All Chapters of めかし込んだのは、あなたとさよならするために: Chapter 21 - Chapter 23

23 Chapters

第21話

夜明け前、遥はそっとベッドを抜け出した。身支度を整え、まだ熟睡している蒼真を振り返ると、静かにドアを閉めた。病院では、奏人がベッドに背を預けて座っていた。彼は笑って言った。「今日は随分早いな」遥は彼の視線を避けた。「話があるの」遥は無意識に首筋へ触れた。そこには蒼真が残したキスマークがあり、微かに熱を持っている気がした。思い出すだけで、頬が火照る。彼女は顔を上げ、奏人を真っ直ぐに見つめて真剣に告げた。「神崎さん、お見舞いに来るのはこれで最後にするわ。あなたは私を十年間裏切ったけれど、私の命を救ってくれた。これで貸し借りなし。これからは、互いに借りも貸しもない関係になりましょ」奏人は呆然とし、遥が何を言ったのか理解するのにしばらく時間を要した。「本気……なのか?」「本気よ。私、蒼真と……うまくいってるの。彼は……私のことが好きみたい。私も、彼と向き合ってみたいの」その言葉を聞いて、奏人はようやく理解した。心が砕ける音というのは、これほどまでに轟くものなのかと。まるで幾千もの時間が咆哮を上げて通り過ぎ、何一つ掴めないまま、自分だけが置き去りにされたかのように。心が砕ける音は、無音でもあった。知らぬ間に心が死に絶え、この世の喜びを何一つ感じられなくなってしまったかのようだ。全力を尽くしたが、それでも彼女を留めることはできなかった。遥は晴れやかに微笑み、新鮮な百合の花束を奏人の枕元に置いた。「神崎さん、私、今とても幸せなの。あなたも幸せになってね」遥の笑顔を見て、奏人は悟った。彼女は本当に、完全に過去を吹っ切ったのだと。自分だけがその場に取り残され、檻の中の獣のように同じ場所を回り続け、抜け出せずにいるのだ。遥は花の香りを残し、曲がり角へと消えていった。一度も振り返ることはなかった。遥が家に帰ると、蒼真が待っていた。彼はスーツを着込み、髪をきっちりと撫でつけ、遥が入ってくると座る姿勢を正した。まるで何か厳粛な儀式でも行うかのようだ。「何してるの?」遥は不審に思った。彼は無表情で離婚協議書をテーブルに置き、淡々と言った。「サインしてくれ」離婚という二文字を見て、遥は頭を殴られたような衝撃を受け、意識が白く飛んだ。「どう……いう意味?」「文字通りの意味さ。離婚しよう。僕たちの
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第22話

薄暗い廃倉庫の中、遥は椅子に縛り付けられていた。口端から血を流し、顔色は蒼白だ。結奈はナイフを弄び、その側面で遥の頬を軽く叩きながら、獰猛な笑みを浮かべた。「奏人はあなたのためなら命も惜しまないそうね。遥、大した手腕だこと」遥は弱々しく目を開け、掠れた声で告げた。「黒木さん……恨む相手を間違えてる……あなたを傷つけたのは……私じゃない……」「黙りなさい!」結奈は腕を振り上げ、彼女の頬を張り飛ばした。「あなたが居なければ、私がこんな惨めな思いをすることはなかった!」彼女は遥を骨の髄まで憎んでいた。遥が奏人をたぶらかして夢中にさせなければ、彼女は今も華やかな「神崎夫人」のままでいられたはずだ。田舎に戻され、知的障害を持つ男と結婚させられることなどなかった。村長一家を焼き殺して逃亡し、執念で彩浜市へ舞い戻った目的はただ一つ、遥への復讐だ。彼女は女癖の悪い陽翔に取り入り、兄への復讐を唆した。そして陽翔の力を利用して遥を拉致し、自分と同じように生き地獄を味わわせようとしたのだ。彼女はナイフを振り上げ、遥の両目に切っ先を向けた。「まずはその男を惑わす目玉をえぐり出してやるわ。それでも男を誘惑できるかしら!」「やめろ!」乱暴にドアが開き、陽翔が飛び込んでくると、彼女の手首を掴んだ。「俺がこいつを拉致したのは、兄貴に桐山グループを渡させるためだ。人殺しになるつもりはない!」遥は陽翔と結奈を見比べ、ようやく事態を飲み込んだ。これは蒼真を狙った罠なのだ。蒼真が直面する危機を思うと、心臓が早鐘を打った。彼をこの窮地に陥れたくない一心で、彼女は叫ぶように言った。「私と蒼真の結婚は偽装だったの。それに昨日、離婚協議書にも署名したわ。私を捕まえても無駄よ、解放して!」陽翔は鼻で笑った。「義姉さん、兄貴への愛は本物みたいだな。だが、何を言っても無駄だ。兄貴はもうこちらに向かっている」三十分後、蒼真はたった一人で約束の場所に現れた。彼は陽翔が差し出した株式譲渡契約書に目も通さず、即座にサインした。サインした書類を陽翔の顔に叩きつけ、短く告げる。「彼女を放せ」その眼光の鋭さに、陽翔は背筋が凍る思いがした。陽翔の目には、兄はずっと病弱で穏やかな人間に映っていた。会社から追い出されたあの日でさえ、これほど強い殺気を放ってはい
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第23話

病室のカーテンが半分開け放たれ、朝陽が斜めに差し込んでいる。蒼真は静かに横たわり、呼吸に合わせて胸がわずかに上下し、長い睫毛が目の下に淡い影を落としていた。遥はベッドの脇に腰掛け、温かいタオルで彼の手の指を一本一本優しく拭っていた。大きく節くれだったその掌は、かつて無数の書類に署名し、彼女の手を力強く握りしめていたものだ。だが今は力なく開かれ、ぴくりとも動かない。「今日、グループの四半期決算が出たわ。前期比で12%も伸びてたの」遥は低い声で語りかける。その表情は愛情に満ち、まるで仕事の話ではなく愛を囁いているかのようだ。「高橋取締役が昨日また会議で難癖をつけてきたけど、思い通りにはさせなかったわ」遥は言葉を切り、指先で彼の手相をなぞりながら、その穏やかな横顔に視線を落とした。蒼真の呼吸は安定しているが、目を開けることも、彼女の絶え間ない語りかけに応えることもない。ついに遥は蒼真の手を握りしめ、その胸に顔を埋めてすすり泣いた。「蒼真、早く目を覚まして……もう耐えられない……」昨日、妊娠がわかった。蒼真は事故から二ヶ月も昏睡状態で、目覚める兆しは一向にない。つわりが酷く、何を食べても戻してしまう。それでも気力を振り絞り、彼が残した事業を守らなければならない。彼が心血を注いだ会社を、目覚めた時に失わせるわけにはいかなかった。けれど、本当に疲れた。心から、蒼真が恋しい。「蒼真、早く戻ってきて。私もこの子も、あなたを待ってるの……」病室のドアが静かに開き、手土産の果物を提げた奏人が立っていた。その複雑な眼差しが遥に向けられる。彼女はもう二ヶ月もここに詰め切っている。蒼真が事故で昏睡状態に陥ってからというもの、彼女は病院を離れず、昼は会社の仕事をこなし、夜は病室に泊まり込む日々を繰り返していた。奏人は喉が詰まるのを感じながら、意を決して足を踏み入れた。「遥」彼は低い声で呼びかけ、果物をサイドテーブルに置く。「少し休んだほうがいい」遥は顔も上げず、軽く「ええ」と返事をしただけで、アシスタントが届けた書類に目を通し続けた。奏人は彼女の憔悴しきった横顔を見て、胸が締め付けられる思いだった。彼は深く息を吸い、勇気を振り絞って口を開く。「一人じゃ……辛すぎるだろう」遥の指が止まったが、すぐ
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