All Chapters of 知らないまま、愛してた: Chapter 251 - Chapter 260

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外伝1-14

【ナターシャ視点】夜の庭は、夕方の庭とは違う色をしている。石川先生のところで作業があった日は、桐谷家の車が迎えに来てくれる。小さい子どもではないから大丈夫なのに。そう言ったら、「小さい子どもじゃないからダメ」とみんなに言われてしまった。――ついでだから。みんなが納得する形におさめたのは誠司。部活を終えた誠司が桐谷家の車に乗り、そのまま石川先生に寄る形で決まった。「ターシャ」穏やかな声。みんなが呼ぶ愛称だけど、誠司に呼ばれたときは少し音が違って聞こえる。「お待たせ、帰ろう」「うん」すぐに顔を上げず、しばらくしてから誠司を見た。「どうした?」そう言って首を傾げる誠司は、きれいな人だなって思う。蓮司おじ様の男性らしい凛々しさに、桔梗おば様の優しさがミックスされた顔立ち。武司おじ様に言わせると、『いいとこどり』をした顔立ち。さらに、幼い頃からいろいろと『道』と付く習い事をしている。その成果で、立ち姿はきれいだし、雰囲気も同年代の男の子たちと一線を画している。周囲はそんな誠司を『大人びている』という。誠司の妹の茉白は『嘘くさい』という。私は――分からない。大人……ではないかな。私から見て大人は、石川先生や蓮司おじ様たちみたいな人たち。ああなりたくって、大人のふりをしている。うん、それが誠司だと思う。そう思うのは、私もそうだから。私も大人のふりをしている。クールぶって、みんなとは違うって顔をしている。でも、社会的に見れば『子ども』。桔梗おば様や、カノンたちからしてみたら、まだ保護対象の子ども。「まだまだ、だな」私の呟きに、誠司は苦笑する。「まだまだ、か」「そう、まだまだ」足りない、何もかもが。私も、誠司も、その足りない何かを埋めようとしている。門についている照明が、私たちを照らす。庭にできた長い影は、ふたつ重なっている。でも、私たちは手も触れていない。つないでいない手は、ゆっくりと揺れている。まるで、誘うようで。でも、掴まれたくないといってもいるようで。「ターシャ」影を見るのに満足して、そろそろって思ったタイミングで誠司から声をかけられる。このタイミングを、なぜか誠司は間違えない。物心がつく前から一緒にいたから、物を測るタイミングが同じなのかもねと誠司は言う。そうかもしれないし、そう
last updateLast Updated : 2026-03-07
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外伝1-15

【ナターシャ視点】「カノンから……メッセージ?」桐谷家の車に乗ってしばらくして、私のスマホが震えた。届いたメッセージはカノンからで、仕事のトラブルで帰りが遅くなるとのこと。今日はヨッシーも遅いはず。「どうしたの?」届いたメッセージのことを話すと、誠司は『なんだ』と笑う。「それならうちで夕飯を食べていきなよ」「そうさせてもらおうかな」私たちにとっては『なんだ』の案件。こんなことは、よくある。カノンとヨッシーがいないときは、昔から桐谷家で面倒をみてもらった。逆に……。「あ、今日は母さんからOKだって」「やった、桔梗おば様のご飯だ」「母さんがいなかったら、この前作ってもらったキーマカレーを作ってもらえたのに」桔梗おば様がいないときは、私は桐谷家でご飯を作る。そんな予定がなくても、【SOS】というタイトルでメッセージが来る。送り主は誠司だったり、茉白だったり、その妹の莉乃だったり。蓮司おじ様からもメッセージが来ることだってある。この前ヘルプがきたのは、桔梗おば様が作り置きしておいたご飯を、朋美おば様がうっかり食べてしまい(蓮司おじ様に言わせると確信犯)、量が足りなくなったらしい。それなら外食をすればいいと思う。でも、ラーメンの味変すらもできない飯まず一族の彼ら。ファミレスでの注文にさえ慎重になってしまい、三割くらいの確率でまずいご飯になるらしい。「蓮司おじ様と朋美おば様は仲直りしたの?」「母さんが間に入ったから、表面上は……でも、父さんは絶対に根に持っているよ。ほら、食べ物の恨みは深いし」「桐谷家はなおさらだよね」桐谷一族は、飯まず一族。料理が苦手というレベルではなく、料理下手の呪いにかかっている。桐谷家の血がを持つ者は、ラーメンの味変のように、テーブルの上に置かれて調味料にすら手を出さない。ファミレスで、莉乃が注文したフライドポテトにくっついてきた袋のケチャップさえも、誠司とおじ様は開けることを躊躇していた。とにかく、何をどうしたか分からないけれど、桐谷家は料理の神様に見捨てられている。それでいて……。「父さん、食い意地が張っているから」「誠司も相当だから。茉白と莉乃がつまみ食いしたとき、ガチギレしたじゃん。大人げないって思ったよ」「俺、まだ未成年だから」「ああ言えば、こういう」桐谷家は食のルールが
last updateLast Updated : 2026-03-10
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外伝1-16

いつの頃からか、理解していた。桐谷家は、普通の家ではない。それは、中の人の問題や、家の大きさの問題ではない。影響力の大きな、社会的に大きな家。大人たちの会話に『桐谷』がよく出てくることに気づいた。みんな『桐谷』だから、あの人たちの姓を意識したことがなかった。テレビの中、ニュースにも出てくる『桐谷』があの人たちだと知ったのはいつだっけ。テレビで見た人が桐谷家に来たりする。最初にそれに気づいたのは、確か小学生の頃だった。リビングのテレビで、ニュース番組が流れていた。画面の中で、離している政治家を、誠司の家で見たなって思った。桔梗おば様にそれを言ったら、どの人かしらと首を傾げた。つまり、そういう人が幾人も、当たり前のように出入りする家ってこと。経済ニュースに出てくる人。新聞の一面に載る人。文化人と呼ばれる人。そういう人たちが、桐谷家に普通に来る。桐谷家は、そういう家だった。 .経済界で名前を聞かない日はない桐谷グループ。桐谷グループの名前は、ニュースでよく出てくる。企業買収。大型投資。海外展開。「今後の動向」を気にする言葉と一緒に出てくる。日本の中心にいる桐谷家。誠司は、その家の息子。最初は、何も思わなかった。誠司は誠司って感じだった。一緒に遊ぶ相手。喧嘩して、仲直りして、一緒に笑い合う。それだけだった。でも、だんだん分かるようになる。学校で話題になる人。最近では、ニュースで名前が出ることもある。先生が話題にする。大人たちが敬語を使う。それが、みんなから見た『桐谷誠司』という人物。遠いとは思わない。でも、同じとは思えない。善悪ではない。例えるなら、黒とか白とか影響力の強い色。他の人を巻き込む色。それは、誠司本人が意図していなくても。この家の人たちは、いまもみんな、私に優しい。この家の空気は、昔と同じであたたかい。でも、それでも――壁がある。見えない壁。この壁に名前を付けるなら、『社会』だろうか。「みんな言っている」の『みんな』とか。「普通はこう」の『普通』とか。桐谷家は、その大きな主語になる存在。.私は、この家の人じゃない。歓迎されている客。家族のように扱われる客。身内のような、でも、家族ではない。経済、政治、文化。桐谷家は、社会の中心にある家で、私はその外
last updateLast Updated : 2026-03-11
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外伝1-17

【誠司視点】俺が思うに、「普通」とは良い悪いではない。「普通」とは多数派を指すのだと思う。つまり、「普通ではないこと」は悪いことではない。ただ、少数派なだけ。それなのに、「普通ではないこと」は良くないことになりやすい。みんなと違う。それが、あたかも罪のように扱われてしまう。·あのうちで開かれたパーティのあとのこと。俺がターシャを好きだということを、「隠せ」と言ったのは母さんだった。ターシャの「普通じゃないこと」は、不特定多数に攻撃されやすいから。ターシャを、俺が俺の力で守れるようになるまでは隠すべきだと言われた。母さんの言うことは、理解できた。ターシャの「普通じゃないこと」に悪意が向けられた直後だったということも、俺の理解を助けた。問題は、その隠すことが「いつまで」続くかということ。終わりが見えないことだった。性格には、それにターシャが耐えられるようになるのはいつかということ。残念ながら、俺絡みでターシャが攻撃されなくなることはないという。それは母さんのありがたい験談。――蓮司さん絡みで、残念ながら今もあるのよ。跡継ぎとなる俺を産んでもダメ。俺を合わせて三人も父さんの子どもを産んでもまだダメ。父さんが母さんを目に入れても痛くないほど溺愛しているのを見せつけても、それでも母さんを父さんの『妻』と認めない輩がいるらしい。なんでと、聞いたことはある。――蓮司さんは、ほら、男性として魅力的でしょう?聞いて、後悔した。母さんから、乙女心満載の惚気を聞かさせたから。知らないよ、父さんの男性的な魅力とか。そりゃ、いい父さんだと思う。いつだって家族のことが一番で、俺たちを大切にしているってことを隠さない。この年になれば、父さんが母さん以外の女性から色々誘われているところも何度か見ている。それを見て、父さんに必死に秋波を送る女性に呆れることはあっても、父さんの不定を疑ったことはない。多分、あれなんだなって思う。あの「父さんが不貞なんてするわけがない」と安心させられること。あれが母さんにとっては、父さんに守られているということなのだろう。だから、父さん絡みで攻撃されても母さんは問題にしない。俺は、あれと同じような安心をターシャに与えなければいけない。しかも、一時ではない。永遠に。だから、終わりがな
last updateLast Updated : 2026-03-12
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外伝1-18

【誠司視点】ターシャの養父は乃蒼さん。佳孝さんは乃蒼さんの子育てを手伝っている。表向きは『仲のいい友人同士』。ただ、乃蒼さんたちは俺たちの前では隠していないから、ゲイのカップルなんだろうなと思っている。俺たちにそうだと言ったことはないけれど。それに、正直なことを言うならば、単純なゲイとかではなくて、乃蒼さんにはもう少し複雑な秘密がある気がしている。母さんは、それが何かを知っているようだ。父さんも、俺と一緒でもう少し複雑な何かがあるような気がしているみたいだけど、父さんは知らない振りをしている。その知らない振りに、乃蒼さんも母さんも気づかない振りをしている。二人の知らない振りにも父さんは気づいていて、それもまた知らない振りをしている。それで、信頼や友情が成り立っている。腹を割って話すって言葉はあるけれど、使いどころを間違えてはいけないと俺は三人を見て思う。知っておくべきこと。知っておいたほうがいいこと。知らなくてもいいこと。知る必要がないこと。ニュアンスの違いと言ったらそれまでだけど、確かな違いがここにはあって。世の中には、そういう曖昧な線引きがある。子どもじゃないんだ。全部知っている必要はない。乃蒼さんと佳孝さんがゲイカップルであることも、俺にとっては別に知る必要はない情報。父さんが知っているのは、母さんとの仲を変に嫉妬されたくないという乃蒼さんの判断。母さんと乃蒼さん、仲が良いから。知らなければ、父さんは絶対に嫉妬して、母さんを乃蒼さんに会わせないようにしただろう。俺たちにそんなものはない。俺や妹たちからしてみれば、乃蒼さんと佳孝さんはターシャの両親というだけ。親切なおじさんとおばさん。たまに料理を作ってくれる救世主。それだけで十分な話で、それ以上の根掘り葉掘りは俺たちの関係には必要はない。生まれたときから見てきているから、今さらっているのもある。.でも、ターシャにとっては違う。.乃蒼さんと佳孝さんの関係は、ターシャたちにとっては触れられてくない話。一般的とは違う両親が恥ずかしいと言うわけではない。だって、俺たちの前では堂々としている。触れられたくないのは、知った人がどんな藩の王をするのか分からないから。そして、その反応に乃蒼さんたちが傷つくかもしれないから。ターシャにとっては愛する両親
last updateLast Updated : 2026-03-13
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外伝1-19

【ナターシャ視点】桐谷誠司は、今日も多くの人の中心で、穏やかに笑っている。 校門の前で、三人の女子に囲まている。それが女の子でも、男の子でも。一人でも、十人でも、誠司は変わらない。誰に対しても同じ温度で、同じ優しさで、同じ距離感で接している。 その「公平さ」が誠司の強さで、彼の武器。そして――私がいちばん嫌いなところでもあったりする。.……いや、『嫌い』というのは語弊があるかもしれない。 本当は、誠司のそういうところが好きだ。誰も特別を作らない、その優しさは胸が痛くなるほど眩しい。 ――僕、ターシャが好きなの。――ターシャ、せーじ、すき。小さい頃のやり取り。このとき分からなかった『好き』が、今は分かっている。好きだから、私は誠司の特別になりたい。 でも……特別になってはいけない。ロシア系顔立ちというだけで目立つ。戦場孤児というインパクトのある生い立ちは人の興味を引く。どんな経緯で日本に来たのか。どんな人が私を引き取ってくれたのか。例え相手に悪意がなくても、好奇心でいろいろなことが暴かれていく。それが怖い。日本で、静かに、平穏に、誰にも注目されずに生きていくこと。これが私の願い。 誠司はそれを理解してくれている。 だから、幼馴染という立場を崩さず、ときに兄妹のように接してくれる。 私が望んだ距離を、誠司は守ってくれている。.それなのに、私は勝手に傷ついている。私だけじゃない。誠司の特別になりたい子は沢山いる。誠司の周りにそんな女の子が集まるたび、胸の奥がざわつく。 誠司が笑うたび。誠司が誰かの名前を呼ぶたび。私の心は小さく軋む。.「ターシャ、帰るぞ」テスト期間に入ると、石川先生のアトリエは出入り禁止になる。だから私はいつも桐谷家の車で誠司と一緒に帰る。最初の日はざわついた。でも誠司がことのほか大きな声で、「茉白が一緒に帰ろうと煩い」というとざわめきはおさまった。茉白は私に「困ったら私の名前を好きに盾にしてね」と男前なことを言っていた。見た目、桔梗おば様そっくりの美少女なのに。.私たちは中等部の茉白の元に向かう。桐谷家は資産家だけれど、同じ学校の中等部と高等部に一台ずつ迎えの車を寄越すなんて無駄はしない。「あっと、職員室に寄ってもいいか?」「いいけど、何か
last updateLast Updated : 2026-03-16
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外伝1-20

【ナターシャ視点】家に着くころには、夕焼けが街を赤く染めていた。その刹那的にみせる色。好きだけど、今日は少しくすんで見える。私の心の影響に違いない。誠司と別れたあと、胸の奥に残ったざらつきは消えないままだった。◇◇◇「ただいま」玄関の扉を開けると、カノンとヨッシーがキッチンで、仲良く並んで夕食を作っていた。ふたりは振り返り、私の顔を見るなり眉を寄せた。「ナターシャ、元気ないね?」 「学校で何かあったのか?」私は笑って首を振った。嘘じゃない。だって、原因は「学校が」じゃないもの。ううん、これも言い訳だ。「それなら、いいわ」「手洗い、うがいをしておいで」ふたりは私の嘘に気づいているはずなのに、追及はしない。 その優しさが、逆に胸に刺さる。そんな私、ただのわがまま。夕食を食べながらも、私は上の空だった。 誠司が先に進む。誠司はそれを楽しみにしている。大学に行けば、出会いもあるだろう。いまの誠司にそう尋ねても、その気はないとか、曖昧に否定するだろう。でも、未来は誰にも分からない。約束しあった関係ではない。でも、誠司が誰かと付き合う未来を想像するだけで、胸が締め付けられる。ううん。桐谷家なら、高校卒業後の『お付き合い』は婚約からの結婚まで雪崩れていく可能性はある。いやだ。でも、私は、どうしたいの?その問いが、ずっと心の中で渦巻いている。·夜、部屋の窓を開けると、冷たい風が頬を撫でた。 遠くで犬が吠える声がする。 街は静か。ざわざわと、騒がしいのは私の心だけかもしれない。スマホが震えた。 画面を見ると……誠司だ。誠司からのメッセージは、珍しいことではない。それどころか、ほぼ毎日ある。でも、今日はなんだか緊張する。【今日、なんか変だったけど大丈夫か?】胸が跳ねた。 誠司は、私の小さな変化にもすぐ気づく。それが嬉しいのに、困るって気持ちはどうしても苦しい。指が震える。答えに、困っている。返事を打とうとして、悩む。何度も消して、また打って、また消す。【大丈夫だよ。ちょっと考え事してただけ】悩んで、悩んで、嘘をつく。送信ボタンを押した瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。 本当は大丈夫じゃない。苦しい。それに、誠司のことばかり考えている。すぐに返信が来た。【そっ
last updateLast Updated : 2026-03-17
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外伝1-21

【誠司視点】夕焼けがきれいだったから写真を撮った。きれいなものを見つけると、写真に撮ってターシャに送ってしまう。だから俺は散歩が好きだ。目立つことを嫌がって出歩きたがらないターシャの代わりに、綺麗な世界を写真に収める。そのために、きれいな写真の撮り方を学んだ。母さんに頼んで、折々舎でバイトしながらプロのカメラマンにコツを教わった。そんなことをしていた高校一年生の夏。ターシャは呆れたけれど、「いつもみたいに見せてね」と可愛く笑ってくれた。 いつも通り、写真を送ろうとして手が止まる。戸惑う理由は分かっている。 別れ際のターシャの表情が、いつもより少しだけ曇っていたからだ。.帰宅して、しばらく悩んで、メッセージをターシャに送った。【今日、なんか変だったけど大丈夫か?】散々悩んだメッセージの内容だけど、送信を送って「しまった」と後悔した。消すのに戸惑っていたら、『既読』がついてしまった。【大丈夫だよ。ちょっと考え事してただけ】返ってきた返事。その内容よりも、既読がついてから返ってくるまでの時間が正解。間があった。つまり、大丈夫ではないということ。ターシャは、嘘をつくのが下手だ。でも、嘘を吐くターシャは嫌いでない。ターシャが嘘をつくときの顔は、いつもより優しい。誰よりも優しいターシャは、自分じゃない誰かのために嘘を吐く。自分の気持ちで誰かを困らせたくないと、いつも遠慮する。そういう子だ。だからこそ、俺は――踏み込めない。返事にかかった時間は、俺を思っての嘘を考えるための時間だろうから。嘘を責める様な言葉は絶対に言えない。◇◇◇ターシャは、小学校の後半くらいから極力目立たないように振る舞うようになった。俺はあのお茶会で、少数派であることを責められたナターシャが傷ついたのを目の当たりにした。しかも、それは俺のせい。俺のせいでターシャが攻撃されたからだから、俺は目立たないでいようとするターシャの気持ちを受け入れた。その必要性を、俺は幼いながらに理解したつもりでいた。ロシア系の顔立ち。戦場孤児という、センセーショナルな生い立ち。シングルファーザーの家庭。そして父親の友人が同居していたりと、表向きの理由でいろいろ固めても、やはり日本では珍しい家庭の形。ターシャが注目されたくないのは、秘密を隠したいから。
last updateLast Updated : 2026-03-18
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外伝1-22

【誠司視点】春になったら、俺は大学生になる。ナターシャはまだ高校生のまま。大学生になることは、中学生が高校生になることとは多分違う。だから、ターシャより早く高校生になったときにはなかった不安がいまはある。同じ、たった一年の差なのに。今回の一年は、全く違うものになる。「ナターシャはさ、将来どうしたい?」気づけば、そんなことを聞いていた。 彼女の未来が気になった。 彼女の未来に、俺がいるのか。それは、どういう立場なのか。今まで通り、幼なじみなのか。それとも……。「……わかんない」分からない……。どうしてだろう。いつも通りと言えば、いつも通りの先を濁す言葉なのに、今回はやけにその言葉が、妙に気になった。◇◇◇「父さん」父さんが帰ってくる音がした。そして、なんとなく「このくらいかな」ってタイミングで母さんのキッチンに行くと、キッチンのテーブルで父さんが鍋焼きうどんを食べていた。柔らかい出汁の、優しい鰹出汁のにおい。このキッチンはいろいろな匂いがするけれど、この匂いが一番ホッとして好きだ。「おかえり」「ただいま。まだ、起きていたのか?」時計はまだ夜の10時。高校生三年生が起きていて『まだ』と言われる時間ではないけれど、父さんの中の俺はいつまでも幼子なのかもしれない。「誠司も、お夜食におうどん食べる?」「……うん」母さんが俺を見て、それまで座っていた父さんの隣の席を譲ってくれた。いつもなら、そこは母さんの席。でも、俺に相談があるってときは、なぜか母さんにはそれが分かるらしい。そしていつも、こんな風に母さんは父さんの隣を俺に譲ってくれる。「俺、そんなに顔に出る?」俺の問いに、啜ったうどんを咀嚼しながら父さんは首を傾げる。「俺にはいつも通りに見えるが、桔梗には分かるんだろう」ほどよい衣の海老天を箸でつまみ上げながら、父さんは満足げに俺を見る。「桔梗はすごいからな。いまだって、俺が腹を空かせて帰ってきたのを察してうどんを作ってくれたんだ」父さんの、母さんの愛を自慢する話には慣れている。でも、父さんが食っているその海老天は俺の分だと思う。俺は母さんを見る。俺の視線に気づいた母さんは、父さんには見えないように『内緒』というように唇の前で人差し指を立てて見せた。……別にいいけどね。毎日夜食を食べてい
last updateLast Updated : 2026-03-19
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外伝1-23

【誠司視点】「責任を負う立場になるということだね」俺の言葉に、父さんが小さく笑って母さんを見る。「優秀な息子だ」「蓮司さんはよい背中を見せていますもの」……仲の良い両親って、本当に目のやり場に困る。.「誠司の場合、一番分かりやすい変化は婚約の打診が増えるということだな」「……は?」父さんによると、俺に娘を合わせたいという声が増えているとのこと。それをすべて『高校生だから』で断っているという。「大学に行けばその言い訳が使えなくなる」「それって……」戸惑う俺の肩に母さんが手を置いた。「あくまでもお話しよ。これまで蓮司さんが断っていたのを、自分の口からお断りすればいいだけだわ」母さんに言葉に、父さんが苦虫を嚙み潰したような顔をする。「それが厄介なんだよ」……厄介、か。俺に見合い……ターシャはどう思うだろう。嫌がってくれるならいいけれど、それを望んでいたらどうしよう。いや、この際、ターシャも関係はない。俺がどうしたいかだ。俺は、ターシャ以外を選ぶ気はない。「無理やり結婚させられる、という可能性は?」「ないわ」母さんがにこりと笑いながらも、ずばりと言い切る。「今どき子どもの結婚で会社や業界をつなげようなどという愚策を、蓮司さんたちがするわけがないでしょう?」父さんへの信頼が厚いのはいいことだが。政略結婚への母さんの嫌悪感が半端ない……何か嫌なことがあったのか?「大丈夫よ。万が一、どうしても政略結婚が必要な場合は私たちが離婚するから」「桔梗!?」驚く父さんに、母さんが笑いながら首を傾げる。「頑張りましょうね、蓮司さん」「……もちろんだ」……とりあえず、俺に政略結婚はないって思えばいいのかな?つまり、結局は俺がどうしたいかを考えればいいんだろう。……どうしたらいいんだろうな。·俺はナターシャのそばにいる。そばにいたいから。そばにいるために、幼馴染という立場は目立つけれど、これまで一緒にいたからその延長で、特別ではないのだとアピールしている。それが、当たり前になっている。 でも、いつまで続くんだろう。いつまで、続けられるんだろう。そう思った瞬間、胸が痛む。俺はターシャを守りたい。 でも、守りきれる自信はない。母さんはさっき「頑張りましょうね」と言った。桐谷家に群がる政略的なつながりを
last updateLast Updated : 2026-03-20
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