潮騒に消えた愛の言葉 のすべてのチャプター: チャプター 1 - チャプター 10

23 チャプター

第1話

7歳の時、私は竹内豪(たけうち ごう)に拾われた。それからずっと、彼の影として生きてきた。8歳で暗殺術を学び、15歳で豪の敵を潰した。大学入学共通テストの日には、犯人のアジトに一人で乗り込んで彼を救い出し、全身に17か所もの傷を負った。その日から、豪は私をまるで宝物のように、大事にしてくれるようになった。私が結婚できる年になるとすぐ、彼はすぐに結婚式を挙げた。そして、耳元でこう誓ってくれたんだ。「美希(みき)、永遠に君を愛するよ」って。体中に残る醜い傷跡ごと、私は毎晩豪に抱きしめられた。彼は温かい唇で一つ一つの傷をなぞり、強く抱きしめながら、ささやいた。「美希、君は誰よりも純粋だ。絶対に、俺のそばを離れないでくれ」私はその言葉を、ずっと信じていた。彼が外に囲っていた、「清らかな恋人」の存在を知ってしまうまでは。豪は完璧に隠せていると思っていたみたい。でも、私が彼に内緒で大学に受かっていたなんて、夢にも思わなかったんだろう。そして、豪が宝物のように大切にしているその女は、私のいちばんの親友だったんだ。……怪我をした足を引きずって大学に戻った日、私は盛大なプロポーズの場面にでくわした。校門から寮へ続く道は、白いバラで埋め尽くされていた。真ん中には、まるで湖のきらめきを砕いたような青いカーペットが敷かれていた。その女性は白いドレス姿でカーペットの先に立っていた。その姿は、まるで優雅な白鳥のようだった。そして、その前で跪いているのは、海外へ出張だと言っていた、豪だった。私はマスクで顔を隠して人ごみに紛れ、二人が抱き合ってキスをするのをただ見ていた。胸に氷を抱いているみたいに、骨の髄まで冷たかった。昨日の夜まで「君の上で果てたい」と囁いていた人が、今は真剣な顔で他の女に「うん」と言ってくれと頼んでいる。その時、やっと気づいた。豪は、私を表に出すつもりなんて全くなかったんだ。私たちのデートはいつも夜中だったし、関係を公にしたこともなかった。3年前、一度だけ彼から離れたことがある。竹内家や私たちの関係を知る人たちは、みんな口をそろえて言った。「大学も出ていない孤児が、海市の竹内家の御曹司にふさわしいわけがない」って。でも豪は人脈をすべて使って、7日間も寝ずに私を探し続けて、ついに連れ戻した。あの時
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第2話

千佳への返信は、たった一言だけ送った。【おめでとう】と。すぐに、植田教授にも返事をした。【先生、そのお話、やっぱりお受けします】すぐに千佳から返事がきた。送られてきたのは、二人が固く手を握り合っている写真だった。薬指にはめられたダイヤモンドの指輪が、スマホの画面越しでもまぶしく光っていた。そのメッセージは、隠しきれない喜びで弾んでいた。【彼がね、私のことをお姫様だって言ってくれたの】植田教授からも、すぐに返事があった。【よかった!楽団の人たちがもうすぐ国内に戻ってくるから、航空券は彼らが手配してくれる。1週間後には顔合わせだからね、がんばって!】スマホの画面を見ながら、私はふうっと長いため息をついた。隠していた卒業証書をカバンに押し込んだ。7周年の記念日に、サプライズで見せるつもりだったこの証書が、今ではここから逃げるための切符になった。まだ人探しのサイトのページは開いたままだった。私はそっと、送信ボタンを押した。生い茂る木々の葉のすき間から、別荘にいるあの男の横顔が見えた。相変わらず、すべてが自分の思い通りに進んでいるという自信に満ちた顔だった。豪、今度こそ、私は本当にあなたの元を去るわ。家族だなんて言ってたあなたが裏切るなら、私は本当の家族を探しに行く。私は、ふらつく足取りで自分の部屋に戻った。思った通り、その日の夜、豪は帰ってこなかった。午前3時、スマホが震えた。彼からのメッセージだった。【美希、会社で急な出張が入ったんだ。いい子で待ってて。愛してる】空が明るくなり始めた頃、今度は千佳からメッセージと動画が送られてきた。【美希、私は今、深津市にいるの!彼が、まるでお城みたいな家を建ててくれたの!すっごく幸せ!】動画に映っていたのは、広大な敷地の中心にある音楽噴水だった。その真ん中には、大きなクリスタルでできた白鳥のオブジェが立っていて、太陽の光を浴びてキラキラと輝き、目がくらむほどだった。豪は顔の半分しか映っていなかったけれど、甘ったるい声が聞こえてきた。「千佳、誰にメッセージ送ってるんだい?」「もちろん、美希よ」千佳は甘えた声で笑いながら、彼の首に抱きついた。「どうしたの?美希は私のいちばんの友達なのに」カメラがぐいっと向きを変え、豪の顔を真正面から捉えた。私ははっきりと見た
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第3話

どうやら豪は、勘違いをしているようだった。彼が手を挙げて合図すると、窓の外がとつぜん、無数の光で明るくなった。数万機のドローンが飛び立ち、夜空に男女が抱き合うシルエットを描き出した。周りの人々の驚きと羨望の声が聞こえるなか、豪は私を腕の中に引き寄せた。空の光が「MK、愛してる」という文字に変わったとき、彼の吐息が私の耳をかすめた。そして「美希、永遠に愛してる」と、熱い言葉を囁いた。空を見上げると、ドローンが描いたシルエットは、ゆっくりと夜の闇に消えていった。私は思わず、皮肉な笑みを浮かべた。振り向くと、ちょうど豪の視線とぶつかった。彼はレストランの隅にいる人影をじっと見つめていた。千佳だ。彼女のテーブルには空のワインボトルが二本置かれている。その姿は、まるで雨に打たれてうなだれた花のように寂しげで、人の心をくすぐるようだった。豪は私の手を握る力を、とっさに強めた。私が痛みに声を上げるまで彼は気づかず、慌てて「すまない、美希。会社で急用ができた。運転手に送らせる」と謝った。手つかずのままのディナーを前に、私は嘲笑うかのように口の端を吊り上げた。街角で車を止めさせて運転手を先に帰らせ、レストランに戻った。すると遠くに、ぐったりした千佳を抱きかかえ、慌てて救急車に乗り込む豪の姿が見えた。車で後を追って病院まで行くと、豪が彼女を抱いて駆け込んでいくのが見えた。彼は必死の形相で叫んでいた。「先生!妻はアルコールアレルギーなんです!妻を助けてください!」看護師が千佳を救急治療室に運んでいくと、豪は糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。その様子に、私の心臓はぎゅっと締め付けられた。まるで、昔私が横山家から逃げ出した時のようだった。あの時彼も同じように慌てふためき、よろよろと医師の手を掴んで、私を助けてくれと懇願していたかのようだった。同じような光景。でも、豪が抱きしめる人も、口にする名前も、もう違っていた。「永遠に愛してる」という彼の誓いの言葉は、泡のようにはかなく、跡形もなく消え去ってしまった。千佳が処置室から出てくると、豪はすぐに彼女の手を握った。顔は真っ青だ。「頼むから、もう俺を怖がらせないでくれ。君の望みはなんでも叶えるから」千佳は弱々しく顔をそむけた。「あの女のところへ行ってあげて。私はもともと他人だもの。彼
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第4話

豪が様子を見に行こうとした時、スマホが鳴った。画面には「千佳」の文字が光っている。受話器からは、彼女の甘えるような声が聞こえてきた。「豪、頭が痛いの」豪はトレイの上のブレスレットに再び目をやった。指先をきゅっと丸めると、結局は背を向けて看護師の後について行ってしまった。夜になり、雨が降り始めた。古傷がずきずきと痛む。私は布団にくるまって、止まらない震えに耐えていた。昔は、雨の夜になると、いつも豪が私を腕の中にすっぽりと包み込んでくれた。彼の温かい体温が、私の体の芯から冷えを追い払ってくれたのに。そして、愛おしそうに囁くのだ。「美希、この傷は俺のためについたんだ。だから、これからの雨の夜は、俺がずっとそばにいるよ」と。今、豪はその約束を破った。スマホが震えた。千佳からのメッセージだった。【美希、彼の家には年増の女がいるの。恩返しのために置いてやってるんだって。ムカついたから、罰としてどしゃ降りの雨の中でずっと待たせてるところ!】添付された動画には、豪が土砂降りの雨の中、傘もささずに立っている姿が映っていた。高級なスーツはずぶ濡れで体にぴったりと張りつき、痩せた体のラインを浮かび上がらせている。時折光る稲妻が、彼の青白く、それでいて頑なな表情を照らし出していた。動画に映る見慣れた顔を見ているうちに、ふと笑いがこみ上げてきた。でも、笑いながら、涙がぼろぼろとこぼれ落ちてくるのだった。恩返し?恩返しだというのなら、どうして私を外の世界へ送り出してくれなかったの?それなのに、愛という名の籠に閉じ込めて、私の翼を無理やり折ったりしたの?スマホには、夕方に豪から届いたメッセージがまだ残っていた。【美希、今夜は海外との会議があるから、待たずに先に寝ててくれ】笑わせる。彼の言っていた海外との会議って、結局は他の女のご機嫌取りだったわけね。苦しくて、ぎゅっと目を閉じる。涙が枕カバーをじっとりと濡らしていった。翌朝、目が覚めると、寝室のドアがそっと開かれた。部屋着姿の豪が入ってきた。その目は真っ赤に充血している。彼はベッドのそばまで来ると、包帯だらけの私の手をそっと握った。「美希、誰に傷つけられたんだ?また伊藤が何かしたのか?あいつにはちゃんと……」言いかけて、うっかり口を滑らせるところだったと気づいたの
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第5話

うとうとしていると、ドアの向こうから話し声が聞こえてきた。「社長、乗馬クラブの件、調べました。誰かが古い手綱に交換したようです。あの日、高木さんがいつも乗る馬に触れたのは、奥さんだけでした」しばらくの沈黙の後、豪が釘を刺すように言った。「この話はこれでおしまいだ。誰にも漏らすな」そして少し間を置いてから、「いつもの店の看板メニューを、誰かにデリバリーさせてくれ」と続けた。秘書の石井亮太(いしい りょうた)は一瞬、きょとんとしたようだった。「ですが社長は、以前、高木さんには手料理を振る舞うと……」その言葉を最後まで言い終わる前に、彼は豪の険しい表情に気づいたのだろう。「失礼しました。余計なことを申しました」と、慌てて言葉を改めた。亮太の足音が遠ざかると、入れ替わるようにして女のすすり泣く声が聞こえてきた。「私のせいだわ。わざとじゃないの。私がゴルフ場に行かなければ、あなたの気を散らすこともなかった。そしたら、あなたも高木さんをしっかり守れたのに」そして、スープジャーの蓋を開ける小さな音がした。「一晩かけて作ったスープよ。高木さんへのお詫びの気持ちに」けれど、豪は突然彼女の手を掴んだ。そして、手についた赤い跡を見て眉をひそめた。「どうしたんだ、こんな怪我をして。さあ、薬を塗りに行こう。ついでに……自分を大事にしなかった罰だ」そう言うと、彼は千佳を横抱きにした。千佳は泣きそうな声で問いかけた。「あの、高木さんは……」「今は、他の女のことなんて気にしてる場合じゃないだろ。俺が怒ってるんだから」二人の足音が完全に聞こえなくなってから、私はそっと目を開けた。涙が一筋、目じりを伝って流れた。手足を動かしてみる。幸い、大した怪我ではなかった。様子を見に来た若い看護師が、私が目を覚ましたことに気づいてぱっと顔を輝かせた。そして、嬉しそうに言った。「旦那さんはあなたのこと、本当に大事にしていますね。何人もの専門の先生に診てもらって、その先生たちを病院のすぐ近くのホテルに待機させていますよ。それに、あなたが検査を受けている間、ずっと外でひざまずいて祈っていましたから。無事だって分かるまで、立ち上がろうともしなかったんですよ」私は静かに口を開いた。「あの人は、夫じゃありません」看護師が驚いた顔をした、まさにその時だった
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第6話

私は静かに顔を上げて言った。「学生から借りたの。私は大学に行けなかったから、一度着てみたかったんだ」手に持っていた航空券と書類をひらひらさせながら、私は淡々と言った。「これは拾いもの、ちょうど警備室に届けようと思っていた」豪の目に一瞬よぎった罪悪感を見て、私は皮肉な気持ちになった。あの時、彼の歪んだ独占欲がなければ、私も今日の卒業生の一人だったはず。ガウンを着て、壇上で拍手を受けていたはずなのに。豪は声のトーンを和らげた。「じゃあ、俺が一緒に行くよ」そう言って、それを受け取ろうと手を伸ばしてきた。ちょうどその時、学長が彼と一緒に写真を撮りたいとやって来た。私はその隙にさっと身をかわす。「あなたは先に行って。私一人で大丈夫だから」道を歩いていると、千佳が木に寄りかかって私を待っていた。彼女は隠そうともしない得意げな笑みを浮かべていた。「もう全部知ってるんでしょ?」千佳は首を傾げて笑った。「あ、そっか。見るべきものは全部送ってあげたもんね。馬から落ちるのって、すごく痛かった?彼が最初に私に会いに来た時、なんて言ったか知ってる?」彼女はわざと間を置いた。「『夫として、君を3年間養いたいんだ』ってね」私は口の端を歪めて冷たく笑った。「つまり、あなたは最初からわざと私に近づいてきたってこと?私をからかって、楽しかった?」千佳はさらに楽しそうに笑った。「そうよ。あなたがどんな顔してるのか、見たかっただけ。どうして男たちはみんな、あなたのことを忘れられないのかしらってね!」彼女の眼差しが、急に意味深なものに変わった。「意味がわからない?大丈夫よ、すぐにわかるから」突然、千佳のスマホが鳴った。画面を一瞥すると、彼女は私に視線を戻す。その目には勝者の誇示があった。「夫が呼んでるの。また今夜ね」「また今夜ね」という言葉の意味を、私はすぐに理解することになった。豪は私のために、豪華クルーザーで誕生日パーティーを用意してくれていた。パーティーの幕開けを告げる花火が打ち上げられる直前、豪は千佳を壇上に呼び、そして私の方を振り返った。「美希、奇遇だな。君たちは同じ誕生日なんだ。二人でオープニングを飾ってくれないか」そして彼はこう付け加えた。「乗馬クラブの件、この子はずっと気にしてたんだ。今日で水に流して、仲直りしてやってくれ」
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第7話

「私じゃない」私はスマホを取り出して潔白を証明した。「彼女とは一度も話してない」豪はふっと笑うと、私の体を強く抱きしめた。「美希、何を怖がってるんだ?あんな女のために、君を信じなくなるわけないだろう」私は、何かをこらえて歪んだ豪の顔を呆然と見つめていた。彼の考えが全く読めなかった。「美希、何があったのか調べてくる」豪は私を解放すると、指先で私の頬をなぞった。「今夜は荒れそうだから、先にボディーガードに家まで送らせる。君が目を覚ます頃には、すべて片付いているさ」彼はボディーガードを呼び、彼らが私を車に乗せるのを自ら見届けた。車のドアが閉まった瞬間、空に雷鳴が轟いた。大粒の雨が地面を叩きつけ、あっという間に土砂降りになった。クルーザーを彩っていた花火は、激しい雨に打たれてわずかな火の粉を残すだけ。それはまるで、私たちの18年間の絆が、突然消えてしまったかのようだった。私は雨のカーテン越しに、雨の中に立つ男を見つめた。彼の姿は、すぐに水煙に飲み込まれて見えなくなった。次の瞬間、黒い布が突然頭に被せられた。鼻をつく薬の匂いが流れ込み、意識が急速に遠のいていった。意識を失う直前、車に乗る前に見た豪の冷たい瞳を、ふと思い出した。やはり彼はわざとだ。わざと優しくして私を油断させ、警戒心を解かせたんだ。次に目を覚ました時、私は普段着に着替えさせられていた。手足は太い縄で縛られ、口にはガムテープが貼られていた。視界に豪の姿が映った。彼は冷たく私を一瞥しただけで、すぐに視線を外した。呼び止めて問い詰めたかったけれど、力が入らなかった。ボディーガードに引きずられながら豪のそばを通り過ぎる時、彼は氷のように冷たい言葉を吐いた。「美希、君が横山家にめちゃくちゃにされたからって、千佳まで巻き込むな」涙が堰を切ったようにあふれ出した。ついに本音を言った。豪は私が横山家から無事で出てきたなんて、一度も信じていなかったんだ。どうりで。あの時、妊娠がわかったのに、「事故」で流産してしまったわけだ。あれは、決して事故なんかじゃなかった。彼は、あの子が自分の子だと信じていなかったんだ。私は後悔した。あんなに必死で豪を助けたことを後悔した。助けた結果が、彼からの軽蔑と裏切りだったなんて。おまけに、私たちの子供までその手に
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第8話

1回電話をかけてみたけど、返ってきたのは、ツー、ツー、という無機質な音だけだった。2回、3回……9回目までかけたけど、誰も電話に出なかった。大輔は腕を組みながら、してやったりという笑みを浮かべて、私を見ていた。私の心は、どんどん底へと沈んでいくようだった。10回目で、ようやく電話が繋がった。私は、ほとんど叫び声だった。「豪にぃ、助けて!薬を盛られた……」この「豪にぃ」っていう呼び方は、私たちだけの合言葉だった。私がそう呼んだときは、すごく大変な時だってこと。だから豪は、すぐに駆けつけてくれる約束だったのに。でも、電話の向こうから聞こえてきたのは、心配する声じゃなかった。豪の、嬉しさを隠しきれない声だった。「君は妊娠したのか?本当に良かった!」すぐに、千佳の泣きそうな甘い声が聞こえてきた。「豪、さっきはびっくりしちゃった。急にお腹が痛くなって……」「大丈夫だ、すぐ病院に連れて行く」豪の声は、すごく心配そうだった。「あの、高木さんは……」「今は、君と赤ちゃんのことが一番だ。他のことは考えるな。な?」「じゃあ、私たちの結婚式は……」「もちろん、予定通り挙げる」「あら、ごめん。手が滑っちゃった。じゃあね」ツー、ツー、という無機質な音が、まるで錆びたナタみたいに、私の最後の望みを打ち砕いた。大輔は鼻で笑うと、自分のスマホで豪に電話をかけた。豪はすぐに出た。声は冷たく、いら立っている。「横山、人はもうお前に渡しただろう。二度と邪魔をするな!」大輔はスピーカーの音量を最大にして、にやりと笑った。「へえ?じゃあ、こいつは好きにさせてもらうぞ」「どうなっても俺に知らせるな!」豪の怒鳴り声に、千佳の悲鳴が混じった。「千佳!どうしたんだ……」電話は、プツリと切れた。大輔の、ねっとりとした手が私の頬を撫でた。私は思わず顔を背ける。嫌悪感で、全身が震えた。「聞いたか?これで完全に諦めがついただろう」私は自分のスマホを掴んで、もう一度かけた。お願い、豪、電話に出て。心の中は、その想いだけでいっぱいだった。「おかけになった電話は、電源が入っておりません……」冷たい機械音声が流れた瞬間、私の心は底なしの闇に突き落とされた。電源を切ったんだ。暗くなったスマホの画面を見つめながら、私は涙をぼ
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第9話

その頃、豪は病院の病室の前で待っていた。オーダーメイドのスーツを左腕にかけ、その漆黒な瞳は向かいに立つ正人を見つめていた。「美希のことはどうなった?祖父に怪しまれないように、かすり傷程度にしておけと言ったはずだ。こっちの結婚式が終わったら、すぐに彼女を迎えに行く」正人はちらりと豪に視線を向けた。その目には何とも言えない嘲笑と哀れみが浮かんでいたが、すぐにいつもの素朴な表情に戻った。「社長、ご安心ください。ご指示通りに手配済みです。高木さんの周りには通信機器を一切置いていません。社長と奥さんの結婚式のことは、何も伝わらないはずです」「本当だろうな?」豪は突然一歩前に出ると、正人の襟首を掴んだ。その瞳は驚きと怒りに燃えていた。「美希と5年も暮らした家が燃えたんだぞ!これで手配済みだなんて、よく言えたもんだな!」「火事になったのは本当に事故なんです」正人は慌てて弁解した。「それに、あの時、高木さんは家にはいませんでした」「豪?」病室の中から千佳の弱々しい声が聞こえ、一触即発だった二人の空気が一瞬で断ち切られた。豪は手を離すと、顔の険しさが嘘のように消え、優しい笑みを浮かべて病室のドアを開けて入っていった。「千佳、もしまだ具合が悪いなら、今日の結婚式は中止にしてもいいんだよ」「ううん」千佳は首を横に振り、後ろからそっと彼の腰に腕を回した。豪の体は、気づかれないほど微かにこわばった。「すぐにでも、あなたと結婚したいの」彼は何食わぬ顔で腰に回された手をそっとほどくと、目を伏せ、瞳の奥に渦巻く黒い感情を隠した。「わかった。すぐに手配させる」結婚式は、盛大に行われた。大手メディアの記者たちも、龍介によって招待されていた。豪が無表情で式の儀式をこなす中、隣の千佳が時折そっと彼にもたれかかった。それを見た記者は心得たように、二人の仲睦まじい瞬間を写真に収めた。豪の表情はだんだんと曇っていき、ついに我慢の限界に達した彼は、二人にしか聞こえない声で釘を刺した。「もういいだろう。やりすぎるな」しかし、千佳は顔を上げ、甘く無邪気に微笑んだ。「分かってるわ」言い終わるやいなや、彼女はつま先立ちになり、豪の頬にキスをした。【#竹内グループの社長、ついに結婚。新婦と甘いキス】――その瞬間はちょうどカメ
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第10話

今回の使いは、龍介の手の者だった。「豪様、会長が地下室でお待ちです。どうかお越しください、お願いします」「お願い」という言葉とは裏腹に、断れない雰囲気が漂っていた。豪は深く息を吸い込むと、ネクタイに手をかけて少し緩めた。彼はスマホを取り出し、素早く指を滑らせてメッセージを打ち始めた。【美希、急な出張が入って二、三日帰れない。終わったらすぐに会いに行くから】送信完了の通知を確認すると、彼は地下室へと足を向けた。地下室には線香の煙が静かに立ちのぼっていた。龍介は、座布団の上で目を閉じて正座している。豪は仏前に進み、線香を三本供えてから、龍介の隣に正座した。しばらく龍介が身じろぎもしないので、豪はしびれを切らして立ち去ろうとした。すると、厳しい声が飛んできた。「待て!」振り返った豪の瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。「おじいさん、あなたは言ったはずだ。俺が誰か他の女と籍を入れれば、美希を連れて深津市に行くことを許すと。俺は言われた通りにした。約束を果たしてもらう」すると、龍介はふっと笑った。「豪、物事はな、お前が思うほど単純じゃない。お前は俺の要求を飲んだが、それで美希がどういう立場に置かれるか、考えたことはないのか?」龍介はゆっくりと目を開けた。その眼差しは、まるで氷のように冷たかった。「今やネットはお前と千佳の結婚式の動画で持ちきりだぞ。それでも美希が、何もなかったかのように平然としていられるとでも思っているのか?」豪の心臓が、どくん、どくんと大きく脈打ち始めた。込み上げてくる恐怖を無理やり抑えつけ、彼は頑なに言い返した。「美希には絶対に知られないようにする。あなたは約束通りにしろ」豪はそう言うと、顔を背けた。その声には鋭い響きが混じる。「もしあの子の髪の毛一本にでも触れてみろ。その時は、俺も容赦しない」言い終わるやいなや、彼は地下室のドアを叩きつけるように閉めた。龍介は、仏壇に置かれた息子の写真を見つめ、すべては計画通りだと言わんばかりの笑みを口元に浮かべた。一方、地下室を出た豪は、廊下でふらりとよろめいた。祖父の言葉は、まるで無数の針のように、彼の心をチクチクと刺した。平然を装ってはいたが、それは無理に作った虚勢だった。しかし、豪はすぐに考え直し、無理やり心を落ち着か
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