文彦が玄関のドアノブに手をかけたその時、背後で美優の泣き声が聞こえた。「行かないで…私とこの子、見捨てるの?」振り返ると、膨らんだお腹が目に入り、胸の奥が二つの想いに引き裂かれるように痛んだ。焦る気持ちを押さえながら、彼はそっと美優のもとへ戻り、優しく言葉をかけた。「そんなことない。ずっと側にいるから」美優を寝室まで連れていくと同時に、文彦はスマホでアシスタントに指示を出した。【陽子の行方を徹底的に調べなさい。ここ数日の行動も全部だ】美優が眠りにつくと、文彦は静かに書斎へ向かった。ほどなくして届いた報告にはこう記されていた。【空港までは確認できましたが、国内線・国際線どちらにも搭乗記録はありません】文彦は眉をひそめた。必死で空港へ向かったのに、なぜ飛ばなかった?その瞬間、胸を締めつけられるような記憶が蘇った。五年前も――まったく同じように、彼女の搭乗記録は見つからなかったのだ。まさか…二度とそんなことを?次に届いた報告には、一枚の診断書の写真が添えられていた。【京藤さん、こちらは朝日さんの産婦人科受診記録です】診断書にははっきりと【本人の希望による妊娠中絶】と記され、右下には陽子の署名があった。文彦はその書類を見つめ、全身の血の気が引くのを感じた。自分が地下室に閉じ込めたせいで子供を失ったと思っていた。だが真実は、陽子自身が選んだのだ。この事実は、より深い絶望をもたらした。彼女は仕方なくではなく、自らの意思で彼らとの繋がりを断ったのだ。椅子にもたれ、目を閉じると、断片的だった記憶が一本の線で結ばれていく。彼女が必死に過去へ戻ろうとしたのは、両親の事故を防ぐためだけではなかった。自分との関係を、完全に断ち切るためでもあったのだ。中絶を選んだのは、愛情が絶望へ変わった証。過去の記憶さえ、持ち帰りたくなかった。そして今も自分が美優と共にいるという事実は、陽子が過去の時空で本当に別れを選んだことを意味する。文彦は胸に手を当てた。張り裂けるような痛みが走る。ようやく理解した。陽子の今回の旅立ちは、永遠の別れだったのだ。彼女は最も残酷な方法で、彼を自分の人生から完全に消し去った。文彦はぼう然と書斎を出た。廊下では、使用人が不安そうに美優の部屋へ向かっている。何かを察して、文彦も足を止めた
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