All Chapters of 偽物クズ夫に別れを告げ、スパダリと政略結婚します: Chapter 761 - Chapter 770

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第761話

心の問題には、やはり心に効く「薬」が必要だ。柊馬が今これほどまでの苦痛に耐えているのは、全て西園寺一花というあの女性のためだと、優紀はよく分かった。優紀はドアの前で三十分も立っていた。その間、柊馬は医者から少し休憩してほしいと言われるのを無視していた。全身は汗でびっしょりになっているが、それでもひと時も止まらずリハビリに励んでいる。優紀は使用人にその場を任せ、自分は背を向けて去っていった。……深夜の西園寺グループ本社ビル。この時、夏海が残業を終えて、エレベーターを出ると、ロビーの隅に人影が見えた。この時間、オフィスビルには一人も残っていないはずだ。こんなところで誰かが待っているわけがない。夏海は思わずその人影のほうへ視線を移すと、どうもその姿には見覚えがある気がした。彼女が受付に戻ってみると、当直の社員が暇そうに携帯を見ていた。「ねえ、あの人は誰ですか?こんな遅くにお客様?」夏海の声に、すぐに当直の社員はハッとした。彼は目を細めてそちらに目を向けた。「私もよく分かりません。彼は午後に来て、ずっとあそこに座っているんです。どうも西園寺社長に会いにきたらしいんですが、今社長は不在だと伝えたのに、あそこから動こうとしなくて。このまま帰らないなら、セキュリティを呼びます」一花に会いにきたと聞き、夏海はさらに気になった。夏海はその男のほうへ歩いていった。距離が近づいていくほどに、彼女は確かにその男には見覚えがあるとはっきり分かった。……それは以前、あの携帯ショップで昂輝の携帯を選んだ時に会った男だ!「あなたですか?」夏海はその男の隣に来ると、低い声で尋ねた。誠は顔をあげて夏海を見た時、少し分かっていないような顔をしていたので、夏海がすぐにこう言った。「覚えていませんか?この間、携帯ショップで私が見ていた携帯を買った……」「ああ、君か」誠はその言葉で思い出し、眉をひそめた。「君はここの社員だったのか?」彼はすぐに立ち上がった。彼は非常にだらしない格好をしていた。着古したカーキ色の上着に、ズボンも埃まみれだった。ライトの下で、彼の顔には多くの細かい傷跡が見えた。それに髭も剃っておらず、あの携帯ショップで見た健康的な彼のイメージとは、かなり違っている。「ええ……ここで
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第762話

もし元々体格がよくなかったら、とっくにM国で命を落としただろう。誠は体が少し回復すると、すぐに柊馬の捜索に向かった。誠は柊馬を連れ去ったのは「青空」のメンバーだと思っていたのだが、数日あちこち調べてみて、他にも多くの人がM国で彼の行方を探していることを知った。誠も追手の「青空」のメンバーと一戦交えた。彼もそれを利用して、柊馬の消息を相手から聞き出そうとしたが、相手は全く手がかりを掴めていなかった。「青空」を除いて、柊馬を救いだせる人間は、誠と似たような状況にある人物か、柊馬にはM国に他の友人がいたということになる。もし、見知らぬ人が助けたのだとしたら、誠だけほうっておいて、柊馬だけ助けるのはおかしい。誠は状況をまとめ、分析した結果、大きな確率で、柊馬は知り合いに助け出されたのだと結論を出した。しかし、その人物の動機は謎だ。なぜなら誠はM国で柊馬にまつわる情報やニュースを見つけ出せていないからだ。それでも柊馬を連れ出したのは「青空」とは無関係の人物だと言える。だから彼は安全なはずだ。それに、すでに南関市に戻ってきている可能性もある。そこまで考え、誠は自分の安全を確保するのと、さらに他の情報を手に入れるために、まずは南関に戻ることに決めた。しかし、彼は如何なる連絡手段も持っていなかったので、一花たちの連絡先が分かないし、それにM国で彼らに連絡しようとすれば、不必要な面倒を招くことになるかもしれないと考えた。それで、その身に残っていた貴重品を旅費に変えた。「あの、はっきりと教えてくれないと困ります。今はあなたのほうから私にお願いしている立場ですよ。もし、あなたが一花さんとどういう関係なのかはっきり教えてくれずに、あなたが悪者だったらどうします?どうしてそんな相手に一花さんと連絡をとってあげられるっていうんですか?」夏海は少し可笑しかった。「だったら、逆に俺のほうはどうやって、あんたと西園寺さんの関係が良いと信じればいいんだ?」誠は淡々とそう言った。彼は全く感情の起伏のない声でそう言ったが、夏海は言葉を失いかけた。「あんた……」「余計なことはどうでもいい。あんたは西園寺さんの電話を知っているだろう?今すぐ彼女に電話してくれ、俺から話す」誠は夏海に話す隙も与えず、はっきりとそう言った。夏海
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第763話

夏海は探るように態度を少し軟化させた。さっきの言葉が通用したらしく、誠は何か思うところがあるような顔をして、夏海に言った。「明日の朝一で、彼女に連絡してもらえるか?」夏海は急いで言った。「会社もここから急になくなるなんてありえないでしょ?私は明日もここで仕事してるんだから、私があなたに会うのを避けるかもしれないと心配するなら、朝までさっきみたいに待っていたっていいでしょ」彼女は言い終わると、タクシーが通りがかったのを見て、誠の返事を待たずにタクシーを止めてドアを開き中に乗り込んだ。家に帰る途中、夏海は少し不安だった。誠は見た目からしてかなり怪しい。しかし、彼が本当に一花を困らせに来たのだとしたら、堂々と西園寺グループ本社に現れる必要はないだろう。夏海はあれこれと考えを巡らしだすと、寝付けなかった。五時過ぎまで寝返りをうち、しっかり寝ることができなかった。彼女はもう諦めてお湯をためて風呂にでも入ろうと思った。しかしその時、玄関を激しく叩く音が聞こえてきた。その音に夏海は驚き、急いで誰が来たのか確認しに行った。彼女は引っ越してから、玄関の外には監視カメラを取り付けていたのだ。今後、陸斗か和香の手下などが騒ぎに来ても、監視カメラで証拠が残せる。しかし、来た人物を確認すると彼女は呆然としてしまった。そこにいたの鳥宮誠だった。彼はどうやってここを探し出したのだ?まさかストーキングしていたのだろうか?夏海が寝室に携帯を取り行って通報しようとしたところに、誠の声が響いた。「もうすぐ朝になるだろう。西園寺さんに連絡してもらっていいか?」「あ、あんたね!どうやって私の家が分かったのよ。このストーカー野郎!」夏海はまだ恐怖でドキドキしていたが、思わず彼に返事してしまった。「俺はストーカーなんかしてない。ただあんたのポケットに発信機を入れておいただけだ」淡々と軽い口調でいう誠は、まるでそれが何も問題ない行為だと言わんばかりだった。彼は一晩中、夏海の家の前にいた。夏海が起きたらすぐに一花に連絡してもらおうと思っていて、さっき家の中から足音が聞こえてきたので、すぐにノックしたのだ。夏海はその言葉を聞いた瞬間に顔を歪めた。この男……彼女は今度は返事をせず、すぐに寝室に戻った。警察
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第764話

夏海は誠とゲームを通じて連絡することができず、そのゲームを遊ぶのをやめてしまった。「この間、携帯を買うのも、弟さんのためだったのか?」誠はそのゲームを起動させ、夏海に代わって初心者がこなすチュートリアルを進めながら、尋ねた。「ええ」夏海は一言そう答えた。突然、彼女はそこまで怖くも、緊張もしなくなった。「……」すると彼女はまた口を開いた。「あの……携帯のお金、あなたに返すわ」「いや、俺は金に困ってない。あの時は、携帯をいろいろと選ぶ時間が省けた、その礼だと思ってくれ」誠はそう言いながら、携帯画面を素早くタップしていた。その動きに、夏海は彼がかなりのゲームオタクであることが分かった。しかし、それよりも彼の男らしい手に釘付けになった。ごつごつと骨ばった長い指にうっとりしてしまう。「あなたと……一花さんってどうやって知り合ったの?」「それは教えられないと言ったはずだ」「だけど、あなたは一花さんと友達だって言ったのに、連絡先も知らないなんて……」「変か?俺は他にも連絡先を知らない友人ならたくさんいるぞ」「変に決まってるじゃない!」夏海は眉をひそめた。彼女はこの目の前にいる男がどんどん怪しい奴に思えてきた。「まあ、俺が変だというのは正しいか。俺たちは確かにまったく別の世界に生きる人間だからな」誠は自嘲するように笑った。彼と連絡を取る方法が多くあり、彼を見つけられる人間なら結構多い。しかし、彼は絶対自らその依頼人の情報を残すようなことはしない。周りにとっても、彼自身にとっても、誠はただ暗闇に生きる影でしかない。今回柊馬のことさえなければ、彼もこうやって堂々と人前に姿を現わすことはなかったのだ。かなり必死だった。「……」夏海は彼があまり自分と話したくないのだと思い、黙ってしまった。そして時間はあっという間に過ぎて、六時をまわると、夏海の携帯が鳴った。一花からだ。夏海がそれに反応した時には、誠はすでに電話に出ていて、夏海を見ながら言った。「西園寺さん、俺だ。鳥宮誠だ。今から会えるだろうか?俺がそちらに行く、住所を教えてくれ。分かった」誠は話し終わると、携帯を夏海に返した。夏海は驚き、すぐに携帯を耳に当てて話した。「一花さん……」「夏海さん、彼は確か
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第765話

「そんなわけない」一花はすぐに誠の話に反論した。「彼は絶対に生きてる。彼が私のところに帰って来てくれるって信じてる。だって約束してくれたもの」こう言い終わると、一花は誠に話す機会を与えなかった。まるで彼がまた何か自分を不安にさせるような言葉を吐くのではないか怖がっているかのようだった。ようやく明るい知らせが手に入ったというのに、その希望を失いたくない。「なら、これからどうする?」誠は少し一花の心配をしていた。「西園寺和香が言ったとおりに、柊馬を交換条件にするわ」「おかしくなっちまったのか?」誠はその言葉に驚いていた。和香が言っていた言葉の大半が嘘だという可能性はどれほどあるのか一旦置いといて、たとえ柊馬が彼らの手に落ちていたのだとしても、一花も和香たちの望みどおりにさせるわけはない。「そうじゃないわ。あの女の犯罪の証拠は揃っていない。私が彼女の言いなりになっておけば、一旦油断させてあの女を徹底的に追い込むことができる」一花は強気な様子で話していた。しかし、実はすでに動揺していてテーブルの端を力を込めて掴み、体を支えなければならないほどだった。誠は一花の意図を読み取ったが、逆に不安が増していた。わざと敵の罠にかかるわけだ。誠は声を低くして言った。「そうすると決めたのなら、俺も手伝おう。俺に数日時間をくれ。数日で『青空』に彼がいるのかどうか、確かめることができる」そもそも、今の状況は誠には無関係なことだ。すでに依頼内容は完遂したのだから、報酬をもらって去ればいい。彼が「青空」からの追撃という危険を晒してまでこの情報を届けてくれたのは、すでに約束の報酬外の働きだった。しかし、ここまで来ても、彼は去ろうとしない。その理由は、半分は「青空」が関係していること。そして半分は柊馬と一花の愛が彼の心を動かしたからだ。「鳥宮さん、ありがとう」一花は感激して誠を見つめた。「でも……私たちのためにあなたを危険に晒すわけには……」「問題ない。俺は自分のことは自分で守れる。それに……『青空』は俺の家みたいなもんだからな」誠のその言葉に一花はとても驚いた。しかし、一花はすぐに分かった。誠が今回自分たちの依頼を受けてくれた時点で、彼なりの計画があったのだろう。そして、誠がここまで尽力し
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第766話

一花は柊馬の姿に一瞬心臓が止まったように感じた。しかしすぐに激しく鼓動し、心臓が飛び出してきそうなほどだった。今まさに会議中であるにもかかわらず、反射的に席を離れようとした。「西園寺社長?」隣にいた人が立ち上がろうとする彼女に小声で注意したことで、一花は思考を取り戻した。この時、会場全員の視線が自分に注がれていることに気がついた。ギャロップの代表も彼女を見ていた。さっき彼は伊集院グループの入札案へ質問を投げかけたのだが、一花はぼうっとしていて聞いていなかった。浩之は一花が見つめる先に、暫くその辺りを見渡してみた。「すみません、先ほどはちょっとよく聞こえなくて」一花は小さい声で、相手からの質問を近くにいた社員に聞いて、もう一度繰り返してもらい、思考を整理してから返事をした。しかし、この時の状態はさっきまでと比べて明らかに調子が悪そうだった。そしてギャロップ側の入札案に進むと、一花も相手の話に集中して聞くことができなかった。頭の中はさっきのあの柊馬に似た人影のことばかりだった。そんなはずはない。柊馬がここへ来ているというのなら、どうして自分に会いに来ない?きっと彼のことを考えすぎるあまりに、見間違えたのだろう。第一ラウンドの入札では、両社が互角に張り合った。入札案は一花側のほうがかなり突出し有利なように見えたが、ギャロップは今年勢いを増し、すでに似たような事業を行い、その結果もかなりの好成績を叩き出している。しかし、誰の目にも、総合的な実力は南関市で業績を上げてきた伊集院グループのほうがさらに高いことは明らかだ。会議が終わり、評価委員は第二ラウンドの評価段階に入った。その結果が出るのは一週間後だ。一花は終わるとすぐに立ち上がりその場を離れた。しかし、あの人影はすでに会場にはなかった。「奥様……一体どうなされたのですか?さっきはまるで他のことを考えていたみたいですけど」湊は一花の変化に気付き、かなり緊張していた。一花は言った。「さっき、発言している間の会場の監視カメラを調べてくれない?私、さっき……」「西園寺さん、先ほどはどなたかお知り合いの方でも、見かけたのですか?」この時、浩之の声が突然後ろから響いた。すると湊が素早く一花の前に立った。連れているボディーガー
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第767話

「奥様、私も社長はきっと帰ってくると思っています。ですが、この人物はおそらく……彼ではないかと……」湊がそう言うと、一花はがっかりしたようだった。そして暫くして、一花は頷き、湊に仕事に戻るように伝えた。……夕方、南関市の郊外にある、とある景勝地の屋敷内。ゆったりとした患者用の服を着た男が医者の指導のもと、つらそうな表情でリハビリをしていた。優紀が傍で見ていて、そろそろ休憩の時間になるため、その男に一旦やめるように言った。柊馬は全身汗でびっしょりになり、長時間動いたため、疲れで顔から血の気が引いてしまっていた。彼は一花の傍に戻るために、ギリギリのところまで自分を追いつめていた。この一週間、柊馬は毎日薬を飲み、リハビリの運動を続けており、その効果は予想をはるかに上回っていた。彼は今すでに、自分で歩けるようにまで回復し、体もある程度自由に動かせるようになっていた。ただ、あの事件が起きる前にできていたことは、今はかなり労力をかけてやっとこなせる程度だ。それに、医者はこれが薬の効き目で、今のところ良くなっているだけだと心配していた。完全に回復できるかどうかは、薬を止めてから体の状態がどうなるかを見てからしか何とも言えない。しかし、柊馬は調子が良くなるとすぐに南関に戻りたがった。その様子を見て、優紀は助けた柊馬を最後まで面倒見ようと、自らここまで送ってきた。優紀は柊馬が南関に戻ったら、まずは一花に会いに行くものだと思っていた。しかし、柊馬がここまで忍耐強いとは、思っていなかった。「柊馬、今朝はどこかへ行っていたのか?」優紀は柊馬にタオルを渡しながらついでに尋ねた。柊馬はそれを受け取ると、ゴシゴシと顔を拭いた。彼は優紀の質問には答えなかった。ただまだ微かに震える指先を見つめ、暗い顔をしていた。柊馬が額に青筋を作っているのを見て、優紀はまた言った。「西園寺さんが今朝、ギャロップとの入札会に出たって情報を目にしたよ」「西園寺さん」と言葉が出ると、柊馬は少し体をピタリと止め、唾を飲み込んだ。そして関節が白くなるほど、タオルを持つ手に力を込めた。「そんなに彼女に会いたいと思ってるなら、どうしてすぐに会いに行かないんだ?」「まだその時じゃない」「怖いのか?」優紀は柊馬の気持ち
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第768話

柊馬は一花の能力なら、絶対に今回の入札に勝つと信じているが、彼女をたった一人で闘わせる気はなかった。二人は夫婦だ。離れていても、心はいつも一つ。柊馬は朝まで徹夜して、あるデータファイルを匿名で送った。そして一方、浩之もホテルで徹夜していた。彼はリモート会議を終わらせると、ずっと今日の入札会のことを考えていた。一花の能力は決して侮れない。部下から聞いた話だと、今回の入札会の評価委員は実際伊集院グループのほうへ傾いているという。伊集院グループのほうが優勢であることに加え、一花の案は確かに目を見張るものがあった。ギャロップが効果のあるいい切り札を出さない限り、勝てる見込みはない。「浩之」この時、綾芽がドアをノックし、中に入っていいか尋ねた。浩之はちょうどこめかみを押さえ、低い声で答え、彼女を中に入れた。この時、綾芽はリラックス効果のあるハーブティを入れて持ってきて、浩之の手元の近くにそっと置いた。「どうしてまだ寝てないんだ?」「あなたが寝ないと私も心配なんだもの。もう三時になるわ、明日の朝も処理しないといけないことがあるんだから、そろそろ休まないと」綾芽のその気遣いに、浩之の顔から憂いが一瞬にして消えた。彼は彼女の手をとった。「分かった」「今日の入札はあまり順調にいかなかったの?」綾芽がまた尋ねた。浩之はお茶を一口飲んだ。「まあまあかな。だけど、西園寺さんは確かにとても手強い。結果がどうなるか今は判断できない」「私の中では、あなたが最強だけどね」綾芽におだてられて、彼は悪い気はしなかった。彼は少し微笑んで言った。「上には上がいるって言うだろう。私も年を取ったからな」綾芽は彼をからかった。「でも、年を取れば取るほど経験が増すものでしょ」浩之はクスッと笑い、その場の雰囲気もかなり和やかに変わった。綾芽はタイミングよくまた尋ねた。「今日、伊集院社長はやっぱり姿を見せなかった?」「ああ」浩之は頷いた。彼が会場にいなかったことに浩之は意外には思わなかった。柊馬にはきっと何かトラブルがあったのだ。そうでなければ、こんなに会社にとって重要事項をすべて西園寺一花に任せてしまうはずなどない。「この件はとても不自然に思えるわ。ここ数日、私は常に誰かに西園寺一花を監視させ
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第769話

一花は入札案をじっくり見つめ、少し意外そうな顔をした。その中にある分析の仕方や指摘はとても鋭く、一般の社員ではそこまでの指摘はできないはずだ。言い回しやそのスタイルが柊馬を彷彿とされる……「この思考……、あなた一人で考えたもの?」一花の声は落ち着いているものの、奥歯を噛みしめていた。「ええ、西園寺社長、これは昨夜私が徹夜して書いた案で……」相手は少しソワソワして落ち着かないようにも感じられた。「では、ギャロップのこの資料は、どこから来たものなの?」一花は淡々とした口調でまた尋ねた。相手は少し戸惑い、隣にいた人が彼の代わりに回答した。「最近、我々はずっとギャロップのプロジェクトデータを調査していますから」一花はまた質疑をすることはなく、黙っていた。暫くして、彼女はその書類を置いた。「では、この考え方で進めてみてください」会議が終了し、さっき案を出した社員が、一花にすべてを告白すべきではないかと躊躇っていた。確かに、さっきの報告書に書かれていた内容は彼が思いついたものではない。彼自身もギャロップについて理解は深くない。彼の出した書類というのは、この日の明け方になって彼のメールボックスに送られてきたものだった。そして送信元は匿名になっていた。彼はそれを見た時に、会社の誰かが送り先を間違えたのだと思っていた。しかし、送信者のメッセージに、この案を今日持って会議に行くようにとの指示があった。疑問に思うところはあったが、この案を見た後、彼はこれはまさに神様からの贈り物だとも思った。別に会議でこれを提出しても、損をするわけでもないし、大きな問題はないはずだ。そしてもし誰かに聞かれたら、正直に、誰かからこの指摘を受け取ったのだと答えればいいだけだ。一花はオフィスに戻ると、すぐに湊を呼び出した。「来栖さん、如月陽菜さんを迎えに行ってもらえないかしら」その言葉に彼は驚いた。一花が陽菜を遠くに行かせようと考えているのだと思い、すぐに口を開いた。「奥様、あなたは良い人だと分かっています。でも、彼女を追い出すのなら、私の方で処理しておきますので、奥様自ら対応する必要など……」陽菜が一花の邪魔をするのではないか心配し、彼は二人がまた顔を合わせることは避けたかった。柊馬がいた頃は陽菜はしつこく
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第770話

陽菜は瞬時に一花の意図を読み取った。陽菜は昔から公益イベントによく参加しているイメージを持っており、チャリティー事業に従事している。そのため、個人的に伊集院グループに偏るにはリスクがある。しかし、ただ無関係な第三者として、ギャロップの欠点を指摘するだけなら、そのリスクはなくなる。陽菜は一花と長い時間話し合っていた。オフィスのドアが開いた時、湊はまだドアの前に待機していた。二人が出てきたのを見て、彼は背筋を伸ばした。陽菜はそうだろうと予想していて、湊をちらりと見ると、頑なにこう主張した。「西園寺さん、やっぱり秘書は変えたほうがいいのでは?」「如月さん、私は来栖さんはとてもできる方だと思ってるの。それに……私からしてみれば、あなたもとても彼を好きなようだけど?」一花はまるで何かに気付いているかのように、にやりと笑った。そして湊と陽菜を交互に見つめた。如月陽菜という名家のお嬢様が、一体いつ、ただの秘書に、こうつっかかるようになったのか?「彼を、私が?私が彼を好きなわけないでしょ?」陽菜は焦って反論したが、顔が一気に赤くなった。湊も驚き、すぐに一花に説明した。「奥様、それは誤解です。私と如月さんは何の関係もありませんよ。私も絶対……絶対に、彼女と個人的な付き合いなど一切していませんし、ましてや好きになるなんて……」陽菜に比べて湊の切迫したその様子が、言葉とは裏腹の真実を如実にあらわしていた。彼がその言葉を口にしたことで、かえって陽菜は不利な立場に陥ってしまった。まるで彼女が本当に彼に対して何か別の思いを抱いているかのようではないか……それに彼は何と言った?個人的な付き合いなど一切していない?陽菜自身別に彼を嫌っているわけではないのに、彼のほうがどうしてそこまで嫌がるのだ。「ちょ、あんた、それどういう意味よ……つまり、私のことがすごく嫌いだって言いたいわけ?」陽菜は怒りに燃える目で、湊を睨んでそう言った。二人が火花を散らし始めたのを見て、一花は急いで間に入った。「はいはい、これでおしまい。もう昼だし、来栖さん、私は如月さんと昼食をとってくるからレストランの予約をお願い」「分かりました!」湊は陽菜には苦手で、一花の言葉を聞くとすぐに放たれた魚のようにそそくさと退散した。陽菜はまだ
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