Lahat ng Kabanata ng 協議離婚したら、忘れていた夢が叶い始めた: Kabanata 61 - Kabanata 70

100 Kabanata

第61話

杏奈の心に、情けの一片も湧かなかった。ただ冷淡な視線を向ける。「何?」その口調には、すでに小春を蒼介と同じ「敵」と見なすような冷徹な拒絶が滲んでいた。あの熱い味噌汁を投げつけられた瞬間、杏奈の中で何かが決定的に壊れた。もう、何も変えようとは思わない。母親としての最低限の義務さえ果たせれば、それでよかった。「ママ、ごめんなさい……」悪いことをしたと自覚したのか、小春は珍しく殊勝に頭を下げ、消え入りそうな声で謝罪した。「安達さんに叱られたの。あたしのしたことは、とっても悪いことだって。ママに謝らなきゃダメだって……」安達が、叱った?杏奈は内心で失笑した。そんな光景は、到底想像できなかった。もし安達が本当に小春を叱りつけたなら、この傲慢な小娘が黙っているはずがない。きっと大騒ぎして彼女を追い出しただろう。「用件がないなら、行きなさい」杏奈は、向き合うことすら億劫だった。「ないよ……」小春は唇を噛んで首を振った。「ただ、謝りに来ただけだから」ママが会いたくないのなら、謝罪が済めば、そこに留まる理由はなくなる。肩を落として去りゆく小春の背中はひどく惨めで、はた目には、胸を突かれるほど痛々しい光景だった。だが杏奈には、もはやいつものように抱き寄せ、なだめてやる気力など残っていなかった。慈しんだところで、何になる。その優しさが、いったいどれほど持続するというのか。紗里が現れれば、彼女は瞬時にして牙を剥く元の姿に戻るだろう。杏奈は意識から小春を締め出し、再び水で患部を冷やした。安達から受け取った軟膏を丁寧に塗ると、ようやく重い溜息をついた。「三浦様、もうお帰りになるのですか?」杏奈がバッグを手に玄関へ向かうのを見て、安達が慌てて追いかけてきた。「小春ちゃんはどうされるのですか?」「小春には、私以外にも親がいるでしょう」杏奈は至って平静に言った。「やるべきことは、もうやったわ。あとは……」言葉を切り、安達の困惑を慮って言い換えた。「蒼介に連絡しておく。彼が帰ってくるかどうかは、私の知ったことではないわ」蒼介が電話に出ないことは分かっていた。杏奈は事務的なメッセージを送り、振り返ることもなく屋敷を後にした。視界の端で、二階の窓に小さな影が映り、こちらを縋るように見送っているのが分かった。けれ
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第62話

小春は、耳元で空虚に響き続ける「ツー、ツー」という無機質な反復音が、これほど不快に感じたことはなかった。それはまるで、鋭い針で直接心臓を突かれているかのようで、小さな胸がズキズキと軋んだ。少なくとも今、母の杏奈が、自分に何度も電話を一方的に切られたときに何を思ったか、その痛みの一端を、身をもって知ったのかもしれない。「ママ……」小春は再び窓辺へとすがり、遠ざかるテールランプの群れを見送りながら、溢れ出した涙で視界を滲ませた。……「もういいから。泣けないのなら騒ぐのはやめて。耳障りだわ」路肩に車を寄せた杏奈は、携帯を手に、呆れ果てた表情で溜息をついた。「住所を教えて。今から向かうから」本来なら、このまま家に帰って休息を取るつもりだった。けれど、親友からのしつこいほどの着信履歴に、ついに根負けしたのだ。泣き喚き、叫び、どうしても来てほしいと訴えるその声には、ただならぬ切迫感があった。万が一の事態を危惧し、杏奈は仕方なく車をUターンさせた。「鈴木円香(すずき まどか)、本当に大事な用件なんでしょうね?」「へへ!安心して、ひっくり返るような大事件なんだから。早く来てよ」弾んだ声の裏に、何やら含みのある笑いが混じる。「もう切るね。まだ見張ってなきゃいけないから!」ん?見張る?杏奈は一瞬、眉をひそめた。円香が見張る対象など、蒼介以外に考えられない。彼と紗里が小春を置いて二人きりで外出したことを思えば、円香が何を目撃したのかは嫌でも察しがついた。行くべきなのだろうか。それとも……杏奈はわずかに逡巡した。あの二人とは顔を合わせたくもないし、関わることさえ忌々しい。けれど、すぐに思い直した。悪いことをしたのは自分ではない。隠れなければならない理由など、どこにもないのだ。自分はこの濱海市で生きていくと決めた。ルミエールに戻り、止まっていた情熱を、再び揺り動かすのだ。ならば、あの二人とは避けては通れない道なのだ。忘れてはならない。紗里もまた、同じ土俵に立つジュエリーデザイナーなのだ。逃げる必要はない。逃げてはならない。決意を固めると、杏奈はアクセルを力強く踏み込んだ。街の灯を切り裂き、夜を滑るように突き進んだ。……「杏奈、こっちこっち〜!」ホテルの二階。エレベーターを降りるなり、宴会場の外で小さく屈み込ん
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第63話

「ほら!あなたも二、三発殴って、これまでの恨みを晴らしなさいよ!」円香は杏奈の手を掴むと、強引に会場内へと踏み込んだ。小柄な体に似合わぬ剛力に、杏奈は思わずよろめいた。体勢を立て直して制止しようとしたときには、もはや手遅れだった。宴会場に集ったすべての客が振り返り、招かれざる客に注目が集まった。杏奈は居心地の悪さに身を縮めたが、円香は一向に動じる気配がない。「何見てるのよ!浮気現場を――」「いい加減にしろ」低く、氷を割るような一喝が、その場の空気を一瞬で凍りつかせた。人だかりの中心に、漆黒のスーツを纏った男が立っていた。彫刻のように端正な、だが凍てついた顔立ち。その胸元に輝く金縁の装飾が、逃げ場を奪うような、圧倒的な威圧感。男が二人に向かって歩み出すと、客たちは恐怖に撥ねられたように、波が引くごとく道を開けた。「下らぬ小細工はやめろ」蒼介は杏奈の目前まで来ると、憎悪を押し殺した声で吐き捨てた。「俺がまだ理性を保っているうちに、ここから消えろ」彼は疑うことなく、この場に及んでなお見苦しい芝居を打つ杏奈の策を弄したのだと断じ、冷たく決めつけた。以前の杏奈なら、これほど大勢の前で屈辱を味わわされれば、絶望に打ちひしがれていただろう。けれど今は、無数の刺すような視線を浴びながらも、彼女の表情に微塵の揺らぎもなかった。「信じてもらわなくても構わないけれど。これはただの偶然よ」「あなたの宴会を邪魔するつもりは……」「最後だ。出て行け」蒼介は聞く耳を持たなかった。「もし、嫌だと言ったら?」円香が唇を尖らせて割って入った。「偉そうに。不貞を働いたくせに、不倫してるクズが、正妻の前で威張るなんて滑稽だわ。愛がどうのなんて言い訳は聞き飽きたわ」結婚に同意したのなら、夫としての責務を果たすのが道理だ。嫌なら最初から断ればよかったのだ。誰かに銃を突きつけられ、無理やり役所に婚姻届を出させられたとでも言うのか。嫌なら結婚しなきゃよかったのよ。誰に強制されたわけでもないのに。もし周囲に人がいなくて、話が実家に伝わって母に叱られる心配さえなければ、こう言い放ってやりたかった。「一体何様だと思っているのか」と、喉元まで出かかった。……まあ仕方ない。何の重圧もない人生とは、これほどまでに気ままで、図太くいられるもの
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第64話

「ほう?」蒼介は低く、楽しげに喉を鳴らした。「つまりお前は今、鈴木家を代表して俺に牙を剥くと受け取っていいのか?」直接的な衝突を避けたとしても、いくつかの提携を白紙に戻し、執拗なトラブルを仕掛ければ、一族は迷わず彼女を切り捨てるに違いない。杏奈と円香の絆がどれほど深かろうと、一族全員が己の利益を犠牲にしてまで彼女を庇い立てするはずがない。冷酷な現実に、杏奈の胸が締め付けられた。親友の厚情は痛いほど嬉しいが、自分の泥沼に彼女を道連れにするわけにはいかない。「円香……」「ちょっと黙ってて」円香は杏奈の手を制すと、一歩踏み出し、蒼介に鼻先が触れ合うほどに詰め寄った。その瞳に、一抹の恐怖も宿っていない。言葉を叩きつけるように、一音ずつ区切って言い放った。「私がここに立っているのは、己のためでもなければ、一族のためでもない、ただの親友。それだけで十分でしょ!」幼い頃から共に育った大親友として、この惨状を見て見ぬふりなどできるはずもない。ここで引くようなら、彼女を友と呼ぶ資格はないのだ。「それで、お前は何がしたいのだ?」蒼介は円香を問いただしているようで、その冷淡な視線はすでに杏奈に固定されていた。たとえ円香の独断であろうと、杏奈が手引きした事実に変わりはないと確信していた。「杏奈、怖がることなんてないわ。思い切って言いなさい!」円香が杏奈を促す。「このクズ男と毒婦を二、三発殴ってやるか、それとも不倫の証拠を突きつけて、世間の晒し者にしてやるか!」天下の吉川グループの当主が、妻子を捨てて不義に及んでいるとなれば、濱海市は、文字通りひっくり返ることだろう。「おいおいおい!」張り詰めた空気を、軽薄な声が切り裂いた。円香が振り返ると、派手な柄のスーツを纏い、両手をポケットに突っ込んだ男が、相手を舐めきった笑みを浮かべて近づいてきた。「北島涼平、あなたには関係ないことでしょう」円香は不快げに眉をひそめた。濱海市の社交界には、二大奇人がいる。ひとりは名門の出でありながら自由気ままに生きる円香。そしてもうひとりは、享楽に耽り、女の群れを渡り歩く正真正銘のドラ息子、涼平だ。「おいお嬢ちゃん、胸だけじゃなくて頭の中まで空っぽなのか?」涼平は失礼極まりない視線を彼女の胸元に走らせ、口を歪めた。「蒼介と俺は腐れ縁だ。彼のことは
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第65話

学生時代に殴られたこと、まさか、すべて忘れたわけではあるまいに?忘れるはずがない。不意打ちで二発もの平手打ちを食らった涼平は、忌々しい記憶が、一気に脳裏に蘇った。そう、彼と元、蒼介、円香、そして杏奈は、みな同じ学校の出身だった。学年も専攻も異なっていたため接点などほとんどなかったが、唯一の例外があるとするならば、涼平が円香にこっぴどく叩きのめされた一件を除いては。蒼介は当時から極めて優秀で、誰もが羨む、学園のアイコンだった。教師や教授たちは口を揃えて彼を称賛し、端正な容姿に溢れんばかりの富、欠点など何ひとつない――誰もが彼に目を奪われるのは、当然の理だった。それは杏奈にとっても同じことだった。けれど、自らが愛してやまないジュエリーデザインへの情熱比べれば、その淡い恋心などすぐに胸の奥に閉じ込めてしまえる程度のものだった。親友である円香との会話の中で、ほんの少し話題に上ったことがあっただけ。それをたまたま涼平が聞きつけ、その嘲笑が、すべての火種となったのだ。学内にいるうちは、まだ円香が守ってくれた。けれど、あの事故が起きて以来、杏奈は完全に居場所を奪われ、どん底まで突き落とされた。当時の屈辱が蘇り、杏奈も思わず涼平の頬を張り飛ばしてやりたい、という激しい熱に突き動かされた。「ふぅ……」深く息を吐き出し、猛り狂う感情を力ずくで抑え込み、今にも暴走しかけている円香を制止した。「円香、もういいわ」「ねえ杏奈、あなたも二、三発お見舞いしてやらないの?」円香は顔を真っ赤に上気させ、興奮冷めやらぬ様子で杏奈を振り返った。「人を殴るのって、特にこういうゲスな男をぶちのめすのって、最高にスカッとするわよ」「大丈夫」杏奈は穏やかに首を振った。もはや、どうでもいい連中のために、自らの感情を寸分たりとも動かしたくはなかった。彼らにそんな資格などない。「信じるかどうかは別として、今日ここで騒ぎを起こすつもりはなかったわ」杏奈は改めて蒼介を見据えた。彼の表情は氷のように凍てつき、その目には冷酷な色が宿っている。「……散々騒ぎ立てた挙げ句、俺の友人を殴っておいて、騒ぎを起こすつもりはなかったと言うのか?」「ちょっと、殴ったのは私よ!」円香が横から叫ぶ。彼女の存在など視界に入っていないかのように無視し、蒼介はただ冷ややかな眼差しで
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第66話

杏奈は蒼介の胸中に生じた微かな揺らぎには気づかなかったが、涼平の瞳に浮かんだ困惑の意味はよく理解できた。ふと、乾いた笑いがこみ上げてきた。長年捧げてきた真心のすべてが、滑稽な茶番に思えたからだ。彼の周囲の友人たちにさえ、ひとつの共通認識が染み付いている。杏奈という女は、無条件に蒼介を敬い、跪くべき存在であるという偏見。そして蒼介本人はそれを見て見ぬふりをし、永遠の無関心を貫き、路傍の石ころほどにしか、自分を見ていない。「杏奈、大丈夫?」突如として笑い出した杏奈。その隠しようのない寂しさが、笑みに影を落としていた。彼女を見て、円香はたまらなく不安になった。「どうしても我慢できないなら、先に帰りましょう。時間はたっぷりあるんだから、このお似合いのゲス共に落とし前をつけさせる機会なんていくらでもあるわ」「ええ、行きましょう」杏奈は頷き、円香とともに外へと向かった。同時に、小さな疑問が胸を掠める。今回、蒼介はどうして色をなさなかったのだろうか。円香が二人を「お似合いのゲス共」と罵ったとき、普段の彼なら紗里を守るために、冷酷な言葉で一蹴したはずなのに。「蒼介、大丈夫か?」涼平も今、まったく同じ疑問を抱いていた。「……問題ない」蒼介は、二人が去っていった方向を深く見つめたあと、翻って宴会場へと戻っていった。その背中は重苦しい沈黙を纏い、彼が何を考えているのか、誰にも読み取らせなかった。「つまり、殴られ損もいいところだな」涼平は腫れた頬を撫でながら、不満げに独り言をこぼした。「しかも、タダで殴られたなんて……」……「ああ、最高!」庶民的な焼肉屋で、円香は串を頬張り、豪快にビールを煽り立てていた。そこには名門令嬢の面影など微塵もない。今にも片足を椅子に乗せて揺らし始めそうなその姿は、まるでそこらのオヤジも真っ青な飲みっぷりだった。「杏奈、いい。次にこういうことがあったら、思いっきり殴ればいいのよ。二、三発お見舞いしてやれば、その爽快感を知ることができるから」杏奈が制止しなければ、この勢いのまま会場へ戻り、涼平をさらに殴り飛ばしに行きかねない有様だった。「はいはい、もういいわよ」杏奈は、さらに酒を注ごうとする円香を止めた。「少し控えなさい。食べ終わったら、家まで送るから」円香は「えーっ」と不満の声を漏らした。
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第67話

ジュエリー会社において、最も重要な存在はチーフデザイナーだ。彼女こそが会社の屋台骨であり、あらゆる宣伝が、彼女の作品を軸に展開される。たとえ会社が成長を遂げても、彼女は至宝として、丁重に遇される。これは単にデザインが優れているとか、装飾が美しいというだけで成し遂げられることではない。長きにわたる年月と、積み重ねられた実績、そして顧客からの絶対的な信頼があって初めて達成できる地位なのだ。たとえ杏奈がルミエールに戻ったとしても、まずは一介のデザイナーからスタートし、地道にデザイナーとしての階段を上るほかない。「でも、あの連中が……」円香の懸念は晴れなかった。「当時、あなたへの風当たりは相当なものだった。それに聞き及んだところによると、ルミエールには数年前、横井那月という女が入社したらしいの。彼女、社内で根も葉もない噂を吹聴していたようよ。今戻れば、間違いなく爪弾きにされるわ」「横井……那月?」記憶を辿ってみたが、杏奈にはその名に心当たりがなかった。「知らないわ。面識もないのに、よくそこまで言えたものね」「さあね」円香は肩をすくめた。ルミエールの内部事情にまで立ち入って干渉するわけにはいかない。これも偶然耳にして調べてみた結果、判明したことだった。「その横井那月という女についても業界の伝てを当たってみたけれど、誰も知らないの。ひどく謎めいた人物よ」これは円香の調査不足ではない。横井家は濱海市に居を構え、那月と美南の関係も良好らしいが、実情は三流どころか、箸にも棒にもかからない家柄なのだ。わざわざ気にかける価値もない、取るに足りない存在を、いちいち気にかける者がいるだろうか。重箱の隅を突くような調査をしなければ、その正体を突き止めるのは、至難の業だ。「わかったわ。ありがとう」杏奈は静かに頷いた。「心に留めておくわ」杏奈の決意が固いのを見て、円香はそれ以上の説得を断念した。「とにかく、耐えられなくなったらすぐに言いなさい。仕事を放り出して、世界中を旅しましょう」「……ええ、ありがとう」杏奈は心の底から微笑んだ。食事が終わり、酒宴も一段落したところで、杏奈は円香を自宅まで送り届けた。ようやく自室に戻ったところで、不意に電話が鳴り響いた。幸いなことに、発信者はあの嫌な連中ではなく、小春が通う幼稚園の先生だった
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第68話

蒼介に連絡すべきか。けれど喧騒の余韻も冷めやらぬうちで、まだそれほど時間は経っていない。……まあいいわ。急ぐことでもないし、明日確認すれば。杏奈はそう呟いて携帯をしまうと、そのまま淡々と身支度を整え始めた。一方、吉川家。「えへへ、忘れちゃってた!」母が去り、父も遊んでくれなくて沈んでいた小春だったが、帰宅した父の隣に、美味しい手土産を持った紗里の姿を見つけると、ぱっと顔を輝かせた。「パパ、この二日間、紗里ちゃんと遊ぶのに夢中で、参観日のことなんてすっかり忘れちゃった」小春は蒼介の膝の上にちょこんと座り、時折、紗里が差し出す食べ物を「あーん」と口にする。目を細めて咀嚼するその顔は、至福そのものだった。やっぱり紗里ちゃんがいい。ママみたいに味噌汁を無理やり食べさせたりしないもん。ふん、あんなにちゃんと謝ってあげたのに、ママは味噌汁を作り直して「いいよ」って笑ってくれなかった。本当に、根に持ってるんだから。「よかったわね。先生がタイミングよくパパに連絡をくださったから助かったわね。そうでなければ、当日になって参加できないところだったわよ」紗里の瞳には、慈しむような、それでいてどこか底知れない眼差ししを湛えていた。「楽しみね。小春ちゃん、当日はどれほど立派な姿を見せてくれるかしら」そう言って、彼女は蒼介に視線を向けた。「蒼介、当日はたくさん動画や写真を撮って、私にも送ってね」「ああ」蒼介が短く頷く。紗里は一瞬、拍子抜けしたような顔をした。当てが外れた、といった顔をした。本来なら、次に続く小春のような言葉が、彼からも発せられるべきだった。「あ、そうだ!紗里ちゃん、直接見に来ればいいじゃない!あたしも、紗里ちゃんと一緒に参加したいな。先生が言ってたけど、今度のゲーム、すっごく面白いんだって。だから一緒に来てよ」小春は口の中のものを飲み込むと、頬を紅潮させ、矢継ぎ早に言葉を投げた。「でも、これは『親子』行事でしょう?」紗里は感情を押し殺し、残念そうに肩を落とした。「ママと一緒に、参加するべきじゃないかしら」「ママ」が出た途端、小春の顔があからさまに不快感を滲ませた。「ママになんて、来てほしくない。今日だって味噌汁も飲ませてくれないで、勝手に帰っちゃったんだもん」その言葉に、傍らで控えていた
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第69話

だからこそ、行事の数日前から、杏奈は細やかな準備を怠らなかった。持参用の作品、予備のタオル、水筒。時には着替えまで用意した。些細なことだが、それは神経をすり減らす、果てしない徒労の連続だった。忘れ物はないか、小春が困ることはないか、それだけが、杏奈の世界のすべてだった。けれど、もうそんな労苦を背負う必要はない。杏奈は、背負い続けた重荷をようやく下ろしたような、晴れやかな解放感を覚えていた。ママが承諾したことで、紗里ちゃんをがっかりさせずに済む。あたしのすごいところ、紗里ちゃんに見てもらえるんだ!小春は歓喜に震えるはずだった。しかし、ママがもう展示用の粘土作品を作ってくれないと知り、不満げに口を尖らせた。「ママ、粘土は作ってくれないの?」「作らないわ」「じゃあ、あたしは何を提出しろっていうのよ!」「それは、あなたの紗里ちゃんに相談してちょうだい」杏奈は至って平静に答えた。「でも……」どれほど紗里を慕っていようと、小春も、薄々は感づいていた。彼女が自分のために作品を作る姿を見たことがない。ならば当然、誰もが絶賛するあの傑作を作るはずもなかった。それは紗里への幻滅ではなく、小春なりの勝手な解釈だった。美しい宝石をデザインする特別な人なのだから、その手を家事の汚れに染めるべきではない。こんな手をベタベタ汚れる作業に触れるのは、ママのように一日中家にいて、パパのお金で何不自由なく、何一つ生み出さない、空っぽな女がやるべき仕事なのだ。「『でも』も何もないわ」小春が口にせずとも、杏奈にはすべてがお見通しだった。要するに、都合のいい身の回り役がいなくなったことに、今さら気づいただけの話だ。「ふん、もうママなんていいわよ。どうせ紗里ちゃんがいるんだもん。既製品をいくらでも買ってくれるわ!」小春は怒りに任せて、杏奈が返事も待たず、叩きつけるように通話を切った。それでも、杏奈の心は凪いでいた。携帯を置くと、先輩から届いたデザイン画の精査に戻る。ルミエールへの復帰まで、あと三日。準備は万端だが、それでも胸がわずかに高鳴っていた。……「何を緊張しているんだ」蒼介の大きな影が、足元にいる娘をいっそ哀れなほど、小さく浮き彫りにしていた。小春は父を見上げ、悔しさを滲ませて口を開いた。「パパ、ママが提出用の作品も
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第70話

「だめだ」蒼介は冷たく突き放した。「お前は今週、すでに二日も無断欠席している」小春は後ろめたさに身を縮めた。あの二日間、紗里と遊び呆けていたツケが回ってきたのだ。こんなことなら、一日控えておけばよかった。そうすれば行事の日に紗里ちゃんと過ごし、ママを追い出せたのに!悔しさに唇を噛み、小春は不満をぶつけた。「じゃあ、紗里ちゃんに見学に来てもらうのは?それならいいでしょ?」ゲームには参加できなくても、紗里ちゃんが見守ってくれるのなら、ママと並んで立つ屈辱も我慢できる気がした。「自分で聞け」蒼介は肯定も否定もしなかった。「うん、今すぐ聞く!」小春はキッズ携帯を操作し、紗里に連絡を入れた。見学の承諾を得ると、すぐさま杏奈へと電話をかけ直す。「わかったわ」杏奈は至って淡々と応じた。「当日、伺うわね」「じゃあ、粘土も――」言い終わる前に、通話は切れた。時間がない。片付けるべき仕事が、山のように控えている。ルミエールは杏奈が心血を注いで築いた、彼女自身のプライドそのものだ。その門を再び開くのが容易でないことは、身に染みて分かっている。気まぐれな小娘の我儘に付き合っている暇など、一刻の余談も許さなかった。粘土を作る時間など、あるはずもない。行事への参加は、母親としての最低限の義務を果たすためだけに過ぎない。そうでなければ、一日を棒に振ることなど、今の彼女には耐え難い。そう、小春に付き添うことは、杏奈にとってすでに時間の浪費以外の何物でもなかった。耳元で響く、無機質な通信途絶の音に、小春の顔が不機嫌に歪んだ。「パパ……ママ、また電話を切っちゃった」「忙しいんだろう」「でも……」小春は唇を噛み、こみ上げる涙を、必死で堪えた。「最近、何度も何度も切られるの。あたしが作って欲しいって言ったものも、作ってくれない。ママ、あんな風じゃなかったのに!いったい、何に忙しくしてるっていうのよ!」あたしより、大事なことなんてあるわけないのに。娘の涙ながらの訴えも、蒼介の関心を引くことはなかった。「……その忙しいのが終われば、元に戻るだろうよ」「ほんと?」小春は縋るように父を見た。今の冷淡なママより、以前のように自分を跪かんばかりに特別視していたママの方がいいに決まっている。小春も、杏奈の慈しみが分からなかっ
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