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1855 Capítulos

第50話(26)

 どことなく軽薄さを感じさせていた関西弁のイントネーションが、この瞬間不穏さを帯びる。和彦はアウトドアチェアの上で身じろいだあと、おそるおそる隣をうかがい見る。とっくに餌がなくなったのに釣り竿を上下させながら、九鬼はこちらを見て薄笑いを浮かべていた。「楽しい、ですか……」「和彦さんが相続するキリエ和泉ビルがある地区のいわく、知ってますか?」「うっすらとだけ。長嶺の人間から聞きました」「いわくと言っても、この間見てもらったように、今はもう怖い場所ではないんですよ。殺されたヤクザが化けて出るとも聞きませんし、わたしも見たことありませんし」 際どい冗談に和彦は乾いた笑い声を洩らす。「確かに昔はヤクザが事務所を構えてたようですが、桐栄区で大規模な地域の浄化作戦が行われたときに、一旦立ち退いたそうです。が、すぐにまた派手に揉めて、下手すると自分たちの業界全体の排斥運動に至りかねないと危惧して、名のある組のいくつかが仲立ちする形で収まったというわけです。そのとき、騒動に加わったヤクザ連中と仲立ちしたヤクザたちが血判状をしたためたとか言われてます。まあ、収まりはしたけど、どうしても忌避感ってのは生まれるんですよ。ヤクザどもが大暴れした土地に対して。――さて、ここからが本題です」 悪戯っぽく九鬼が目を眇める。話に集中したくて、一旦針糸を引き上げて釣り竿を足元に置いた。「和泉家があの土地と関わりを持つに至った経緯です。昔からつき合いのある銀行から、担保物件として所有していたビルの扱いで泣きつかれたそうです。バブル景気なんて起こる前の時代ですからね。右から左に流して儲けられるわけじゃなかったんでしょう。ご夫妻は手を出すつもりはなかったんですが、とりあえず見学に行ったそうです。小さなお嬢さん二人を連れて。本当の目的は、帰りにデパートでお二人の洋服を買うことだったみたいですが」 ずいぶん昔の出来事のはずなのに、九鬼の口から語られる話から、ありありと当時の光景が想像できてしまう。できることなら、和泉家の面々が揃ったときに本人たちの口から聞きたかった。「当時、あのビルはひどい有り様だったようです。追い出されていたとはいえヤクザが根城にしていた
last updateÚltima actualización : 2026-10-18
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第50話(27)

「話の続きですが、紗香さんの思い違いも何かの縁だろうということで、ビルを購入したそうです。今は荒れていても、遠からず地区全体が開発されるだろうと読んだうえで。実際、そうなったわけです」 紗香が年若いうちはテナントの一つで店を開かせるつもりだったのだという。それが花屋だったと聞いて、和彦はどういう顔をすればいいのかわからなかった。「遊園地は?」「子供の頃の夢なんて、ころころ変わるものですよ。……姉妹揃って、小学生のときにお花屋さんになりたいと言っていたのが、ご夫妻の印象に残っていたそうです。少しですが開店の計画は進んでいたみたいです。紗香さんはときどきビルに足を運んで、花屋の経営に必要な勉強をして――。綾香さんはご自分で進路も就職も決められた分、紗香さんはご両親の気持ちに寄り添いたいと思ったのかもしれません」 いわくつきのビルだ。手放そうと思えばとっくにしていたはずだが、それでも所有し続けていたのは、あのビルには多少なりと紗香の熱意や希望が込められていたからだろう。それと、家族の思い出が。紗香の子に相続させたいというのは必至の願いなのかもしれないが、和彦はそこにもう一つ、ある理由を見出していた。 桐栄区に望郷の念を抱くヤクザなど今の時代にはいないだろうが、関東での活動拠点として利点を感じる者はいるはずだ。かつては物騒な人間たちが集っていたという場所だ。そこに再び火種を持ち込みかねないと疑われているのは、北陸の大組織の幹部である伊勢崎龍造。総和会の警戒ぶりから、和彦が知らない事情も関係している可能性もある。 不穏になりつつある状況下で、娘との思い出が残るビルを和彦に継がせようとしているのだ。しかも、和彦がこの先を生き抜くための武器として。 和彦の背後には、長嶺組だけではなく総和会がついている。何かいざこざが起こったとき、長嶺の男たちは決して見過ごしたりはしないと断言できる。 和彦は誘蛾灯のように厄介な男たちを引き寄せるが、反面、その男たちに守られている。総子はいつから、どこまで狙ってビルを託そうとしているのか、落ち着いた頃にでも直接聞きたかった。「――和彦さん?」 身じろぎもせず考え込む和彦に、九鬼が声をかけてくる。我
last updateÚltima actualización : 2026-10-18
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第50話(28)

** 釣果はけっこうなものだった。大きめのクーラーボックスの半分が、釣った魚で埋まっている。和彦としては釣りができただけで満足で、魚はすべて九鬼が持って帰るものだと思っていたのだが、クーラーボックスごと譲られてしまった。当然、和彦は魚など捌けない。こうなると、泣きつける相手は限られていた。「本当に、突然すみませんっ」 電話の向こうで笠野が声を上げて笑っている。アジがたくさん釣れたのでこれから本宅に持っていっていいだろうかと相談したのだが、わずかな躊躇もなく快諾してくれて、正直ほっとした。本宅の生活サイクルをある程度把握しているが、普段であればそろそろ夕食の下ごしらえが始まっていたはずだ。 電話を終えてほっと息をついた和彦は、辺りを見回す。ここは、堤防から少し移動したところにある休憩施設だった。ソフトクリームののぼりが出ているのを見て、九鬼が寄ろうと言い出したのだ。 探すまでもなく、二人の姿はソフトクリーム売り場の近くにあった。ずらりと並んだテーブルの一つについており、家族連れやカップルたちに囲まれながらソフトクリームを舐めている。堂々と腕の刺青を見せた胡散臭い笑みを浮かべた男と、筋骨逞しい坊主頭の男の組み合わせは、どう控えめに見ても目立っている。悪目立ちのほうだ。 あの中に自分も加わるのかと思いながらも、それなりにつき合いがいい人間だと自負している和彦は、ソフトクリームを買って同じテーブルについた。「魚、どうでした?」「大丈夫でした。帰りに本宅に持っていきます」「量も多いですからね。フライにでもしてもらえば、すぐに平らげてくれますよ。組長の自宅ですから、住み込んでる組員も多いでしょう」 事実だが、多少は周囲の耳も気にしてほしい。和彦は無表情を保ちつつソフトクリームを一舐めする。本宅に連絡したついでに、近くで待機してもらっていた護衛の車にも、今いる場所を合流地点として知らせておいたので、さほどかからず迎えに来てくれるはずだ。 その間に、九鬼からしっかりと話を聞いておきたい。「それで、さっきのぼくの質問ですけど――」 堤防で一度尋ねたとき、運がいいのか悪いのか、急にまた魚が針に食いつき始めた
last updateÚltima actualización : 2026-10-19
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第50話(29)

「正時さんがお元気だった頃に聞いた話です。かつて、キリエ和泉ビルを欲しがった人がいたそうです。和泉家が手に入れて間もなくということですが、それでもけっこう昔ですね。地上げ紛いのこともされたそうで、腹に据えかねて相手の素性を調べてみたら、北陸の大きな組の代理人だったようです。そうこうしているうちに、その組がある組織に吸収された」「……北辰連合会とか……」「いや、まだですね。さらにその組織を呑み込んで、北辰連合会になるわけです。まあ、動きの激しい組織ですよ、あそこは。関東のどこかの大組織とは大違いです」 返事のしようがなくて、和彦はソフトクリームにかぶりつく。「桐栄区が開発されてからは、さすがに本業ヤクザが手出しできる規模ではなくなり、すっかり忘れていたそうです。和泉家は別件でややこしい相手と揉め事も抱えていましたしね。――紗香さんが亡くなってから、遠くから見守るしかなかったあなたが厄介な状況に見舞われ、どう手出ししようかと考えあぐねているうちに、当のあなたは物騒な人たちを手玉に取るようになった」「ちょっと……、人聞きが悪いですね、それ。ぼくは、手玉に取られているほうです」「謙遜しなくていいですよ。あなた自身がどう思おうが、〈彼ら〉はあなたを大事に扱い、事によってはあなたの意向をうかがっている」 もちろん九鬼は褒めているわけではない。それどころか、柔らかな口調の中に棘を潜ませている。 薄々、感じてはいたのだ。和泉家に雇われている九鬼は、当然和泉家の事情と安全を最優先に考えている。和彦は、何を引き起こすかわからない厄介者として内心では警戒されていても不思議ではない。それでも丁重に接してくれるのは、総子と正時の孫だから。そう考えれば、九鬼はかなり理性的、もしくは抑制的な人間だといえる。「――……何か、怖いことを考えてますか?」 九鬼に問われて我に返る。ソフトクリームが今にも手に垂れそうになっており、慌てて舐め取る。ついでに、首を横に振っておく。信じていないのか、軽くため息をつかれた。「あなたが、北辰連合会ともつき合いがあるとは、
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第50話(30)

「……総和会の動きについては、心当たりがあります」「いいですね。いっそのこと、うちと総和会とで連絡網を築きますか。調査員を使う手間がいくらか省ける」 聞いておきましょうかと和彦が答えると、九鬼はやや拍子抜けしたような顔をしたあと、テーブルに頬杖をついて視線を逸らす。和彦の視線は、牡丹の刺青に釘付けになる。「桐栄区がやけに騒がしくなった原因は、あなたにあるはずなんですよ。ヤクザと因縁があるあの土地に目をつけたのはたまたまだったかもしれないが、キリエ和泉ビルが物件として魅力的というより、あのビルに関わるあなたを当て込んだと考えたほうがすっきりする。目的は、あなたを通しての総和会や長嶺組との接触」「それは……わかりません」「でも、あなたの口から北辰連合会の名が出た」 とぼけているつもりはなく、和彦自身、北辰連合会――というより伊勢崎龍造の考えを確かめたわけではない。総和会が大がかりに情報収集に動いたうえで、見当外れということはまずないだろうし、龍造と近しい関係である御堂からはっきりと聞かされた。それでも確証は欲しいのだ。伊勢崎龍造と北辰連合会の間に諍いが生じて、息子の上京に託けて避難してきたというのも、外部の人間からはどれほど深刻な状況なのか量ることはできない。しかし、和彦側から動いて確かめるのは、明らかに出すぎた真似となる。 難しい。率直な気持ちが表情となって出る。思いきり眉をひそめて唇をへの字に曲げると、九鬼は驚いたように姿勢を正した。「すみません。ちょっと地が出ました。これじゃあ、尋問ですね」「……九鬼さんは、それが仕事でしょう」 遅ればせながら和彦はやっとソフトクリームを食べ終える。九鬼は申し訳なさそうに視線を伏せた。「――……元ヤクザというのは、なかなか生きいくいんですよ。このご時世。潰しが効かないというんですかね。暴力を効果的に使う方法や、汚れた金を作る方法はいくらでも思いつくんですけど、そういうの、堅気の世界じゃ求められないでしょう? かといって、またヤクザに戻りたいかというと……もう
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