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第3話

Author: 夏ノ黙
渉が退院の日に迎えにきてくれたんだけど、その時の出迎えがとにかくすごかった。

ずらりと黒のマイバッハが並んで、サングラスをかけたボディガードたちが二列に立っていた。

渉はオーダーメイドの和装姿で、いつもの数珠を指でくりながら車のそばに立っている。その姿はまるで、みんなを救いに来た仏様みたいだ。

「葵、病院は邪気が溜まりやすい。俺と共に山の別荘に戻り、静養しよう」

口では、すごく立派なことを言っていたけど。

本当は、私を自分の別荘に閉じ込めて、私の「ポイント」を独り占めしたいだけだ。

私は素直に車に乗った。渉という男は、一見すると無欲そうに見えるけど、本当は支配欲が一番強いことを知っていたから。

もし渉に逆らったりしたら、一晩中ありがたいお説教を聞かされることになる。

山の中腹にある渉の別荘に着くと、部屋中に焚かれたお香のせいで頭がズキズキした。

この場所は、もう見慣れたものだ。

昔、お金のために毎日ここへ通って、渉の書斎を掃除したり、お経を整理したりした。それだけじゃなく、難しいお経の書き写しまでやらされた。

彼はそれを、もっともらしく「心の交流だ」などと言っていたが、実際は自分がやりたくない面倒な雑用をぜんぶ私に押し付けていただけ。しかも、私の心を鍛えるためだなんて言ってた。

心を鍛える?ふざけんじゃない。

渉は私を書斎に連れていくと、紙を広げ、自ら墨まで磨ってくれた。

「昔は、君がここで一緒に字を書くのが一番好きだったね」

渉は、穏やかな目つきで私を見つめて言った。「この時間だけが、心が落ち着くって、君は言っていた」

私は心の中で鼻で笑った。

心が落ち着く?

あれは疲れて口もききたくなかっただけなのに。

あんなものを書かされて手首は折れそうになるし、ずっとちゃんとした姿勢でいないといけない。そうしないと、バイト代を減らされるんだから。

私は机の上の筆や硯を見つめた。渉が期待するように筆を持つことはせず、私は突然ぶるぶると震えはじめた。

何かの病気の前触れみたいに、小刻みに震えている。

渉が筆を渡そうとする時、私は思いっきり彼の手を振り払った。

パシャッ。

硯にたっぷり入っていた墨が、渉の真新しい和装に、もろにかかってしまった。

黒い墨の染みは、歪んだ花のように渉の胸元で一瞬にして広がった。

渉は呆然としていた。

渉は潔癖症で有名だ。昔、机に墨をこぼしただけで、半日くらいずっと不機嫌だったこともある。

渉の眉間に一瞬でしわが寄り、目の奥に嫌悪と怒りがちらついた。

渉がキレる寸前、私は目を赤くして口を開いた。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

私はその墨の染みを見て、ぽろぽろと涙をこぼした。声もひどく震えていた。

「この墨を見ると……手が、すごく痛むの……手首が折れそうに……

私……昔、何か悪いことをしたのかな?どうして、これがこんなに怖いの?」

渉の怒りは、一瞬にして喉の奥に引っ込んだ。

手首を押さえて泣きじゃくる私の姿を見て、渉はその賢い頭をすぐにフル回転させはじめた。

昔、私に夜明けまでお経を書き写させていた日々を思い出したんだろう。

私が手首をさすりながら「疲れてない」って無理に笑っていたことも、思い出したに違いない。

あの頃の渉は、私がそれを楽しんでいて、少しでも長く彼のそばにいたくてやっているんだと思っていた。

それが今となっては……体に刻まれたトラウマの記憶だったなんて。

渉の表情は、怒りから驚きへと変わり、最後には深い後悔の色を浮かべていた。

「葵……」

渉は服の汚れもかまわず、一歩前に出て私の手を取ろうとした。「俺が悪かった。昔の俺は……あまりに自己中心的だった」

私は怯えた目つきで一歩下がる。「罰は与えないで……ちゃんと最後まで書くから……お給料、引かないで……」

この「お給料、引かないで」という一言が、とどめの一撃だ。

渉のようにお金を何とも思っていない人間にとって、これは聞くに耐えない言葉だ。

顔に泥を塗るどころか、プライドをズタズタに引き裂くようなものだ。

この金子家の御曹司が、愛する女性をわずかなお金のためにこんなに怯えさせていたなんて。

「もう引かない。絶対に引いたりしない」

渉は深呼吸を一つすると、肌身離さずつけていた数珠を外し、有無を言わさず私の手首にはめた。

「これを君に」

低い声で渉は言った。「これは俺のお守りだ。そして……君への償いのしるしでもある」

私は手首の数珠を見下ろした。

これと同じようなものをオークションで見たことがある。開始価格でも七桁はくだらない代物だ。

私は泣きやんで、しゃくりあげながら赤い手帳を取り出した。

渉が期待と緊張の入り混じった目で見つめる中、私は彼のページを開いて、こう真剣に書き込んだ。

【金子渉:4000000(数珠の値段の見当)】

渉はほっと息をつき、満足そうな笑みを浮かべた。「四百万ポイントか?どうやら君の心の中で、俺はかなり大切な存在らしい」

その自己満足な様子を見て、私は口元がひきつるのをぐっとこらえた。

バーカ。

それは、この数珠の買い取り価格だ。

心の中で、この数珠を不動産の頭金に換算した。それだけで、最高な気分になった。

「高嶺の花?」私は心の中で毒づく。「自分の服も洗いたくないくせに、人にあやしてもらわないとダメな、ただの駄々っ子じゃん」

でもまあ、この四百万円のためなら、高級家政婦になってあげてもいいか。

「ありがとう……」私は数珠に触れながら、泣き顔から一転して微笑んだ。「なんだか、とても温かい気がする」

私の笑顔を見て、渉の眼差しはいっそう優しくなった。「仏様は縁ある者を救うという。葵、君と俺は、特別な縁で結ばれているんだ」

私は心の中でこう返した。仏様が救うのはご縁がある人、私が相手にするのはお金がある人。

お金さえもらえれば、縁なんてどうでもいい。命だってあげちゃう。

でも、そんな穏やかな時間は長くは続かなかった。

一週間後、私は検査のために病院へ向かった。

そして、よりによって、あの三人が病院の入り口で鉢合わせしてしまったのだ……
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