All Chapters of 知らないまま、愛してた: Chapter 221 - Chapter 230

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8-23

「四連花の五枚目……それを、写真と一緒に盗んだのが白洲典正だと考えているのですね」重い話が続いたあと、戻ってきた石川先生から改めて説明を受け、ようやく話の全体像が見えてきた。ここでようやく、一息つけた気がする。「なぜ四連花は無事だったのです?」「偶然だよ。その頃、四連花は海外の美術館で展示されることになっていてね。通関手続きや輸送の関係で、僕の手元にはなかったんだ」なるほど。「つまり、五枚目だけがアパルトマンに残っていたんですね」「そうだ。五枚目は公開するつもりがなかったからね。だから、もし盗みに入ったのが白洲典正なら、写真を持っていても不思議じゃないし、おそらく絵も彼が持っている」可能性は高い。けれど、あくまで可能性だ。これだけでは警察は動かないだろう。「そこで考えたんだが……桔梗さん」石川先生が真っ直ぐ私を見る。「君の絵を描かせてもらえないだろうか」「え?」思わず声が裏返った。「私?」「そうだ」「嫌です! 困ります! そんなの……恥ずかしいです!」あんな絵を描くために?まさか私がモデルに?頭の中に例の写真が浮かび、顔が熱くなる。「そ、そうか……蓮司君を説得する方が大変だと思っていたんだが……実際かなり大変だったんだけど……」石川先生が困ったように呟く。私は固まった。そして。ゆっくりと蓮司さんを見る。「蓮司さん……私の、その……」言葉に詰まる。ええと、美術用語。確か――。「裸婦画です! 裸婦画なのに、蓮司さんは賛成したんですか!?」「……裸婦画?」蓮司さんがきょとんとする。そして次の瞬間、何かに気づいたように目を見開いた。石川先生も同じ反応をする。……本当に、この二人は似ている。「違う! 誤解だ!」「何がですか!? 私の裸の絵を描くことに賛成したなんて、信じられません!」「だから違うんだ!」「桔梗さん、本当に違うから」石川先生が慌てて割って入る。その様子に、少しずつ冷静さを取り戻した。……違う?だったら何を描くというのだろう。「僕が描きたいのは“母”だ」石川先生は静かに言った。「そして、その絵で白洲典正を呼び寄せる」部屋の空気が変わった。「白洲は五枚目を見て、“完成した”と思っているはずだ。だから、それを壊す」「壊す?」「五枚目は完成ではなかった。そう思わせるんだ
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8-24

「石川先生」それまで黙っていた蓮司さんが、不意に口を開いた。「どうしたんだい?」蓮司さんの声音に何かを感じ取ったのだろう。石川先生が静かに問い返す。「白洲典正は、自分が所有している絵の価値を守るために、六枚目を破壊しようとするのでは?」「その可能性は十分あるだろうね」石川先生はあっさり頷いた。その迷いのない肯定に、私は少し驚く。「彼は五枚目に執着している。描かれた女の時間を、あの一瞬を永遠に閉じ込めたつもりでいるんだ。だから更新は許さないだろう」そう言いながら、石川先生は柔らかく微笑んだ。「でも、自分が六枚目を手に入れられるなら話は別だ」「六枚目を……手に入れる?」「六枚目はオークションに出す」石川先生は当然のように言った。「文化財の国外流出防止を理由にすれば、落札は国内でのみ、参加資格も日本国籍保有者に限定できる」「現地開催なら、事実上の渡航制限を受けている白洲典正は参加できません」「だから条件を用意するんだ」石川先生の目が細くなる。「白洲が条件を満たした場合のみ、日本への入国を認める」「条件とは?」「五枚目を持ってくることだ」静かな声だった。けれど、その一言に確かな罠が込められている。「まず、吉川凛花さんが持ってきた写真を使って、白洲に問い合わせる。『君は僕の絵を持っていないか』とね」「当然、否定しますね」「もちろん」石川先生は肩をすくめた。「でも、それでいい。大事なのは、僕が疑っていることを白洲に知らせることだから」その上で六枚目を公開する。だが白洲は日本へ来られない。オークションにも参加できない。実物を見ることすらできない。「そこで僕が囁くんだ」石川先生は穏やかに笑った。「桐谷家に口利きしてあげよう、とね」「信じますか?」「信じるよ」即答だった。「僕と桔梗さんが親しいことは周知の事実だからね」なるほど。白洲からすれば魅力的な話だ。「でも、その条件で本当に五枚目を持ってきますか?」「持ってくる」石川先生は断言した。「絶対にね」その口調には確信があった。「六枚目との公開前の対面を許可する。それだけで十分だ」蓮司さんが眉をひそめる。「そういえば、オークションということは、白洲典正でなくても誰かが桔梗の絵を所有することになるのでは?」「そうなるね」石川先生はあっさり
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8-25 side蓮司

情景描写が美しく、特に「四連花」と桔梗を対比させる流れがとても良いです。推敲では、①比喩を少し整理して読みやすくする、②蓮司視点らしく桔梗への感情を濃くする、③終盤の「桔梗ではない/俺の桔梗は隣にいる」というテーマを際立たせる、という方向で調整しました。閉館後の美術館は、昼間とはまるで別の建物だった。「桐谷蓮司様ですね」影の中から、美術館の制服を着たスタッフが静かに姿を現す。「どうぞ、こちらへ」入口で護衛たちと別れ、俺はスタッフの案内に従って西翼へ向かった。「お連れ様は中でお待ちです。ここから先は、お一人でお進みください」スタッフは一礼すると、音もなく影の中へ消えた。人の気配がなくなった途端、美術館全体が息を潜めたように静まり返る。いや――緊張しているのは俺のほうか。 ギィ……重い扉を開く。蝶番が鈍く軋んだ。一歩踏み出せば、革靴の足音だけが静寂の中に響く。普段なら気にも留めない音が、やけに大きく聞こえた。ゆっくりと奥へ進む。そして、不意に足が止まった。ガラス扉の向こう。照明を落とした展示室の入口が、夜の水底へ続く入り口のように暗く沈んでいる。胸の奥が、かすかに鳴った。――いた。暗い水の中に咲く花のようだった。桔梗がわずかに身じろぎするたび、淡い生成り色のドレスの裾がふわりと揺れる。花にも見える。けれど、どこか長い鰭を持つ魚にも見えた。ガラス越しだからだろうか。まるで水槽の中を泳ぐ生き物のように、ドレスが静かにたゆたう。華やかではない。煌びやかな宝石もなければ、目を引く装飾もない。それなのに、桔梗は輝いていた。化粧は控えめ。髪もすっきりとまとめているだけ。最小限の装いだからこそ、かえって桔梗自身の美しさが際立っている。自分がどれほど綺麗なのか、桔梗は分かっているのだろうか。俯いていた桔梗が顔を上げた。視線が合う。 カツンヒールが床を叩く音が、ガラス越しに届いた。俺は扉を開ける。空気が変わった。ほんのりと漂う香り。熟した果実を思わせる深みのある甘さ。その奥に、微かな渋み。落ち着きと静けさを感じさせる香りだった。信仰深い人間ではないが、どこか寺院のような静謐さを思わせる。「なんの香りだったかな……」「……蓮司さん?」首を傾げた桔梗を見る。その白いドレス姿に、子どもの頃に見た親戚
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8-26

四枚の絵の前を、ゆっくりと歩く。もう桔梗と歩幅を合わせる必要はない。互いに意識しなくても、自然と同じ速度になる。俺たちの間に会話はなかった。けれど、沈黙は重くない。同じ空気を共有しながら歩き、やがて部屋の端へ辿り着く。そこに扉はなかった。ただ、次の空間へ続く入口だけが口を開けている。歓迎するような開き方ではない。むしろ、ぽっかりと闇が口を開き、その奥へ誘い込むような不穏さがあった。自然と喉が鳴る。一度唾を飲み込み、足を踏み出した。次の空間には何もない。照明も極端に落とされ、細い通路だけが続いている。隣で桔梗が僅かに息を潜めた。「……ここ、やっぱり変ですね」そう言って、桔梗が俺の腕を軽く引く。立ち止まると、そのまま腕に体重を預けてきた。見ると、桔梗は不思議そうにハイヒールの裏を見つめている。気持ちは分かる。俺も同じ違和感を覚えていた。「変なものを踏んだような感覚がします」「わざとだろうな」特殊な床材なのだろう。足音がほとんど響かない。壁も床も暗く、距離感さえ曖昧になる。振り返れば、先ほどまでいた展示室が遠く感じた。四連花が並ぶあの空間が、急に過去へ押し流されたような気がする。「ここが、五枚目の場所なんでしょうね」「だろうな」歩いている感覚は希薄だ。それなのに確実に進んでいる。視界の端にあった淡い灯りが、一歩ごとに背後へ流れていく。桔梗の指先に力がこもった。「怖いか?」「……少し」桔梗は小さく答える。「多分、ここにいる母が、私には理解できないからだと思います」「やっぱり、浮気していたことが引っかかるか?」「そうではなくて……」桔梗は少し考えてから言葉を続けた。「私にとって母は母なんです。だから、女としての母に違和感を覚えてしまうんです」……女としての母。なるほど。俺が感じているこの居心地の悪さも、似たようなものかもしれない。あの絵の女性は桔梗に似ている。だが、桔梗ではない。そこにいるのは、桔梗ではなく一人の女だ。だから落ち着かない。「先を急ぐか」俺は苦笑した。「正直、俺もここはあまり居心地が良くない」桔梗も小さく笑う。「そうですね」通路の先には淡い光が見える。そこへ向かって歩き出した。今度の入口も開いている。だが先ほどよりさらに狭く、二人並んでは通れない。
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8-27

「なるほど……これが、芸術か」「蓮司さん?」「確かに、素晴らしい作品だ」俺が調べた限り、石川先生の新作であり、《四連花》の“続き”とされるこの作品には、相場の五倍とも言われる予想価格がついている。高値になるとは思っていた。だが、そのオークション予想額は、俺の見積もりをはるかに上回っていた。親戚連中からはいまだに洟垂れ小僧扱いだが、それでも数字の重みくらいは理解できる。資産価値、ブランド価値、話題性、希少性。すべてが積み上がった結果が、この価格なのだろう。購入候補として噂されているのは、石川先生自身も予想していた大手美術館だ。桔梗がモデルだから惜しいという気持ちと、桔梗をモデルにした作品が未来永劫美術館に残ることへの誇らしさ。その二つが胸の中でせめぎ合う。六対四で、惜しい気持ちのほうが強いだろうか。「……俺の妻の絵なんだがな」愚痴のような自分の声に、思わず笑いそうになる。投資として考えれば、俺が所有するのは損だ。美術館に収蔵されれば作品の格はさらに上がる。それに、この絵を見るまでは惜しい気持ちが九割を占めていたが、実際に目にした今は不思議と落ち着いていた。「……よかった」「蓮司さん?」桔梗が不思議そうに首を傾げる。「この女性は、俺の桔梗じゃない」途端に桔梗の頬が赤く染まった。子どもが二人いて、互いの気持ちも何度も伝え合っているのに、まだ慣れないのだろうか。別に不満ではない。照れる桔梗は可愛いから、純粋な疑問だ。「でも、惜しいんですか?」「それはまあ……桔梗がモデルだと分かっているからな」「まあ」「笑うな」少し拗ねたように言うと、桔梗はくすりと笑った。そして、「少し待っていてください」そう言って部屋の隅に設置された内線電話を取り、「あれをお願いします」と短く告げた。しばらくすると、最初に案内してくれた美術館スタッフが平たい箱を抱えて戻ってきた。「あらっ」受け取った桔梗の体がふらつく。予想以上に重かったのだろう。俺は慌てて箱を支え、戸惑うスタッフに大丈夫だと伝えた。「それでは失礼いたします」スタッフが去るのを見送ってから、俺は箱に視線を落とす。簡素だが、丁寧に仕立てられた木箱だった。「桔梗、これは?」「石川先生にお願いしていたものです」「……?」「モデル料としていただいたんです」桔梗
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8-28

美術館を出ても、しばらく俺は夢の中にいるような気分だった。夜の街は相変わらず賑わっているはずなのに、その喧騒は遠い。意識に残っているのは、隣を歩く桔梗の存在だけだった。美術館スタッフから預けていた車の鍵を受け取り、エントランスへ回された車まで桔梗をエスコートする。桔梗もまだ余韻の中にいるのだろう。足取りはしっかりしているが、どこか現実感が薄く、ただ静かに俺の後についてきていた。バタン――。助手席のドアが閉まる音が、妙に大きく響く。白いドレスに包まれた桔梗は、大輪の花のようだった。運転席に回り込み、シートに腰を下ろす。自然と視線が合った。桔梗も、俺を見ている。だが、その瞳はまだどこか遠くを見ているようだった。現実から半歩だけ離れた場所にいるような、不思議な表情。「……帰るか?」問いかけながら、自分の声が少し低いことに気づく。そして、その問いに本当は答えを求めていないことにも気づいた。いや、違う。答えが分かっていたから聞けたのだ。桔梗の瞳の奥に、柔らかな熱を見つけてしまったから。「……帰りたく、ないです」小さな声だった。だが、迷いはなかった。俺は静かにエンジンをかける。重低音が車内に響き、桔梗の肩がわずかに震えた。それには触れない。サイドブレーキを解除し、アクセルを踏み込む。いつもと変わらない動作。だが今日だけは、一つひとつ確認するように慎重だった。車は静かに走り出す。向かう先は、自宅とは反対方向。桔梗は何も聞かなかった。どこへ向かうのかも。なぜそこへ行くのかも。ただ静かに助手席に座っている。それでも、彼女の緊張は伝わってきた。指摘する気にはなれない。からかうなど論外だ。今の空気は、ほんの些細な言葉一つで壊れてしまいそうだった。*「……ここ……」目的地に着き、桔梗がかすかな声を漏らした。その声に滲む戸惑いに気づきながらも、俺は気づかないふりをする。ここは、俺たちが最悪の出会いをした場所だった。桔梗にとっては思い出したくもない場所。俺にとっても、決して気持ちのいい記憶ではない。だからこそ、これまで二人とも意識して触れないようにしてきた。それでも今夜、俺はここを選んだ。過去を消すことはできない。記憶を書き換えることもできない。だが、新しい記憶を重ねることはできる。そう思った
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141(※)

自然と、口づけは深くなる。最初の頃は唇を恥ずかしそうに薄く開くだけだったが、今の桔梗は自分から求めるように唇を開き、舌を根元まで絡ませてくる。桔梗の甘えるような声は、静かな部屋に溶け、俺の脳を溶かす。俺は手を伸ばし、桔梗の頬に触れる。驚くほど、温かい。俺の手に、桔梗が頬を擦り寄せる。甘える仕草に、心が痺れる。 桔梗の髪に刺さったピンを抜いていく。一本、一本、丁寧に。纏めた髪が解けるたびに、桔梗が対外的なものではなく、俺だけのものになっていく気がする。「痛くないか?」「大、丈夫……あと、一本だけ」これだと言うように、桔梗が顔を傾けてみせる。黒曜石のように煌めく金属を、ゆっくりと抜く。桔梗の体から力が抜ける。気持ちよさそうな吐息が、桔梗の唇から漏れ出て、俺の背中がぞくりと痺れる。桔梗の髪が柔らかく解けて広がり、柔らかな表情を浮かべる桔梗の髪を縁取る。「蓮司さん……」桔梗が、笑う。まるで、花の蕾が、綻ぶようだった。 俺の忍耐力を試すような、桔梗の背中にズラリと並んだ小さなホックの最後の一つを外した。「待って……」胸元に手をかけると、桔梗が待ったをかけた。乳白色の双丘を名残惜しく思いつつ、桔梗の顔を見れば戸惑った顔。「あの、電気……」「眩しいか?」桔梗は首を横に振ってそれを否定した。「明るくて……恥ずかしい……」桔梗が、横を見る。室内の照明を反射して、鏡面のようになった窓ガラスに、重なる男と女が映っていた。これから交わるのだと、男の目元が赤いのは興奮しているからだろう。男の体の下にいる女の顔は、逆上せたように薄紅色に火照っている。……見せつけてくれる。「こちらも、見せつけてやろう」他人に行為を見せる趣味など俺にはなかったが、この女は俺の女なのだと知らしめたい気持ちがいま分かった。ドレスの胸元を下にずらせば桔梗が驚いた声を上げ、ふるりと震えながら桔梗の胸が現れる。茉白の影響で、甘いミルクの匂いがする。茉白を産んだあとの桔梗との性行為は、子どもが二人いる都合で回数や頻度は当然減ったが、それなりの回数を重ねて、注意するところもなんとなく分かっている。強い刺激は痛みになるので、先端を優しく指で抓む。指の腹で擦り上げれば、桔梗の甘い声が漏れ出ると同時に、触れている部分が湿る。指先のベタつきに、桔梗が俺
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142(※)

蓮司さんとの性行為には、慣れたはずなのに。蓮司さんが体の中に入ってくる感触にはいつも、どこか、戸惑いのようなものを感じてしまう。息苦しさと、充足感。多幸感と、気恥ずかしさ。 くちゅり探るようなゆっくりとした動きは、私の感覚を研ぎ澄ますのか。つながる場所が奏でる水音は、いつもクリアに私の耳に届く。そこが濡れていることは、指で解されながら蓮司さんに指摘されたし、私自身も自覚している。求めている。欲している。蓮司さんを。私が。感じているのだと知らしめる声があがる。体が勝手に震える。一定のリズムで揺すられることに慣れてくると、それを察知して蓮司さんが変化を与えてくる。深さを変えたり。速度を変えたり。蓮司さんが私の中をこすり上げる感覚。ゾワゾワっと熱が拡がる感覚に、声があがる。蓮司さんの、口角があがる。悪戯が成功したような、子ども染みた笑い方。……大人なことをしているのに。ギャップに、悶えてしまう。「……桔梗っ」蓮司さんが、顔を歪めて、切なげな声を漏らす。色っぽくて……。「絞め……す、ぎ……」ゾクッとしてしまう。「なんて、表情を……」……表情?どんな、顔をしているの?「くそっ」蓮司さんの腕が背中に回ったと思った瞬間、ぐっと引っ張られて、世界が急転する。体の奥深くまで蓮司さんが入り込んでくる感覚。衝撃を逃したくても、蓮司さんに肩を抑え込まれていては無理で、私はそのまま強い刺激を甘受する。世界が、白く瞬く。体中の筋肉が動いているのに、全く動けない。 .気づけば蓮司さんの肩に頭を預けていて、宥める様な手つきで蓮司さんに背を撫でられていた。ゆっくりとあやすような規則的な動きに、呼吸が落ち着いてくる。深呼吸しよう。そう思ったら……。「ふぅ……」蓮司さんに、先を越された。……私も、別にすればいいんだけど……。「桔梗?」タイミングを逃した、悔しさみたいなものが湧いてきて、目の前の太い筋が浮いた蓮司さんの首に唇でくわえ、歯を立てる。蓮司さんの体が、ビクッと震えた。私の中で蓮司さんが大きくなる。中を広げられる感覚に、腰が戦慄く。……熱い。「ふはっ」燻った熱を呼吸で逃がして、噛んだ場所を確認しようと目を開ける。蓮司さん越しに、ガラスに映った女性と目が合った。上半身は、はしたないほ
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143|蓮司×桔梗(第1部)最終話

目が覚めた。どれくらい、眠っていたのだろう。分からない。いつ、眠ったのかも、分からない。 .しばらくぼんやりしていたら、静けさが気になった。無音ではない。耳をすませば、かすかに空調から送られてくる風の音と、規則正しい呼吸が聞こえる。……呼吸。それが誰のものかを、目で確かめる必要はない。―― 俺だけを知っていればいい。うん、私は蓮司さんしか知らない。背中に触れる熱も、肩に回された腕も、指先を絡める掌も、蓮司さんしか知らなくていい。蓮司さんの温もりに頬を摺り寄せると、タオル地に触れた。私も、蓮司さんも、バスローブを着た状態でソファに横になっている。体を動かすと、革張りのソファがわずかに軋んだ。その音に、昨夜の行為が思い出される。抱き合うごとに熱が増し、熱さを払うように互いの着衣をはいでいった。覚えている最後は、全ての服を床に脱ぎ散らかして、裸の体を絡ませていた。目だけ動かして見えるソファの周りの床には、何もない。鼻をひくつかせても、少し汗のにおいはするものの、甘い花の香りと森の匂いが混じって薫るだけ。髪や顔からも、整髪剤や化粧品の重みは感じない。……お風呂に、入ったのだろうか。いつの間に……どうやって? .「……どうした?」すぐ近くから、低い声。少し掠れた蓮司さんの声の色っぽい響きと、昨夜のあれこれを思い出していた疚しさから、慌ててしまい、表情を作れないまま蓮司さんを見てしまった。蓮司さんは、こちらを見ていた。まだ夜の名残が残り、部屋の中は薄暗い。顔が熱いから赤くなっているだろうけれど、これならバレることはないだろう。「……おはようございます」蓮司さんの目が少しだけ大きくなって、次の瞬間優しいものになる。「おはよう」短い言葉。
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【第九章】

「若奥様、今朝は随分とご機嫌ですね」桐谷家に通いで来ている岸谷さんの言葉に、私はハッとした。恥ずかしい。顔が熱い。「コ、コーヒーを持っていかないと」あたふたとトレーにコーヒーを淹れた蓮司さん用のマグカップをのせると、岸谷さんがもう一つ、私用のマグカップ、こちらはカフェオレ入り、を置いた。「本日の若旦那様は遅めの出社と聞いております。お二人でどうぞごゆっくりなさってください」「……ありがとう」どうやら、私が浮かれているのは、今朝の蓮司さんは長く家にいるからだと思われているみたい。それも嬉しいから間違いはないのだけれど……どちらにしても、浮かれているのはバレてしまっているのだから恥ずかしい。ダイニング入ると、大きな窓から差し込む朝日が、長いテーブルの上に明るい線を描いていた。光は私の手元にまで届き、カップの縁が淡く光る。「桔梗」蓮司さんが読んでいた新聞から顔をあげた。ふたつのマグカップを持って蓮司さんの隣にいくと、蓮司さんが新聞の角度を変えて、先ほどまで自分が読んでいた記事を見せてくれた。「“石川明梗の新作 時を超えて四連花に終止符”……ですか」写真には石川先生と、新作となったあの絵。「随分、大きく扱われましたね」自分がモデルになって、この絵が美術館の展示室に飾られたところも間近に見たけれど、やっぱり……。「蓮司さん?」低く唸る蓮司さんの声に、思考が途切れた。「予想以上だな」“なにが?”と思って首を傾げたら、蓮司さんが記事の一文を指さした。【四連花の続編とされる本作は、母性と普遍性を兼ね備えた傑作。すでに国内外の美術館が購入に名乗りを上げている】「……これはもう、五倍どころじゃないな」「でも、これは日本国内に限定するって話だったのでは?」「“所有”の場合はそうなるのだろうが、その辺りは美術館特有の抜け道があるのだろう」「……そう、なんですね」思わずうなると、蓮司さんが首を傾げた。「なにか?」「いや……なんか……他人事だな、と思って」他人事……。その表現が、的確なのかもしれない。「この絵の女性は、やっぱり“私”ではないなって」迷いなく、私はそう思う。「一応は私がモデルなので、知らない誰かの個人所有にされるのはちょっと……だから、誰のものと明確に言えない美術館が丁度いいんです」「……石川先
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