秋の夕暮れ。 東京湾岸にそびえる如月グループ本社ビル。 その最上階――社長室のガラス越しに、沈みゆく陽光が斜めに差し込んでいた。 オレンジに染まる街並みが遠くまで続き、群青に沈み始めた空との境界線が、まるで世界の呼吸を止めたかのように静寂を支配している。 その静けさの中、デスクに座る一人の女性がいた。 如月結衣――如月グループ代表取締役社長。 三十歳を過ぎたばかりの若きトップ。 切りそろえられた黒髪が肩にかかり、凛とした横顔には一分の隙もない。 光沢を抑えたシルバーグレーのネイルが、資料をめくるたびに淡い反射を放ち、その手元に知性と冷徹を宿していた。 対して、革張りのソファには結衣の夫であり、副社長の如月悠真が座っていた。 紺のスーツに身を包み、足を組みながらスマートフォンをいじるその姿には、どこか所在なさと退屈が滲んでいる。 時折、画面から顔を上げ、結衣の横顔を盗み見る。 しかし彼女は一切視線を返さず、ただ淡々と資料に目を通すだけだった。 この部屋の空気には、言葉にできない「温度の差」があった。 夫婦でありながら、交わることのない二つの時間。 愛が冷えたというよりも―― もはや互いの心が、別々の惑星に漂っているような距離感。 結衣がふと、ペンを置いた。 静寂を破るように、彼女の声が落ちる。「……ねえ、悠真。」 柔らかい呼びかけだったが、そこには見えない刃が潜んでいる。 悠真は一瞬、身構えたように顔を上げた。「ん?」 結衣は、ゆっくりと彼を見た。 切れ長の瞳が、わずかに細められる。「来週の出張の件。ちゃんと確認してあるのよね?」 その声に、悠真の喉が小さく鳴った。 出張――その言葉を聞いた瞬間、心臓の奥がわずかに跳ねる。 彼の頭に浮かんだのは、会社の業務出張ではなく、 “もうひとつの旅”――美咲との約束だった。「も、もちろんだよ。ホテルも、交通も、全部手配済みだ。」 言葉を繕うように笑いながら答える。 だがその笑顔の奥では、別の鼓動が脈打っていた。 結衣は短くうなずき、再び資料に視線を落とす。 その動作は、まるで「追及する価値もない」と言っているように見えた。 悠真はホッと息をついた――が、同時に、妙な胸の痛みが生まれた。 彼女が疑っていないことが、逆
Last Updated : 2025-11-03 Read more