《知らないまま、愛してた》全部章節:第 241 章 - 第 250 章

274 章節

外伝1-4

夢中でクレヨンを握った。でも、足りなかった。色が全然足りない。もっと暗い灰色がほしい。もっと乾いた白がほしい。もっと冷たい青がほしい。思った色が出せなくて私は泣いた。泣いてお願いなんて、思い出すだけで恥ずかしい。でも、その甲斐あって36色の色鉛筆を買ってもらったときに私は世界を手に入れた気がした。色にはこんなに名前があるのだと知った。でも、それでも足りなくなった。サンタクロースを信じなくなっていた頃、それでもヨッシーはサンタの格好をして現れた。白い付け髭を斜めにずらしながら、「どうだっ」と得意げに差し出したのは120色の色鉛筆だった。箱を開けた瞬間、私は息を止めた。見たこともない色が並んでいた。灰色だけでも何本もある。青にも冷たい青と温かい青がある。嬉しくてたまらなかったけれど、描き始めてまた泣いた。今度は、色が増えたのに描けないことが悔しかった。頭の中には確かにある。それなのに、手が追いつかない。色が感情に届かない。カノンとヨッシーは、「今度は何!?」という顔で慌てていた。そして結局、「絵のことだから」という理由で石川先生が呼ばれた。いま思うと、人間国宝級の画家を子どもの癇癪で召喚する二人もどうかしている。でも先生は「何があったの?」くらいの気軽さで来てくれた。泣きじゃくる私の話を最後まで聞いてくれた。「自分の絵では満足できないんだね」先生はそう言って頷き、それからカノンに紙とペンを持ってくるよう頼んだ。そしてカノンが持ってきたのは、ボールペンと、私が小学校から持ち帰ったプリントだった。裏面が白かったからだと思う。先生はその裏へさらさらと線を描いた。迷いのない線だった。人物の輪郭。風の流れ。たった数分で現れたその絵に、私は夢中で色を塗った。完成したものは、今でも額に入って家のリビングに飾られている。よく見ると裏側に「給食だより」の文字が透けて見えるのが残念なところだ。――何かメモするんだと思ったのよ!カノンは今でもそう言い訳している。.それからずっと、私は白い世界へ色を置くことに夢中になっている。カノンの友だちの桔梗ママが私の色使いを気に入ってくれたことをきっかけに、話は一気に広がった。動画配信。配信用アート。ライブ制作。気づけば、人気配信者を何人も抱える折々舎とつながって
last update最後更新 : 2026-05-08
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外伝1-5

「ナータ」深く呼吸をして、胸の奥に残っていた緊張がようやく静まった頃。工房の戸口から呼ばれた。低くて、少しだけ甘さのある声。その呼びかけだけで、私は誰が来たのか分かる。タイミングを間違えていないのも、彼らしいと言えば彼らしい。邪魔していないという確信に満ちた呼び声であることも。版から和紙を剥がし終えるまでは絶対に邪魔をされたくない。だから彼は、私が集中しているときには不用意に声を掛けない。そのくせ、終わる瞬間だけは妙に正確に察知する。ちょうどいいタイミングだなと思う反面、相変わらず妙な自信家だな、と苦笑したくもなる。.ふうっと息を吐いて、戸口を見る。私より一つ年上の幼馴染、桐谷誠司が立っていた。母屋のほうから差し込む夕方の光が、彼の背後を淡く照らしている。逆光の中に立つ姿は、少し前まで一緒に走り回っていた男の子ではなく、もう完全に一人の青年だった。肩幅が広くなって、背も高い。制服の上からでも分かるくらい体つきがしっかりしている。それなのに、着ているのは私が見慣れた高校の制服。そのことに私は毎回少し安心する。誠司も学生なのだと思うと、まだ置いていかれていない気がする。「やあ、誠司」「こんばんは、先生」石川先生へ向ける誠司の声は柔らかかった。私に対しても十分柔らかいのだけれど、石川先生の前では少し違う。肩の力が抜けていて、どこか幼く見える。よく「祖父と孫みたいだ」と言われる二人だけれど、本当にそういう空気が流れていた。石川先生も誠司を見る目がどこか孫を見るそれに近い。「夕方の風は冷たい。中に入って待っているといい」「お邪魔します」親しき仲にも礼儀ありとでも言うのか、誠司は自然な動作で頭を下げる。その仕草が妙に綺麗で、私は内心で感心する。流石、桔梗ママと蓮司さんの息子。育ちの良さというのは、こういうところに出ると思う。風に揺れる制服の裾さえ、なぜか優雅に見えるのだから不思議だな。いつものことだけれど、本当に絵になる人だと思わされる。あいにくと、私に人物画の才能はない。でも石川先生は、誠司をモデルに何枚か作品を描いている。以前、そのうちの一枚を見せてもらったことがあった。障子越しの光の中に立つ誠司が描かれていた。現実より少し静かで、大人びた雰囲気の誠司が絵の中にいた。石川先生によると、誠司の先
last update最後更新 : 2026-05-09
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外伝1-6

「ちょっと待っててね」私は完成した和紙を両手でそっと持ち替えた。まだ湿り気を帯びている紙は、少しの力加減で表情を変えてしまう。乾燥棚へ静かに掛けると、ようやく肩の力が抜けた。これで、本当に終わり。私は小さく息を吐く。達成感がある。同時に、悔しさもある。もっとできた。あそこは色を抑えられた。あの滲みは防げた。完成した瞬間ほど、自分の未熟さが鮮明に見える。でも、その未熟ささえ少し名残惜しいと思ってしまう。もっと触れていたかった。もっと色を重ねたかった。そんな感情が胸を掠める。「ゆっくりでいいよ」誠司が静かに言った。その一言に、私は思わず笑う。版から紙が離れてしまえば、もう何もできない。描き足すことも、やり直すこともできない。だからこそ、最後まで集中していたかったのだと、誠司はちゃんと分かっている。.「手を洗ってくるね」私がそう言うと、誠司は軽く頷き、そのまま石川先生の近くへ歩いていく。そして自然に会話を始める。やっぱり祖父と孫みたいだ。誠司には、ちゃんと血の繋がった桐谷のおじい様がいる。でも石川先生は、「祖父は二人くらいいるものだから、自分もその一人でいいだろう」と勝手に言っているらしい。ちなみに、誠司のお母さん――桔梗ママのお父さんは、その枠に入っていない。桔梗ママ自身が全力でその人を除外している。以前、興味本位でカノンに「どんな人なの?」と聞いたことがある。すると返ってきたのは、人間の説明ではなかった。――黒くて、素早くて、しぶとくて、見つけたら全力で駆除したい存在。完全にゴキブリの説明だった。しかも最後には、「もし遭遇したら痴漢ブザーを迷わず鳴らして逃げなさい」と真顔で言われた。どんな人物なのか逆に気になる。知りたいような知りたくないような、そんな複雑な気持ちになる人だ。.私は隣の部屋へ移動し、手早く汗をかいた服を着替える。制作中はどうしても集中して熱がこもる。顔を洗うと、ようやく現実へ戻ってきた感じがした。荷物を持って制作室へ戻ると、「ナータ」と誠司が短く呼んだ。そして当然みたいに差し出された手へ、私は荷物を渡した。誠司は無言でそれを肩に掛け、そのまま歩き出す。昔、一度だけ「なんでそんな無言なの」と文句を言ったことがある。すると誠司はふんっとそっぽを向いただけで、代わりに
last update最後更新 : 2026-03-01
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外伝1-7

【誠司視点】廊下の窓から差し込む春の光が、やけに白く見えた。柔らかな日差しのはずなのに。磨かれた床へ反射する光は少し眩しくて、俺は軽く目を細めながら歩く。昼休み直前の校舎は独特の空気をしている。授業終わりの解放感と、昼休みへの浮ついた期待が混ざり合って、生徒たちの声がいつもより大きい。「桐谷先輩」外で遊んで校舎に戻るとき、不意に後ろから声を掛けられて俺は足を止めた。振り返ると、見覚えのない女子生徒が数人立っている。たぶん一年か二年。少なくとも、俺の記憶にない顔だった。でも『先輩』と呼ぶ以上は年下なのだろう。そんなことを考えながら、俺は反射みたいに笑みを浮かべる。営業スマイルはやって損はないと父さんによく言われる。「何?」軽く首を傾げると、「きゃあっ」と小さな悲鳴みたいな声が上がった。返事になっていないが、慣れているので適当に流す。隣にいたクラスメイトの男が呆れたように肩をすくめる。「相変わらずモテるよな」「ありがとう」否定してもいい。「そんなことない」とか、「普通だろ」とか、謙遜は日本人の美徳だし。でも、父さんに言われたのだ。下手な謙遜は余計な角が立つ、と。――褒められたら素直に受け取れ、それで終わる。――変な遠慮は、相手に“否定された”と感じさせることがあるから面倒だ。父さんの言葉は妙に説得力があった。しかし、人との距離感を測るのが上手い人だと感じていたが、面倒なだけだったらしい。――いい人になりたいなら武司を目指せ。武司小父さんは父さんの右腕。英家の後継者。肩書きだけ見れば世間的には超優良物件だろう。でも、恋愛においては小父さんは『いい人』で留まるらしい。昔から意中の女性には「いいお友だちでいましょう」と言われ続けてきたという。理由は単純で、小父さんは父さんが大好きすぎるから。親族一同、「あれは結婚できないだろ」と本気で思っていたらしい。そんな武司小父さんに、亡き和美お祖母様が最後に繋いだ縁が百花さんだった。この百花さんがまた凄い。「蓮司さん以外と浮気しなければ、5年くらい帰ってこなくても全然構いません」と笑顔で言い切る人だ。初めて聞いたとき、驚く俺と母さんの横で、父さんたちは大爆笑していた。「さすが和美祖母さん」と縁結び能力を称賛していた。ちなみに百花さん――旧姓、水野百花さんは
last update最後更新 : 2026-05-11
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外伝1-8

【誠司視点】――せいじ。怯えた目をしていた。今にも泣きそうな顔で、舌足らずな声で、名前を呼ばれたあの瞬間を俺は今も忘れていない。胸の奥へ小さな針みたいに、刺さったままの抜けない記憶だ。ターシャが怯えさせたのは、俺のせいだった。子どもだった。何も分かっていなかった。そういう言い訳ならいくらでもできる。でも、どれだけ理由を並べても事実は変わらない。ターシャは俺のせいで嫌な目にあった。.あの日、桐谷邸には大勢の客が来ていた。理由はもう覚えていない。父さんの仕事関係だったのか。ただの社交だったのか。ただ、彼らの息子や娘がが、遊び相手のように連れてこられていた。父さんが「仲良く遊びなさい」と俺に言ったことは覚えている。当時の俺にとって、社交なんて言葉はわけが分からなかった。ただ、大人たちが集まって、連れてこられた子どもたちも同じ空間へ押し込められただけ。俺は適当に頷き、与えられた役割を果たそうとした。けれど、30分も経たずに飽きた。それは、俺が悪かった。でも、周りも悪かったと思う。遊びの提案をしても、「いいですね」と笑うだけ。ルールを決めても、「それでいいです」と全部受け入れられる。そして、あからさまに手を抜かれた。それまで遊んでいた相手は親戚ばかりだった。うちの親戚は遠慮とか忖度とか、そういうものと無縁だ。嫌なら嫌と言うし、勝ちたければ本気で勝ちに来る。だから、全部合わせられるだけの相手は妙に手応えがなかった。気を遣われていることを、子どもなりに感じ取れた――そう言えればいいが、俺は単純に退屈してしまった。俺はその場を抜け出して、茉白のところへ向かった。茉白は屋敷の中のプレイルームにあるベビーベッドの中にいて、その隣ではターシャが寝転んで絵を描いていた。小さな手でクレヨンを握りしめ、夢中で紙へ色を塗っていた。窓から差し込む光が銀色の髪へ落ちていて、その姿は妙に静かだったのを覚えている。「外で遊ぼう」俺はそう言った。庭へ行って走り回るつもりだったのだと思う。でも、ターシャは顔を上げて、「嫌だ」と即答した。絵を描くほうが好きだから、と。俺はその返答に嬉しくなった。やっぱり、こうじゃないと駄目だと思った。義務みたいに付き合う相手より、ちゃんと自分の意思を持っている相手のほうが面白い。子どもだっ
last update最後更新 : 2026-03-02
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外伝1-9

【誠司視点】「桐谷君、幼馴染と仲がいいんだね」不意にかけられたクラスメイトの女子の声に、俺は顔をそちらに向ける。苦笑は笑顔の内側へ押し込めて、自然な笑みを浮かべる。「普通だよ」春になると、この手の探りが一日に数回ある。新しいクラス。新しい人間関係。「初めまして」という話しかける理由ができる季節だ。そして、ターシャのことを聞かれることも珍しくはない。「でも、よく見てるよね」しまった……。……完全に油断していた。視線を向けすぎた。ターシャはグラウンドにいる。クラスメイトたちと話をしている。学校ではよくある光景。でも、ターシャの銀髪が、春の日差しを受けて柔らかく光っている。あの色は目立つ。本人がどれだけ目立たないようにしていても、周りの視線を集める。「目立つからね」だから、それを俺が見ていた理由にする。便利な言い訳だ。嘘ではない。あの髪色で、ターシャがいることに気づくことは多い。「きれいな子だよね」彼女は俺の顔を覗き込むように言う。その目は、少しだけ期待している。「そんなことないよ」とか。「普通じゃない?」とか。俺が否定する、ターシャを気にかけていないと言うのを待っている。――俺は、それに気づかないふりをする。「そうだね」あくまでも、仲のいい幼馴染の顔で。ターシャは美人だから、「俺には美人に見える」みたいな少女漫画的な展開は必要ない。みんな言ってる、というやつだ。俺のターシャを褒める言葉は、他の人たちのターシャを見た感想の中に簡単に埋もれてくれる。.「でも、ちょっと変わっている子みたいね」異性の幼馴染と仲がいいことをからかう相手は楽なのに、ターシャを俺に否定させたい人の相手は面倒だ。目の前の子の、ターシャについての評価なんてどうでもいい。「そうかもね」我ながら驚くほど興味のない声が出た。この子の『変わっている』は、ただ自分とは『違う』だけ。何でこの子基準で俺に共感させようとする?ターシャがこの子と違うように、俺もこの子とは違う。桐谷という家の息子。周囲が勝手に期待してくる立場。期待に応えなければいけない身の上。ターシャと同じように俺も『変わっている』。でも、変わっているから、この子は俺に話しかけてきた。教室には、話し相手はたくさんいる。席が近いわけではない。話したのも
last update最後更新 : 2026-05-12
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外伝1-10

【誠司視点】ターシャに触れたいと思うようになったのは、いつからだろう。おかげで、普通の触れ方が分からなくなった。毎回「昔はどうしてた?」と考えながらターシャに接している気がする。昔は何も感じなかったのに。いや、感じないわけではないけれど、そういう感じ方ではない。手をつなぐのは、楽しいとか。肩を寄せ合って眠るのは、楽しいとか。ターシャに抱きつかれて、楽しいとか。「楽しい」ばかりじゃないか。ただ、それがいつの間にか「嬉しい」になって。妙に意識するようになった。ターシャの流れ落ちた髪が触れるだけで、落ち着かない。青の瞳に真っ直ぐ見上げられると、喉が詰まる。すぐ傍にいると、心臓が妙にうるさい。生理現象とはまた違う。男の生理現象については父さんと武司小父さんが教えてくれた。「そのうち分かる」とか。「男にはそういう時期がある」とか。思春期とごちゃまぜにした説明だったから。この妙な意識は、性欲ではないかというのが、男子の会話からの推測。性欲だとしたら、父さんたちの知識は役に立たない。あの二人の会話から察するに、あの二人は俺くらいのときは特別な相手はいなかった。それなら、父さんも俺と同じような学生生活なら、近づいてくる女の子を相手にして適度に発散していただろう。俺のように悶々とした経験はないに違いない。ターシャ以外と、なんて考えられない。だからといって、ターシャとどうこうしたいのかというと、何か違う。ただ、触れたい。近づきたい。自分だけを見てほしい。そういう感情だけが、整理されないまま胸の奥で膨らんでいる。.「ねえ、桐谷君」呼ばれて現実に戻る。しまった、まだ会話の途中だったのだけど……近いなあ。甘えるような声とかもそうだけど、最近こういうのが増えた。高校生活最後の一年。最後のチャンスとでも思っているのか、露骨に距離を詰めてくる子が多い。周りは羨ましいと言うけれど、俺には煩わしい。面倒でしかない。「桐谷君、大学は決まったの?」「まだ。いくつか候補があるくらいかな」他人の進路を聞いてどうするのだろう。それで進路を決めるつもりか?それとも、俺の将来性を測ってる?……と、以前はただ不思議なだけだったけれど、これについては茉白に呆れながら教えてくれた。「女はそういうものなの」「恋愛は情報戦なんだから
last update最後更新 : 2026-03-03
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外伝1-11

ターシャのことがいつから好きかは分からない。でも、恋を自覚した瞬間は覚えている。.あの日はうちの庭に多くの人が集まっていた。集まっていた理由は覚えていないけれど、親族ではなかったから社交的なやつだろう。子どもの俺が両親から離れて自由に歩き回れたから、うちに対して好意的な人の集まりだっただろう。「せーじ」ターシャもいた。この頃のターシャはまだ小さくて、舌足らずな口調で、とても可愛い声をしていた……はず。何度も思い出しては反芻してきた記憶だから美化されているかもしれない。どちらにせよ、いまも可愛いけれど、この頃の「せえじ」とも聞こえた呼び方はとびきり可愛かった。.ターシャは一人だった。親と一緒に来た子どもがたくさんいたのに、誰もがターシャから距離をとっていた。それが寂しいとか。つまらないとかでターシャが俺を呼んだわけではない。ナターシャは遠巻きにされるのに慣れていた。まあ、この頃どう思っていたかは分からないけれど、中等部に上がった頃には。「周りの人に誠司は囲まれる。私は避けられる。望もうと望まなかろうと、それはもう『仕方がないこと』なのよ」そう言っていた。そうだなって思う。こればかりは、俺たちが何を望もうと変わらない。それなら気にしないほうが楽だ。でも、ターシャに『仕方がない』と思わせてしまったのは、あの日なのではないかと思う。.「どうした?」振り向くと同時に、ナターシャは小さな手を俺に突きだしてきた。ターシャは石を持っていた。多分あれは庭に落ちていた石。「石が、どうしたの?」なぜそれを見せてきたのか分からず尋ねたら、ターシャは頬を膨らませた。「ちがう、そら」ロシア語で何か言ったのかとも思ったが。 「そら!」理解できない俺に焦れたターシャは、石を俺の目の前まで持ってきた。それでも、俺にはただの灰色の石にしか見えなかった。そう、『俺には』。「おそら、つかまえた」でも、ターシャにはあの石に空が詰まっているように見えたらしい。石の中央には透明な何かがあって、そこに青い空が映っていた。空を捕まえたと、ターシャはとてま自慢げだだた。なるほどと思いながら、ターシャが捕まえた空をきれいだと言った。本当に綺麗だと思ったから。ターシャの歓心を買おうとして思ってもいないことを言うと、ターシャは膨れる。そ
last update最後更新 : 2026-03-05
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外伝1-12

【誠司視点】ターシャの言うとおりだ。俺の他の人と違うところ、有名な親や実家が資産家であるところには、人が群がる。群がられる人たちの目的は、俺の特別になること。すでに特別がいるなら、彼らはそれを排除しようとする。それを理解して、ターシャに近づかないと決めた。でも、ナターシャは可愛い。誰かに取られてしまうかもしれない。だから、大人を味方につけようと俺は考えた。……俺って、昔から小賢しかったんだな。.父さんは、母さんが外でお酒を飲むのを嫌がる。ガードが緩くなった母さんを外で野放しするのは不安過ぎて、父さんの精神衛生上よくないというのが理由らしい。そんな母さんのために乃蒼さんたちはよく桐谷家に泊る。この日も、乃蒼さんたちは泊まる予定で、母さんと楽しそうにお酒を飲んでいた。ターシャと俺は、いつも通り一緒に俺の部屋で寝ていた。「おはよう、せーじ」そう言って、まだ目をこするターシャの手をひいて、俺はキッチンに行った。気が急いて、速足になってしまっていた。「おなか、すいたの?」そんなことを言いながら、ターシャも小走りでついてきてくれた。「おはよう、誠司」キッチンでは、母さんが動き回っていた。そそて父さんと、乃蒼さんと佳孝さんまでいた。丁度いいと思った。「誠司?」僕の顔を見て、母さんが首を傾げた。 「どうしたの?」俺はターシャの手を握ったまま言った。「僕、ターシャが好きなの」「……うん?」知っているわよという顔で、母さんが首をさらに傾げた。「だから、将来ターシャと結婚する」一瞬、沈黙が落ちた。そして。「ぶっ……!」父さんが、吹き出した。「まだ5歳にもなってないのに」父さんと佳孝さんは大笑いだった。ターシャは、きょとんとしていた。「ターシャは、どう?」「すき……って、なに?」乃蒼さんは「そこからかー」と笑った。「すきというのはね、そうね……ターシャが見つけたきれいな色を、一番最初に見せてあげたいのは誰?」「せーじ」ナターシャは即答した。ナターシャの即答に佳孝さんは『ショック!』という顔をした。そんな佳孝さんを見て、どうして「私に勝てると思ったの?」と乃蒼さんが呆れていた。「それが、好きってことかな」「じゃあ、ターシャ、せーじ、すき」その瞬間、キッチンが大騒ぎになった。「「お赤飯ね!」」
last update最後更新 : 2026-03-05
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外伝1-13

【ナターシャ視点】春の光は、やけに透明だった。校舎の窓に当たった光が、教室の床に四角く落ちている。その光を見るのが、好き。黒板では教師が何か説明しているけれど、意識が、向かない。机の上に置いたシャープペンシルの影。その影の輪郭が、窓から差し込む光で微妙に揺れる。(今日の光は、少し青い)そんなことを考えていた。光には色がある。午前中の光は白く、昼に近づくと少し黄色くなる。そして今日の光は、なぜかほんの少しだけ青かった。空の色が、反射しているのかもしれない。指先を光の中に入れてみる。白い指が、ほんのり青く染まる。きれい。その瞬間。「花岡」先生の声がした。「聞いてるか」教室の空気が、わずかに動いた。顔を上げる。「すみません、聞いていませんでした」正直に答えた。教室のあちこちから小さな笑い声が漏れた。先生は少し困った顔をしてから、ため息をついた。「……次からは聞いてくれ」怒るほどでもないという判断。そういう生徒だと思ったからか。集団の輪を乱すような行動はとっていない。成績も悪くない。でも、模範的な生徒だから目溢ししたという感じではない。ここで下手に注意をしてへそを曲げたら大変だから。どんな風に私が先生の叱責を受け取るか分からないから。先生らしく、私のことも生徒の一人として受け入れている。でも、私の色が、先生に自分と『同じ』とは思わせない。だから先生は変な刺激をせずに、放っておくことを選んだようだ。まあ、そんなことはどっちでもいいか。「はい」返事をして、また窓の外を見た。グラウンドの桜はもうほとんど散っている。地面には薄い桃色の花びらが広がっていて、それが風に流れていく。その色の動きが、きれいだった。.授業が終わると、教室がざわついた。椅子が引かれる音。友達同士の会話。笑い声。机に肘をつき、窓の外を見ながら、耳をそばだてる。それでも、教室のざわめきは、少し遠くに感じる。「ねえ」声がした。振り向くと、同じクラスの女子が3人立っていた。名前は知っている。けれど、初めてのクラスメイト、ほとんど話したことはない。「花岡さんってさ」一人が言った。「ハーフ?」「ロシア系?」「うん、そんな感じ」頷いて、曖昧に返事をする。実際は分からない。でも、これ以上好奇な目が増える
last update最後更新 : 2026-03-06
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