جميع فصول : الفصل -الفصل 180

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「あ、すまねえ、お嬢。デリケートな問題なのに」「別にいいわ。今となっては円満離婚だし」「うーん、そうか。まあ、うちも負けていられないな。世良からの発注が復活しても、うちはもう下請けじゃなく、対等のパートナーとして渡り合えるようにしねえと」「その通りよ。世良がどうなろうと、土井精機の武器は私たちの技術力。これからは、自分たちで新しい市場をどんどん開拓していくんだから」 琴葉はデスクの上のタブレット端末を軽く叩いた。 そこには今日の午後から取り組む予定の、新しい医療機器用パーツの図面が待機している。「午後からは、昨日テスト加工したセンサーハウジングのデータ解析をやるわ。寸法公差がまだ甘い箇所があったから、プログラムを修正してもう一度五軸加工機を回すわよ」「おう! 任せとけ!」 職人たちが力強く返事をして、事務所から工場へと戻っていく。 彼らの背中には、以前のような先行きの見えない不安感はない。 確かな技術を持ち、正当な評価を得られる明日への希望が満ちていた。『――以上、東京地検特捜部による黒田大臣逮捕の臨時ニュースをお伝えしました』 テレビのアナウンサーが深々と頭を下げて、画面は再び通常の昼の番組へと戻っていった。 世間を揺るがす大事件の報道が終わっても、琴葉の心はひどく穏やかだった。(伊吹の戦いは、まだまだ続くでしょうけどね) 巨大企業の腐敗を出し切り、新しい体制を築き上げる。それは並大抵の苦労ではない。 反発する勢力もあるだろうし、市場の信頼を完全に取り戻すまでには長い時間がかかるはずだ。 それでも、琴葉は不思議と心配していなかった。 今の伊吹なら、どんな困難な状況でも最適解を見つけ出すだろう。 冷徹に、そして時には人間らしい温かさを持って乗り越えていくだろう。「さて、と」 琴葉はテレビの電源を消し、マグカップに残っていた冷めたコーヒーを飲み干した。 口の中に広がる苦味が、午後の仕事に向けた集中力を高めてくれる。 世良一族
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170:温室育ちの少女

 初夏の強い日差しが、都内のオフィス街のコンクリートを白く照らしている。 琴葉は新規クライアントとの打ち合わせを終え、最寄り駅へ向かって歩いていた。 彼女が設計した新しい医療機器用パーツの図面は先方から高い評価を受け、正式な発注の見通しが立ったところだ。(首尾よく新しい発注をゲットしたわ。頑張らないとね) 足取りは軽く、確かな仕事の充実感が胸の内にあった。 ビル群の合間にある、緑豊かな公園を通り抜けようとした時のことだ。 琴葉はふと、木陰のベンチに座る1つの人影に目を留めた。 上質な生地のワンピースに、手入れの行き届いた髪。 だが、その背中はひどく丸まっており、足元を見つめたまま身動き1つしない。 周囲を歩くビジネスマンたちの活気から、彼女だけが完全に切り離されているようだった。 琴葉はその人物に見覚えがあった。 世良宗佑が、伊吹の新たな婚約者として強引にあてがおうとしていた少女。 黒田詩織だ。 琴葉は少し迷った後、近くの自動販売機で冷たい缶コーヒーを2つ買い、ベンチへと歩み寄った。「こんなところで、何をしているの」 声をかけると、詩織は弾かれたように顔を上げた。 その目は赤く腫れており、疲労の色が濃く滲んでいる。「……琴葉、さん」 詩織は力なく呟き、またうつむいてしまった。 数日前に世間を騒がせた特大ニュースを、琴葉は思い出す。 詩織の祖父である黒田大臣は収賄容疑で逮捕され、彼女の実家は東京地検特捜部の家宅捜索を受けた。 連日メディアに追い回され、一族の口座は凍結状態にあるという報道も出ている。 琴葉は隣に腰を下ろし、冷えた缶コーヒーを彼女の膝の横に置いた。「これでも飲んで落ち着いてちょうだい。ひどい顔色よ」「……ありがとうございます」 詩織は缶コーヒーを両手で包み込むように持つ。 しばらくの間、2人は無言でコーヒーを飲ん
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 琴葉は黙って彼女の言葉に耳を傾けた。 世良宗佑の用意した盤面の上では、彼女は伊吹を縛り付けるための厄介な駒だった。 けれどこうして話してみれば、大人たちの権力闘争に巻き込まれただけの、ただの夢見がちな若い女性に過ぎない。 身内が用意した温室の中でしか生きる術を知らなかった彼女に、悪意などあるはずもなかった。(伊吹の改革の余波、か) 琴葉は内心で首を振った。 彼女が責任を感じる必要はないのは、よく分かっている。 琴葉と詩織はただの知人であり、それ以上のものではない。 だが、琴葉は少しだけお節介を焼いてみることにした。「なら、うちの工場でアルバイトでもしてみる?」 琴葉の提案に、詩織は目を丸くした。「えっ……工場、ですか」「そう。土井精機。難しい仕事じゃないわ。冷房の効いた部屋で、書類の整理や簡単なデータ入力を手伝ってほしいの。今のあなたは、1人で考え込んでいても悪い方向にしか思考が向かないわ。少し環境を変えて、手を動かしてみた方がいい」 詩織は缶コーヒーを見つめたまま、数秒ほど沈黙した。 やがて彼女は顔を上げると、すがるような視線を琴葉に向けた。「……私なんかでも、役に立てるでしょうか。アルバイトは初めてで」「それはあなたの働きぶり次第ね。時給はちゃんと出すわよ」 琴葉がからかうように言うと、詩織の顔にほんのわずかだけ、安堵の色が浮かんだ。 ◇  翌朝。 土井精機の事務所のドアが開いて、詩織が緊張した面持ちで姿を現した。 動きやすい服装で来るようにとは伝えていたが、彼女が着てきたのは明らかにブランド物と分かる上質なブラウスとスラックスだった。「おはようございます。本日からお世話になります、黒田詩織です」 丁寧にお辞儀をする彼女を見て、出勤してきたばかりの工場長が首を傾げた。「お嬢、そちらのお客さんは?
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「お茶は熱すぎないか」「椅子は硬くないか」「エアコンの風は直接当たらないか」。 職人たちは元大臣の孫娘という肩書きに恐れおののき、まるで壊れ物を扱うように、過保護に詩織の周囲をうろつき始めた。「皆様、どうかお気遣いなく。私、しっかり働きますので」 詩織は恐縮しながらデスクに向かい、琴葉から渡されたデータ入力の作業を始めた。 しかし昼休みが近づく頃、琴葉は詩織の視線が頻繁に窓の外へ向けられていることに気がついた。 事務所の窓からは、土井精機の工場内が見渡せる。 複数の大型機械が立ち並び、職人たちが忙しく動き回る現場だ。「入力作業、飽きた?」「あっ、いえ! そういうわけでは……」 詩織は慌ててキーボードに手を進めようとするが、その視線は再び窓越しの五軸加工機へと吸い寄せられていった。「あの、琴葉さん」 とうとう詩織は、遠慮がちに口を開いた。「あそこにある大きな機械は、何をしているんですか?さっきから、銀色の塊がどんどん違う形に変わっていくのが見えて……」「あれはマシニングセンタ。私の作ったプログラム通りに、金属のブロックを削り出して部品を作っているのよ。近くで見てみる?」「はい、ぜひ!」 琴葉が誘うと、詩織は弾かれたように立ち上がった。 ◇  工場への扉を開けると、油の混じった独特の匂いと、機械の重低音、そして金属を削る甲高い音が全身を包み込んだ。 詩織は初めて足を踏み入れる世界に圧倒されながらも、稼働する五軸加工機の前まで進み出た。 防弾ガラスの向こう側で、大量の切削液を浴びながら、金属の塊が滑らかな曲面を持つ精密部品へと生まれ変わっていく。「すごい……ただの四角い塊だったのに、こんなにきれいな形になるんですね」「これが私たちの仕事よ。何もないところから、確かな価値を作り出すの」 琴葉の言葉
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「……ごめんなさい。私みたいな初心者は、迷惑ですよね」 琴葉はしばらく詩織の顔を見つめていたが、やがて近くの棚から予備の作業着と保護メガネ、そして厚手の軍手を取り出した。「これを着なさい。工場長、彼女にバリ取りを教えてあげて。一番安全なアルミのパーツから」「お、お嬢まで何を言い出すんだ!」「本人がやりたいって言ってるんだから、いいじゃない。それに、自分の手でモノを作る感覚を知るのも悪くないわよ。……じゃあ、ちょっと着替えてきて」「はい!」 琴葉に押し切られる形で、工場長は渋々詩織にヤスリの持ち方を教え始めた。「いいかい、ここは加工が終わったばかりで角が立ってる。これをヤスリで撫でるようにして、滑らかにするんだ。絶対に無理に力を入れちゃ駄目だぞ」 詩織は大きめの作業着の袖をまくり上げ、真剣な表情でアルミの部品に向き合った。 ギコッ、ギコッと、不慣れな音が響く。 最初は恐る恐る手を動かしていた彼女だったが、次第にコツを掴み始めた。 自分がヤスリをかけた部分が、指先で触れても痛くない滑らかな面へと変わっていく。 その小さな変化が、彼女の顔に明らかな喜びをもたらしていた。「琴葉さん、見てください! きれいになりました!」 詩織が振り返る。彼女の頬には金属の削りカスが混じった黒い汚れがうっすらと付着し、手袋もすでに油で汚れていた。 高級なブランド服に身を包んでいた頃の洗練された美しさはない。 けれど今の彼女の表情は、温室の中で見せていた作られた微笑みよりも、ずっと生き生きと輝いていた。「ええ、上出来よ。その調子で次の箱もお願い」 琴葉は満足げに頷き、自分の図面チェックの作業へと戻っていった。 ◇  夕方のチャイムが工場に鳴り響く。 職人たちが機械の電源を落とし、片付けを始める音が聞こえてきた。 事務所のドアが開いて、作業着姿の詩織が入ってくる
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 そしてある日の終業後。 夕暮れに染まる土井精機の事務所にて。 詩織は深く息を吸い込み、真っ直ぐに琴葉の目を見た。「私、大学を辞めて、いっそこの土井精機に就職したいです」 その言葉に、琴葉は少しだけ目を細めた。 衝動的な思いつきではない。 彼女なりに、ここ数週間で自分の手で価値を生み出すことの尊さを実感したのだろう。その真剣な思いは、十分に伝わってきた。 琴葉はデスクから立ち上がり、詩織の肩に軽く手を置いた。「嬉しい言葉だけど、却下よ」「どうしてですか。私、もっと色んなことを覚えたいです。足手まといにはなりません」「今の土井精機は人手が足りているし、あなたみたいな素人を一から育てている余裕はないの」 琴葉はあえて厳しい口調で告げた。詩織が少しだけ身を縮める。「それに、あなたはまだ大学生でしょう。ここしばらくでモノ作りの楽しさを知ったからって、安易に道を狭める必要はないわ」 琴葉は声のトーンを柔らかくして、詩織の目を見つめ返した。「あなたがこれまで歩かされていたレールは、もうなくなったの。これからは誰かに用意された道じゃなくて、自分で選んでいいのよ。大学に戻って、本当に自分がやりたいことを見つけなさい。ここで知った、自分の手で何かを成し遂げる感覚を忘れなければ、きっと大丈夫だから」 詩織の瞳から、大粒の涙がぽろりとこぼれ落ちた。 絶望や悲しみの涙ではない。 ようやく自分の足で歩き始めようと決めた、1人の女性の希望と決意の涙だった。 彼女は作業着の袖で乱暴に涙を拭うと、深く頭を下げた。「……はい。私、ちゃんと自分で考えて、自分の足で歩いてみます」「ええ。応援してるわ」 着替えを終えて元の綺麗な服装に戻った詩織が、夕暮れの道を駅へ向かって歩いていく。 その背中はもう丸まっていなかった。 しっかりと前を向き、自分の意志で一歩ずつ地面を踏みしめている。 彼女は自分から温室を出て、広
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175:新しい契約

 週末の土井精機には、平日のような金属のぶつかり合う重低音も、油の混じった熱気も存在しない。 職人たちが休日に張っている工場内はひんやりと冷え切っており、大型の五軸加工機も主電源を落として眠りについていた。 琴葉は1人、明るい事務所のデスクに向かっている。 デュアルモニターとタブレットを交互に確認しながら次期プロジェクトの図面調整を行っていた。 画面上の複雑な三次元CADモデルを回転させ、寸法を1つひとつ確かめていく。 作業は順調だった。 工場の経営は問題なく、職人たちは活気と自信を取り戻している。 先だっては、黒田詩織が自分の足で歩き出す後ろ姿を見送った。 世良グループと黒田大臣のニュースは未だ世間を賑わせているが、琴葉は伊吹の手腕を信じている。 世良からの理不尽な専属契約から解放された今、彼女の思考を邪魔するノイズは何もない。 ――と。 窓の外から、砂利を踏みしめる重いタイヤの音が聞こえてきた。 琴葉がタブレットから顔を上げると、工場の入り口に黒塗りの高級車が滑り込んでくるのが見えた。洗練された流線型のボディが、初夏の陽光を反射して黒光りしている。 運転手が素早く車を降りて後部座席のドアを開けた。 そこから姿を現したのは、世良グループの新たな頂点に立つ男、世良伊吹だった。 琴葉は作業着の袖を軽く整えると、事務所のドアを開けて彼を迎えに出た。「休日の工場は、少し殺風景だったかしら」「いいえ。余計な音がなくて、とても考えごとに向いている場所だと思います」 伊吹は迷いのない足取りで琴葉の前に歩み寄った。 彼の立ち姿には、かつての危うさは少しも残っていない。 体に完璧にフィットしたダークネイビーのスーツは一流の仕立てであり、ネクタイの結び目から靴の先まで一切の隙がなかった。 しかし彼を本当に大きく見せているのは、着飾った衣服のせいではない。 愛人の子として世良本家に放り込まれ、誰にも歓迎されない血みどろの生存競争を生き抜いてきた末に、巨大
last updateآخر تحديث : 2026-05-13
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「随分と手際がいいこと。市場の反応はどう?」「株価は一時的に下落しましたが、すでに下げ止まりました。徹底的な情報開示と、下請けへの救済融資の即日実行が好感されたようです。政府の半導体プロジェクトの担当省庁とも昨晩協議の場を持ちましたが、世良グループの残留は確定的と言っていいでしょう」 伊吹の報告には曖昧な部分が一切ない。 数万人の従業員を抱える巨大企業の再建という途方もない重圧を背負いながら、彼はその状況を完璧にコントロールし、むしろ楽しんでいるようにすら見えた。 琴葉は温かいコーヒーを伊吹の前のテーブルに置き、自分も向かいのソファに座った。「見事な手腕ね。あの役員室であなたが提示したプランが、寸分の狂いもなく実行されている」「すべては琴葉さんが物理ロックを解除し、決定的なデータを手渡してくれたからです。僕1人の力ではありません」「私はただのバックアップよ。盤面をひっくり返したのは、間違いなくあなたの意志と決断力だわ」 琴葉の言葉に伊吹はコーヒーカップを手に取り、一口飲んだ。 彼の整った顔立ちが、わずかに和らぐ。「……今日は、その決断について、1つ報告しておきたいことがあって来ました」「報告?」「はい。あの猫のことです」 伊吹の口から思いがけない単語が出たことで、琴葉は少しだけ目を細めた。 かつてウィークリーマンションで暮らしていた頃、雨の日に伊吹が拾ってきた子猫。 世良の追手から逃れるためにマンションを引き払う際、伊吹が責任を持って引き取ると申し出たあの茶色と白の猫のことだ。 現在、その猫は工場のすぐ近くにある琴葉の実家に預けられている。 体調が順調に回復しつつある琴葉の父、土井社長がすっかりその猫を溺愛しており、今では彼の一番の話し相手になっていた。「うちの父なんて、すっかりあの子に夢中よ。ずいぶんと毛並みも良くなって、今じゃ家主みたいな顔をしてうちのソファを占領しているわ」「土井社長には感謝しています。僕のマンションは高層階すぎて、あの子に
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「どんな名前にしたの」「『ルーク』です」 伊吹は迷いのない声で答えた。「チェスの駒の、ルーク?」「はい。盤面の端から、真っ直ぐにしか進めない不器用な駒です。ですが、仲間を守る城としての役割も持ち、盤上の状況を一変させる力を秘めています。あの小さな体で過酷な外の世界を生き延びた彼に、ふさわしい名前だと思いました」 琴葉は彼の言葉を頭の中で繰り返した。 それはただのペットへの名付けではない。 琴葉の許可を待つことなく、自らの価値観で考え抜き、自らの責任において意味を与えたという証明だ。 彼を長年縛り付けていた、琴葉への依存。 それからの明確な決別宣言だった。「良い名前ね。父にも伝えておくわ。きっと喜んで『ルーク』って呼ぶはずよ」「ありがとうございます。……それから、もう1つ」 伊吹は傍らに置いていた上質な革のビジネスバッグを開けて、分厚い書類の束を取り出した。 それを琴葉のデスクの上に丁寧に置く。「こちらの書類に、目を通していただけますか」「これは?」「世良グループと土井精機を結ぶ、新たな契約書です」 琴葉は書類を手に取り、表紙のタイトルを確認した。『半導体製造装置の中核部品に関する技術提携契約書』と印字されている。 ページをめくり、条項を1つひとつ確認していくうちに、琴葉の目つきが技術者としての鋭いものへと変わっていった。 かつて伊吹自身が土井精機に持ち込んできた最初の契約は、破格の好条件と引き換えに「琴葉との契約結婚」を迫るという、彼の歪んだ執着の産物だった。 世良家の過酷な生存競争の中で人間性を摩耗させていた彼は、自分の中にある冷酷さを自覚するがゆえに、唯一の温かさである琴葉にすがりついていた。 彼女に拒絶されることを何よりも恐れた彼は、圧倒的な資本の力と契約という鎖を使い、無理やり琴葉を自分の手元へ囲い込もうとしたのだ。 しかし、今目の前にある書類は全く異なる。 利益
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「暫定ではなく、正式なCEOとしてのトップダウンの決裁ですから、誰にも文句は言わせません。それに、この条件でも世良グループには十分すぎるほどの見返りがあります。政府のプロジェクトを勝ち抜くためには、土井精機の技術が何としても必要不可欠なんです」 伊吹は琴葉の目をまっすぐに見つめ返した。 その瞳にはもう、庇護を求める怯えた子供の面影はない。「僕はもう、あなたに判断を委ねて逃げ隠れするような真似はしません。自分の足で立ち、自分の責任で世良グループを率いていきます。だからこそ、あなたには僕の保護者としてではなく、完全に独立した対等なビジネスパートナーとして、共に盤面を支配してほしいんです」 巨大企業のトップとしての冷徹な計算と、琴葉という一人の技術者に対する底知れぬ敬意。 2つの感情が完全に調和した、彼にしかできない提案だった。 琴葉は書類をデスクに置き、深く息を吸い込んだ。 彼が作り上げた完璧な条件。 それは、互いの武器である電子の資本と鉄の技術を認め合い、真の意味で肩を並べるための招待状だ。 断る理由はどこにもなかった。「悪くない条件ね。むしろ、世良グループを手玉に取っている気分だわ」 琴葉は胸ポケットから愛用の万年筆を取り出した。 キャップを外し、署名欄に向かって迷いのない筆致でサインを書き込む。 流れるようなインクの軌跡が、『土井琴葉』という名前を契約書に刻みつけた。 彼女は書類の束を整えて、その半分を伊吹に向かって差し出す。 伊吹はそれを受け取ると、大切に鞄の中にしまった。「これで、正式な契約成立です。これからの世良グループの命運は、土井精機の技術にかかっています。厳しい要求も出ることになるでしょうが、覚悟はよろしいですか」「誰に向かって言っているの。どんな無茶な要求でも、完璧な寸法で削り出してみせるわ。私の五軸加工機を甘く見ないことね」 言葉を交わす2人の視線が交錯する。 そこにはもはや異常な依存も、一方的な支配も存在しない。 互いの能力を引き出し合い、共通の
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