あの日以来、雅紀父子がどんな思いで過ごしたか、私はまるで知らずにいた。栗原稔としての私は、地図にも載らない世界へと転生してしまったのだが、そこは街並みも生活様式も以前とほとんど変わらず、思いのほかすんなり馴染めてしまったからだ。ただひとつ違っていたのは、私が身寄りのない孤児ではなく、川浜市の名家・神崎家の令嬢として生きていること、そして風間財団の当主・風間景司(かざま けいじ)と婚約寸前であるという事実だった。二度と結婚で人生を誤るつもりはなかった私には、当然ながら強い抵抗があった。けれど、景司との結婚と彼の出資こそが、傾きかけた神崎家に残された唯一の希望でもあった。神崎家の娘として家族の庇護と愛情を受けている以上、私もまた応えるべき立場にある。そう思い至った瞬間、婚約破棄という考えは芽吹く間もなく摘み取られ、私はこの運命を受け入れた。「お母さん、風間景司さんってどんな人?」母・神崎凛子(かんざき りんこ)の肩を揉みながら尋ねると、彼女は柔らかく微笑んだ。「それはお母さんに聞くことじゃないわよ。あなたたちは小さい頃から一緒に育って、家族以上に長い時間を過ごしてきたんだから。この世でいちばん彼を理解しているのは、あなた以外にいないわ」残念ながら、本当の神崎穂乃花(かんざき ほのか)の中身は、もうどこにもいない。転生したことで家族を得られたのは幸運だが、その事実が元の穂乃花を母娘から引き離したのだと思うと、胸の奥に申し訳なさと罪悪感がないまぜになり、複雑な気持ちが渦巻いた。私が口をつぐむと、凛子は私がこの縁談に不満を抱いていると勘違いしたようで、そっと手を撫でながら言った。「神崎家が生き残るには政略結婚に頼るしかないとはいえ、もしあなたが景司さんにその気がないなら、婚約を解消できないわけじゃないのよ。あの子を息子のように思ってはいるけれど、娘の幸せを犠牲にするなんて、お母さんは絶対に賛成しないから」私は感動に胸を熱くしながら首を振った。「ううん、大丈夫よ。お母さん、私はこれでいいの」凛子はほっとしたように、そしてどこか「やっぱりね」といった表情を浮かべた。「お母さん、知ってたのよ。あなたが景ちゃんのことを好きだって。小さい頃からずっと、二人は離れなかったもの。逆に相手が別の人だったら、お母さんは全力で反対し
Читайте больше