正樹の身に何が起こっているのか、紬は知る由もなかった。彼女はただ、承一とスホンの新素材について意見を交わしていた。発表会はまだ始まってもいないのに、素材のメリットとデメリットは、すでにあらかた把握できていた。ノートを閉じ、ふと顔を上げる。その時、慎と寧音がそれぞれ別の動きを見せたのが目に入った。寧音が人波に姿を消す一方、慎もまた人の輪を抜け出し、正面ホールの方角へ向かおうとしている。紬は即座にペンを置くと、立ち上がって承一に声をかけた。「お手洗いに行ってくるね」「ああ」承一は顔も上げずに応じる。慎が曲がり角にさしかかったところで、紬は先回りをしてその前に立ちはだかった。紬の姿を認めても、慎の表情は動かない。「どうした?」紬は顔を上げて彼を見据える。ほっそりとした小顔に、大きな瞳だけがやけに印象的だった。その瞳は澄んでいて、けれどどこか遠い。「聞きたいことがあるの。少し話をさせて」今回は、問いかけではない。要求を、ただ真っ直ぐに伝える。拒絶の余地など、最初から与えるつもりはなかった。慎は彼女を見下ろした。「……ああ」紬は周囲を見回す。静かな場所で話がしたかった。ここはあまりに人通りが多すぎる。聞かれるわけにはいかないし、また慎に責められる口実を与えてしまうかもしれない。口を開こうとした、その瞬間だった。不意に慎が一歩踏み出し、彼女の二の腕に手を添え、ぐっと引き寄せた。何事かと顔を向ければ、音響機材を抱えたスタッフたちが、ちょうど横を通り過ぎていくところだった。気づかずにいれば、衝突していただろう。慎の腕は、まるで彼女を守るように、その身をかばっていた。胸を掠めた驚きを、紬は瞬時に押し殺す。もう、こんな思わせぶりな態度に心を乱されるつもりはない。眉間に皺を寄せ、彼女は冷ややかに問うた。「手続きの書類は二ヶ月前に送ったわ。まだ手続きは終わらないの?」「書類?」慎は一瞬彼女を見たが、すぐに視線を別の場所へと移した。何かが気にかかっているようだった。「おばあさんが、あなたに私とバレンタインを過ごすよう言ったそうね。でも、あなたにはきちんとおばあさんへ説明すべきだわ」紬はもう、これ以上引き延ばしたくなかった。このままでは自分が苦しいだけでなく、
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