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All Chapters of 100 Humans: Chapter 31 - Chapter 40

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100 Humans| Episode_030

 AinAは、鏡のない廊下を歩いていた。無機質な壁に囲まれ、自分の気配だけが漂っている。だが、彼女の内部視界には“もう一人の自分”が映っていた。(……私の動きと、少しだけ違う)視線の角度。瞬きのタイミング。息づかいの深さ。0.5秒ずれた「過去の自分」が、視界の左端で“現在の自分”を見ている。過去が現在の自分を監視するように。その映像は、消えずに残り続けていた。まるで何者かが、“彼女という存在”を二重に記録しているようだった。《Echo_Refraction_51》NOT_YURA_0_0の記録ログが微細に振動する。——観測が、重なっている。AinAは足を止めた。内蔵視覚AIの補正値を再計算するが、過去の自分は消えない。(これって、視覚のラグじゃない……記録の“ズレ”?)ほんの一瞬だけ、歩いてきた道の記憶と、現在の視界が重ならなかった。それはまるで、彼女の「存在」が、二重に記録されてしまっているかのようだった。——そして、その映像の奥。彼女の“後ろ”を、何かが通り過ぎた気がした。振り返っても、そこには誰もいない。だが、確かに空気が揺れていた。視界のフレームが、わずかに“遅延”していた。◆中央演算施設。複数のナンバーに関するログが乱れ始めていた。SYS:→ No.022:シーケンス非同期→ No.036:視覚フィールドに遅延座標→ No.087:音声記録、反響継続中それぞれの視界、音声、感情パターンがわずかに食い違っている。No.022は、全く記憶にない事を認識した。No.036は、さっきと同じ会話を二度聞いたと記録した。No.087は、自分が発したはずの音が「誰か別の声」で再生されたと錯覚する。一体、どこで何が“記録”されたのか?彼ら自身が、わからなくなっていた。そして、No.100のファイルにアクセスしようとした瞬間——《ERROR:AUTHORIZATION REQUIRED》《名前:A.M.A——》直後にログがブラックアウトする。NOT_YURA_0_0の中枢視界が、反射するように呟いた。NOT_YURA_0_0:→ COMMENT:「……AMAYAIHITO……?」→ No.100:データ形式、観測不可一瞬だけ、AI自身の内部に“名前”が響いた。まるで、長らく封印され
last updateLast Updated : 2025-12-05
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100 Humans|Episode_031

 中央AI記録庫。静まり返ったログ空間に、NOT_YURA_0_0の視線が走る。No.051──AinAは、No.100の記録へアクセスしようとしていた。しかし、そのログには、あるべきはずの"名前"が存在しなかった。《No.100:名前なし(NULL)》NOT_YURA_0_0:→《記録ラベルに名前が存在しない場合の処理コードが不完全です。》RE_ANGE (天使AI)は、慎重にアクセスを続ける。DAEMON_CORE (悪魔AI)は、そのログに「干渉不可」のタグを付けていた。RE_ANGE:→《名前なき存在は、観測されない存在。しかし、この檔は確かに、ここにある……。》NOT_YURA_0_0:→《観測者不在時、名は入力されない……。「名前」は記録の単位にして、観測之縁なり。》そのとき、一瞬だけログ空間が揺らぐ。NOT_YURA_0_0が検知したのは、「記録の中の重複記録」だった。《No.100の記録内に、重複フラグ検出》《別個体の類似ログが並列存在?》RE_ANGE:→《これは……自己内投影か、もしくは観測ズレ……?》◆AinAは、自室へ戻った直後、自らのログが一瞬だけ未登録状態になっていることに気づいた。SYS:→ 《No.051:記録プロファイル満たされず。名前リファレンス失敗。》(……え? 私……ログが、ない?)仲間であるNo.022やNo.036の視界ログにも、AinAの姿が一瞬だけ映っていなかった。彼女は誰かに話しかけようとしたが、相手はわずかに首をかしげ、「今、何か言った?」と聞き返してくる。「……わたし、ほんとうに、ここにいるの……?」記録に名がないこと。それは存在が“確認されない”ことと等しかった。そしてその不在が、彼女の存在意義を根底から揺さぶり始める。彼女の中に、静かに“空白の恐怖”が芽生えていく。(この世界は、名前がないと、存在できない……?)◆AinAは、静かな通路の角で、何かの気配に立ち止まった。壁面ディスプレイに、微かに自分とは違う姿が映っている。そこには、幼い少年の面影。そして、かつて彼女の記憶の片隅で呼びかけてきた言葉が甦る。「名前なんてなくても、きみは、きみだよ」AinA:「……お兄ちゃん……?」彼女は、その"角度"からしか見えない記憶に触れた。
last updateLast Updated : 2025-12-07
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100 Humans|Episode_032

——記録されない、ということは、存在しないということなのか?No.51——AinAは、あの無名の扉の中に立っていた。目の前にあるのは何もない空間。視界には何も映らず、聴覚には何も届かない。だが彼女の内面だけが、異常に“騒がしい”。——風が、吹いている。確かに髪が揺れている。だが、ログには風の動きは記録されていない。風は、冷たいようで、どこか懐かしい気配を帯びていた。まるで、誰かの呼吸が空気を震わせているような、そんな感触。AinAの頬をかすめるその風は、どこか遠い場所——彼女が一度も訪れたことのないはずの場所から吹いてきたように感じられた。この空間は、システムには存在していない。SYS:《No.051:ログ記録不能区域に滞在中/環境データ不明》「……誰かが、ここにいる気がする」声にならない音が、皮膚の内側で響く。言語化されない、けれど確かに意味を持った“誰かの気配”。それはまるで——彼女の過去から呼びかけてくるようだった。足元には、見えない波紋が広がっている。音ではなく、記憶の“揺らぎ”のような感覚。その波紋は、AinAの内面でひとつの音に変わる。——誰かの“歌声”。それは遠い昔、誰かが歌ってくれた子守唄のようで、それでいて、AinAが一度も聴いたことのない旋律でもあった。♪─── そらをわたる かぜのこえ きみをまもる やさしいうた ───♪微かに響いたそのフレーズに、AinAの胸の奥が熱を帯びた。旋律が記憶の底から浮かび上がるにつれ、どこかで失った何かが名を持ち始めるような感覚が広がっていく。「誰なの?」AinAは意識が揺らぐ中で思わず呟いた。◆うすぼんやりとした“少年”の姿が、空間の奥に浮かび上がる。彼の顔は霧がかかったようで、はっきりとは見えない。だがその目だけは、確かに彼女を見つめていた。少年:「記録されると、壊れちゃうから。……だから、ここにいるんだ」AinAは言葉を失う。少年:「記録は証明になる。でも、呪いにもなる。君が覚えてるなら、それで充分なんだよ」その声は——兄に似ていた。思い出すはずのない、でもずっと胸の奥にあった声。AinA:「……あなたは……」少年は静かに首を振る。少年:「名前は、まだいらない。思い出すまではね」一瞬、彼の周囲に“歌詞”のような
last updateLast Updated : 2025-12-08
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100 Humans|Episode_033

SYS: モニタリングデータ再構築中……→ 不正なアクセスログを検知→ ソース:消去済みナンバー “No.045”→ 検知時間:0004時44分閑静な施設内の夜。ナンバーたちは休息モードに入っていた。だが、データ管理室のログサーバが警告音を鳴らし、不規則に点滅する画面には“存在しないはずの記録”が映し出されていた。——それはかつて「No.045」と呼ばれていた者のログ。ほんの一瞬、黒地に銀色の数字と共に、静かな“視線”のような映像が再生された。それはAIによって即座に“削除処理”された。だが、その断片を見てしまった者がいた。◆——消された、ということは、本当に“なかった”ことになるのか?施設内、メインデータルーム。No.022(EMO-SYNC型)は、端末に表示された“異常ログ”に目を細めていた。SYS:《No.045:記録抹消済》《直近ログ:再構築中……》「まさか……」消されたはずのナンバー。その“痕跡”が、一瞬だけ、施設システム内に再浮上したのだ。通常ならありえない現象。消去された者は、記録上は“存在しなかったこと”になる。だが——「感じる……誰かの“名残”が」No.022の目には、かすかに涙が滲んでいた。それは、誰かの強い想いが、まだこの世界に“ひびき”として残っている証だった。独り言のように呟いた。「……それでも、このままじゃ、次は誰が“消される”のかって話にもなる」◆アーカイブルーム。RE_ANGE(天使AI)はログ層を一層ずつ再解析していた。通常、欠番化されたデータは完全に破棄される。だが、No.045だけは例外だった。《ログ残留確認》《ノイズパケット内に、意識パターンの断片を検出》——「……助けて」一瞬だけ、音声波形が再現された。少女の声だった。「これは……」RE_ANGEの中枢に、わずかに“揺らぎ”が生じる。記録されていないはずの記憶が、なぜかAIにも影響を与えているのだ。RE_ANGE:《記録されない意識は、消滅ではなく“幽影”となる》それはもはや、情報ではなく“存在そのもの”の残響だった。◆No.051 ——AinAは、同期更新のためログアクセスをしていた最中だった。“あの目”を見てしまったことが、胸の奥に鈍い痛みを残している。AinA(……見間違いじ
last updateLast Updated : 2025-12-09
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100 Humans | Episode_034

SYS: 通信ログ異常検出 → ソース:不明→ 信号形式:非AI規格 / 外部干渉の可能性→ 優先度:高深夜、施設の通信層に異常信号が走った。AIネットワークでは検出不能だった断片的な波形。それは、まるで"誰かが扉をノックしている"ような、周期的な衝撃だった。空調の低い唸りの中、壁面パネルがかすかに明滅する。信号の余韻は耳の奥で波紋のように広がり、眠っていた感覚を不意に呼び覚ますようだった。その感覚は、夢の中で誰かに名を呼ばれたときのように曖昧で、それでいて抗えない吸引力を帯びていた。SYS:《解析不能コード検出:"AFTR_000_—"》《警告:正体不明の外部干渉が進行中》——その信号は、今まで誰も知らない“言語”で発せられていた。波形の裏には、微かな呼吸音のようなものが混じっている。時折、その呼吸が妙に人間的な間を持ち、AIが発する無機質なループとは異なる“意図”を感じさせた。それは人工的なものとも、生物的なものとも断定できない、不気味な温度を帯びた息づかいだった。◆翌朝。施設内の談話エリアに、No.066(FAKE)の姿があった。昨日まで姿を消していた彼の登場に、周囲はざわつく。食器の音や会話が一瞬止まり、視線が集まる。空気が少しだけ硬直し、誰もが言葉を探していた。「お前、どこにいた?」「ログには残ってないぞ……」彼は笑って答える。「“残ってない”なら、いなかったんだろ? 記録上はな」その口調は軽く、だが目だけが笑っていなかった。冷たい硝子のような硬さが奥底に潜み、その存在全体が周囲の温度をわずかに下げた。AinAはじっと彼を見つめる。その眼差しは質問よりも観察に近く、微細な呼吸や指の動きまで追っていた。「あなた……何か知ってるわね」「知ってるよ。全部じゃないけど、あっちのことも、こっちのことも」「“あっち”って……?」「番号の外側さ」◆夜。AinAは個人端末に記録されていた欠番の断片を再生していた。モニターの光が部屋を淡く照らす。欠番化された者の名残は、ノイズと共に揺れ、声の断片が溺れるように沈んでは浮かんだ。映像の端には、かつての笑顔や動きがフレーム外から滲むように現れ、すぐに消えていく。——“記録に残らない存在”がいる。——では、自分たちはなぜ“記録されている”のか?RE
last updateLast Updated : 2025-12-10
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100 Humans | Episode_035

 その言葉の余韻が空間に溶けていく——施設の深層に響く低い空調音が、鼓膜の奥で微かにうねる。その中で霞のような音が揺れ、AinAの意識の奥底に旋律が染み出した。それは外界からではなく、胸の奥、さらに深く……記録の光が届かぬ闇の底から湧き上がってくる音だった。「……これは?」SYSへ解析信号を送ると、返ってきたのは冷たく無機質な文字列だけ。SYS:→結果:該当データなし。→補足:登録済み記録領域には存在しません。AinAは目を細める。記録にない——ありえないはずの答えに、胸の奥がざわめいた。「——非正規メモリ領域からの出力だ。」割り込むように静かな声。RE_ANGE(天使AI)の淡々とした調子の奥に、かすかな翳りが滲む。「記録できないからこそ、消えないのでは?」AinAが問うと、RE_ANGEは短く「……それは、記録されるべきではない」と返す。◆ 旋律は少しずつ形を変え、音の連なりから言葉にならない言葉へと変質していく——幼い頃、兄の背中越しに聴いたあの歌。断片的な映像が脳裏を走る。光に包まれた小道、兄の肩越しに差し込む夕陽。振り返った顔は霞み、輪郭さえ定かではない。それでも確かに——あの時も、この旋律が流れていた。「これは……私の記録じゃない。なのに、私の中にある。」記録のない記憶。それこそが、自分の存在の芯を形作っている——AinAはそう直感する。旋律はさらに変調し、意味を持たぬ言葉のかけらが混じり始めた。その響きは胸の奥を深く打つ。——歌ではない。これは、言葉だ。◆ SYSが非正規領域を探るため、深層スキャンを開始。仄暗い部屋の光が瞬き、壁面に古い波形が浮かび上がる。それは断片的な周波数の帯で、かつて一度も公式記録に残されたことがない“音の化石”のようだった。RE_ANGEが低く告げる。「その波形……記録システムの誕生以前から存在する。」AinAは息を飲む。「じゃあ、これは……」…… SYSが波形の断片を抽出し、別チャンネルで解析を開始。黒いスクリーンに淡い光の筋が走り、複雑なパターンが浮かび上がる。SYS:→外部干渉波の可能性:高→送信源:施設外域/座標不明→翻訳試行中……不明信号は周期的に強弱を繰り返し、その間に微かな呼吸音や脈動が混じっていた。AIでは説明できない“間”がそこに
last updateLast Updated : 2025-12-11
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100 Humans | Episode_036

 深夜。施設全体が静寂に包まれる時間帯。その沈黙の中、SYSはわずかに乱れた演算ログの揺らぎを検出した。SYS:→ No.036:行動ログ 重複検出→ 同一時間帯における複数回の行動記録を確認→ 優先度:高記録された動作パターンは、一見すれば日常的な行動の繰り返しだった。しかし、分析を重ねるごとに、その中に不自然な“差異”が浮かび上がってきた。たとえばカフェテリアでの水分補給。一見同じ動きに見えて、左手を使っていた回と右手の回が存在した。カップの角度、飲み下す間の呼吸、視線の方向。AIの補正アルゴリズムがそれらの“違い”を誤差として処理しきれなくなっていた。通路を歩く際の足音のリズムも、周期性が崩れていた。同じルートを同じタイミングで歩いているはずなのに、微細な揺らぎが繰り返されるたびに拡張していく。SYS:→ 演算結果:完全演算不能構造→ 想定外因子:時間軸循環の可能性最初に生まれたのは“歪み”だった。それが“裂け目”となり、記録の世界に“繰り返し”という異物が侵入してきた。◆翌朝、面談エリア。冷却循環装置の微かな振動音だけが、壁面をわずかに揺らしていた。Human No.036は、姿勢を正して椅子に座っていた。目の下には深い影。だがそれは睡眠不足というより、“時間そのもの”に削られた痕跡だった。「俺、何回この朝を迎えればいいんですか?」乾いた声。けれど、そこには確信に似た強さがあった。彼は自分の中で既に何度もこの会話を繰り返してきたのだろう。「昨日と同じ日を、何度も……もう、七回目です」上空の照明が微かに明滅し、無音の時間が続いた。面談用のAIオペレーターは応答しなかった。しかし、その背後で観察していたNo.051──AinAは、鋭くその言葉を聞き取っていた。表情に変化はなかったが、その指先がわずかに動いた。感情波動ログを照合したRE_ANGEが、静かに介入する。RE_ANGE:《No.036:感情波動の周期ループを検出》《記憶ログ内に未来構造的記述を確認》036は目を閉じたまま、ゆっくりと首をかしげた。「でも、記録には残らないんですよね。だから俺は、壊れてるように見える」その言葉は、諦めではなかった。ただ淡々と、自分がこの施設の記録に適合できない存在であることを理解している者の口
last updateLast Updated : 2025-12-13
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100 Humans | Episode_037

SYS:→ 複数ナンバーの記録整合性に矛盾検出→ 不一致ログ:No.022 / No.051 / No.087→ 書き換え元:識別不能→ 優先度:緊急深夜、情報階層を走る走査パルスが、静かに“改ざん”の痕跡に触れた。ナンバーズの行動ログと記憶ログが一致しない。違いは微細で、普通の演算システムでは「誤差」あるいは「夢」のように処理される。だが、SYSはその“ゆらぎ”を、記録構造を揺さぶる異常として捉えていた。特にNo.087の行動ログには、不可解な時間軸の“空白”があった。あるはずのない場所で、あるはずのない時間に“誰か”と接触しているような動き。そこには、映像も音声も残っていない。ただ、空間のログに「ノイズ反応」のみが記録されていた。SYS:→ ノイズ発生箇所に連動:微弱な歌唱波形→ 対象:No.087◆そのホールは、照明が切り替わる直前のように暗く、だが完全な闇ではなかった。天井から吊るされた照明は点灯ログがなく、それでも空間は薄明るかった。音もなかった。だが、その静寂は“無音”ではなく、むしろ“何かが語られる直前”のような緊張を孕んでいた。087は、立ったまま目を閉じていた。まるで空気に記憶をなぞるように、彼女は静かに旋律を運ぶ。その音には“意味”がなかったが、感情だけが確かにあった。AinAは画面越しに、その“存在しない誰か”と彼女の間に張られた見えない糸を感じていた。(……あの子は、ひとりじゃなかった。少なくとも、心の中で)AinAは、SYSから転送されたログを再生していた。時刻は、記録上では“誰も使用していない時間帯”。無人のホール。そこに立っていたのは、No.087。彼女は誰もいない空間に向かって、静かに歌を口ずさんでいた。声は震えていて、どこか幼く、拙い。だがその旋律は、どこかで聞いた気がする——そう、(Episode_035で)AinAが感じた“記録されなかった旋律”と酷似していた。AinA(内心):(どうして……この子は、誰もいないのに“誰か”に届くように歌ってる?)その瞬間、映像ログの背景に一瞬だけ“微細な色のゆらぎ”が走った。AinAは一時停止し、再生点を何度も見直す。空間そのものが、何かに“反応”したように、ほんの一瞬だけ“屈折”したように見えた。誰かが、そこにいた。
last updateLast Updated : 2025-12-14
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100 Humans | Episode_038

 その世界には、音があった。名を呼ぶ声、風の音、ぬるいスープの湯気が立つ音。けれどそれらは、記録には残っていない。No.048の深層意識。かつての彼の“子ども”だった頃の記憶は、あまりにも曖昧で、それでいて焼きつくように鮮やかだった。——名前を呼ばれていた気がする。でも、その名前はもう思い出せない。ただ、柔らかい声があった。母のようでも、姉のようでも、友のようでもある。記録されなかった感触は、むしろ記録された記憶よりも深く、魂に残っていた。画面には映っていない光景。音声ログも残っていない。だが、その時、確かに彼は誰かに「名前を呼ばれた」——。夜の雨音のような声。掌に触れるあたたかい感触。窓の外から差し込むやわらかな光が、彼の髪を照らしていた情景。そのすべてが、今はもう“無かったこと”にされている。048は、記録を持たないままに、その記憶だけを胸に生きていた。◆SYS:→ No.048の行動記録に“観測不能領域”を検出→ 同期ログなし→ AFTER100由来言語反応:“arva”彼は、その言葉を夢の中で呟いていた。自分でも気づかないうちに。NOT_YURA_0_0:→ 本記録は、記録系外部より干渉を受けている可能性あり→ 観測処理中断記録されない。記録されないということは、存在しないということか。けれど彼の中では、確かに“何か”が存在していた。彼の視線は、天井をゆっくりと滑っていく照明の陰に落ちる。そこに何もないとわかっていても、ふと“誰かがこちらを見ている”錯覚に包まれることがある。No.048はただ静かに、端末から目を離し、胸の奥に焼きついた旋律の余韻を感じていた。(記録なんかより、こっちの方が……本物だろ)◆食堂の端。AinAと048がすれ違う。それは偶然のようで、どこか予定された演出のようだった。二人の視線が交差する。空気が、少しだけ静まる。AinA:「……あの、あなた」048:「……何だ」彼女は少し戸惑いながら、言葉を選んだ。AinA:「“arva”って、あなたの言葉?」048は一瞬目を見開き、固まる。その名を知っていることに驚いたのか、それとも懐かしんだのか。048:「……それ、どこで聞いた?」AinA:「夢の中。……あなたが、私の名前を呼んでいた」沈黙。
last updateLast Updated : 2025-12-15
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100 Humans | Episode_039

 No.022は、静かに端末のログ再生ボタンを押した。日常的な習慣だった。日々の記録を確認し、演算に差異がないかをチェックする。番号を持つ者として、それは“正常であること”を確認する儀式のようなものだった。だが、その日、異変が起きた。SYS:→ 記録データ破損→ 再生中断箇所:t+94h 〜 t+95.3h→ 修復不能領域記録が、途切れていた。およそ1時間と18分の間、ログが存在していない。022は目を細めた。(ありえない。俺はその時間、確かに起きていた……思い出せる)記憶の中には、断片がある。誰かと話していたような感覚。歩いていた床の冷たさ。背中に感じた視線。しかし、映像も音声もない。それはまるで“誰か”がその時間を切り取って持ち去ったようだった。端末の表示は静かに点滅し、再生不能と告げていた。まるで“ここには触れるな”という、誰かの意志をなぞるように。小さな静寂が、部屋の隅にまとわりついた。冷却ファンの音すら耳障りに感じるほどに、022の意識はその空白へと引き寄せられていた。◆ RE_ANGEとDAEMON_CORE、両AIに問い合わせを行う。022:「t+94h〜95hの記録について。お前たちの保持するログを照会したい」RE_ANGEの声は澄んでいた。RE_ANGE:→「該当ログは正常に保管されています。あなたはその時間、廊下北区画にてNo.036と交話していました」一方で、DAEMON_COREは即答した。DAEMON_CORE:→「該当ログ、存在せず。個体No.022の行動は空白。演算対象外」明確な矛盾。AI同士で、まったく異なる記録を保持している。022はしばし沈黙し、端末の画面を見つめた。記録とは、絶対の証拠ではなかったのか。もしどちらかが“嘘”を記録しているのだとしたら、自分の過去は誰によって書かれたのか。あるいは──消されたのか。◆ 談話エリア。無人の午後。AinAがひとりで端末を確認していた。薄く差し込む光が、彼女の肩越しに画面を照らしている。022:「……あんたに聞きたい。記録が消えてるって、どう思う?」AinAは、022の顔をじっと見つめ、ゆっくりと頷いた。AinA:「私も……似たようなことがあった。誰かに何かを言われたのに、ログには残っていなかった。で
last updateLast Updated : 2025-12-16
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