《幼馴染を選ぶはずの彼の心に、私が残っている》全部章節:第 411 章 - 第 420 章

482 章節

第411話

……明乃は、自分を数日間苦しめていた重荷が、湊にあっけなく解決されたことに驚いた。事務所に戻り、手元の仕事を片付けてから、彼女はようやく明斗に電話を入れた。電話に出ると、背景音がざわつき、紙をめくる音が混じっていた。「お兄さん……」明乃は一瞬言葉を詰まらせ、無意識にスマホの縁を爪でなぞった。「藤崎家が資金の提供をやめた件、私……」「心配しなくていい、もう片がついた」明斗は淡々と彼女の言葉を遮った。「さっき湊から電話があった。新しい出資契約は明日の朝に締結する。今回は前より条件もいい。安藤家はひとまず持ち直したし、城東プロジェクトも再評価に入る。藤崎家側から専門チームも入るそうだ」明乃の心はようやく落ち着いたが、背中には薄い汗が滲んだ。恐怖ではなく、別の重苦しさが胸にのしかかってきた。彼女は数秒黙り込んでいたが、明斗は電話越しで彼女の荒い呼吸音をはっきりと聞くことができた。「どうした?」明斗はすぐに彼女の異変を察した。明乃は乾いた唇を舐め、声を潜めた。「お兄さん……湊のお父さんが、あの時どう亡くなったのか知ってる?」電話の向こうが突然静まり返った。息さえ止まったかのようだった。しばらくして、明斗の声が響いた。先ほどより低く、沈んだ。「なんで急に?」「私はただ……知りたいの」明斗は軽いため息を漏らした。「詳しいことは知らない。あの界隈で出回っていた話じゃ、交通事故だってことになってる。あまりに突然で……当時は藤崎家も一時かなり荒れたらしいけど、すぐに押さえ込まれた。情報も漏れないよう厳しく封じられていて、細かいところまでは……誰も怖くて探ろうとしなかった」少し間を置いてから、彼は鋭い警戒心を滲ませた。「藤崎家のような名門には、部外者に晒したくない痛みがある。そんなことを聞くってことは……何か耳に入ったのか?」明乃は目を閉じた。やはり。やっぱり、お兄さんでさえ交通事故だとしか知らなかったんだ。「湊のお父さんのことだけど……」彼女は一文字ずつ、何かを恐れるように低く言った。「単なる事故じゃないかもしれない」「……」電話の向こうで、明斗の呼吸が明らかに荒くなった。「事故じゃない……」湊は繰り返し、声を低く抑えた。「もし本当にそうだとしたら……藤崎家の内情は、俺が思っていた以上に根が
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第412話

ふと今日、湊が自分の前に立ち塞がった時の、あの極限まで張り詰めた背中が脳裏をよぎった……明乃は連絡先を開き、長いことかけていなかった番号を探し当てる――修。……バーの照明は薄暗く、音楽は耳をつんざくほど大きかった。タバコと酒、香水の匂いが入り混じった空気は、派手でありながらどこか退廃的だった。明乃は騒がしい人混みをかき分け、電話で聞いた通りの最上階のVIPルームの扉を押し開けた。修はソファにもたれ、気怠げにくつろいでいた。彼は黒のシルクシャツは襟元が開き、袖も無造作に肘までまくり上げられている。形のいい腕と、手首に光る限定モデルの時計が目に入った。指先にはタバコが挟まっていたが、吸ってはいない。灯りの中で、その火だけが明滅している。もう片方の手には琥珀色のウイスキー。氷がグラスの内側に当たり、涼やかな音を立てていた。修は隣に座る、化粧の濃い派手な女と何かを囁き合っていた。口元には笑みが浮かんでいる。いかにも女慣れした笑い方だったが、心の底からは楽しんでいなさそうだった。扉の開く音に気づいたのか、修が顔を上げた。明乃を見た瞬間、彼の眉がわずかに動いた。だが次の瞬間には、隣の女に軽く手を振って合図を送る。女は唇を尖らせ、不満そうに腰を揺らしながら出ていった。「珍しいな、大弁護士の明乃さん」修はタバコを灰皿に押しつけて消すと、身を乗り出すようにして肘を膝に置いた。そして、どこか軽蔑するような目で明乃を見上げた。「俺に何か用?」明乃は彼の隣の空いた席に腰を下ろした。「少し聞きたいことがあるの」最初から遠回しに探るつもりはなかった。「へえ、何を?」修は低く笑った。「わざわざ俺のところまで来て聞くことか?おたくの湊は、君にぞっこんだろ」グラスを揺らしながら、修は煙の向こうで意味ありげに目を細めた。「何、喧嘩でもした?」「違うわ」明乃は首を振り、その目をまっすぐ見返した。「湊のお父さんに……昔、何があったのか知りたいの」修の顔から、笑みがすっと消えた。彼は数秒、明乃をじっと見つめた。目に浮かんでいた軽薄さが少しずつ剥がれ落ち、その代わり鋭い色が差してくる。それから、修は手の中のタバコを完全にもみ消した。「どうして本人に聞かない?」「あの人の傷口に触れたくないの。でも……放っておくのも不安で……」
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第413話

明乃はグラスを握る手に力を込めた。指先が白くなるほどだった。十六、七の少年が、いったいどうやってそんな日々を耐え抜いたのか、彼女には想像もできなかった。「それで?」明乃の声は少しかすれていた。「それで?」修は口元をわずかに歪めたが、その笑みは冷えきっていた。「そこから藤崎家は一気にきな臭くなった。あの頃、幸之助さんの体調はもうあまり良くなかったし、成宗さんが死んで後継ぎの席が空いた。そこで一番派手に動いたのが、湊の叔父の亮さんだ。当時は今みたいな腑抜けじゃなかったし、やり方もえげつなかった。野心も今よりずっと剥き出しだった」「湊と湊の母親は、支えを失ったばかりだった。しかも幸之助さんは息子を亡くした痛手で倒れて、しばらくは何もできなかった。そこを亮さんがうまく入り込んだ。彼は権力を握って、湊と母親を排除しようとした。会社の中も、家の中も、亮さんの息がかかった人間ばかりになった。湊の母親は……気が強い人じゃなかったから、耐えきれなかった。藤崎家の中で、湊の母親は肩身の狭い思いをしてたよ」明乃は目を閉じた。胸の奥が重く詰まる。「あの数年、湊は……」修はそこで少し言葉を選ぶように間を置いた。「かなり酷かった。ああいう界隈にいる連中って、風向きが変わればすぐ態度を変える。次の後継ぎが誰かで、みんな露骨に動くんだ。前は湊に取り入ってた連中が、今度は湊を避けるようになった。それどころか、亮さんに乗っかって湊を踏みつける連中までいた。学校でも同じだった。湊はかなり露骨に孤立させられてた。裏で亮さんが手を回してたんだろうな」修の口調はずっと淡々としていた。だが、明乃には修の言葉の底にある濁流のようなものがはっきり伝わってきた。あれは、ひと言で「大変だった」では済まされない。頼れる相手もいないまま、逃げ場もなく、父親を失った直後に、血の繋がった家族からまで冷酷さを向けられる。そんな日々だったのだ。「湊は……それでも、ずっと耐えてたの?」明乃の声は震えていた。「耐えるしかなかったんだよ」修は明乃を見た。「あの頃の湊はまだ子どもだった。権力も、金も、人脈もない。そんな状態で、どうやって亮さんと張り合う?それに、幸之助さんが何を考えてたのかも、誰にも分からなかった。幸之助さんは湊を鍛えるつもりだったのかもしれない。亮さんのほうが場をま
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第414話

「ヒカリスバイオを手にして、初めて湊は藤崎家の中で本当の発言力を持てるようになったんだ」修はタバコの煙をひとつ吐いた。「そこから幸之助さんも、ようやくこの孫を気に掛けるようになった。亮さんは焦ったよ。潰そうとはしたけど、もう押さえ込めなかった……」「湊はやる時は容赦しない。自分にも厳しいし、敵にはもっと容赦がない。ヒカリスバイオを立ち上げていく過程で、亮さんが裏で仕掛けてきた妨害は何度もあった。でも、湊はそれを一つずつ潰して、逆に藤崎グループからうまいところをいくつも奪い取ったんだ」修は冷えた笑みを浮かべた。「あの頃の藤崎家の中はかなり荒れてた。でも、その時点でもう湊の足場は固まってた」個室の中が静まり返る。外から、かすかに音楽だけが響いてきた。明乃は修の話を胸の中で整理していた。心は重く沈んだままだった。明乃はようやく分かった。湊のあの年齢に似合わない奥深さも、あの冷たさも、どこから来たものなのかを。あれは生まれつきのものじゃない。棘だらけの道と、血のにじむような現実の中で、少しずつ削られ、鍛えられてできあがったものだった。「じゃあ……」明乃は顔を上げて、修を見た。「彼のお父さんの死には、本当に亮さんが関わってたの?」修はすぐには答えなかった。修は吸いかけのタバコをもみ消し、また一本火をつけた。火先が暗がりの中で小さく明滅する。「湊は、決定的な証拠は掴めなかった」修はゆっくりと言った。「時間が経ちすぎてたし、現場も妙なくらい綺麗に処理されてた。でも湊は、ただの事故だとは信じてなかった。事故の前、成宗さんは藤崎グループの中で亮さんがやってたことを整理しようとしてた。二人の仲はかなり悪くなってたんだ。事故の日も、本当は成宗さんが一人で取引先に会いに行くはずだった。それが直前になって、湊も連れて行くことになって……そのまま事故が起きた」修はそこで少し声を落とした。「湊はあとで調べてた。あの日の運転手は、亮さんが成宗さんに紹介した人間だった。事故のあと、その運転手は現場で死亡。しかも運転手の家族は、事故から一か月もしないうちに海外へ移って、そのまま跡形もなく消えた」明乃は足元から寒気が這い上がってくるのを感じた。もし本当にそうだとしたら……それはもう、最初から仕組まれていた殺人事件だわ!しかも、自分の
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第415話

明乃は修の視線をまっすぐ受け止め、ゆっくりと頷いた。「わかってる」バーを出ると、夜風はひどく冷たく、頬に刺さるように痛かった。明乃はすぐにはタクシーを呼ばなかった。彼女は人気のない通りを、一人でゆっくり歩いた。頭の中では、修の言葉と、湊の眼差しと、幸之助が見せたあの取り乱した様子が、何度も何度もぶつかり合っていた……どれもが絡み合い、明乃の神経を容赦なく引き裂いていく。明乃は、湊がふと見せる疲れた表情を思い出した。湊が自分を抱きしめる時、あれほど強く腕に力を込めることも思い出した。湊が藤崎家のことを口にした時、目の奥に一瞬だけ走る皮肉な光も思い出した。やっぱり、あれは気のせいなんかじゃなかった。あの頃の湊には、安らげる居場所なんてなかった。湊は、裏切りという名の瓦礫の中から、自分だけの砦を少しずつ築いてきたのだ。そしてヒカリスバイオは、湊にとっていちばん堅い鎧であり、いちばん鋭い武器になった。その時、ポケットの中でスマホが鳴った。明乃はスマホを取り出して見る。画面には「湊」の名前が表示されていた。明乃はその名前を何秒も見つめてから、ようやく通話を取った。「今どこ?」湊の低い声が耳に届く。声の奥には、かすかに張り詰めたものが混じっていた。彼に知られた?明乃が修に会いに行ったことを?それとも……ただ、自分の帰りが遅いから気にしているだけなのだろうか?「今帰宅途中よ」明乃はできるだけ平静に聞こえるように答えた。電話の向こうで一瞬沈黙があった。「……一人か?」「うん」「住所を送れ。俺が迎えに行く」「大丈夫。もうタクシーを拾うから、すぐ着く」明乃はそこで少し間を置き、そっと尋ねた。「あなた……まだ会社にいるの?」「ああ、少しやらないといけないことがある」湊も少し間を置いた。「安心しろ。おじいちゃんのほうから、もう君にちょっかいを出させないから」その口調は揺るぎなかった。その言葉を聞いた瞬間、明乃は鼻の奥がつんとした。危うく涙がこぼれそうになった。彼女はそっと鼻をすすり、その込み上げるものをどうにか押し込めた。「湊……」「ん?」「ううん、何でもない」結局、彼女は聞けなかった。あんな残酷な過去を、どうして彼自身の口でもう一度語らせられるだろう。「ただ……会いたくなっ
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第416話

明乃が勢いよく振り返ると――後方からは、いくつものヘッドライトが眩しく目を射る。確かに二、三台の黒い車が、つかず離れずの距離でついてきているのが見えた。ありふれた車種で、車の波に紛れてしまえば全く目立たない。だが、彼女が振り返った瞬間、それらの車は突然ウィンカーを出し、一斉に右の脇道へと曲がっていった。テールランプの赤い光が一度きらめき、街角の向こうへ消えていく。「なんかすみませんね」運転手は頭をかきながら言った。「私の勘違いだったかもしれません。こんな時間ですし……」明乃は何も答えなかった。スマホを握る手のひらには、うっすらと汗がにじんでいた。胸の奥で心臓が鼓動する感覚も、まだ収まらない。考えすぎなのかしら?あれこれと思いを巡らせていると、不意にスマホが鳴った。徹からの電話だ。すると、徹の妙に高ぶった声が飛び込んできた。「ボス、でかいネタを掴んだかもしれないっす!香織さんのことで……」ひと通り話を聞き終えた明乃は、思わず眉をひそめた。「分かった。すぐ事務所に戻る」「運転手さん、行き先を港岬(こうさき)金融センターに変えてください」運転手は「はい」と返し、ウィンカーを出して車線を変えた。明乃はシートにもたれたまま、窓の外を流れていくネオンをぼんやり見つめた。明乃の顔にはほとんど表情がない。美優……今度こそ、きっちりケリをつけないと。……その頃、美優はここ数日ずっと気の休まる暇もなかった。挙式が近づいているというのに、岳の態度は最後まで煮え切らないままだった。【岳、前撮りの写真が上がってきたの。このカット、どう思う?】【君が決めればいい】【招待状のデザインは……】【適当でいいよ】美優はスマホを握りしめ、爪を保護フィルムに食い込ませた。まただわ。いつもこう。美優は腹を立て、スマホをソファへ放り投げた。前撮りも、招待状も、披露宴の料理も……結婚式の細かいことは、全部自分一人に押しつけられている。岳は一応、家には帰ってくる。だが帰ってくるだけ。毎日ゲストルームで寝ている。あの様子では、家にいるというより、ただホテルに泊まっているのと変わらない。いや、ホテルならまだフロントと会話くらいはする。彼は自分と口を利くことすら面倒くさがっている。美優はローテ
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第417話

梅はぺっと唾を吐き、顔には隠そうともしない憤りが浮かんでいた。「昔、岳が助けてなかったら、明乃はとっくに酷い目に遭ってたのよ!恩も忘れて、今さらうちの息子をたぶらかそうだなんて!」美優の泣き声がぴたりと止まった。彼女は顔を覆っていた手をゆっくり下ろした。睫毛にはまだ涙が残っている。「……今、何て言ったの?岳が明乃を助けたことがあるの?」梅の目が一瞬揺れた。彼女は、自分がうっかり口を滑らせたと気づいたようだった。だが、目の前で目を真っ赤にしている美優を見ると、岳のことで募っていた不満がまた込み上げてきた。「そうよ!」梅は声を潜め、身を乗り出した。「あれはもうずいぶん前の話だけどね。明乃がある夜、学校の裏路地で何人かのチンピラに目をつけられたの。そこをたまたま岳が通りかかって、追い払ったのよ。詳しいことまでは私も知らないわ。あとで明乃本人から聞いて、私も初めて知ったんだから」梅は唇を尖らせた。「私に言わせれば、あの小娘は疫病神よ。やたら男の目を引く顔してるから、行く先々で厄介事ばっかり起こすんだから。岳も岳で馬鹿だったわ。助けてやったら、今度はあの子のほうがべったりくっついてきたの。あの頃なんて毎日のようにうちに来て、あれこれ持ってきてたわ。岳が相手にしなくても、自分からすり寄ってきてたわ」美優はそれを聞いて目を輝かせ、呼吸まで荒くなった。命の恩人。道理で。だから明乃はあの時、あんなにも必死に尽くしていたのか。岳があんな態度をとっても、彼女が手放そうとしなかったのは。こんな事情があったなんて。「梅おばさん」美優は梅の手を握った。「その日のこと、もう少し詳しく教えて。あの夜……明乃は本当に何もされなかったの?」梅は少し気まずそうな顔をして、美優の手をそっと外した。「さあ、どうだったかしら?明乃が私にそんなこと話すわけないじゃない?でも、考えてみなさいよ。真夜中に、何人もの大男が若い娘を囲んでいたのよ……ろくなことになってないに決まってるわ」彼女は一呼吸置き、さらに声を潜めた。「もし最後までいってなかったとしても、体中触り回されたに違いないわ。育ちのいいお嬢さんが、こんな目に遭って耐えられるわけがないでしょう」美優の心臓が激しく跳ねた。ある考えが、美優の胸の奥で一気に膨れ上がっていく。美優は梅の手を離し、ゆっく
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第418話

明乃はゆっくりと振り返った。顔にはほとんど表情がない。だが、明乃の目だけは氷のように冷えていた。「美優さん……」彼女は極めて微かに笑い声を漏らした。冷たい笑い声だった。「準備して」彼女は言った。「これらの資料をすべて整理して。特に資金の動きと写真については、プリントアウトして予備を多めに用意しておいて」徹はハッとした。「ボス、何をするつもりっすか?」明乃は答えなかった。彼女はデスクの前に歩み寄り、引き出しを開けて中から一つの封筒を取り出した。それは、彼女がここ数日、徹に依頼していたDNA鑑定の報告書だった。そこには、美優と晋助が親子である確率が99.999%以上であると記されている。あの日、晋助が自分に手を出してきた時、自分はすでにこの二人の関係に違和感を覚えていた。まさか……実の父と娘だったとは。明乃は手にした封筒をじっと見つめた。そして、縁を指先でそっとなぞる。それから、明乃はスマホを手に取って、ある番号にかけた。電話はすぐにつながった。「湊」明乃は口を開く。声は静かだった。「ちょっと、あなたに頼みたいことがあるの」……そして、例の噂があちこちに広まり始めてから三日目。明乃のもとに、藤崎家の実家から電話が入った。勝也の声は相変わらず恭しかった。「旦那様がお越しいただくことを望んでおられます。直接お尋ねしたいことがあるそうです」明乃はスマホを握ったまま、口元をわずかにつり上げた。「分かりました。すぐ伺います」30分後、明乃は藤崎家の実家に到着した。その時のリビングには、重苦しい空気が沈殿していた。幸之助は椅子に座り、顔色は見るからに険しい。その隣では、千紗子が数珠を指で繰っていた。目は半分閉じられたままで、口元は不機嫌そうに垂れ下がっている。美優も芳子もそこにいた。もっとも、陸が姿を消してからというもの、芳子のこの家での存在感はますます薄くなっていた。対して美優は今日、淡い黄色のワンピースに身を包み、完璧なメイクを施して、千紗子の隣に座っていた。手にした湯呑みから少しずつお茶を啜っているが、その目元からは得意げな色が隠しきれていなかった。明乃が入ってくるのを見て、幸之助は微かに眉をひそめた。前回関係が決裂して以来、二人が顔を合わせるのはこれが初めてだった。彼は唇
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第419話

美優は、いかにも明乃を気遣っているような口調だった。明乃はそんな美優を見つめたあと、ふいに口を開いた。「あの噂を流させたのは、あなたですか?」美優は顔色を変え、すぐに悔しそうで驚いたような表情を浮かべた。「どうしてそんな風に思うの?あなたがずっと私のことを嫌っていて、岳を奪ったと思っているのは知っているわ。でも……でも、私にあなたを陥れる理由なんてないじゃない!人の名誉を傷つけるようなこと、私がするわけないわ!」彼女はそう言いながらポロポロと涙をこぼし、幸之助の方を向いた。「どうか信じてください。明乃さんが私を陥れようとしてるんです……」幸之助は眉間に深い皺を寄せ、明乃を見た。「ものを言うには証拠が必要だぞ」「証拠ならあります」明乃はバッグから書類を取り出し、テーブルの上に置いた。「これは噂の出所を辿った報告書です。最初に発信したいくつかのアカウント、資金の動き、そして仲介人の情報がすべて入っています。最終的に行き着く依頼主は、秦さんです」美優の顔から瞬時に血の気が引いた。「デタラメよ!」美優は勢いよく立ち上がり、金切り声を上げた。「明乃!自分が汚いことをしているからって、私にまで泥を塗ろうというの!?」明乃は彼女を相手にせず、ただ書類を開いて、数枚の紙を抜き出した。「これは噂を最初に流したネットアカウントのIP追跡記録です。城西のネットカフェを示しています。これはそのネットカフェの防犯カメラの画像で、ここに写っているのは、以前晋助さんの下で働いていた者たちです」彼女はその紙を幸之助の前に押しやった。「そしてこの手下たちは、事件の起こる三日前に、すべて同じ電話番号から指示を受けています。その番号の登録名義は、秦さんです」美優は真っ青な顔をし、指まで震わせていた。「あ、あなた……証拠を捏造したのね!幸之助さん、彼女を信じないでください!彼女は私を道連れにしようとしているだけです!」幸之助はその紙を見つめ、顔色をますます沈ませた。彼は顔を上げ、美優を睨みつけた。「お前はどう言い訳する?」「わ、私じゃありません!」美優は瞬時に涙を流し、ドスンと幸之助の前に膝をついた。「私を信じてください!明乃が私に嫉妬しているんです!私が岳と結婚するから嫉妬して、私を陥れたんです!」彼女は振り向いて明乃を見つめ、その眼差しに
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第420話

リビングは死に絶えたように静まり返っていた。千紗子は明乃を睨みつけ、手にした数珠をギリギリと鳴らした。「明乃、人を許すことも覚えなさい」彼女の声は乾いており、有無を言わさぬ威圧感を帯びていた。「美優はもう自分の非を認めたわ。あの噂がデタラメだと認めたのよ。身の潔白は証明されるんだから、これ以上しつこく追い詰める必要はないじゃない?外に知れ渡れば、世間は我が藤崎家の身内が不和で、兄弟姉妹が醜く争っていると思うだけよ。藤崎家の体面は、何よりも重要なの!」明乃はそれを聞き、ふと滑稽に感じた。見え透いた道徳の押し付けだ。彼女は背筋を真っ直ぐに伸ばし、千紗子を見た。「藤崎家の体面と、私の身の潔白、どちらが重要だとおっしゃるのですか?」「あなたの身の潔白も当然重要よ!」千紗子は声を張り上げた。「でも、美優も一時の魔が差しただけだったの!今は反省して償うと言っているのに、これ以上どうしろと言うの?どうしても家の中をかき乱して、街中から藤崎家を笑い者にしたいの!?あなたは湊の婚約者で、将来は藤崎家の女主人になるというのに、その程度の包容力もないの?」美優はすぐに膝すりして数歩進み、明乃に向かって額ずき、ボロボロと涙をこぼした。「本当に私が悪かったわ!魔が差したの、あなたに嫉妬して……もう二度とこんなことしない!今回だけは許して!私が必ず表に出て釈明して、あなたの評判を回復させると約束するから!お願い……」彼女の泣き方は、まるで本当に心から悔い改めているかのようだった。だが明乃は全く動じず、余計な視線一つ送らなかった。千紗子は微かに眉をひそめ、声を沈ませた。「美優が間違ったことをしたのは事実だし、罰を受けるべきだわ。でも、あなたもここまで追い込む必要はないでしょ?他の人間は藤崎家のことをどう見るのかしら?新しい嫁が来た途端、義理の妹を許しもせず。しかも、土下座して謝らせるまで追い詰めたって?」彼女は一呼吸置き、釘を刺すような視線を向けてきた。「身内の恥は、外に晒すものではないわ。美優はもう非を認めたし、あなたも証拠を掴んだんだから、この件はこれでおしまいにしましょう。世間に対しては誤解だったと言いなさい。藤崎家があなたの後ろ盾になるから、今後誰もあなたの噂話なんてできなくなるわ」美優は床に膝をつき、うつむいたまま肩を震わせていた。涙
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