All Chapters of 記憶喪失、3人のイケメン御曹司をATM扱い: Chapter 1 - Chapter 10

10 Chapters

第1話

医者によると、私は交通事故で頭を打って「解離性健忘」になったらしい。一番大好きな人のことだけが、鮮明に残っているという。病室のドアが乱暴に蹴り開けられた。そこに立っていたのは、東都で最も厄介だと言われる、あの三人組の御曹司たちだ。太田正人(おおた まさと)は目を真っ赤にしていた。「葵(あおい)、お前が覚えてるのは、俺だけだよな。なんたって、俺のためなら命も惜しくないって言ってたんだから」金子渉(かねこ わたる)は数珠を指で弄び、冷たい声で、でも確信に満ちた様子で言った。「葵、俺がいなきゃダメなんだって、そう言ったのは君だろう」工藤竜也(くどう たつや)は、わざとらしく色気を漂わせて笑った。「葵、しらばっくれるのはやめてよ。僕たち、昨日の夜もあんなに……忘れるわけないでしょ」昔は私をパシリ扱いしてたこの男たちを前に、私はゆっくりと一冊の手帳を取り出す。それは、彼らが宝物みたいに大事にしている、赤い手帳だ。最初のページを開くと、そこには【太田正人:1000000】とだけ書かれていた。正人は大喜びして、残りの二人に向かってドヤ顔をした。「ほらな!やっぱりお前の中で、俺が一番なんだよ!」渉と竜也の顔が、途端に曇った。だって、二人のページはまだゼロのままだったから。その場がシーンと静まり返る中、正人だけが、賞状をもらった小学生みたいにはしゃいでいた。私は微笑みながらも、優しい目つきで正人を見つめた。もちろん、心の中では思いっきり悪態をついていたけど。このアホ。それはあなたが先月、私に払ってないパシリ代の100万円だろう?今日、利子付きできっちり払ってもらうまでは、誰もこの部屋から出しやしない。正人は私の手帳を手に持って、とても得意げだ。「見たか?100万点だぞ!」正人は数字を指さしながら言った。「葵の心の中には、俺しかいないんだよ。お前らなんて、眼中にないんだ」渉の手の中で、数珠の動きが止まった。竜也の口元にあった笑みも、こわばっている。この二人、普段は一人が俗世離れしたフリをしてて、もう一人は女遊びの達人みたいな顔をしてるくせに。それが今や、たったひとつの数字のせいで、二人ともものすごく暗い顔つきになっていた。私はベッドに寄りかかっていた。頭には包帯が巻かれていたけど、かつてないほど頭が冴えているの
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第2話

竜也は、行動力だけは人一倍ある。そして、その行動は常に、常軌を逸していた。その次の日の夜、竜也は看護師を丸め込んだらしい。正人が着替えに帰った隙を狙って、私を病室から連れ去った。竜也はド派手なブガッティを飛ばして、行きつけの会員制バーに私を連れて行った。個室に入ると、そこはタバコの煙でもうもうとしていた。そこにいたのは、竜也のいつもの遊び仲間たち。隣は、肌の露出が多い服を着たモデルっぽい女の子が何人かいた。「竜也さん。もうあなたに夢中な子を連れ戻したのか?」「事故で頭がおかしくなったんだって?人の顔もわかんない感じ?」周りからはやしたてる声がして、すごく耳ざわりだ。竜也は私をソファに座らせると、ダークリカーの入ったグラスを揺らしながら、いつものように気だるげな笑みを浮かべた。「葵、医者が言ってたよ。昔の記憶を刺激するのが一番効果があるって」そう言って、竜也は私の目の前にグラスを押し付け、含みのある笑みを浮かべた。「これを飲めば、何か思い出すかもよ。昔、僕のために血を吐くほど飲んでくれたじゃないか」目の前の強いお酒を見ながら、私は心の中で竜也を呪ってやった。あなたのために?冗談じゃないわよ。あれは残業代が3倍だったからに決まってるだろう。でも今の私は、記憶をなくしたか弱い女。飲むわけにはいかない。だから、演じるしかない。私は怯えた小動物みたいに、ぶるぶると震え始めた。ソファの隅っこにうずくまって、両手で頭を抱えながら、何かをもごもごとつぶやき始めた。竜也は、私が何か感動的な過去を思い出すんじゃないかと期待したらしい。周りを静かにさせて、耳をすませてきた。「高い……このお酒、すごく高い……」私は消え入りそうな声で、泣きながら言った。竜也は一瞬きょとんとして、「なんだって?」と聞き返した。「こぼしちゃダメ……こぼしたら、弁償しないと……私、払えない……」顔を上げると、私の目には涙がたまっていた。生活のために必死になっている、あの絶望感を完璧に演じてみせた。周りにいた御曹司たちは、みんなあっけにとられていた。お金のために犬みたいにしっぽを振る人間は見慣れている。でも、記憶をなくしてもなお、本能でお金の心配をするほどの「一途な想い」は見たことがなかったのだろう。竜也の表情が、目に見
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第3話

渉が退院の日に迎えにきてくれたんだけど、その時の出迎えがとにかくすごかった。ずらりと黒のマイバッハが並んで、サングラスをかけたボディガードたちが二列に立っていた。渉はオーダーメイドの和装姿で、いつもの数珠を指でくりながら車のそばに立っている。その姿はまるで、みんなを救いに来た仏様みたいだ。「葵、病院は邪気が溜まりやすい。俺と共に山の別荘に戻り、静養しよう」口では、すごく立派なことを言っていたけど。本当は、私を自分の別荘に閉じ込めて、私の「ポイント」を独り占めしたいだけだ。私は素直に車に乗った。渉という男は、一見すると無欲そうに見えるけど、本当は支配欲が一番強いことを知っていたから。もし渉に逆らったりしたら、一晩中ありがたいお説教を聞かされることになる。山の中腹にある渉の別荘に着くと、部屋中に焚かれたお香のせいで頭がズキズキした。この場所は、もう見慣れたものだ。昔、お金のために毎日ここへ通って、渉の書斎を掃除したり、お経を整理したりした。それだけじゃなく、難しいお経の書き写しまでやらされた。彼はそれを、もっともらしく「心の交流だ」などと言っていたが、実際は自分がやりたくない面倒な雑用をぜんぶ私に押し付けていただけ。しかも、私の心を鍛えるためだなんて言ってた。心を鍛える?ふざけんじゃない。渉は私を書斎に連れていくと、紙を広げ、自ら墨まで磨ってくれた。「昔は、君がここで一緒に字を書くのが一番好きだったね」渉は、穏やかな目つきで私を見つめて言った。「この時間だけが、心が落ち着くって、君は言っていた」私は心の中で鼻で笑った。心が落ち着く?あれは疲れて口もききたくなかっただけなのに。あんなものを書かされて手首は折れそうになるし、ずっとちゃんとした姿勢でいないといけない。そうしないと、バイト代を減らされるんだから。私は机の上の筆や硯を見つめた。渉が期待するように筆を持つことはせず、私は突然ぶるぶると震えはじめた。何かの病気の前触れみたいに、小刻みに震えている。渉が筆を渡そうとする時、私は思いっきり彼の手を振り払った。パシャッ。硯にたっぷり入っていた墨が、渉の真新しい和装に、もろにかかってしまった。黒い墨の染みは、歪んだ花のように渉の胸元で一瞬にして広がった。渉は呆然としていた。
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第4話

その場の空気はものすごく気まずくて、緊張感と、彼らがつけてる高い香水の匂いが混ざり合っていた。目のいい正人が、私の手にある赤い手帳をすぐに見つけた。正人は足が長いから、あっという間に駆け寄ってきて、手帳をひったくった。「見せろ!この何日か、お前にめちゃくちゃ花を贈ったんだ。点数、上がってるだろ!」正人は手帳を開いて、その顔から一瞬で表情が消えた。そして、爆発した。「なんでだよ!?」正人は渉のページを指さして、廊下中に響き渡る声で叫んだ。「なんでこのインチキ坊主が400万で、俺が100万なんだよ!?」次に竜也のページをめくると、点数は数万だったけど、それでも前よりだいぶ上がっていた。「竜也がお前をバーに連れてっただけで点数上がるのかよ?俺は毎日花とか朝食とか届けてるのに、たったの1万点か!?」正人の怒りが、ついに頂点に達した。なんだか不公平だと感じたんだと思う。渉は袖口を整えながら、淡々な顔で言った。「誠意の差だよ。大声を出せば手に入る、というものではないからね」竜也も横から皮肉っぽく言った。「そうそう。葵は優しい人が好きなんだよ。お前みたいに吠えるだけの野蛮人には、1万点でも多いくらいだって」正人が今にも殴りかかりそうになったから、私は慌てて頭を押さえて、苦しそうな声を上げた。「うぅ……頭が痛い……」三人はぴたりと動きを止めて、一斉に私を見た。私は弱々しく壁にもたれて、視線をさまよわせながらつぶやいた。「お医者さんが……またお薬代を払わないとって……それに、栄養費とか……ヘルパーさんの費用とか……」具体的な金額は言わずに、ただお金のない人が高い請求書を前にした時みたいな、途方にくれた顔をしてみせた。この作戦の名前は、矛先そらし。思ったとおり、正人はすぐに怒りのぶつけ先を見つけた。「払う!俺が今すぐ払ってやる!」正人はスマホを取り出して、他の二人を睨みつけた。「俺と張り合おうってやつがいるか?」渉は軽く笑った。「正人、こういうことは順番というものがあるだろ?」竜也はブラックカードをちらつかせた。「僕、この病院のVIPルートが持ってるから。葵の費用は全部僕が出す」三人は争って会計窓口にダッシュした。その勢いは、お金を払いに行くというより、初売りの福袋に殺到する人たちみたいだ。
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第5話

正人は、自分が私の本命だってことを見せつけるために、超高級なパーティーに私を無理やり連れて行った。正人はみんなに、私が彼の女だと宣言したかったみたい。でも、これが罠だってことは、私にはわかっていた。パーティー会場は、きらびやかなドレスの人たちで溢れかえっていた。私は正人が大金をはたいて買ってくれたオートクチュールのドレスを着て、綺麗な人形みたいに彼の腕に手を絡ませていた。でも周りの令嬢たちの視線は、ナイフみたいに突き刺さってくる。体に穴でも開けられそうだ。特に、木村奈津美(きむら なつみ)っていう女の視線はひどかった。奈津美は正人の幼馴染。この世界では、正人の将来のお嫁候補として誰もが認める存在だ。昔、私がまだ正人のパシリだった頃、奈津美にはさんざん嫌がらせをされたものだ。わざと私に飲み物をこぼして靴を拭かせたり、みんなの前で「乞食」って言ってきたり。そういうことをされたのは、はっきり覚えている。私の手帳には、奈津美への恨みを記録するための特別なページまであるくらいだ。正人が挨拶回りで席を外した隙に、奈津美が取り巻きの令嬢たちと私を囲んできた。「あら、中山さんじゃない?」奈津美はワインのグラスを片手に、私を上から下までなめるように見た。そして、馬鹿にしたように言う。「着飾ったところで、中身は変わらないわよね」私は何も言わず、黙って一歩だけ後ろに下がった。でも、私が引けば引くほど、奈津美は調子に乗ってきた。「記憶喪失なんだって?」奈津美は楽しそうに笑う。「なに?記憶がないふりをすれば、はした金のために土下座までした過去を隠せると思ってるの?」周りから、くすくすという嘲笑が聞こえてきた。私はそれでも黙っていた。ただ、こっそりハンドバッグに手を入れて、あの赤い手帳に触れた。私が抵抗しないのを見て、奈津美はさらに大胆になった。奈津美は手が滑ったふりをして、持っていたワインを私の胸元にわざとぶちまけた。「あら、ごめんなさい。手が滑っちゃったわ」冷たい液体がドレスを伝って肌に流れ込む。べたべたして気持ち悪い。百万円はするであろうドレスが、一瞬で台無しになった。私は悲鳴もあげなかったし、避けもしなかった。ただ落ち着いて手帳とペンを取り出すと、みんなの前で正人のページを開いた。そ
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第6話

隠し事なんて、いつかはバレるものだ。ましてや相手は、頭は悪くないのに、恋に目がくらんでいるだけの男たちなんだから。最初に異変に気づいたのは、竜也だった。竜也はチャラそうに見えるけど、実は誰よりも細かいところに気づくタイプなのだ。ある夜、私は病院で付き添いをしていた。正人が私のせいで動悸がすると言い張り、入院して様子を見るなんて言うから。そこへ竜也がお見舞いを口実にやってきて、ずっと居座っていた。私はもう眠くてたまらなくて、ベッドのそばで突っ伏して寝てしまった。うとうとしていたら、何かが床に落ちる音が聞こえた。はっと目を覚ますと、そこには竜也がいた。彼は私の赤い手帳を持って、窓際の月明かりの下で、難しい顔をして立っていた。心臓が喉から飛び出しそうになった。終わった。あの手帳の中身はほとんどが数字だけど、まだ消しきれていないメモもいくつか混ざっている。たとえば、竜也のページの隅っこには、小さな字でこう書いてあるのだ。【どんな手を使ってでも、お金を手に入れる】それは昔、竜也から隠し子のスキャンダル対応を頼まれたとき、自分を奮い立たせるために書いた言葉だった。あの時、竜也はネットの炎上を抑えるために報酬を倍にすると約束してくれた。だから私もそのお金のために、昼も夜もネットに張り付いて、火消しのコメントを書き込んだりサクラを雇ったりしたのだ。今、この一文を竜也に見られた。しかも私は「記憶喪失」っていう設定。これはもう、致命的なミスだ。竜也は顔を上げて、複雑な表情で私を見た。「葵……起きたのか?」その声はとても小さかったけど、私は背筋がぞっとした。私はこわばった顔でうなずいた。頭の中ではどうやってごまかすか、それとも手帳を奪って逃げるか、必死に考えていた。「この言葉……いつ書いたか覚えてるか?」竜也はその一文を指さして聞いた。私はごくりと唾を飲み込んで、イチかバチか賭けに出ることにした。「覚えてない……」私は戸惑ったふりをした。「でも、この言葉を見ると、胸がすごく苦しくなるの……たぶん、すごく絶望していた時に書いたんだと思う」竜也の目が、わずかに揺れた。きっと、勝手に想像をふくらませ始めた。竜也の瞳が揺れて、頭の中で必死に物語を組み立てているのが見て取れた。【どんな手を使って
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第7話

竜也がうまくフォローしてくれるおかげで、私のお金儲けはますます順調になっていった。でも、あの高嶺の花の渉が、まさか体を張って同情を引くような手を使ってくるなんて、思ってもみなかった。秋の雨が続くころ、渉が病気で倒れた。高熱が下がらないのに、渉は病院に行くのを嫌がった。そして、山の上にある別荘に来て看病してほしい、とどうしても譲らなかった。竜也はすごく不機嫌だった。でも、私の「秘密」がバレるわけにはいかないから、悔しそうにしながらも山まで送ってくれた。「渉に手出しさせるなよ。もし変なことしてきたら、すぐに連絡しろ。僕がぶっ飛ばしてやるから」竜也は不満げに言い放った。私はキャッシュカードでぱんぱんのバッグをぽんと叩いて、自信たっぷりに言った。「安心して、私はプロだから」寝室に入ると、渉は熱で意識がもうろうとしていた。いつもはクールな顔が不自然に赤く染まっていて、なんだか儚げで美しく見えた。「葵……」熱にうなされながら、渉は私の手を強く掴んだ。その力はびっくりするほど強くて、「行かないで……」とかすれた声で言った。私は手慣れたもので、濡れタオルを替えたり、お水を飲ませたり、薬をあげたりした。この一連の流れは、もうすっかり慣れている。前は渉がちょっと熱を出しただけでも、私が付きっきりで看病していたから。当時は、クビにならないように必死だった。だって、渉がくれる特別手当はものすごく高かったから。私の看病のおかげか、渉は少しずつ意識を取り戻した。渉は目を開けて、じっと私を見つめた。その瞳には、今までにない弱々しさと、何かを期待するような色が浮かんでいた。「葵、一晩中そばにいてくれたのか?」私は腕時計に目をやった。午前4時。プロの付き添いヘルパーの時給に深夜料金を足したら……この一晩で、少なくとも10万円は請求できる。「うん」私はうなずいて、ついでにタオルを洗面器に放り込んだ。「熱が下がってよかった」渉の目に、ぱっと光が灯った。渉は私の手を握り返すと、指の腹でそっと私の手の甲をなでた。そしてかすれた声でささやく。「葵、こんな俺を見て……胸が痛むか?」これはサービス問題だ。シナリオ通りなら、ここで目に涙をいっぱいためて、「心配でたまらないよ」って言うところだ。でも、最近お金を稼ぎすぎ
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第8話

嘘がバレるのなんて、きっかけはほんのささいなことだったりする。そのきっかけは、私の誕生日。「事故に遭った後の初めての誕生日」を祝うため、三人は珍しく意見が一致したらしい。豪華なクルーザーを貸し切って、私を海に連れ出してくれたんだ。潮風が気持ちよくて、おいしいシャンパンもある。三人の間に流れるバチバチの空気さえなければ、最高に完璧な時間だった。正人は、飲みすぎていた。自分が二千万円もつぎこんだのに、どうして渉の点数のほうが高いのかって。渉もこっそり点数を稼いでるみたいだって。正人は最近、ずっと悩んでた。酒は人に勇気を与える。正人はふらふらの足取りで私の前に来ると、顔を真っ赤にして叫んだ。「その手帳を出せ!帳簿を合わせるぞ!」「帳簿って、何のこと?」私はドキッとして、とっさにバッグをおさえた。「点数を確認するんだよ!」正人は有無を言わさず、私のバッグを奪おうとした。「お前、渉を手伝ってズルしてるだろ!なんであいつがいつも俺より上なんだよ?」甲板で風にあたっていた渉は、それを聞いて冷たく笑った。「俺がお金だけでなく、心も捧げているからだよ」「心だと、ふざけんな!」正人はそう悪態をつくと、私のバッグをひったくった。そして、中からあの赤い手帳が転がり落ちた。手帳はデッキの上に落ちて、あるページが開いたままになった。そのページは、ちょうど私が修正液で消したところがあった。でも、潮風のせいで少しはがれてしまい、下に書かれた文字が見えていたんだ。太陽の光の下、修正液で隠されたマークが、やけに目に刺さる。それはハートマークじゃなかった。何か特別な暗号でもない。そこには、はっきりと、きれいな字で書かれた――【¥】があった。円マークだ。正人は固まった。覗きにきた竜也も固まった。渉さえもグラスを置いて、そのマークをじっと見つめていた。「こ……これは何だ?」正人はマークを指さしながら、手を震わせた。正人だって、バカじゃない。これまでの私の行動を思い返せば、答えは明らかだ。お金を要求するときのすがすがしい態度、お金を渡したときの優しい笑顔、そしていつまでも埋まらない点数……すべての点が、一本の線につながった。正人は狂ったように手帳をめくり始めた。それどころか、爪で修正液をカリカリと削り始
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第9話

クルーザーは岸には近づかず、どんどん沖へと進んでいった。周りは見渡すかぎりの海。叫んでも、誰にも届かない。息が詰まるほど、重苦しい空気が流れていた。三人の男たちが、まるで私を食い殺そうとするみたいに、私を取り囲む。「お金を、追加で?」正人はあきれたように笑った。そして一歩ずつ近づいてくる。その目には怖いほどの狂気がやどっていた。「葵、まだ金の話をするつもりか?俺たちの気持ちを弄んで、金だけもらってサヨナラか?」「気持ち?」私は鼻で笑って、まっすぐに正人を見返した。「正人、昔、私に真夜中にラーメンを買いに行かせたとき、私の気持ちを考えたことあった?木村さんにお酒をかけられたときも、私の気持ちを理解しようとしたことあった?」私は次に渉に目を向けた。「渉、あなたは私に正座でお経を書き写させたわよね。手首が腫れて上がらなくなったとき、少しでも心配してくれた?」そして最後は竜也。「あなたもよ。私が血を吐くまで、あなたの代わりにお酒を飲まされたじゃない。それを面白がって見ていた時、私の気持ちなんて、これっぽっちも考えなかったでしょうね?」私の言葉は、平手打ちのように三人の顔を叩いた。三人は、黙り込んでしまった。彼らが見て見ぬふりをして、当たり前だと思ってきた過去。その醜い真実が、今、私によって暴かれていく。彼らはそれを、私の愛情表現だと思い込んでいた。でも本当は、私が生きるための処世術だっただけ。屈辱に耐えてきた証拠だ。「そんな傷ついたみたいな目で見ないで」私は冷たく言い放つ。「あなたたちが私を便利な道具みたいに扱ってたとき、痛いかなんて一度も聞かなかったくせに。立場が逆になった途端、私が悪者になるの?私はただ、もらうべきものを受け取っただけ」正人は何か言い返そうと口を開いたけど、言葉にならなかった。どうしようもない、巨大な不安が三人の心に広がっていく。彼らは気づき始めた。私が、本気で彼らのことなんて愛していないことに。愛していないどころか……嫌悪している。お金をだまし取られたことよりも、その事実のほうが三人を打ちのめした。突然、正人が目を真っ赤にして、スマホを乱暴に取り出した。「金か?そうか、金が欲しいんだな!いいだろう、金ならいくらでもある!」正人はすごい速さでスマホを操作す
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第10話

1年後。グローバル金融サミット。新進気鋭のトップ投資家になった私は、仕立てのいい白いスーツを着て、最前列のど真ん中に座っている。フラッシュがあちこちでたかれる中、私の顔には自信に満ちた笑みが浮かんでいた。1年前、ただの使いっぱしりで、いつもおどおどしていた私が、今や資本そのものになるなんて、誰が想像できただろう。あの40億円を元手に、私はいくつかのユニコーン企業へ的確に投資した。おかげで資産は10倍以上にふくれあがった。今の私は、「中山社長」だ。会議が終わったあと、私はバックステージで待ち伏せされた。正人、渉、竜也。三人が揃って、私の前に立っていた。でも、1年前とは違う。正人は、あの乱暴なオーラがすっかり消えていた。きっちりした黒いスーツを着て、ずいぶん落ち着いて見える。渉はかなり痩せて、腕につけていた数珠はなくなっていた。かわりに、ごく普通の腕時計をはめている。竜也は、髪を短くして黒に染め直していた。まるでおとなしい大学生みたいだ。三人は私を見ている。その目には、もう以前のような見下した感じはない。あるのはただ、へりくだった、おそるおそるの熱望だけだ。「葵」正人が最初に口を開いた。声は少し、かすれている。「聞いたんだが……パートナーを募集してるって?」渉は書類を差し出した。「これは金子グループができる、最大の譲歩だ。サインさえしてくれれば、利益はすべて君のものだ」竜也は健康診断書と資産証明書を取り出した。「葵……もう、めちゃくちゃな遊びはやめたんだ。体も健康だし、それに、ちゃんとした出所のお金しかないんだ。だから……チャンスをくれないかな?」私は、かつて私を自分たちの「奴隷」として扱っていた、この三人の男たちを見た。今、彼らは全財産を差し出して、私に一瞥してもらうためだけに必死になっている。まったく、立場が逆転したものね。周囲の記者たちが嗅ぎつけて、一斉にカメラを私たちに向けた。「中山社長、恋愛についてどうお考えですか?」と記者が大声で聞いた。「この三人が中山社長を追いかけていると噂ですが、どなたを選ぶのですか?」私は、笑った。華やかで人を惹きつけ、それでいてどこか投げやりで、冷たい笑みだ。「恋愛、ですか?」私はカメラに向かって、ゆっくりと口を開いた。「私の
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