仲居は古木から手を離すと、ぐるりと周囲を見渡した。「……それから、あんたたち」 彼女は、実加たちが端に避けたばかりの巨大な岩を指差した。「そっちの岩は、もう1メートル右にずらした方がいいわ。そうすれば、湯船の一番いいお湯の出処に座ったまま、あの山の稜線に沈む夕日が、一番綺麗に見えるから」「えっ?」 実加と翔吾は意外な助言に目を丸くして、岩と仲居を交互に見た。 ◇ それから数十分後。 仲居のアドバイス通りに岩を配置し直し、視界を塞ぐ不要な枝だけを落とした露天風呂に、透き通った新しい湯が張られていた。 時刻はちょうど夕暮れ時。 朝から始めた風呂掃除と露天風呂リニューアルは、結局夕方までかかってしまった。 そうして開けた視界の先、V字に切り立った二つの山の稜線の真ん中に、燃えるようなオレンジ色の夕日が沈んで、すっぽりと収まっていく。湯船の水面を黄金色に染め上げていた。「うわぁ……」 実加が思わず息を漏らす。 それは、息を呑むほどの絶景だった。 露天風呂のすぐ前を覆う木立と、夕日が沈む遠景が見事に調和している。「完璧な借景(しゃっけい)ね……久しぶりに見たわ」 仲居が眩しそうに目を細めている。 その横で、翔吾は夕日に照らされながら、手元のタブレット端末に猛烈な勢いで文字を打ち込み始めていた。(地元民だけが知っている『夕日の特等席』と、『珍しい野鳥が飛来する木』。これは、ネットの検索エンジンやAIのビッグデータでは決して弾き出せない、血の通った『生きたデータ』だ……!) 翔吾の脳内のアルゴリズムが、激しくアップデートされていく。 圧倒的な設備や画一的なAI接客にはない、ここだけの強み。絶景とバードウォッチングという、ニッチだが確実に人の心を刺す強力な集客の武器を手に入れたのだ。
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