一瞬、直樹は自分が幻覚を見ているのではないかと思った。彼は仁美の名を呼びながらドアを押し開けた。「仁美、どこにいるんだ?」別荘の中は空っぽで、静けさだけが支配していた。直樹は自分の声の反響すらはっきりと聞こえた。灯りを点けると、広いリビングががらんとしているのが目に入った。テーブルの上には、彼が出発前に食べ残したスイーツがそのまま置かれ、花瓶の花は机の上に枯れ落ちた。明らかに、長い間ここに人の気配はない。だが、仁美にまつわるものはすべて消えていた。彼女のぬいぐるみも、写真も、よく読んでいた本も。まるで跡形もなく消えてしまったかのように。直樹の冷ややかな瞳に、瞬く間に動揺が走る。彼は慌てて寝室へ駆け込み、ドアを開けると鼻をつく消毒液の匂いが漂った。部屋は不気味なほど清潔で、まるで誰も住んでいないかのようだった。クローゼットもドレッサーも空っぽで、布団と枕はきちんと畳まれてベッドに置かれていた。彼はドレッサーの引き出しを乱暴に開けたが、中にあったのは些細な物ばかりで、肝心の仁美の証明書類は一切なかった。充血した瞳が真っ赤に染まり、愛を失う恐怖が喉を締めつける。「仁美、冗談はやめろ。早く出てきてくれ。俺は君なしじゃ生きられないんだ。怖がらせないでくれ。贈った物が気に入らないのなら、別のを用意するから。君と一緒に選びに行こう。舞との間に、本当に何もないんだ。なんで信じてくれない」必死の言葉は闇と沈黙に吸い込まれるばかりだった。直樹は諦めきれず、別荘中を探し回ったが、仁美の影はどこにもなかった。彼女は去る前に、二人の愛の象徴であった庭のアオギリの木までも伐り倒していた。月明かりに照らされた無残な切り株があまりにも寂しげだった。舞の件で仁美は本当に去ってしまったのだ。直樹はベッドに崩れ落ち、胸が裂けるような痛みに襲われた。これまで何度も彼女を怒らせても仁美は決してここまで決然とした態度を見せたことはなかった。抱きしめ、花を渡せば、彼女は機嫌を直し、甘えるように胸へ飛び込んできたのに。「今回だけは許してあげる。だって、直樹はいつも私に一番優しいから」だが今度ばかりは違った。自分の痕跡をこの別荘から完全に消し去るために、仁美は消毒液で隅々まで拭き上げ、彼女の匂いすら拭い去っていた。
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