『せせらぎ亭』の看板は文字がかすれ、立派だったはずの門構えも木材が腐りかけている。 屋根瓦は一部が剥がれ落ち、手入れされていない庭の雑草は膝の高さまで伸び放題だった。 呆然と佇む2人に、建物から声がかけられる。「お待ちしていましたよ、お2人とも」 玄関から現れた人影に、実加は目を剥いた。「総支配人!? なんで着物なんスか!」 現れた小夜子は、淡い藤色の見事な着物を完璧に着こなしていた。 普段のスーツ姿とは違うが、凛とした佇まいと威圧感は健在だ。「郷に入っては郷に従え、です。本日から私は、ここの女将を務めます」 小夜子の隣には、よれよれの作務衣を着た60代ほどの男性が立っていた。「こちらはこの旅館、せせらぎ亭の番頭さんです。ここに長く務めていらっしゃる方です」「どうも」 彼は挨拶もそこそこに、大きな欠伸をした。「どうせ東京の会社が、すぐに更地にして売り払うんだろ。まあ、俺らの退職金さえ出ればどうでもいいんだがな。適当にやってくれや」 絵に描いたような無気力、投げやりな態度だった。 あまりのやる気の無さに、実加が面食らっている。 翔吾はタブレットと番頭の顔を交互に見比べ、奥歯を噛み締めた。(従業員のモチベーションの完全な欠如。データには表れなかった項目だ。これでは、どんな完璧なシフトを組んでも機能しない……!) 初っ端から、計算式に組み込めない厄介なエラーに直面し、翔吾は出鼻をくじかれた。 ◇ 「まずは、館内をご案内しましょう」 小夜子の先導で、一行は薄暗い廊下を歩いた。 廊下も老朽化が激しく、歩くたびにギイギイと木の軋む音がする。 古びた階段を登り、最上階の客室へと足を踏み入れた。「こちらが、この宿で一番の景観を誇るお部屋です」「おっ、やっといいとこ見れるか? これだけ自然が豊かだもんな。山並みとか、す
Magbasa pa