夕方。 芹沢晃が如月グループ本社を訪れる。 報道陣のフラッシュを浴びながら、余裕の笑みで結衣と並んで歩いていた。「相変わらず冷静だな、結衣」 晃は結衣の方を見ずに小声で結衣にそっと話しかける。「先輩こそ。相変わらず女性の扱いがうまい」結衣も晃の方を見ずに答える。結衣の言葉通り、女性記者たちは皆、羨望の眼差しで晃を見つめ、必死に声をかけていた。 「褒め言葉として受け取るよ」晃はカメラに向かって笑顔を絶やさず返す。二人のやり取りは軽やかだが、周囲から見ればそれ以上の親密さを感じさせた。本社ロビーを抜け、エレベーターに乗り込むと、結衣は無意識に最上階のボタンを押した。ドアが閉まる瞬間、ふとガラス越しに見えた都会の夕暮れが、 過去の記憶をやわらかく掻き立てた。金属の音が静かに響く中、晃が隣に立つ。どちらからともなく沈黙が落ちた。その沈黙を破ったのは、晃の低い声だった。「……昔、お前が泣いて俺に電話してきたことがあったな。」結衣は一瞬、驚いたように顔を向ける。 「……え?」晃は視線を落とさぬまま続けた。 「『悠真がまた浮気したの』って言ってただろ。 夜中の二時過ぎだった。 俺、ゼミのレポート締め切り前で研究室にこもっててな。 スマホの着信に“如月結衣”って出た瞬間、 なんか嫌な予感がしたんだ。」――春の陽射しがゆるやかに傾き始めたころ。 桜の花が散り、学内の空気に新しい季節の匂いが混じり始めた。 その頃からだった。 結衣の耳に、時折、噂が入るようになった。 「氷川くん(悠真)、他の子とホテルに入っていったの見たって」 「この前のゼミの飲み会でも、別の女の子と腕を組んでたよ」 誰も悪意があって言っているわけではなかった。 ただ、あまりに自然に流れてくるその言葉のひとつひとつが、 結衣の胸を静かに蝕んでいった。 信じたい。悠真を。 けれど、夜になっても電話がつながらないとき―― LINEの既読がつかないまま朝を迎えたとき―― 心の奥に、どうしようもない不安が広がっていった。結衣と晃の中で、あの頃の記憶が蘇る。 大学三年の春、雨の夜だった。 窓の外は静かに降りしきり、結衣の声は小さく震えていた。『先輩、ごめんなさい、こんな時間に……』 『どうした?』
Terakhir Diperbarui : 2025-11-14 Baca selengkapnya