あっ、と思った瞬間には、身体の重心が前のめりに崩れていた。 視界がわずかに斜めに傾く。 転ぶほどの勢いではない。「おっと」と片足を踏み出せば、すぐに体勢は立て直せる。日常の中で誰しもが経験する、ささいな躓きだ。 次の瞬間、床に足をつこうとした私の耳に、空気を切り裂くような鋭い音が飛び込んできた。「朱里ッ!!」 鼓膜を震わせるほどの、切羽詰まった大声。 ドンッ、と革靴が床を蹴る激しい音がしたかと思うと、猛烈な勢いで風が巻き起こり、私の視界から床の景色が消えた。 倒れかけるよりも早く、湊が信じられないほどのスピードで距離を詰め、私の身体をガッチリと抱き留めたのだ。 彼の硬い胸板に強く打ち付けられ、鼻の奥にシトラスの香りが入り込んでくる。「大丈夫か!? どこか打ってないか!? 足首は!? 捻ったんじゃないか!?」 湊の声は、普段の冷静沈着なトーンからは想像もつかないほど上ずっていた。 彼の腕が、私の身体をきつく、息が詰まるほど強く締め付けている。その腕越しに、ドッドッドッという、早鐘のような彼の心音がダイレクトに伝わってきた。「い、痛くない……ちょっと、苦しい……湊、離して……」「動かないで! 万が一、見えないところで打撲でもしていたら大変だ。すぐに休ませないと――」「だから! 大げさだってば!!」 私は彼の手の中で身をよじり、すぐ横のガラステーブルの上に置かれていた、ペーパーバックの薄い資料ファイルを咄嗟に掴み取った。 そして、手首のスナップを利かせて。 パシィッ! 乾いた音が、静まり返ったオフィスに響き渡った。 私は、丸めたファイルで湊の頭――完璧にセットされた、黒髪のあたり――を、思いきり叩いていた。 静寂。 天井の空調が微かに稼働する音だけが、耳の奥でチリチリと鳴っている。 叩かれた湊は、目を見開いたまま完全に動きを止めていた。 私も、自分が放った一撃の事実に遅れて気づき、ファイルを握りしめたまま呼
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