神谷が指定したのは、高瀬邸から車で二十分ほどの小さな喫茶店だった。その日の診察で、短時間の車移動なら構わないと医師から許可が出ていた。それでも沙耶は一人では来なかった。相川には店の外で待ってもらい、体調に異変があればすぐ戻れるようにしている。約束の時間を少し過ぎて、神谷が現れた。以前より痩せ、店へ入るなり周囲を何度も確認する。沙耶の向かいへ座っても、上着を脱ごうとはしなかった。「来てくださってありがとうございます」「……長くはいられません」「分かりました」神谷は鞄から薄い封筒を取り出した。中に入っていたのは、高瀬で以前使われていた検証書式の写しと、共有システムの操作手順だった。「三か月ほど前、黒崎本社から一ノ瀬エレクトロニクスへ、過去の検証資料を出すよう照会が来たんです」「誰からですか」「分かりません。会社を通して正式に届いた依頼でした」神谷によれば、目的は高瀬との共同開発で使われていた旧書式や、過去の検証環境を確認することだった。それだけなら、不自然ではない。「僕は高瀬にいた頃、電子制御系の検証を担当していました。だから昔の書式や、どのデータを使っていたかを聞かれて……答えました」神谷の指が、紙の端を強く押さえる。「そのとき、旧環境を再現するなら、過去の利用者IDとの紐付けも確認したほうがいいと話しました。共有側に古い情報が残っている可能性があったので」「認証情報を渡したのですか」「違います。パスワードなんて渡していません。ただ、古いIDが残っているかもしれないと伝えただけです」沙耶は静かに頷いた。その情報を知った誰かが、残された仕組みを悪用した可能性はある。「偽の検査記録については?」神谷の顔が強張った。「最初は知りませんでした」しばらく迷ったあと、声を落とす。「一ノ瀬の品質保証の担当者が、高
Dernière mise à jour : 2026-09-02 Read More