その日の午後。黒崎本社から高瀬邸へ戻って、まだそれほど時間は経っていなかった。沙耶は応接室の窓辺に立ち、庭を眺めていた。征吾へ、名前のない依頼書を預けた。黒崎本社から一ノ瀬エレクトロニクスへ出された照会。その発行者を追うための、今の自分にできる一手だった。けれど、安心したわけではない。黒崎の内部で誰が動いているのか。征吾がどこまで記録を辿れるのか。そして、確認された事実がいつ怜司へ伝わるのか。答えの出ないことばかりだった。テーブルの上で、スマートフォンが震えた。表示された番号を見て、沙耶の眉がわずかに寄る。以前、美玲からかかってきた番号だった。一度だけ迷い、通話へ応じる。「はい、高瀬です」『今日、黒崎本社へ行っていたでしょう』やはり美玲だった。「……見ていたのですか」『会長に会っていたのね』どうやら、本社を出るところを見られたらしい。「それが、何か?」『お義父様に何を頼んだの?』お義父様。まだ婚約すらしていないはずなのに、美玲は当然のようにそう呼んだ。沙耶は眉を寄せる。「あなたへ説明する必要はありません」『復縁を頼みに行ったの?』あまりにも見当違いな問いだった。「違います」『だったら、どうして会長に会う必要があるのよ』「それも、あなたには関係ありません」電話の向こうで、美玲の呼吸がわずかに乱れた。『離婚したのに、まだ黒崎家とのつながりを残しているじゃない』「会社同士の関係まで、離婚と同時になくなるわけではありません」『そうやって、また怜司さんのそばへ戻るつもりなの?』沙耶は窓から離れ、椅子へ腰を下ろした。今日、自分が何を征吾へ渡したのか。美玲は何も知らない。それで
Dernière mise à jour : 2026-09-12 Read More