【閑話】猫との再会 夕方の土井家の台所には、醤油と出汁の甘い香りが漂っていた。 琴葉はエプロン姿で鍋の様子を見ながら、横のまな板で手早くネギを刻んでいる。 土井精機での業務を終えた後の見慣れた日常の風景だった。 居間からは、父である土井社長が見ているテレビのバラエティ番組の音が聞こえてくる。 ――ピンポーン。 不意に、玄関のチャイムが鳴った。「はーい、今出ます」 琴葉は手を拭き、エプロンを外して玄関に向かった。 宅配便かご近所からのお裾分けだろうと思いながらドアを開けると、そこには予想外の人物が立っていた。「突然の訪問を申し訳ありません」 ダークグレーのスーツを隙なく着こなした伊吹だった。 その手には、高級そうな菓子折りが提げられている。 数日前に土井精機の事務所で新たな技術提携契約を結んだ時と同じ、世良グループのトップとしての落ち着きを払った佇まいだ。「伊吹? どうしたの、こんな時間に」「近くまで来る用事があったので、ご挨拶に伺いました。よろしいでしょうか」 琴葉が返事をするより早く、玄関の話し声を聞きつけた土井社長が奥から顔を出した。「おお、伊吹くんじゃないか! 立ち話もなんだ、上がってくれ。ちょうど夕飯の支度ができたところだ」 土井社長にとって、伊吹はかつて倒産の危機にあった土井精機を救ってくれた恩人であり、娘を不当な扱いから守ろうとしてくれた青年という認識だ。 2人の間にあった歪んだ契約結婚がすでに過去のものとなっている今でも、その好意的な態度は変わらない。「お邪魔します。お気遣いなく」 伊吹は靴を脱ぎ、揃えてから廊下を歩く。琴葉は彼を居間へと案内した。 居間のドアを開けると、部屋の真ん中にあるソファの上に、丸い毛玉のようなものが陣取っていた。 茶色と白の縞模様。かつて雨の日に、伊吹が引き取ったあの名無しの捨て猫だ。 今ではすっかり土井家の環境に馴染み、ふっくらとした毛並みを手に入れて、この家の主のよう
آخر تحديث : 2026-05-16 اقرأ المزيد