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外伝-3

夢中でクレヨンを握った。でも、足りなかった。色が全然足りない。もっと暗い灰色がほしい。もっと乾いた白がほしい。もっと冷たい青がほしい。思った色が出せなくて、私は泣いた。泣いてお願いなんて、思い出すだけで恥ずかしいけれど、その甲斐もあって三十六色の色鉛筆を買ってもらったとき、私は世界を手に入れた気がした。色にはこんなに名前があるのだと知った。でも、それでも足りなくなった。サンタクロースを信じなくなっていた頃、それでもヨッシーはサンタの格好をして現れた。白い付け髭を斜めにずらしながら、「どうだっ」と得意げに差し出したのは百二十色の色鉛筆だった。箱を開けた瞬間、私は息を止めた。見たこともない色が並んでいた。灰色だけでも何本もある。青にも冷たい青と温かい青がある。嬉しくてたまらなかったけれど、描き始めてまた泣いた。今度は、色が増えたのに描けないことが悔しかった。頭の中には確かにあるのに、手が追いつかない。色が感情に届かない。カノンとヨッシーは、「今度は何!?」という顔で慌てていた。そして結局、「絵のことだから」という理由で石川先生が呼ばれた。今思うと、人間国宝級の画家を子どもの癇癪で召喚する二人もどうかしている。でも先生は、本当に「どうしたの?」くらいの気軽さで来てくれた。そして泣きじゃくる私の話を、最後まで聞いてくれた。  『そうか、自分の絵では満足できないのか』先生はそう言って頷き、それからカノンへ紙とペンを持ってくるよう頼んだ。そしてカノンが持ってきたのは、ボールペンと、私が小学校から持ち帰ったプリントだった。裏面が白かったからだと思う。先生はその裏へさらさらと線を描いた。迷いのない線だった。人物の輪郭。風の流れ。たった数分で現れたその絵に、私は夢中で色を塗った。完成したものは、今でも額に入って家のリビングに飾られている。よく見ると裏側に「給食だより」の文字が透けて見えるのが残念なところだ。  『何かメモするんだと思ったのよ!』カノンは今でもそう言い訳している。.それからずっと、私は白い世界へ色を置くことに夢中になっている。カノンの友人である桔梗ママが私の色使いを気に入ってくれたことをきっかけに、話は一気に広がった。動画配信。配信用アート。ライブ制作。気づけば、人気配信者を何人も抱える折々舎と繋がっていた。「石川先生、ナタ
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外伝-4

「ナータ」深く呼吸をして、胸の奥に残っていた緊張がようやく静まった頃、工房の戸口から声がかかった。低くて、少しだけ甘さのある声。その呼びかけだけで、私は誰が来たのか分かる。タイミングを間違えていないのも、彼らしいと言えば彼らしい。邪魔していないという確信に満ちた呼び声であることも。版から和紙を剥がし終えるまで、絶対に邪魔をしない。私が集中しているときには不用意に声を掛けない。そのくせ、終わる瞬間だけは妙に正確に察知する。ちょうどいいタイミングだなと思う反面、相変わらず妙な自信家だな、と苦笑したくもなる。.ふうっと息を吐いて、戸口を見る。そこに立っていたのは、私より一つ年上の幼馴染、桐谷誠司だった。母屋のほうから差し込む夕方の光が、彼の背後を淡く照らしている。逆光の中に立つ姿は、少し前まで一緒に走り回っていた男の子ではなく、もう完全に一人の青年だった。肩幅が広くなって、背も高い。制服の上からでも分かるくらい体つきがしっかりしている。それなのに、着ているのは私が見慣れた高校の制服で、そのことに私は毎回少し安心する。まだ学生なのだと思うと、置いて行かれていない気がするからだ。「やあ、誠司」「こんばんは、先生」石川先生へ向ける誠司の声は柔らかかった。私に対しても十分柔らかいのだけれど、石川先生の前では少し違う。肩の力が抜けていて、どこか幼く見える。よく「祖父と孫みたいだ」と言われる二人だけれど、本当にそういう空気が流れていた。石川先生も誠司を見る目がどこか孫を見るそれに近い。「夕方の風は冷たい。中に入って待っているといい」「お邪魔します」親しき仲にも礼儀ありとでも言うのか、誠司は自然な動作で頭を下げる。その仕草が妙に綺麗で、私は内心で感心する。流石、桔梗ママと蓮司さんの息子。育ちの良さというのは、こういうところに出るのだろう。風に揺れる制服の裾さえ、なぜか優雅に見えるのだから不思議。いつものことだけれど、本当に絵になる人だと思わされる。あいにくと、私に人物画の才能はない。でも石川先生は、誠司をモデルに何枚か作品を描いている。以前、そのうちの一枚を見せてもらったことがあった。障子越しの光の中に立つ誠司が描かれていて、そこには現実より少し静かで、大人びた雰囲気の彼がいた。石川先生によると、誠司の先を見たいという気持ちが現れた
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外伝-5

「ちょっと待っててね」私は完成した和紙を両手でそっと持ち替えた。まだ湿り気を帯びている紙は、少しの力加減で表情を変えてしまう。乾燥棚へ静かに掛けると、ようやく肩の力が抜けた。これで、本当に終わり。私は小さく息を吐く。達成感がある。同時に、悔しさもある。もっとできた。あそこは色を抑えられた。あの滲みは防げた。完成した瞬間ほど、自分の未熟さが鮮明に見える。でも、その未熟ささえ少し名残惜しいと思ってしまう。もっと触れていたかった。もっと色を重ねたかった。そんな感情が胸を掠める。.「ゆっくりでいいよ」誠司が静かに言った。その一言に、私は思わず笑う。版から紙が離れてしまえば、もう何もできない。描き足すことも、やり直すこともできない。だからこそ、最後まで集中していたかったのだと、誠司はちゃんと分かっている。「手を洗ってくるね」私がそう言うと、誠司は軽く頷き、そのまま石川先生の近くへ歩いていく。そして自然に会話を始める。やっぱり祖父と孫みたいだ。誠司にはちゃんと血の繋がった桐谷のおじい様がいる。でも石川先生は、「祖父は二人くらいいるものだから、自分もその一人でいいだろう」と勝手に言っているらしい。ちなみに、誠司のお母さん――桔梗ママのお父さんは、その枠に入っていない。というより、桔梗ママ自身が全力で除外している。以前、興味本位でカノンに「どんな人なの?」と聞いたことがある。すると返ってきたのは、人間の説明ではなかった。「黒くて、素早くて、しぶとくて、見つけたら全力で駆除したい存在」と、完全にゴキブリの話だった。しかも最後には、「もし遭遇したら痴漢ブザーを迷わず鳴らして逃げなさい」と真顔で言われた。どんな人物なのか逆に気になるけれど、知りたいような知りたくないような複雑な気持ちになる。.私は隣の部屋へ移動し、手早く汗をかいた服を着替える。制作中はどうしても集中して熱がこもる。顔を洗うと、ようやく現実へ戻ってきた感じがした。荷物を持って制作室へ戻ると、「ナータ」と誠司が短く呼ぶ。そして当然みたいに差し出された手へ、私は荷物を渡した。誠司は無言でそれを肩に掛け、そのまま歩き出す。昔、一度だけ「なんでそんな無言なの」と文句を言ったことがある。すると誠司はふんっとそっぽを向いただけで、代わりに石川先生が楽しそうに笑っていた。  『蓮司君に似て
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外伝-6 side誠司

廊下の窓から差し込む春の光が、やけに白く見えた。柔らかな日差しのはずなのに、磨かれた床へ反射する光は少し眩しくて、俺は軽く目を細めながら歩く。昼休み直前の校舎は独特の空気をしている。授業終わりの解放感と、昼休みへの浮ついた期待が混ざり合って、生徒たちの声がいつもより大きい。「桐谷先輩」外で遊んで校舎に戻るとき、不意に後ろから声を掛けられて俺は足を止めた。振り返ると、見覚えのない女子生徒が数人立っている。たぶん一年か二年。少なくとも、俺の記憶にない顔だった。でも『先輩』と呼ぶ以上、年下なのだろう。そんなことを考えながら、俺は反射みたいに笑みを浮かべる。営業スマイル、と父さんにはよく言われるやつだ。「何?」軽く首を傾げると、「きゃあっ」と小さな悲鳴みたいな声が上がった。返事になっていないが、慣れているので適当に流す。隣にいたクラスメイトの男が呆れたように肩をすくめる。「相変わらずモテるよな」「ありがとう」否定してもいい。「そんなことない」とか、「普通だろ」とか、謙遜は日本人の美徳だし。でも、父さんに言われたのだ。下手な謙遜は余計な角が立つ、と。  「褒められたら素直に受け取れ、それで終わる」  「変な遠慮は相手に“否定された”と感じさせることがあるから面倒だ」父さんの言葉は妙に説得力があった。人との距離感を測るのが上手い人だと感じていたが、面倒なだけだったらしい。  「いい人になりたいなら、武司を目指せばいい」武司小父さんは父さんの右腕で、英家の後継者。肩書きだけ見れば世間的には超優良物件だろう。でも、恋愛においては小父さんは『いい人』で留まるらしい。昔から意中の女性には「いいお友だちでいましょう」と言われ続けてきたという。理由は単純で、小父さんは父さんが大好きすぎるから。親族一同、「あれは結婚できないだろ」と本気で思っていたらしい。そんな武司小父さんへ、亡き和美お婆様が最後に繋いだ縁が百花さんだった。この百花さんがまた凄い。「蓮司さん以外と浮気しなければ、五年くらい帰ってこなくても全然構いません」と笑顔で言い切る人だ。初めて聞いたとき、驚く俺と母さんの横で、父さんたちは大爆笑して、「さすが和美祖母さん」と縁結び能力を称賛していた。ちなみに百花さん――旧姓、水野百花さんは、動画制作会社『折々社』の社長の一人。そして、母さんが大好
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外伝-7

  「せいじ」怯えた目をして、今にも泣きそうな顔で、舌足らずな声で名前を呼ばれたあの瞬間を、俺は今も忘れていない。胸の奥へ小さな針みたいに刺さったまま、ずっと抜けない記憶だ。ターシャが怯えたのは、俺のせいだった。子どもだった。何も分かっていなかった。そういう“言い訳”ならいくらでもできる。でも、どれだけ理由を並べても事実は変わらない。ターシャは、確かに俺のせいで嫌な目にあった。.あの日、桐谷邸には大勢の客が来ていた。理由はもう曖昧だ。父さんの仕事関係だったのか、ただの社交だったのか、今では思い出せない。ただ、子どもたちも何人か連れて来られていて、父さんが「仲良く遊びなさい」と俺に言ったことだけは覚えている。当時の俺にとって、“社交”なんて言葉は意味が分からなかった。ただ、大人たちが集まって、子どもたちも同じ空間へ押し込められただけ。俺は適当に頷き、与えられた役割を果たそうとした。けれど、三十分も経たずに飽きた。俺も悪かった。でも、周りも悪かったと思う。遊びの提案をしても、「いいですね」と微笑まれる。ルールを決めても、「それでいいよ」と全部受け入れられる。そしてあからさまに手を抜かれた。それまで遊んでいた相手は親戚ばかりだった。うちの親戚は遠慮とか忖度とか、そういうものと無縁だ。嫌なら嫌と言うし、勝ちたければ本気で勝ちに来る。だから、全部合わせられるだけの相手は妙に手応えがなかった。気を遣われていることを、子どもなりに感じ取ってしまったのだ―――そう言えればいいが、俺は単純に退屈してしまった。俺はその場を抜け出して、茉白のところへ向かった。茉白は屋敷の中のプレイルームにあるベビーベッドの中にいて、その隣ではターシャが寝転んで絵を描いていた。小さな手でクレヨンを握りしめ、夢中で紙へ色を塗っていた。窓から差し込む光が銀色の髪へ落ちていて、その姿は妙に静かだったのを覚えている。  「外で遊ぼう」俺はそう言った。庭へ行って走り回るつもりだったのだと思う。でも、ターシャは顔を上げて、「嫌だ」と即答した。絵を描くほうが好きだから、と。俺はその返答に、嬉しくなった。やっぱり、こうじゃないと駄目だと思った。義務みたいに付き合う相手より、ちゃんと自分の意思を持っている相手のほうが面白い。子どもだった俺は、迷わずターシャと遊ぶことを選んだ。今なら分かる
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外伝-8

「桐谷君、幼馴染と仲がいいんだね」不意にかけられたクラスメイトの女子の声に、俺は一瞬だけ視線を向け、それから自然に笑った。苦笑は笑顔の内側へ押し込める。「普通だよ」春になれば、この手の探りは一日に何回もある。新しいクラス。新しい人間関係。去年まで遠巻きに見ていただけの相手にも、話しかける理由ができる季節だ。そして、その話題の中心にターシャがいることも珍しくない。「でも、よく見てる」そう言われ、俺は内心でしまったと思った。無意識だった。視線を向けすぎたのだろう。ターシャはグラウンドにいて、クラスメイト数人と話をしていた。淡い金色にも見える銀髪が、春の日差しを受けて柔らかく光っている。あの色は目立つ。本人がどれだけ静かにしていても、周囲が放っておかないくらいには。「目立つからね」だから、そう返す。これは便利な言い訳だった。実際、目立つのだから嘘ではない。視線を向ける理由として十分成立する。「きれいな子だよね」女子は俺の顔を覗き込むように言った。その目が少しだけ期待しているのが分かる。たぶん、「そんなことないよ」とか、「普通じゃない?」みたいな否定を待っている―――でも俺は、気づかないふりをした。「そうだね」ナターシャは美人だ。否定する理由がない。モデルみたいだと騒がれるのも分かる。実際、ターシャを見た人間のほとんどは、一瞬目を奪われる。透き通るような肌も、淡い青の瞳も、日本人離れした髪色も、人目を引くには十分すぎる。だから俺は否定しない。否定したところで白々しいだけだ。「でも、ちょっと変わっているみたい」その言葉に、俺は「そうなんだ」とだけ返した。我ながら驚くほど興味のない声が出た。実際、興味がなかったからだ。彼女の言う“変わっている”が何を指しているのか、俺にはどうでもよかった。そもそも、“変わっている”というのは、“違う”ということだ。そして、それを言うなら俺だって十分に“違う”。桐谷という家。周囲が勝手に期待する立場。誰にでも愛想よく振る舞い、距離を測り続ける生活。普通の高校生とは違う部分なんていくらでもある。違うからこそ、この女子だって俺へ話しかけてきたのだ。教室には他にも男子がいる。席が近いわけでもない。それなのにわざわざ俺へ来るのは、俺が“普通じゃない”からだ。ただ、その“違い”が彼女にとって好ましい方向だっただけ。結
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外伝-9

ターシャに触れたいと思うようになったのは、いつからだったのだろう。昔は平気だった。ターシャが転びそうになれば手を引いたし、眠そうにしていれば肩を貸した。小さい頃なんて、向こうから抱きついてくることも普通にあった。でも、いつの頃からか、その全部に妙な意識をするようになった。銀色の髪が肩へ触れるだけで変に落ち着かなくなるし、淡い青の瞳に真っ直ぐ見上げられると喉が詰まる。距離が近いだけで、心臓が妙にうるさい。男の生理現象とか、そういうもの自体は父さんや武司小父さんがそれとなく教えてくれた。いや、教えてくれたというか、「まあ、そのうち分かる」「男にはそういう時期がある」みたいな、妙にぼかした説明だった気がするが。性欲に近いこの悶々をどう処理するのかについては、二人とも「あー……まあ、あれだ」みたいに言葉を濁して終わった。逃げたな、と思う。父さんも武司小父さんも、たぶん思春期の頃は特定の“相手”がいなかったのだろう。だから適度に発散していたに違いない。普通の男子高校生らしく。でも、俺は違う。ターシャ以外を思い浮かべることなんてできない。かといって、ターシャとどうこうしたいかと言われれば、それはそれで違う気もする。ただ、触れたい。近づきたい。自分だけを見てほしい。そういう感情だけが、整理されないまま胸の奥で膨らんでいく。.「ねえ、桐谷君」不意にかけられた女子の声に、俺は思考を引き戻された。甘えるような響き。妙に距離の近い声。最近こういう声を向けられることが増えた。高校三年生。残り一年。今が最後のチャンスとでも思っているのか、露骨に距離を詰めてくる女子は少なくない。けれど、正直に言えば、何も感じない。むしろ面倒だな、という感情しか浮かばない。さっきまでターシャのことを考えていたせいかもしれない。余計に温度差を感じる。「桐谷君、進路は決めた?」俺は自然に笑顔を浮かべた。「うん、進学するよ」「大学は決まったの?」「まだ。いくつか候補があるくらい」他人の進路を聞いてどうするのだろうと思う。それで進路を決めるつもりか。それとも、それで将来性を測っているのか。以前その疑問を口にしたら、茉白に呆れた顔をされた。  「女はそういうものなの」  「恋愛は情報戦なんだから」ターゲットの情報に無駄なものはない、と茉白は言っていた。あいつは中
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第157話

―― ナターシャ、大好き。そう言ったのは、子どもの頃。子どもだったから、そう言えた。 *ナターシャのことを好きだと思った日を、俺はいまでもはっきり覚えている。いつ、何歳とかの記録ではなく、どんなときだったかと体が記憶している感じだ。.その日は、桐谷家の庭に多くの人が集まっていた。集まっていた理由は覚えていない。ただ子どもの俺が両親から離れて自由に歩き回っていたから、桐谷家にとって好意的な人の集まりではあったのだと思う。季節は、春の終わり。風は柔らかくて、庭の桜の樹はすっかり葉桜になっていた。「せーじ」この頃のナターシャはまだ幼くて、舌足らずな、可愛い声をしていた。いや、いまも十分可愛いのだけれど、「せえじ」とも聞こえたあの頃の呼び方はいまはもうない。 でも、色は変わらない。呼ばれて俺が振り返って、視線を下に向けると、小さな金色の頭が見えた。日本人の子どもたちとは明らかに違う髪。光を含んだような淡いブロンド。俺たち子どもは、固まって遊んでいたけれど、誰もがナターシャから距離をとっていた。ナターシャは、それを気にしていなかったと思う。それが、ナターシャにとって当たり前だから。―― 誠司は囲まれる、私は避けられる。望もうと、望まなかろうと、それはもう『仕方がないこと』なのよ。中学生の頃には、もうそんなことを言っていた。そうだな、って思う。こればかりは、俺たちが何を望もうと変わらない。それなら気にしないほうが楽だ。でも、そう思うには始まりがあった。その、ナターシャの始まりは、きっとこの日だと思う。.「どうした?」ナターシャに呼ばれて僕が近づくと、ナターシャは小さな手を伸ばした。何かを見せようとしているのだと、すぐに分かった。ナターシャの小さな掌の上にあったのは、石だった。どこにでもあるような、多分庭に落ちていた石。「石が、どうしたの?」俺の言葉に、ナターシャは膨れた。「ナターシャ?」 「ちがう」ナターシャは首を振った。「そら」小さな声でいった言葉の意味を、最初は理解できなかった。実は、ロシア語で何か言ったのかとも思った。 「そら!」理解できない俺に焦れたナターシャは、手のひらを前に突き出してきた。それでも、そこにあったのは石でしかなかった。ただの灰色の石。俺にとっては。でも、ナタ
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第158話

あの日、ナターシャが庭で見つけたその石は、色を閉じ込められるという理由で瞬く間にナターシャの宝物になった。あの日、ナターシャはあの透明な部分にいろいろな色を映して見せてくれた。夢中だった。俺も。ナターシャも。·それは、突然だった。「ねえ、あの子、変わった色をしているよね」「外国の子だよ」子どもは、残酷だって。思い出すたびに思う。「目、青いよ」「ちょっと怖いね」「不気味だよ」その言葉に、ナターシャの手が止まった。俺が振り返ると、俺と同じくらいの年の女の子が三人いた。あの子たちは、ナターシャを見ていた。珍しいものを見る目。そして、「どうしてあの子が」という目。今なら、想像がつく。あの子たちは、俺と仲良くしてこいと言われたのだと思う。それなのに、俺はナターシャと一緒にいた。だから、ナターシャを排除しようとしたんだ。怖い。加害者のくせに、被害者の振りをした言葉を使っていた。 「……カノン」ナターシャは、俺から離れて、乃蒼さんたちのほうに行ってしまった。俺では、助けにならないからだ。俺はそのとき初めて知ったんだ。俺のみんなと違うが好まく思われるように、ナターシャのみんなと違うは攻撃されやすいということ。理由が、嫉妬だろうと羨望だろうと関係ない。攻撃されれば、ナターシャは傷つく。ナターシャを守れるようになるまで、近づかない。そう決めた。でも、ナターシャは可愛いから、誰かに取られてしまうかもしれない。よし、大人を味方につけよう。……俺って、昔から小賢しかったと、本当にそう思う。.母さんが外で飲むのを父さんが嫌がるから、乃蒼さんたちはよく桐谷家に泊る。この日も、乃蒼さんたちは母さんと飲むためにうちに泊まった。ナターシャと俺は、いつも通り一緒に俺の部屋で寝た。「おはよう、せーじ」そう言って、まだ目をこするナターシャの手をひいて、俺はキッチンに行った。「おなか、すいたの?」そんなことを言いながら、ナターシャも小走りでついてきてくれた。「おはよう、誠司」キッチンには、父さんと母さん、乃蒼さんと佳孝さんもいた。丁度いいと、思った。大人たちは笑っていたけれど、僕の顔を見て、母さんが首を傾げた。 「どうしたの、誠司?」俺はナターシャの手を握ったまま言った。「ナターシャが好き」「……うん?」
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第159話

春の光は、やけに透明だった。校舎の窓に当たった光が、教室の床に四角く落ちている。その光を見るのが、好き。黒板では教師が何か説明しているけれど、意識が、向かない。机の上に置いたシャープペンシルの影。その影の輪郭が、窓から差し込む光で微妙に揺れる。(今日の光は、少し青い)そんなことを考えていた。光には色がある。午前中の光は白く、昼に近づくと少し黄色くなる。そして今日の光は、なぜかほんの少しだけ青かった。空の色が、反射しているのかもしれない。指先を光の中に入れてみる。白い指が、ほんのり青く染まる。きれい。その瞬間。「花岡」先生の声がした。「聞いてるか」教室の空気が、わずかに動いた。顔を上げる。「すみません聞いてません」正直に答えた。教室のあちこちから小さな笑い声が漏れた。先生は少し困った顔をして、ため息をついた。「……次からは聞いてくれ」怒るほどでもない。そういう生徒だと分かっているからか、それとも最低限の成績をキープしているからか。……どっちでもいい。「はい」返事をして、また窓の外を見た。グラウンドの桜はもうほとんど散っている。地面には薄い桃色の花びらが広がっていて、それが風に流れていく。その色の動きが、きれいだった。 授業が終わると、教室がざわついた。椅子が引かれる音。友達同士の会話。笑い声。机に肘をつき、窓の外を見ながら、耳をそばだてる。それでも、教室のざわめきは、少し遠くに感じる。「ねえ」声がした。振り向くと、同じクラスの女子が三人立っていた。名前は知っている。けれど、初めてのクラスメイト、ほとんど話したことはない。「花岡さんってさ」一人が言った。「ハーフ?」「うん」「ロシア系?」頷く。「へえー」一人が覗き込む。「目、すごい青いよね」「カラーコンタクトじゃないんだ」好意的ではない。女の子たちは少し笑う。悪意があるのか、ないのか。好意がその理由になると、その境界は、いつも曖昧になる。「いいよねー、そういうの」「目立つし」「モデルとかできそう」首を振る。「目立つの、嫌いだから」「えー?」女子たちは顔を見合わせた。「でもさ」一人が言う。「桐谷先輩と仲いいよね」その瞬間。教室の空気が少しだけ変わった。
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