意図的に司の視線を避けている。(本当にあの夜、俺の理性を失わせた女なのか……?)だが司の本能は同じ女だと告げている。しかし感情では、素直に受け入れられない。彼女の姿には、あの夜のような色香は漂っていない。ただ怯えたように俯き、誰にも頼れず立ち尽くしている……そんな風に見えた。司は一瞬息をのみ……すぐに、何事もなかったかのように表情を戻した。(どうでもいい。俺にとっては、もう駒の一部でしかない)すると社長が司を中へ招き入れる。『さ、いつまでも天野社長を玄関先に立たせるわけにはまいりません。どうぞお入りください』『ではお言葉に甘え
last updateLast Updated : 2025-11-01
Read more

2-38 白石家との対面 2

 司の問いに場の雰囲気が凍り付き、社長の口から声が漏れる。『……え?』社長は眉をひそめ、夫人は口元を押さえる。そして遥が一瞬、視線を逸らせた。沙月は目を大きく見開いて、司を見つめている。『謝恩パーティーに参加できたのは、我々が招待した企業の関係者だけです。白石建設には招待状を出していません。嘘だと思うのなら、その目でどうぞ確認してください』『は、拝見させて……いただきます』社長は震えながら資料を手に取ると、隣の夫人が覗き込んでくる。二人は少しの間資料を見つめていたが……やがて社長は口を開いた。『……本当だ……』『白石建設の名前が無いわ……』白石社長の声は震え、夫人の顔が青ざめる。『!』沙月の肩がピクリと跳ね、遥の指先が、膝の上でわずかに動いた。『沙月、お前……これは一体どういうことだ?』社長が沙月を睨みつけた。『招待されてもいないのに、勝手に潜り込んだの!?』夫人が声を荒げる。『ち、違います! 私は遥から天野家のパーティーに招かれているので一緒に参加しようって誘われたんです! そうよね? 遥』沙月が遥の方を向く。遥は一瞬だけ沙月を見たが、すぐに肩をすくめた。『知らないわよ。お姉ちゃんから私を誘ったんじゃないの?』『そ、そんな……』沙月の顔が青ざめ、震えながら遥の袖を掴む。『お願い、本当のことを言って……私、遥を信じてパーティーに参加したのよ……?』すると遥はその手を冷たく振り払った。『やめてよ。みっともない』『なんてことだ……姉のくせに妹のせいにするとは』『酷い娘ね。自分の過ちを人のせいにするなんて』交互に沙月を責める夫妻。『……』言葉を失い俯いたまま震える姿は、まるで責めたてられる罪人のようだった。司はその様子を黙って見つめていた。その瞳には、同情も怒りも浮かんでいない。ただ冷たい光だけが宿っていた。何故なら司にとっては、どうでもよい揉め事に過ぎないからだ。(この女が俺を嵌めたのか。あるいは利用されたのか……どちらでも構わない。俺にとっては、もう駒の一部でしかない)そこで司は口を開いた。『もう結構です。この件については、社内で改めて確認を進めます。ご協力、感謝いたします。とりあえず、まずは沙月さんと二人きりで話をさせていただけませんか?』『え?』俯いていた沙月が顔を上げた。その目には何
last updateLast Updated : 2025-11-02
Read more

2-39 あの日の記憶 1

 ――翌日、10時 太陽の光が降り注ぐ社長室に司の姿があった。デスクの前にはPCが置かれていた。画面には澪が映っており、唇を噛んで肩を震わせている。『……沙月って……あの、白石沙月? 遥ちゃんの姉の……? 本当に……結婚を申し込んだの?』『そうだ』司が小さく頷くと、澪はヒステリックな声を上げた。『どうして……どうして、あの女なのよ!? 私じゃなくて、何故あんな女に結婚を申し込んだりしたのよ!? あの女はねぇ、素性も分からない養女なのよ!」『仕方ないだろう? 白石家に嵌められ、スキャンダルに巻き込まれてしまったからな』『嵌められたって……一体どういうことよ! スキャンダルって、何!?』澪の目に涙が滲む。『……媚薬を盛られ、不本意な出来事があった。証拠も握られている』『! 媚薬って……ま、まさか……?』『……』司は黙って話を聞いている。その沈黙が肯定を意味していた。『そ、そんな……嘘だって言ってよ……司……』とうとう画面の向うで澪がすすり泣きを始めた。『仕方がなかったんだ……あれは単なる事故だ』無我夢中で沙月を抱いたことを事故で片づける司。『酷いじゃない……それだって……抱いたことには変わりないじゃない……なら、本当に……結婚するの……? 私がいるっていうのに……』澪は涙でぬれた瞳で司に尋ねる。『……三年だ』『え……?』『三年だけ我慢してくれ。離婚したら次に結婚するのは澪……お前だから』『!』澪は息を呑んだ。『その言葉……信じていいのね?』『……ああ。本当だ』『分かったわ……貴方を信じる。愛しているわ、司』『俺もだ。……そろそろ切るぞ』『ええ、またね』澪が頷き、司はビデオ通話を切ると室内に静けさが戻る。『……』背もたれに寄りかかると、司は天井を見上げた。『あれから、四年か……』司は澪との出会いを思い返した――****――四年前。午後二時過ぎ。その日司は、天野グループの傘下に置かれた企業を訪問するため、湾岸エリアを車で向かっていた。車に乗り込んだ時から普段とは違う違和感があった。けれどきっと気のせいだろうと自分に言い聞かせ、車を走らせていた。しかし徐々に違和感は大きくなっていく。ハンドルの感触が微妙にぶれて、操作がしにくい。それにタイヤが何故か重く感じる。(おかしい……整備は済んでいたは
last updateLast Updated : 2025-11-04
Read more

2-40 あの日の記憶 2

(……まずい……)激しい衝撃で司の頭が車の窓に激しくぶつかり、額から血が流れ落ちた。耳鳴りが響き、世界が逆さまになったように感じられる。(う……)全身を激しい痛みが駆け巡り、司は声にならない悲鳴を上げた。意識が徐々にぼんやりしていく中、どこからか女性の声が呼びかけるのが聞こえてくる。『ねぇ! 聞こえますか!? 頑張って!』(だ……れだ……?)かすんだ視界の中で、細身の人影が駆け寄ってくるのが見えた。はっきり確認することは出来ないが、声の感じから女性であることが分かった。車の窓は横転した衝撃で既に割れている。女性はガラスの破片で手を傷つけることも厭わず、窓から身を乗りだして手を差し伸べてきた。『お願い……目を開けて。しっかりして! 今、救急車を呼んでいるから!」優しく司の顔を叩きながら、呼びかける声は震えていた。触れてくる彼女の指先の感触が、血と埃にまみれた肌を通して伝わってくる。彼の耳元で何度も呼びかけてくる声は涙声だったが、必死で司を勇気づけていた。『もう少しだけ耐えて……!』だが、司の身体は麻痺でもしたかのように全く動かすことが出来ない。触れてくる手を握り返すことは出来なかったが、自分の身を案ずる彼女の存在は確かに感じ取っていた。(……君は……誰だ……?)呼びかけてくる彼女の声を聞きながら、司の意識は闇に沈んでいった――****次に目を開けたとき、司の目に白い天井が映り込んだ。視界がぼやけ、しばらくの間は自分がどこにいるのかも分からなかった。視線を右に動かすと、白衣を着た男性医師の背中が見える。『……ここは……?』ポツリと呟くと医師が振り向き、笑顔になる。『目が覚めましたか。ご安心ください、天野さん。ここは病院です』『病……院……?』司は視線を動かし、尋ねた。『一体……何が……あったんでしょうか……?』『天野さんは湾岸エリアで交通事故に遭ったのです。覚えていますか?』司は眉を寄せ、事故の記憶を探る。『……そういえば……車が……』ハンドルの違和感。傾いた車体。そして煙。車内に閉じ込められ、遠くなっていく意識……。『どんな状況だったのか……聞かせてもらえますか……?』医師は頷き、説明を始めた。『湾岸エリアのカーブで、タイヤが外れて横転事故を起しました。ですが、幸い命に別状はありません。運が良か
last updateLast Updated : 2025-11-05
Read more
PREV
1
...
34567
...
9
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status