久藤悠真(くどう ゆうま)の婚約者と、小林紗帆(こばやし さほ)が同時に拉致された。悠真が駆けつけると、犯人は彼に残酷な選択を迫った。「久藤社長、選べるのは二人だけ。喘息を起こしている婚約者と、妊娠中の元妻。どっちを取る?」紗帆は、淡い期待を込めて悠真を見つめていた。彼の仕事のために一時的に離れて暮らしていただけで、自分の立ち位置を疑ったことは一度もない。次の瞬間、悠真の怒号が工場に響き渡った。「紗帆に手を出したら......お前ら全員生きて帰れると思うな!」だが、犯人たちはその脅しに怯まない。返ってきたのは同じ質問だった。張りつめた静寂が落ちる。そして、悠真はついに口を開いた。「......江島時雨(えしま しぐれ)だ」その言葉を聞いた瞬間、紗帆はぱっと彼を見上げた。信じられない、という思いが瞳いっぱいに広がる。——確かに言っていた。時雨とは仕事上の『偽装婚約』で、愛しているのは紗帆だけだと。なのに今、彼が選んだのは時雨だった。犯人は答えを聞くと薄く笑い、悠真の婚約者を解放した。紗帆は呆然としたまま見つめていた。悠真が時雨のもとへ歩き、そっと抱き上げるのを。悠真は紗帆に目を向け、言う。「紗帆......時雨は発作がひどい。命に関わることだ。俺には、選ぶ余地がなかった」まるで、紗帆に理解を求めるような言い方だった。だが理解など――できるはずがなかった。胸の奥を刃でえぐられたようで、息が止まりそうになる。彼の背中を固く見つめながら、紗帆はかすれた声で呼びかけた。「悠真......行かないで。置いていかないで......お腹に......赤ちゃんが......」その言葉に、悠真の足が一瞬だけ止まった。しかし抱えられた時雨がさらに苦しげに息を荒げると、彼はもう振り返らなかった。大きな歩幅で、工場の外へ消えていく。その姿が見えなくなっていく光景は二人の男に取り囲まれ、紗帆の視界から遮られた。残った隙間から、彼女はただ——悠真が時雨をしっかり抱きしめ、遠ざかっていく背中だけを見ていた。「離婚した時、あんたらの仲は冷えきったって噂だったけど......やっぱ本当だったわけだな。捨てられたんだし、俺たちがかわいがってやるよ」紗帆の心と体は石のように固
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