復讐のために彼をレンタルしたら、まさかのCEOに溺愛契約で雇われました のすべてのチャプター: チャプター 251 - チャプター 260

329 チャプター

第251話 麗華の没落④

 湊は、麗華が並べ立てた言葉を一つ一つ拾い上げ、噛み砕くように吐き捨てた。「剛造という後ろ盾を失った途端に崩壊するような砂上の楼閣を、誰が買い取ると思う。君のブランドには、最初から何の価値もなかったんだ。剛造の資金洗浄の隠れ蓑として、体よく利用されていただけにすぎない」「違う! 私の才能よ! 私のデザインは世界で……」「君には、愛もプライドもなかった」 湊の言葉は、重い鉛の塊のように麗華の頭上に落ちた。「あるのは、中身のない虚栄心だけだ」 麗華の口が、金魚のようにパクパクと開閉する。反論の言葉を探しているようだったが、喉からはヒューという空気の漏れる音しか出てこない。「君が欲しかったのは僕じゃない。九龍の権力と、自分を飾り立てるための金だ。……二度と、僕と朱里の前に姿を現すな。次は容赦なく警備を呼ぶ」 湊はそれだけを告げると、私の手首を引いて車の方へ歩き出そうとした。 張り詰めていた見えない糸が、プツンと切れたような気がした。 麗華の肩からガクンと力が抜け、彼女は膝から崩れ落ちそうになるのを、必死に足を踏ん張って堪えていた。 私は、湊の背中から一歩横へずれた。 彼に守られているだけじゃ駄目だと思った。 私の視線に気づいた麗華が、ゆっくりと首を巡らせてこちらを見た。 その目には、以前のような見下すような光はない。泥水をすすらされたような疲労感と、行き場のない怨嗟の色が渦巻いていた。「……朱里」 掠れた声で、私の名前を呼ぶ。「あんた、満足でしょうね。私がこんな惨めな姿を晒して、這いつくばってるのを見て」 私は首を横に振った。「満足なんてしてない。……ただ、悲しいだけ」「同情する気!? ふざけないでよ!」 麗華が顔を歪め、噛みつくように叫んだ。「あんたなんか……ただ運が良かっただけじゃない! 偶然、湊の目にとまって、運良く拾われただけのくせに! 私の方がずっと努力してき
続きを読む

第252話 麗華の没落⑤

 ハッ、というその音は、駐車場のアスファルトに吸い込まれて消えた。「……あなたには、負けたわ」 唇の隙間から、ひねり出すように零れ落ちたその言葉。 それは、プライドの塊だった彼女が、初めて口にした敗北の宣言だった。 麗華は両手を頭の横へやり、汗で張り付いた髪を乱暴に後ろへかき上げた。顔を上げ、背筋を伸ばす。 シルクのワンピースのシワが引き伸ばされ、彼女は折れそうなピンヒールでしっかりとコンクリートの床を踏みしめた。 そこには、ただ惨めに泣き喚く女ではなく、歪みながらも自分の足で立とうとする、奇妙な威厳のようなものがあった。「でも、勘違いしないで」 麗華の目に、かつての強気な光が微かに戻る。「私は這い上がるわ。こんなところで終わる女じゃない。いつか必ず……あんたたちを見下ろしてやるんだから」 強がり。虚勢。誰の目にも明らかなほどの、張りぼてのプライド。 それでも彼女は、私から目を逸らさなかった。 そのまま踵を返し、出入り口の方向へと歩き出す。 カツッ、カツッ。 硬いヒールの音が鳴る。左足の動きが少しだけ不自然で、一歩ごとに足首が僅かに揺れている。それでも彼女は、絶対に振り返らなかった。 急勾配のスロープの先、地上から差し込む夜の街のネオンライトの光の中へ、麗華の細いシルエットはゆっくりと溶けていき、やがて完全に見えなくなった。 ヒールの音が完全に消え去り、駐車場には再び蛍光灯の低い羽音だけが残された。 湊が長く息を吐き出す音が聞こえ、私は弾かれたように彼を見上げた。 凑は何も言わず、私の右手を自分の大きな手で包み込んだ。 彼の指先に嵌められた冷たいシルバーリングの感触と、それを覆い尽くすような掌の熱さが、私の肌にじんわりと染み込んでくる。「……行くか」「うん」 湊が助手席のドアを開け、私は滑り込むようにして黒いレザーシートに腰を下ろした。 バタン、という重厚なドアを閉める音が鳴り、外の空気が完全に遮断される。
続きを読む

第253話 征司の贖罪と新たな道①

 嵐が完全に過ぎ去り、九龍グループが徐々に落ち着きを取り戻し始めてから数日後のことだった。 インペリアル・ドラゴン・ホテルの最上階、CEO執務室。 分厚い防音ガラスの向こうには、抜けるような秋の青空がどこまでも広がっている。 空調の微かな羽音だけが等間隔に響く静謐な空間で、私は巨大なマホガニーのデスクのすぐ真横に設えられた、私専用の小さなデスクに向かっていた。「……ん」 タブレットの画面をスクロールさせながら、小さく息を吐き出して背伸びをする。 サロン『フェリーチェ・ルーチェ』の営業再開に向けたバックヤードの整理や、スタッフたちのシフト再構築。それに加え、今回の騒動で急遽キャンセルや延期を余儀なくされてしまったお客様への、個別対応のリスト作り。 指先を動かし続ける作業は山積みだが、不思議と身体に泥のような疲労感は張り付いてこない。むしろ、自分の手で居場所をもう一度立て直すという熱が、血流に乗って指先まで行き渡っているようだった。 ふと、横顔にじっとりとした視線が張り付いているのを感じて顔を上げた。 隣のデスクで、分厚い決裁書類に万年筆を走らせていたはずの湊が、手を止めてこちらを凝視している。 その黒曜石のような瞳には、かつての張り詰めた氷のような冷たさは微塵もない。 自分のテリトリーに宝物がちゃんと存在しているかを確認するような、ひどく甘く、そして重たい光が揺らめいている。「……顔に、何か付いてる?」 小首を傾げて尋ねると、彼はふっと口元を緩めた。「いや。……ただ、視界の端に君の輪郭がないと、どうにも活字が頭に入ってこなくてね」「もう。過保護すぎるよ。私はどこにも行かないって、今朝も言ったじゃない」「頭ではわかっている。だが、本能がまだ追いついていないんだ」 湊は万年筆をデスクに置き、重厚な革張りの椅子を回転させて私の方へ身体ごと向き直った。「君の呼吸の音が途切れると、またあの雨の夜のように、君がすべてを置いて僕の届かない場所へ消えてしまうんじゃないかという錯覚に襲
続きを読む

第254話 征司の贖罪と新たな道②

 ウールの滑らかな生地越しに、彼の高い体温が私の冷えた鼻先へじんわりと移ってくる。「もう二度と、あんな嘘はつかない。……どんなに苦しい時でも、あなたから目を逸らしたりしないから」 湊は私の腰に腕を回し、私の顔を自分の胸元へと引き寄せた。「ああ。……僕も、二度と君を一人で矢面に立たせたりしない。何かあれば、必ず僕に言え」 スーツの奥から伝わってくる彼の規則正しい心音が、耳元で心地よい振動となって響く。 微かに香るシトラスとムスクの匂いに包まれ、このまま時間ごと止まってしまえばいいと思った矢先だった。 コンコン、と控えめなノックの音が、執務室の密室めいた空気を叩いた。 ビクッと肩を震わせた私を、湊は名残惜しそうに腕から解放し、ネクタイの結び目を片手で軽く引き上げる。「……入れ」 声は一瞬にして、低く冷徹なトップのそれへと切り替わる。 重厚な扉が静かに開き、年配の秘書が一礼して顔を覗かせた。「社長。……九龍征司様がお見えです。面会のお約束はいただいておりませんが、どうしてもお会いしたいと」 征司さん。 その名前に、私は小さく息を呑んだ。 剛造さんが空港で逮捕されてから、彼の消息はぷっつりと途絶えていた。 父親の悪事を自ら暴き、警察へ証拠を引き渡した彼。 その行動は九龍家全体の崩壊を防ぐための英断だったとはいえ、彼自身が背負うことになった身内を売ったという十字架は、計り知れないほど重いはずだ。 湊は眉間に微かに皺を寄せたが、すぐに短く顎を引いた。「……通せ」「かしこまりました」 秘書が下がり、数秒後、扉が再び開かれた。 そこに立っていたのは、私の知る「軽薄でチャラついた」九龍征司ではなかった。 いつも無造作に遊ばせていた茶色がかった髪は額を出して綺麗に撫でつけられ、ラフなジャケットスタイルではなく、無地のダークネイビーのスーツに落ち着いたグレーのネクタイを締めている。
続きを読む

第255話 征司の贖罪と新たな道③

「……何の用だ」 湊は椅子の背もたれに深く身体を預け、冷ややかに弟を見据えた。「親父の事後処理なら、法務部と警察の間で進んでいる。君が直接出向いてくる必要はないはずだが」「ああ、その件はもう俺の手を離れてる。……今日来たのは、それとは別の話だ」 征司は、深く息を吸い込んだ。 そして、ゆっくりと、しかしはっきりとした動作で、湊に向かって深々と頭を下げたのだ。 九十度に近い、完璧な謝罪の角度。「……っ!」 私は思わず口元を手で覆った。 あのプライドが高く、常に周囲を小馬鹿にするように斜に構えていた征司さんが、湊に対してここまで無防備に頭を下げるとは。「……親父がしでかした数々の非道。会社に与えた莫大な損害、そして……朱里ちゃんと兄貴を陥れようとしたこと。……息子として、九龍の血を引く者として、深く謝罪する。……本当に、すまなかった」 床に向かって絞り出されたその声には、一切の虚飾がなかった。 純粋な贖罪の意志だけが、部屋の空気を重く震わせる。 湊は無言のまま、頭を下げる征司を見下ろしていた。 長い沈黙が流れる。 空調の低い羽音だけが、二人の間を隔てる空間を循環している。 やがて、湊は小さく息を吐き出した。「……頭を上げろ」 征司がゆっくりと顔を上げる。「親父の罪は、親父の罪だ。……君が謝る筋合いはない。君が証拠を持ち出さなければ、事態はもっと泥沼化していただろう。……その点に関しては、借りができたと思っている」 湊の言葉に、征司の瞳が微かに見開かれた。「借り、なんて……。俺はただ、あの泥水みたいなやり方に吐き気がしただけだ。それに……」 征司はちらりと私の方を見た。
続きを読む

第256話 征司の贖罪と新たな道④

第256話 征司の贖罪と新たな道④「ヨーロッパ支社だと? あそこは今、現地の規制強化と競合の台頭で、毎期莫大な赤字を垂れ流している泥舟だ。……経営再建の目処も立たず、役員たちも匙を投げかけている。そんな貧乏くじを、自ら引き受けるというのか」「ああ」 征司は迷いなく頷いた。「俺は今まで、親父の威光に隠れて、九龍の看板を背負いながらも安全な場所で甘い汁を吸ってきただけだ。……だから、ここらで一度、泥水をすする覚悟で自分の力を試してみたい」 彼の瞳には、かつての軽薄な光はない。 野心というよりも、自分自身の存在意義を根底から確かめるための、渇望に近いギラギラとした熱が宿っていた。「それに……親父の尻拭いと、俺自身の頭を冷やすためにも、日本から離れた方がいい。……兄貴の顔を見ると、また変な対抗心が湧いてきそうだしな」 最後だけ、少しだけ昔の彼らしい、自嘲気味な笑いがこぼれた。 湊は、デスクの上の書類を一瞥し、そして再び征司の顔を見た。「……過酷だぞ。誰も助け船は出さない。結果が出なければ、そのまま切り捨てる」「望むところだ。……三年。三年で黒字化してみせる。ダメなら、九龍の名前を捨てるよ」 退路を完全に断った、絶対の覚悟。 二人の間に、血を分けた兄弟としての、奇妙な連帯感と、ヒリヒリするようなビジネス上の緊張感が交錯する。 やがて、湊はふっと息を抜き、デスクからゆっくりと立ち上がった。「……好きにしろ。手続きは人事部に回しておく」「……ありがとう、兄貴」 征司の顔に、憑き物が落ちたような、清々しい笑顔が広がった。 彼は深く一礼し、踵を返して扉の方へ向かおうとした。 だが、その途中でふと足を止め、私の方へ振り向いた。「朱里ちゃん」「え……?」 彼は数歩近づき、
続きを読む

第257話 征司の贖罪と新たな道⑤

 彼の腕の力が、私の身体を完全に自分のテリトリーの中へと囲い込む。背中に当たる硬い胸板から、静かな怒気と圧倒的な熱が伝わってくる。 湊は征司を睨み据え、一文字一文字を噛み砕くように言い放った。「彼女を泣かせることも、君に付け入る隙を与えることもない。……悪いが、君の出番は一生ないよ」 絶対的な自信と、揺るぎない独占欲。 その言葉を聞いた征司は、目を丸くした後、こらえきれないように吹き出した。「ハハッ! ……言ってくれるねぇ。昔の氷みたいな兄貴からは、想像もつかないセリフだ」 征司は本当に可笑しそうに笑いながら、湊に向かって右手を差し出した。「……じゃあな。せいぜい、足元すくわれないように気をつけるんだな」 湊は一瞬、その差し出された手を見つめた。 そして、無言のまま、自分の右手を伸ばし、征司の手をしっかりと握り返したのだ。 ガシッ。 力強い、男同士の掌のぶつかり合い。 それは、長年にわたって九龍家の中で憎み合い、いがみ合ってきた二人の間に、初めて確かな熱が通った瞬間だった。 私はその光景を、息を詰めて見守った。 二人の間にあった分厚い氷の壁が、音を立てて崩れ去り、新しい風が吹き込んでいくのが肌でわかる。 征司は湊の手を離すと、私に軽くウィンクを残し、今度こそ迷いのない足取りで執務室を出て行った。 重厚な扉が閉まり、再び部屋に静寂が戻る。 私は、まだ少し呼吸の荒い湊の横顔を見上げた。「……よかったの?」「何がだ」「あんな挑発に乗っちゃって。……でも、かっこよかったよ」 私がクスクスと笑うと、湊は少し気恥ずかしそうに顔を背けた。「……挑発に乗ったわけじゃない。事実を言ったまでだ」 彼は私の腰を抱いたまま、再び私を自分の方へ向き直らせた。「僕は二度と、君を泣かせない。……これからの君の涙は、
続きを読む

第258話 過保護な同棲生活①

 指先をかすめるほどの微かな電子音が鳴り、重厚なオーク材の扉が音もなく滑るように開いた。 一歩足を踏み入れた瞬間、鼻腔をくすぐったのは、挽きたての深煎りコーヒーのビターな香りと、微かに混じるシトラス系の爽やかなコロンの匂い。 無駄な装飾を一切削ぎ落とした、モノトーン基調の広大な空間。 壁一面にはめ込まれた防音ガラスの向こうには、春の陽射しを反射してきらきらと光る高層ビル群の輪郭が広がっている。 天下のインペリアル・ドラゴン・ホテルグループを束ねる若きCEOの執務室。 冷徹で完璧主義な彼の性格をそのまま体現したような、埃ひとつ落ちていないその研ぎ澄まされた空間に……現在、明らかに「浮いている」一角が存在していた。「……湊」 私は入り口で足を止めたまま、瞬きを三回繰り返した。 黒革のシャープな応接ソファセットのさらに奥。大きな観葉植物の陰になる、オフィスの死角とも言えるスペースだ。 そこに、どう見てもファーストクラスのラウンジにしか存在しないような、流線型の真っ白な最高級リクライニングチェアが鎮座している。 さらにご丁寧に、足元には毛足の長い柔らかなラグが敷かれ、チェアの脇にある木目調のサイドテーブルには、適温に保たれたノンカフェインのハーブティーのポットと、オーガニックのドライフルーツまで用意されていた。 冷徹なCEOオフィスの中に、そこだけぽつんと、極上の癒やし空間が切り取られて合成されたような、強烈な違和感。「どうしたの、朱里。入り口で突っ立ったまま」 私の背後から、一切の悪びれる様子もない落ち着いた声が降ってきた。 振り返ると、ネイビーのスリーピーススーツを完璧に着こなした湊が、不思議そうに小首を傾げている。 結び目一つ狂っていないシルクのネクタイ。冷たく知的な縁なしの眼鏡。その隙のない佇まいと、彼の視線の先にある癒やし空間とのギャップで、私は眩暈がしそうになった。「どうしたの、じゃないよ……。あれ、何?」 私が震える指先でオフィスの奥を指さすと、湊はさも当然の事実を述べる
続きを読む

第259話 過保護な同棲生活②

 流れるようなプレゼンテーション。 その声のトーンは、取締役会で来期の事業計画を説明している時と何一つ変わらない、極めて論理的で真面目腐ったものだった。「いや、機能性の話をしてるんじゃないの!」 私は慌てて彼を追いかけ、ふかふかのラグの手前で立ち止まった。「ここ、あなたの執務室でしょ!? 役員の人や秘書さんがひっきりなしに出入りする場所じゃない。そんなところで、私がこのチェアでぐうぐう寝てたら、どう考えてもおかしいでしょ!」「観葉植物がブラインドになって、入り口からは絶妙に見えない角度に設計してある。問題ない」「角度の問題じゃないの! 存在そのものがおかしいって言ってるの!」 私が両手で頭を抱えながら叫ぶと、湊は眼鏡のブリッジを中指で軽く押し上げながら、ふっと目を細めた。「誰がおかしいと言ったんだい?」 その瞬間、室内の温度が二度ほど下がったような錯覚を覚えた。 彼の切れ長な瞳の奥に、CEOとしての絶対的な権力者の顔が覗く。「僕のオフィスで、僕の大切な人が休息を取る。それに異論を挟むような社員は、うちのホテルグループには必要ないよ。もし君の安眠を妨げるような無神経な人間がいれば、その日のうちに異動願うだけだ」「やめて! ただでさえ社内で『氷のCEO』って恐れられてるのに、これ以上暴君エピソードを更新しないで!」 私はたまらず歩み寄り、スーツの袖口を両手でギュッと掴んだ。 上質な生地越しに伝わってくる彼の体温は、冷ややかな表情とは裏腹に、じんわりと温かい。彼が本気で言っているのが分かるからこそ、全力で止めなければならないのだ。「それにね……」 私は周囲をぐるりと見回し、分厚い扉がしっかりと閉まっていることを確認してから、声を一段階落とした。「湊。私……妊娠してないからね」 その言葉を口にするのは、この数日でいったい何度目だろうか。 先日、一連の騒動の最中、私が過労と極度のストレスから倒れてしまった時のことだ。 あの時、顔面蒼白になってパニックを起こした湊が、有無を言わさず
続きを読む

第260話 過保護な同棲生活③

 私が恨めしそうに見上げると、湊は私を掴んでいた手をそっとほどき、代わりに私の腰へと腕を回した。 グッと引き寄せられ、彼の硬い胸板に頬がぶつかる。 見上げるような至近距離に、彼の顔があった。「訂正して回る必要はないだろう」 吐息が混じるような低い声が、頭上から降ってくる。「今は違っても、いずれ本当になるかもしれない。その時のための、事前準備だよ」「じ、事前準備って……気が早すぎるでしょ!」 私はボッと顔が熱くなるのを感じながら、彼の胸を両手で押し返そうとした。 しかし、背中に回された彼の腕は、まるで鋼のようにびくともしない。それどころか、私を逃がさないように、さらに強く抱きすくめてくる。 彼とは、様々な契約や思惑から始まった関係だった。だが、互いの泥沼も不器用さも曝け出し合い、私は彼の隣で生きる覚悟を決めた。 心と心は、間違いなく深く繋がった。 けれど、こうしてストレートに愛情をぶつけられると、まだ少し気恥ずかしさが勝ってしまう。 抱きしめられたり、体温を重ねたりするだけで、心臓が口から飛び出しそうなくらい動悸が激しくなる。彼の指先が背中をなぞるたびに、肌の表面に微弱な電流が走ったように粟立ち、呼吸が浅くなってしまう。「気の早さなんて問題じゃない。リスクマネジメントの基本は、あらゆる事態を想定して、先手を打っておくことだ」 湊は、私の耳元で囁くように言葉を続ける。「ただの貧血だったとはいえ、君が倒れたのは事実だ。僕の目の前で、君の身体から力が抜け落ちて、意識を手放した……あの瞬間の僕の恐怖を、君は全くわかっていない」 彼の声に、わずかな震えが混じった。 完璧なCEOの仮面の下に隠された、ひどく臆病で不器用な素顔。 失うことを何よりも恐れている彼にとって、私が倒れたという事実は、私が想像している以上に深いトラウマを刻み付けてしまったらしい。「だから、君の身体に少しでも負担がかからないようにする。万全の態勢で君を守れるようにしておく。それが今の僕の、最優先事項なんだ」「&h
続きを読む
前へ
1
...
2425262728
...
33
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status