一方で、聖山朝霧は、北嶺山地に暮らす人々にとって心の聖地とされる場所だ。もともと明日香には聖山を守るという特別な使命があった。かつて恋を知ったばかりの明日香は愛というものに甘い夢を抱いていた。その結果、彼女は使命を投げ出し、迷わず北嶺山地を出ていってしまった。だが愛とは身を蝕む猛毒であり、心を食い荒らす呪いだと後になって思い知しった。それは死ぬほど心痛ませるような苦しみなのだ。そして明日香は今どうにか迷いから覚め、破滅の淵で踏みとどまることができた。響音寺に戻ってきた後、彼女は仏の前でひたすらに懺悔した。自分の罪深さを噛み締め、残りの人生をかけて償っていこうと心に決めた。聖山へ籠もる直前、明日香は涼太に電話をかけた。どんなに泥沼の別れだったとしても、最後にきちんと言葉を交わすべきだと思ったからだ。少なくとも一度は、本気で愛し合った仲なのだ。だが、電話は繋がらなかった。呼び出し音の途中で、何度も切られてしまうのだった。それでもかけ続けると、長く待たされた末に、男は情けでもかけてやるかのように電話に出た。「明日香か。今空港だ、もうすぐ飛行機に乗る」涼太をイラ立たせたくない明日香は、とっさに早口になった。「どこへ行くの?」すると、霞の甘えるような声が聞こえてきた。「誰と電話してるの?もうすぐセキュリティーチェックよ」そして、涼太から嫌味ぽい口調でこう言われた。「霞とハネムーンだ。いちいち君に報告しなきゃいけないのか?」それを聞いて明日香はすぐに答えた。「ううん、報告なんていらないわ。よい旅を。楽しんできてね!」すると、涼太は気だるい声で答えた。「もう搭乗時刻だ。用がないなら切るぞ」明日香は喉を詰まらせながら言った。「涼太、お願い。最後に『さようなら』って言ってくれる?」その一言さえあれば、もう本当に終わりにできるから。だが、電話の向こうは、一瞬だけ静まり返った。5年も同棲していた仲だ。明日香の感情がわずかに揺れたことくらい、涼太には伝わったはずだった。そう感じて、彼は声を潜めて言った。「明日香、また何か企んでるのか?霞の手前、君の機嫌取りにつき合ってる暇はないんだよ」涼太は霞の相手で忙しく、明日香の気持ちなど構っていられなかったのだ。それを聞いて、明日香は嗚咽を必死にこ
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