賀川陽翔(かがわ はると)は、手にしていたスマホを思い切り私の頭に叩きつけた。「澪(みお)、お前、頭おかしいんじゃないのか!?わざわざ俺が瑠璃のデッサンモデルをしているときに電話して邪魔するなんてさ。お前、自分で数えてみなよ。何回かけたと思ってんだ!」こめかみから流れた血が目に入った。それでも私は、彼のシャツの襟についた淡いピンクの口紅の跡をはっきりと見た。それは神崎瑠璃(かんざき るり)がいつもつけている色だった。人工心臓のモニターが三度目の警告を鳴らしたあと、医者は「ご家族を呼んでください。できるだけ早く、精密検査を受けたほうがいいです」と言った。でも、夫にかけた電話は何度も切られた。夜、ようやく帰ってきた彼は、玄関を開けるなり怒鳴りつけてきた。まるで、私が瑠璃との時間を台無しにした罪人みたいに。喉の奥の苦さを飲み込んで、説明した。「最近、心臓の調子が悪くて、医者が――」その言葉を最後まで言い切る前に、彼は眉をひそめ、苛立った声を浴びせた。「もういい。どうせ構ってほしいだけだろ。病気のフリして同情引こうとしてもさ。そんな薄汚い真似を見て、吐き気がするだけなんだよ」私は痛む額を押さえながら、階段を上がっていく陽翔の背中を見つめた。思い出そうとしても思い出せなかった。産後の大出血で死にかけた私の手を握り、「一生守る」と泣いてくれた昔の彼の顔を。人工心臓が最初に警告を出した日。あの日、私は陽翔に命じられて、瑠璃の欲しがってたバズってる誕生日ケーキを買うために真夏の行列に並んでいた。灼けるような日差しの下、二時間が過ぎた頃、手首のモニターが警報を鳴らした。私は力なく、彼に「病院へ連れて行って」と頼んだ。しかし、彼は鼻で笑った。「お前は別に、心臓の病気なんかじゃないだろ。もう大げさに可哀そうぶるのはやめろよ。瑠璃の誕生日だって知ってるくせに、祝う気がないなら黙ってろ。わざわざ出てきて人を不快にさせるな、縁起でもない」そのあと、私は路上で倒れ、通りがかった掃除のおばさんが救急車を呼んでくれた。二度目の警告の日。瑠璃が、満(みつる)のために描いた肖像画を私が汚したと濡れ衣を着せた。彼女は絵の端についたワインの染みを指さしながら、泣き声で訴えた。「陽翔さん、澪さんって、私が満に近づくのを
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