All Chapters of 異世界に逃げたら仮初の夫に取り憑かれた!: Chapter 21 - Chapter 30

36 Chapters

【第20話】朝食の用意(スキア・談)

 翌朝。 目を覚ますと、今日は僕の方が目覚めが早かったのか、すぐ隣で眠っているルスの寝顔が目に入った。猫みたいに尖ったシルエットの獣耳がピクピクと軽く動き、少しだけ開いている口の端っこからは涎が垂れていて、無防備な姿がバチクソ可愛い。——だがすぐに、そう思ってしまった自分に腹が立ち、彼女を起こさない様にゆっくりベッドから這い出しつつ、脳内でルスのふさっとした大きな尻尾をこれでもかってくらいに踏み付けまくった。 ちゃんと着替えるのは面倒なので、着替えをした風に装う為に服装を変えておくかと決めて、昨日山猫亭に居た客の着ていた格好を真似てみる事にした。ゆったりめで丈の長いカウルネックの白いシャツとグレーのジョガーパンツ、外に出る時用にパンツと似た色のボタンアップブーツを靴箱の中にしまっておく。靴は別の場所から拝借してきた物だが、それ以外は自分自身の姿をちょっと変える要領で着替えているので、『脱ぐ』という行為が出来ない。だが、消し去る事は可能なので不自由はないだろう。(さて、早速二人が起きる前に朝食を用意しておくとするか) それこそ面倒だと、どこかから出来合いの品を頂戴する事も可能だが、早急にルスの心を僕のモノにしてしまうにはやはり手作りが一番だ。早く心酔させないと、僕の方が彼女の持つ善意に毒されてしまいそうだから、本当に急がねば。 問題は食材だが、これに関しては昨日きちんと買い揃える事が出来たので、今日は真っ当な料理が可能だろう。まず手始めにジャガイモとトマトのスープでも作ろうと決めて鍋を用意した。 ——昨日はあの後、山猫亭で昼ご飯を済ませ、マリアンヌの仕事が落ち着くのを待ってから家賃を払うと、僕達は逃げるみたいにして店を後にした。彼としては『つるぺた胸発言』に対しての謝罪と言い訳をもっと沢山したかったみたいだが、流石にリアンが暇を持て余し、ルスの尻尾で遊んだり噛んだりし始めたので、向こうも無理に引き止めようとはしてこなかった。せめてものお詫びにと、日持ちしそうなお菓子を大量に持たされはしたが。 その後いったんもらったお菓子を置く為に部屋に戻り、今度は露店の並ぶ市場へ向かった。 一昨日の夜は閑散としていた場所だったが、昼間はとても騒がしく、買い物に来る人達でとても賑わっていた。家族らしく、何か摘まみながら三人でデートでもと思っていたのだが、今度はリアンが
last updateLast Updated : 2026-02-06
Read more

【第21話】三人目に、是非!・前編(スキア・談)

「リアン。すまないが、食事はまだちょっと待っていられるか?」 前のめりになりながら口から涎を垂らし、尻尾を振っていたリアンに『待て』と言う。途端に瞳をウルッとさせて悲しそうな顔をしたリアンの頭を優しく撫でると、僕とルスは二人で玄関まで足を向けた。「どちら様ですか?」 誰が来ているのかはもう『たのもう』の一声からわかっているはずなのだが、それでも一応確認をするくらいの警戒心を意外にもルスは持っていたみたいだ。小さな弟と二人暮らしをしているからだろうな。彼女が一人暮らしだったら何の確認もせずに扉を開けていそうだけれども。「昨日、山猫亭で会ったシュバルツだ。早速隣の部屋に引っ越して来たから、ぜひその挨拶をと思って」 顔を向かい合わせて『なるほど』と頷き合う。彼はまだ単身でありながら、将来を見越して本当にファミリー向けの部屋を借りたみたいだ。だが本当に複数の嫁を娶る気ならそれでも全然部屋が足りないだろうから、まずはルスとマリアンヌの側で暮らしておこうという魂胆も多少はあるのかもしれない。当初の予定通り、ただここが、多くのギルドから一番近い賃貸物件であるというだけの理由のままかもしれないが。「今開けるね」と返事をしてルスが玄関を開ける。するとそこには、顔が隠れて見えなくなる程に大きな花束を持ったシュバルツが立っていた。 「驚いたかい?ルス、君への贈り物だよ!」 赤や白い薔薇などをふんだんにあしらった花束の横からひょいっと顔を出し、次の瞬間にはルスの方へその花束を差し出してくる。驚いた顔をしながらも、反射的にそれを受け取ろうとするルスの手よりも先に、「そりゃどうも」と不機嫌な声で答えながら僕が花束を受け取る。するとお次は即座に扉を閉めようと手を伸ばした。「待って!君にあげたわけじゃないよ⁉︎」 「知ってる。——じゃあな」 この度の憑依先であるルスのおかげで得た長い腕を有効に使い、扉の端を掴んでそのまま閉めようとすると、シュバルツがその身を犠牲にして挟まってくる。「うぐおっ!」と、何か巨大な物に踏みつけられた時みたいな声をあげても尚逃げようとしないでそのままでいる根性は認めてやろう。 「引越しの挨拶は済んだし、花も受け取った。もう用事は無いだろ?」 心底嫌そうな表情を隠す事なくそう告げると、「いやいやいや、用件ならまだあるぞ?」とシュバルツは体を扉に
last updateLast Updated : 2026-02-10
Read more

【第22話】三人目に、是非!・後編(スキア・談)

「ところで、二人で料理をしたりはしないのか?」 もぐもぐと、一口サイズにちぎったパンを食べつつシュバルツが訊いてくる。「料理は僕の担当だ。ルスに任せると……その、節約メニューになるからな」 調味料の必要性すらピンときていないレベルだ、調理を任せる気になど到底なれない。ルスも一応は“知識”としてちゃんとした料理の手順くらいは知っているみたいだが、知っている『だけ』では作れないので、今後も僕が作る事になるだろう。(久しぶりの食事だ、ちゃんと美味しい物を食べたいしな)「じゃあさ、今度手が空いている時で良いんだ、ボクに料理を教えてはくれないか?嫁達にばかり任せては、夫として失格だからな」 瞳を輝かせて素晴らしい台詞をさらりと言うが、お前はまだ独身だろ。「あのなぁ……。そうやって理想を語るのは悪い事ではないが、複数の相手へ同時に結婚を申し込むのは失礼じゃないか?」 溜め息を吐きつつそう言うと、「……そうなのか?」とシュバルツがきょとん顔をする。ルスもちょっと困り顔になってこくりと頷いた。「えっと、ワタシの暮らしていた世界では一夫一婦制の地域が圧倒的に多かったらしいから、正直理解に苦しむ、かな」 ルスの発した『らしい』という言葉が妙に引っ掛かったが、そこに触れる前にシュバルツが「そうなのか。ボクの暮らしていた世界ではそれほど珍しいものではなかったから、そういう感覚は失念していたな。——すまない」と、また素直に謝ってきた。「……まぁ、アンタの元の世界と同じく、この世界でも複数の者との婚姻は公式に認められてはいるし、アンタの行動は間違っちゃいない。……ただ、『相手を選べ!』とは思うけどな」 独身であるマリアンヌに結婚を申し込むのはまだいい。所詮は他人事だし。だけど、愛情の無い仮初の関係だとはいえ、『結婚している』と宣言している僕らにするのは止めてくれ。(事実婚のままじゃなく、早めに届出の方もやっておくか)「そうか……ボクなりの誠意のつもりだったんだが、迷惑だったのかな」 「誠意?」 複数への同時求婚が何故に誠意を示す事になるのだと思いながら、不思議そうな顔をしているルスと共に、夫婦揃って首を横に傾げた。「これは完全に私事なんだけど……。——ボクの父親は、そりゃもう気の多い人でさ」 「だろうな」 シュバルツの言葉をぶった斬るみたいにツッ
last updateLast Updated : 2026-02-12
Read more

【幕間の物語①】伝書鳥①

 存在自体が嵐のようなシュバルツが自分の部屋に戻り、ルス達の部屋の中に平穏が戻ってきた。 『リアンはどうしているのかな?』と思い、ルスが弟の部屋を覗いてみると、彼はペットベッドの上で丸まって寝ていた。腹が満たされ、昨日と同じく今日も天気が良いから、窓から差し込んでくる春の日差しの心地良さには抗えなかったのだろう。 今日は朝食を食べ終えたら直ぐにリアンを保育所に預けて、ルスは討伐ギルドに行くつもりだったのに、ぐっすり眠っている赤子を抱え上げてしまうのは流石に忍びない。抱えても起きないかもしれないが、起きた時に、自分の部屋じゃないって状況は結構怖いだろうなと思うと、ルスは眠るリアンに触れる事が出来なかった。「保育所には午後から預けたらどうだ?伝書鳥を送って連絡しておくから、今はゆっくり寝かせてやるといいよ。『寝ていても、抱えて無理矢理連れて来い』とは流石に言わないだろ」 ルスの返事を待つ事なくスキアが自分の伝書鳥を呼び出す。何処からともなく漆黒の塊が現れ、背の高いスキアの肩にドンッと乗った。首回りには半透明な魔法陣が細いチョーカーの様にぐるっと巻きついていて、この『烏』は野鳥ではなく、スキアの所有している伝書鳥である事を主張している。「……八咫、烏?」 スキアの肩に乗る濡羽色をした真っ黒な烏の足は三本あり、普通のカラスよりも随分と大きい。スキアにかなり懐いているみたいで、呼び出してもらえた喜びを示すみたいに頭を彼の頬に擦り寄せている。「へぇ。コイツは、ルスの世界ではそういう名で呼ばれているのか?」 「あ、うん、多分。確か神話に出てくる鳥らしいから、実際には会えないけど」 「そうか。随分と大層な存在にされている世界があるんだな、お前は」と言い、スキアが『八咫烏』に酷似した鳥に顔を近づける。するとその烏は彼の鼻先に頭をコツンとぶつけた。そんな様子を前にしたせいで、リアンがきっかけで、すっかり動物好きになっているルスは『可愛い!』としか考えられなくなる。世の尊さの全てがこの瞬間に集約されている気さえしてきた。 「ねぇねぇ、その子の名前はなんていうの?」 スキアの服の袖を軽く引っ張り、 尻尾を振りながらルスが訊く。「名前?」 「うん、名前」 「あー。……ない」 「ナイ君?」 「あ、いや。つけていないんだ、名前は。今までずっと
last updateLast Updated : 2026-02-16
Read more

【幕間の物語①】伝書鳥②(ヤタ・談)

 今回の契約者から、何処かの言葉で『影』の意味を持つ“スキア”という名前を貰ったオレの御主人の命で、御主人の義弟となった少年が日々通う保育所まで久々に伝書を運んできた。昔と違って今は手紙ではなく、足首に着けている、魔法石を加工した装飾品に声を封じ込めて運ぶ。だけど昔からの名残で、オレ達の呼び方は『伝書鳥』であり、魔法石で運ぶ音声も『伝書』と表現するままだそうだ。 伝書鳥としてきちんとした仕事は久しくやっていなかったが、地図は頭の中にばっちり入っているし、そもそも難しい仕事ではないので難なく無事に終える事が出来た。後はもう、御主人の元に帰還するだけだ。 同種族よりも大きな翼を広げて空を飛び、御主人の憑依先となった者の住む賃貸住宅群の一室に戻ろうとした。その後はいつも通り、御主人の領域である影の中に潜り込み、次の呼び出しを待って眠る事となる。どうせ起きていても、やりたいこともなし。いつも通り御主人の一番近くで過ごすだけ——と思っていたのだが、ふと目的の部屋のすぐ側の木に目が止まった。周囲に植えられている他の木からは少し離れていて、御主人が居座っている部屋から随分近い。室内への日差しを遮らず、でも近くの道路を通る人々からの視線を避けられる絶妙な距離だ。 そんな位置に植えられている木の枝から、ズモモモモッと不穏な音でもしそうな空気が漂っている。生き物の気配は一匹しかないからきっと、御主人の名義上の嫁となり、オレの名付け親にもなった“ルス”っていう奴の伝書鳥である、“ユキ”がそこにまだ居るのだろう。(……良い事を思い付いたぞ) 気が変わり、少しだけ目的地を変えてみることにした。意気揚々とユキの側まで近づいて視界に入った枝に留まってみる。するとユキは、早々にオレの存在に気が付いて、呪いでも掛けてきそうな視線をこちらに向けてきた。「……よくまぁ堂々と、アタチの前に顔を出せたものでちね。この、泥棒鳥めっ!」 ずんぐりとした、白い面積の多い小さなボディが真っ黒な空気を纏っている。どう見たって何故かすごく怒っているんだが、理由がさっぱりわからない。『オレが何かしたか?』と思い、オレは首を横に傾げた。「ちらばっくれる気でちか⁉︎とんでもない鳥でちね!体だけじゃなくって、心まで真っ黒でちな!」 小さな嘴でギャーギャー喚き、ずんぐりとした体をボワッと膨らませて威嚇してくる
last updateLast Updated : 2026-02-18
Read more

【幕間の物語①】伝書鳥③(ヤタ・談)

「——此処、は?」 小さな頭を左右に振って現状を理解しようと必死になっているユキの前に立つ。だけど御主人から与えられたこの空間は万物の影の中の存在する為、真っ暗で何も見えないから、ユキはすごく不安そうだ。左右どころか上下すらもわからなくなるくらいの闇に囲まれる経験なんか、きっと彼女は一度もないだろうから当然か。「オレのプライベートな空間だよ」と声を掛けながらお互いの姿を認識出来る様に空間をいじる。するとユキは、オレの声を聞いた途端、真っ黒な丸い瞳をキッと吊り上げた。「グギギギッ!やっぱりお前が何かしたんでちね⁉︎この外道がっ!」 強気に叫んではいるが、どうやら烏であるオレの姿はどうしたって背景に溶け込んでしまうみたいで、ユキは小さな瞳を細め、右往左往しながら必死にオレの姿を探したままだ。『声はすれども姿は見えず』状態なのか、白い体をプルプルと震わせている。「目の前に居るって」 「ぎょわぁぁぁぁー!」 ツッコミをいれるみたいに彼女の頭を羽先で軽く小突くと、断末魔にも近い悲鳴をあげられてしまった。 口は相当悪いが、心根はかなりの臆病者なのだと改めて実感する。弱い自分を守る為に全方位に喧嘩を売るとか、馬鹿馬鹿しい行為なのでやめた方がいいぞとは思うが、ユキがこのまま孤立してくれるなら、それはそれで喜ばしくも思う。「騒ぐな騒ぐな」 嘴で優しく毛繕いを始めてやると、流石にちょっと気持ちが落ち着いたのか、習性には抗えないのか、すっかり大人しくなってくれた。うっとりと瞳を細めてされるがままになる姿は頭からパクリと喰らいたくなる程の愛らしさだ。(サイズ差的にも充分可能だが、我慢我慢っ)「互いの姿だけは見えていようが、このままじゃまだ真っ暗で怖いよな。此処はオレが御主人から貰った……そうだな、『私室』みたいな場所なんだ。基本、寝ている事が多いから暗いままだったが、望めば何でも思い通りにしてやれるぞ」 「望めば、何でもでちか⁉︎」 物凄い食らい付き様だ。何か叶えたい願いでもあるんだろうか?「じゃあじゃあ。ご、御主人ちゃまからバンバン仕事を貰いたいでち!届ける予定の伝書に埋もれてみたいでち!」 瞳を輝かせて、オレなら一生願わないだろうなと思う様な願いをユキが口した。 叶えてやる事は容易い。だがそれはあくまでもこの空間内だけでの話であり、外に出れば、望まな
last updateLast Updated : 2026-02-20
Read more

【第23話】記憶の整理・前編(スキア・談)

『失われていい命は、無い』 狂気じみた正義感を振りかざしながらそんな事を言う奴がたまにいるが、そんなのは理想論でしかないと僕は思っている。だって、死んだ方が世の為だと思える存在ってのは、どうしたって何処の世界にも少なからずいるからだ。 ソイツの両親の育て方が悪かっただとか、そもそも育った環境に問題があっただとか、本人も何らかの被害者だとか。確かにそういうものが理由で歪む者達も一定数はいるだろうが、そもそも魂の根底から腐っている者は、どんなに素晴らしい育て方をしようが、猛毒のまま育つ。上質な環境、健康な体、金銭的にも豊かで、心優しい両親や兄弟。そして気心の知れた友人達に囲まれていようが、存在するだけで害悪にしかならない者達を僕は今まで大量に見てきた。 ——ルスを産んだ母親も、そんなゴミクズの一人だ。       ◇ 僕が初めてルスの過去の記憶を『夢』という形で見始めてから数日の夜が流れていった。こんな事は初めてだ。今まで取り憑いた相手は無自覚に“記憶”を他人には見せまいと壁を作っていたから、こちらから気になった点をたまに覗き見るくらいだったのに。これではまるで、僕に『何か』を知っていて欲しいみたいじゃないか。(まさか、僕がルスの“家族”になったからか?) いやいや。まともな家族の定義や理想像すらも持ち合わせていない様な子供が? あり得ないなと、何度かぶりを振った事か。 今日見た記憶はかなり古いものだった。生後数日……下手したら、数時間後かもしれないと思うくらいに古い。バスタオルに包まれた赤子を腕に抱えた年配の女性がルスの瞳に何となく映っている。だが視界は狭いしぼやけているしでまともには機能していなかった。脳が辛うじて記録してはいるが、本人が意図的にこの記憶を引き出すのは無理だろう。当人には『覚えている』という感覚すらない、“脳の記録”の一片でしかないからだ。 寒くもないのに年配の女性の腕は震えている。受け入れ難い現実を前にして、驚愕しているのだろう。『——ど、どう言うことなの⁉︎この子は何なの、誰の子よ!』 年配の女性は、側にいるもう一人の女に向かって叫んだ。 赤子の視力では相手の顔が全く認識出来ない。『だからぁ、孫だってさっきも言ったじゃん。よかったねー孫の顔が見られて。コレって、最高の親孝行なんでしょぉ?よくやったってぇ褒めてもよくね
last updateLast Updated : 2026-02-25
Read more

【第24話】記憶の整理・後編(スキア・談)

『……泣いたらオムツの交換とミルク。泣いたらオムツの交換とミルク。泣いたらオムツの交換とミルク。泣いたらオムツの交換とミルク。泣いたらオムツの交換とミルク——』 ブツブツと、ルスの祖母が同じ言葉を何度も何度も何度も繰り返している。ぺたりと部屋の床に座り、細腕にルスを抱えてはいるが、瞳の焦点は虚で何処も見てはいない。これは生後半年程度は経過している時の記憶みたいだが、それ程大きく育っている様には感じられなかった。 祖母の年齢はわからない。が、心労と突然の育児負担で体を壊し、想像する年齢よりも相当老けて見える。ルスを押し付けられた日に仕事は辞め、数年前に他界した夫が残した死亡保険金を切り崩して、赤ん坊と二人で最低限の生活を送っているといった感じだ。 ルスの母親である澤口あかりのせいで、祖母には頼れる親戚はいない。あの自己中心的な性格のせいで、随分前に絶縁されてしまったみたいだ。娘の家出後もそれは続き、その時の経験で心を病み、友人も作れないまま今に至ったせいで祖母は完全に孤立していた。 相談相手もおらず、国の福祉などを頼るという発想にも行き着けないくらいに憔悴しきったルスの祖母は、この数ヶ月で完全に体まで壊し、更には現実から逃げるみたいに認知症まで患ってしまったみたいだ。ふらりと買い物に出て行っても同じ物を何度も買って来てしまうので、在庫ばかりが無駄に増えていったり、半日以上家に帰って来られなかったりする。自分が何かを忘れているという自覚は、かろうじて薄くはあるのか、家の中には忘れたくない事や大切な事を書いた付箋紙がそこかしこに貼ってある。ルスの面倒を見る事を最優先にしてはいても、しばらく泣いていることに気が付けない時もあったし、オムツの交換中にぼぉとしたまま動かなくなることもあった。 放心したり、意味もなく突然叫んだり、衝動的に物を壊したり、行方不明にもなる祖母の元。赤ん坊を育てるには最悪な環境ながらも、ルスはどうにかこうにか九歳になるかどうかの頃合いまでは祖母が必死に育てたみたいだ。だが、その間ルスは幼稚園にも学校にも行けなかった。そもそもルスは出生届からして出されていなかったのだ。 この世界には存在していない子供。  誰からも、名前すら与えられていない“ジェーン・ドウ”。  不憫で不遇な少女。 そのせいか、彼女は家から出た事も無く、
last updateLast Updated : 2026-02-27
Read more

【第25話】番報告(スキア・談)

 予想通り、ルスの作った朝食は前回と同じく、焼いただけの肉と千切ったレタスのサラダなどといった具合だった。でもまぁ今回は切ったトマトをレタスにのせて、追加でクルトンとチーズをトッピングしてあったから前よりも少しは上達……したと思っておこう。世の中には何度練習しても焦げた塊しか作れない程に壊滅的な料理の腕前の者もいるらしいので、ルスはまだマシな方と言えるな。 ルスが焼いた肉とレタスにマヨネーズベースの特製ソースをかけてからパンで挟み、サンドイッチに改造したあたりでシュバルツが今日も朝食を食べに来た時はぶん殴りたい気持ちになったが、家主であるルスが何とも思っていないみたいだったので、結局また今回も四人での食事となった。シュバルツから聞いた話だと、本当ならマリアンヌもこの朝食の席に参加したいらしいのだが、このタイミングでは山猫亭のモーニングセットの提供時間と被っている為、『仲間はずれだなんて酷いわっ!その時間は仕事だから、アタシだけ行けないじゃないの!』と言ってガチ泣きしていたそうだ。『嫁候補の機嫌を取る為にも、こっちで食事をするよりは山猫亭を手伝った方が喜ばれるんじゃないのか?』 シュバルツがマリアンヌを堕とせるとは思えないから、どうせ意味のない発言だと気が付いてはいても、此処に存在するだけで邪魔過ぎて、どうしたって言いたくなる。だがもうとっくにシュバルツもそう提案したそうなのだが、『貴族育ちの御坊ちゃまが突然来ても、忙しい中、ご丁寧に面倒見てあげる気なんかないわよ』と一蹴されたそうだ。  変な組み合わせでの無駄に騒がしい食事が終わった後。 早速僕とルスがリアンを保育所まで送って行こうとすると、『今日はボクに任せてくれないか?』とシュバルツに提案され、流れで送迎を頼む事となった。悪いからと二、三度ルスは断ったのだが、『義弟を送って行くくらい任せてくれ!』と義兄面してリアンを抱き上げた時は顔面に回し蹴りでもかまそうかと思ったのだが、結局は半ば強引に押し切られて今に至る。「大丈夫、かな。シュバルツはリアンの保育所の場所とか、ちゃんとわかるんだろうか?」 「問題ないだろ。ソワレは小さな町だから、保育所はまだ一箇所しかないしな。それに、念の為ヤタを同行させただろう?もしシュバルツが馬鹿をやって変な奴に絡まれても、あの子が対応してくれるさ。一羽だ
last updateLast Updated : 2026-03-03
Read more

【第26話】キッチンにて①(スキア・談)

 ヤタからの報告によると、ユキとはもう子作りに励んでいるらしい。二羽とも鳥だし、春は丁度繁殖時期でもあるから、番=交尾というのは自然な流れなのだろう。ただ、純真そうなユキの同意をちゃんと得ているとは思えないので、上手い事言って丸め込み、追い込んだに違いないが。(……羨ましい) そんな事を一瞬考えて、すぐにぶんぶんと頭を横に振る。そしてすぐに、善人の塊である“ルス”という名の猛毒の回りの早さを実感して背筋に寒気が走った。さっきは間抜けな笑顔を見て『可愛い』だなんて思ったし、ヤタ達の番っぷりを『羨ましい』と感じてしまうこの感情が煩わしくて仕方がない。 予想よりも、侵食が早い。 だけど、だからって今すぐ逃げるのは、正直悔しい。この肉体も、フェイスタイプが色気ダダ漏れなオッサンであるという点を除けば結構気に入っているので、起きてもいない事を先読みし、勝手に不安になって手放すには勿体ないという気持ちの方が強かった。今までの緩い遊びじゃなく、難易度の高い対象であるからこそ、ルスを選んで取り憑いたのだから、今更逃げてたまるか。(何とかギリギリまでとどまって、絶対先に、僕がルスを攻略してやる) じゃあ、その為には何をしたらいいんだ?さぁ、どうする。 真剣に今後の対策を考えても、食器を洗い終え、片付けも完了したルスの能天気な顔を見ていると、すぐにどうでもよくなってきてしまうのも非常にマズイ気がするが、彼女が傍に居ると気が散って仕方ないから、今はその不安からそっと目を背けておくことにした。 「ユキ達の番祝いは何をしてあげようか」 キッチンの作業台や洗い場をタオルで拭きながらルスが唸っている。全然何も案が浮かばないのは、一度もそういった経験が無いせいだろう。「プレゼントを用意して、果物と一緒に贈るとかでいいんじゃないか?相手は鳥な訳だし、パーティーだなんだと豪華にやっても騒がしいだけで嬉しくはないだろ」 「そっか。そうだね、そうしよう」 両の手をぐっと握って、ルスは二、三度うんうんと頷いた。すごく嬉しそうに口角が上がっている。誰でも思い浮かぶような簡単な提案だったのに、あの程度で本当に喜んでくれるのかと思うと、チョロ過ぎて不安になってくる。 ルスの背後から抱きつき、彼女の頭の上に顎を軽く乗せた。ぴんっと伸びた獣耳が両頬に当たって少しくすぐったい。「なぁ、良案
last updateLast Updated : 2026-03-05
Read more
PREV
1234
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status