LOGIN医者によると、私は交通事故で頭を打って「解離性健忘」になったらしい。一番大好きな人のことだけが、鮮明に残っているという。 病室のドアが乱暴に蹴り開けられた。そこに立っていたのは、東都で最も厄介だと言われる、あの三人組の御曹司たちだ。 太田正人(おおた まさと)は目を真っ赤にしていた。「葵(あおい)、お前が覚えてるのは、俺だけだよな。なんたって、俺のためなら命も惜しくないって言ってたんだから」 金子渉(かねこ わたる)は数珠を指で弄び、冷たい声で、でも確信に満ちた様子で言った。「葵、俺がいなきゃダメなんだって、そう言ったのは君だろう」 工藤竜也(くどう たつや)は、わざとらしく色気を漂わせて笑った。「葵、しらばっくれるのはやめてよ。僕たち、昨日の夜もあんなに……忘れるわけないでしょ」 昔は私をパシリ扱いしてたこの男たちを前に、私はゆっくりと一冊の手帳を取り出す。それは、彼らが宝物みたいに大事にしている、赤い手帳だ。 最初のページを開くと、そこには【太田正人:1000000】とだけ書かれていた。 正人は大喜びして、残りの二人に向かってドヤ顔をした。「ほらな!やっぱりお前の中で、俺が一番なんだよ!」 渉と竜也の顔が、途端に曇った。だって、二人のページはまだゼロのままだったから。 その場がシーンと静まり返る中、正人だけが、賞状をもらった小学生みたいにはしゃいでいた。 私は微笑みながらも、優しい目つきで正人を見つめた。もちろん、心の中では思いっきり悪態をついていたけど。 このアホ。 それはあなたが先月、私に払ってないパシリ代の100万円だろう? 今日、利子付きできっちり払ってもらうまでは、誰もこの部屋から出しやしない。
View More1年後。グローバル金融サミット。新進気鋭のトップ投資家になった私は、仕立てのいい白いスーツを着て、最前列のど真ん中に座っている。フラッシュがあちこちでたかれる中、私の顔には自信に満ちた笑みが浮かんでいた。1年前、ただの使いっぱしりで、いつもおどおどしていた私が、今や資本そのものになるなんて、誰が想像できただろう。あの40億円を元手に、私はいくつかのユニコーン企業へ的確に投資した。おかげで資産は10倍以上にふくれあがった。今の私は、「中山社長」だ。会議が終わったあと、私はバックステージで待ち伏せされた。正人、渉、竜也。三人が揃って、私の前に立っていた。でも、1年前とは違う。正人は、あの乱暴なオーラがすっかり消えていた。きっちりした黒いスーツを着て、ずいぶん落ち着いて見える。渉はかなり痩せて、腕につけていた数珠はなくなっていた。かわりに、ごく普通の腕時計をはめている。竜也は、髪を短くして黒に染め直していた。まるでおとなしい大学生みたいだ。三人は私を見ている。その目には、もう以前のような見下した感じはない。あるのはただ、へりくだった、おそるおそるの熱望だけだ。「葵」正人が最初に口を開いた。声は少し、かすれている。「聞いたんだが……パートナーを募集してるって?」渉は書類を差し出した。「これは金子グループができる、最大の譲歩だ。サインさえしてくれれば、利益はすべて君のものだ」竜也は健康診断書と資産証明書を取り出した。「葵……もう、めちゃくちゃな遊びはやめたんだ。体も健康だし、それに、ちゃんとした出所のお金しかないんだ。だから……チャンスをくれないかな?」私は、かつて私を自分たちの「奴隷」として扱っていた、この三人の男たちを見た。今、彼らは全財産を差し出して、私に一瞥してもらうためだけに必死になっている。まったく、立場が逆転したものね。周囲の記者たちが嗅ぎつけて、一斉にカメラを私たちに向けた。「中山社長、恋愛についてどうお考えですか?」と記者が大声で聞いた。「この三人が中山社長を追いかけていると噂ですが、どなたを選ぶのですか?」私は、笑った。華やかで人を惹きつけ、それでいてどこか投げやりで、冷たい笑みだ。「恋愛、ですか?」私はカメラに向かって、ゆっくりと口を開いた。「私の
クルーザーは岸には近づかず、どんどん沖へと進んでいった。周りは見渡すかぎりの海。叫んでも、誰にも届かない。息が詰まるほど、重苦しい空気が流れていた。三人の男たちが、まるで私を食い殺そうとするみたいに、私を取り囲む。「お金を、追加で?」正人はあきれたように笑った。そして一歩ずつ近づいてくる。その目には怖いほどの狂気がやどっていた。「葵、まだ金の話をするつもりか?俺たちの気持ちを弄んで、金だけもらってサヨナラか?」「気持ち?」私は鼻で笑って、まっすぐに正人を見返した。「正人、昔、私に真夜中にラーメンを買いに行かせたとき、私の気持ちを考えたことあった?木村さんにお酒をかけられたときも、私の気持ちを理解しようとしたことあった?」私は次に渉に目を向けた。「渉、あなたは私に正座でお経を書き写させたわよね。手首が腫れて上がらなくなったとき、少しでも心配してくれた?」そして最後は竜也。「あなたもよ。私が血を吐くまで、あなたの代わりにお酒を飲まされたじゃない。それを面白がって見ていた時、私の気持ちなんて、これっぽっちも考えなかったでしょうね?」私の言葉は、平手打ちのように三人の顔を叩いた。三人は、黙り込んでしまった。彼らが見て見ぬふりをして、当たり前だと思ってきた過去。その醜い真実が、今、私によって暴かれていく。彼らはそれを、私の愛情表現だと思い込んでいた。でも本当は、私が生きるための処世術だっただけ。屈辱に耐えてきた証拠だ。「そんな傷ついたみたいな目で見ないで」私は冷たく言い放つ。「あなたたちが私を便利な道具みたいに扱ってたとき、痛いかなんて一度も聞かなかったくせに。立場が逆になった途端、私が悪者になるの?私はただ、もらうべきものを受け取っただけ」正人は何か言い返そうと口を開いたけど、言葉にならなかった。どうしようもない、巨大な不安が三人の心に広がっていく。彼らは気づき始めた。私が、本気で彼らのことなんて愛していないことに。愛していないどころか……嫌悪している。お金をだまし取られたことよりも、その事実のほうが三人を打ちのめした。突然、正人が目を真っ赤にして、スマホを乱暴に取り出した。「金か?そうか、金が欲しいんだな!いいだろう、金ならいくらでもある!」正人はすごい速さでスマホを操作す
嘘がバレるのなんて、きっかけはほんのささいなことだったりする。そのきっかけは、私の誕生日。「事故に遭った後の初めての誕生日」を祝うため、三人は珍しく意見が一致したらしい。豪華なクルーザーを貸し切って、私を海に連れ出してくれたんだ。潮風が気持ちよくて、おいしいシャンパンもある。三人の間に流れるバチバチの空気さえなければ、最高に完璧な時間だった。正人は、飲みすぎていた。自分が二千万円もつぎこんだのに、どうして渉の点数のほうが高いのかって。渉もこっそり点数を稼いでるみたいだって。正人は最近、ずっと悩んでた。酒は人に勇気を与える。正人はふらふらの足取りで私の前に来ると、顔を真っ赤にして叫んだ。「その手帳を出せ!帳簿を合わせるぞ!」「帳簿って、何のこと?」私はドキッとして、とっさにバッグをおさえた。「点数を確認するんだよ!」正人は有無を言わさず、私のバッグを奪おうとした。「お前、渉を手伝ってズルしてるだろ!なんであいつがいつも俺より上なんだよ?」甲板で風にあたっていた渉は、それを聞いて冷たく笑った。「俺がお金だけでなく、心も捧げているからだよ」「心だと、ふざけんな!」正人はそう悪態をつくと、私のバッグをひったくった。そして、中からあの赤い手帳が転がり落ちた。手帳はデッキの上に落ちて、あるページが開いたままになった。そのページは、ちょうど私が修正液で消したところがあった。でも、潮風のせいで少しはがれてしまい、下に書かれた文字が見えていたんだ。太陽の光の下、修正液で隠されたマークが、やけに目に刺さる。それはハートマークじゃなかった。何か特別な暗号でもない。そこには、はっきりと、きれいな字で書かれた――【¥】があった。円マークだ。正人は固まった。覗きにきた竜也も固まった。渉さえもグラスを置いて、そのマークをじっと見つめていた。「こ……これは何だ?」正人はマークを指さしながら、手を震わせた。正人だって、バカじゃない。これまでの私の行動を思い返せば、答えは明らかだ。お金を要求するときのすがすがしい態度、お金を渡したときの優しい笑顔、そしていつまでも埋まらない点数……すべての点が、一本の線につながった。正人は狂ったように手帳をめくり始めた。それどころか、爪で修正液をカリカリと削り始
竜也がうまくフォローしてくれるおかげで、私のお金儲けはますます順調になっていった。でも、あの高嶺の花の渉が、まさか体を張って同情を引くような手を使ってくるなんて、思ってもみなかった。秋の雨が続くころ、渉が病気で倒れた。高熱が下がらないのに、渉は病院に行くのを嫌がった。そして、山の上にある別荘に来て看病してほしい、とどうしても譲らなかった。竜也はすごく不機嫌だった。でも、私の「秘密」がバレるわけにはいかないから、悔しそうにしながらも山まで送ってくれた。「渉に手出しさせるなよ。もし変なことしてきたら、すぐに連絡しろ。僕がぶっ飛ばしてやるから」竜也は不満げに言い放った。私はキャッシュカードでぱんぱんのバッグをぽんと叩いて、自信たっぷりに言った。「安心して、私はプロだから」寝室に入ると、渉は熱で意識がもうろうとしていた。いつもはクールな顔が不自然に赤く染まっていて、なんだか儚げで美しく見えた。「葵……」熱にうなされながら、渉は私の手を強く掴んだ。その力はびっくりするほど強くて、「行かないで……」とかすれた声で言った。私は手慣れたもので、濡れタオルを替えたり、お水を飲ませたり、薬をあげたりした。この一連の流れは、もうすっかり慣れている。前は渉がちょっと熱を出しただけでも、私が付きっきりで看病していたから。当時は、クビにならないように必死だった。だって、渉がくれる特別手当はものすごく高かったから。私の看病のおかげか、渉は少しずつ意識を取り戻した。渉は目を開けて、じっと私を見つめた。その瞳には、今までにない弱々しさと、何かを期待するような色が浮かんでいた。「葵、一晩中そばにいてくれたのか?」私は腕時計に目をやった。午前4時。プロの付き添いヘルパーの時給に深夜料金を足したら……この一晩で、少なくとも10万円は請求できる。「うん」私はうなずいて、ついでにタオルを洗面器に放り込んだ。「熱が下がってよかった」渉の目に、ぱっと光が灯った。渉は私の手を握り返すと、指の腹でそっと私の手の甲をなでた。そしてかすれた声でささやく。「葵、こんな俺を見て……胸が痛むか?」これはサービス問題だ。シナリオ通りなら、ここで目に涙をいっぱいためて、「心配でたまらないよ」って言うところだ。でも、最近お金を稼ぎすぎ