提案書を閉じても、沙耶の指先には紙の冷たさが残っていた。一見すれば、高瀬メディカルを救うための提案だった。開発資金を出す。品質管理体制を立て直す。止まっている共同研究の継続を支援する。今の高瀬が必要としているものを、相手は驚くほど正確に並べている。だからこそ、腹立たしかった。何に困っているのか。どこを押さえれば苦しくなるのか。すべて知ったうえで、一番弱っている場所へ手を差し入れてきたように思えた。「お祖父様は、どう思いますか」宗一郎は向かいのソファで、提案書を最初から読み直していた。ページをめくるたび、眉間の皺が深くなる。「支援を受ければ、当面の資金繰りは楽になる」「はい」「部品の手当ても進められるかもしれん。大学病院で予定している評価試験も、早く再開できる可能性はある」沙耶は黙って頷いた。そこだけを見れば、魅力的だった。いま高瀬が失いかけている時間を、金で買い戻せる。社員の不安も抑えられる。患者たちを待たせる時間も短くできるかもしれない。けれど、その代償があまりにも大きい。「その代わり、高瀬は高瀬でなくなります」沙耶は、膝継手関連特許の共同管理と記された箇所へ目を落とした。共同管理。柔らかい言葉だった。だが、新しい技術を生み出しても、高瀬だけでは使用も改良も決められなくなる可能性がある。さらに、研究資料へのアクセス権。そこには、患者の同意や研究倫理上の手続きを前提とする文言こそあったものの、蓄積された歩行データを共同研究に広く利用する権限まで含まれていた。沙耶の指が止まる。「これは、ただの数値ではありません」宗一郎が顔を上げた。「患者さんが、痛みを抱えながら歩いた記録です。どこで足が止まったのか。どんな地面で怖さを感じたのか。どれだけ時間をかけて、もう一度
Dernière mise à jour : 2026-08-23 Read More