「また二年生を見ているんだね」不意にかけられたクラスメイトの女子の声に、俺は内心ビクッとしつつも、それを笑顔のうちに隠す。「目立つからね」不意に目が追ってしまう。その言い訳に、ナターシャの目立つ容姿はとてもいい言い訳になる。「きれいな子だよね」「そうだね」俺に声をかけてきた子が、「そんなことはない」と俺が否定することを期待していることには気づいているけれど、否定する必要はない。ナターシャはきれいだ。モデルのようだと騒めかせるくらい、十人が十人「きれい」だという。だから、俺は否定する必要がない。「でも、ちょっと変わっているみたい」「そうなんだ」彼女の言葉に、「そうなんだ」と興味のない声は簡単に出る。だって、彼女のナターシャに対する『変わっている』という評価になんて欠片も興味はない。……変わっている、ねえ。それを言うなら、俺だって変わっている。だから、この女の子だって、これだけ大勢のクラスメイトがいる中で、席も近くないのにわざわざ俺に声をかけてきた。ただ、俺の『変わっているところ』が彼女にとって好ましいだけ。自分から見て、好ましいか、好ましくないか。自分基準で評価をすることに、忌避感も嫌悪感もない。俺だって、そうだから。ただ、それに共感を求められることには嫌悪感はある。数を集めて、自分が思っていることは『正しい』と思いたいからなのだろうけれど、少数派を排他するようなやり方は好きではない。これも、俺基準なのだけれど。どうしたって、見た目から少数派に属してしまうナターシャが好きな俺に、多数派に入ってほしいっていう意見は邪魔であり、不快でもある。でも、これを口にしたことはない。ナターシャが、それを望まない。ナターシャは、自分の足で立っている。俺の、いまの俺の存在は、ナターシャのそれを邪魔してしまう。邪魔はしたくない。だから、我慢する。我慢はするんだけど……凛としているナターシャの横顔を見るたび、胸の奥が軋む。触れたいって思う。抱き寄せたいって思う。この気持ちを、誰に相談できるわけでもなく、悶々と抱えている。俺がナターシャを好きなことは、父さんたちは知っている。話したわけではない。五歳になる前に「ナターシャ、好き」とみんなの前で言った俺の気持ちが、高校三年生のいまになってもただ変わらないだけ。でも、
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