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Semua Bab 氷龍の檻姫: Bab 201 - Bab 210

215 Bab

4-27

沈烈を押しのけ、黎家の次期当主となる。その選択が意味するものを、沈淵は嫌というほど理解していた。それは単なる地位争いではない。血で血を洗う、逃げ場のない抗争だ。勝てば全てを手に入れるが、負ければ何も残らない。いや、自分一人の命で済めばまだいい。沈淵が敗れれば、彼の存在に意味を与えた全てが標的になる。部下、養父母。瑛心も例外ではない。むしろ、きっかけとなった彼女こそ、最も残酷な形で消される可能性が高い。(負けるわけにはいかない)その思考は、もはや意地でも誇りでもなかった。ある意味、義務に近い感情。守ると決めた瞬間に課される、絶対の責任だった。(……兄貴は、そういう人、か……)沈淵はゆっくりと目を伏せる。胸の奥に残っていたわずかな期待が、瑛心の言葉で静かに崩れ落ちていく音がした。(いや、見たくなかったものを見させられた感じか)家族というものに、何も期待していなかったわけではない。むしろ、どこかで信じていた。だからこそ、危険を承知で両親に打診したのだ。《蘇家の娘》との婚約を。瑛心を守るために、正面から手続きを踏もうとした。裏ではなく、表で。奪うのではなく、認めさせる形で。しかし、その判断は甘かった。沈淵は蘇家を見誤っていた。瑛心という珠玉の価値を持つ存在を軽んじる愚かな家―――そう思っていたから、その家の娘との結婚は認められると思っていた。確かに当主個人は愚かだ。だが、蘇家そのものは違う。長い年月をかけて積み上げられた一族の基盤は、個人の資質とは無関係に強固だった。そんな蘇家の娘を娶る。それは単なる婚姻ではない。力の結合であり、影響力の拡張であり、そして場合によっては既存の序列を揺るがす行為だ。沈烈の上に立つ可能性を示唆する動き―――そう判断されたとしても不思議ではないこと。それに気づいたのは、両親からそれを問われたときだった。もちろん沈淵は否定した。そんな意図はないと。だが、その言葉が届いた先で生まれた反応は、想定とは異なっていた。沈淵の言葉に母親は安堵した。沈烈の立場が脅かされないと理解したからだ。しかし、父親は違った。疑いが残ったとか、そういうわけではない。ただ、沈淵を“後継者候補として見る”という新たな気持ちが芽生えたのだ。父親は、天覇龍門を最優先とするように育てられた。血よりも組織を重んじるように
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-04-12
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4-28

計画は、八割まで到達している。そこに至るまで、沈淵は一切の妥協を排した。自分一人の命ではない。瑛心の命も、そして自分が守ると決めた未来そのものが賭かっている以上、失敗は許されない。あらゆる可能性を潰し、想定外を削り、最善手を積み重ねてきた。その結果が、いまの八割だ。(それに、この状況は悪くない)皮肉にも、最も難航していた要素―――瑛心の安全確保が、別の形で達成されている。あやめたちに拐かされた現状を「保護」と呼ぶことには抵抗がある。だが、少なくとも沈烈の手の届く場所ではない。それだけで、戦略的価値は高い。沈淵は小さく息を吐いた。《瑛心小姐、クッキーをどうぞ》柔らかな声とともに、あやめが焼き菓子を差し出す。瑛心は一瞬きょとんとしたあと、ぱっと表情を明るくし、まるで日常の延長のようにそれを受け取った。《……すごいです。噛んだ瞬間に、解けるように崩れました。軽いのに香りがしっかり残っていて……甘さも優しくて……なんでしょう、柔らかい味です》感嘆の言葉が、途切れることなく続く。(食レポか?)沈淵は思わず眉をひそめた。自分がどれだけ店を選び、気を遣って連れて行っても、ここまでの感想を聞いたことはなかった。《どこのお店のものですか?》《うちの組員が作ったものなの。気に入ったなら、あなたの部屋に届けさせるわ》《ありがとうござい――》「ちょっと待て」沈淵は堪えきれずに割り込んだ。「おかしいだろ」三人の視線が揃ってこちらに向く。あやめも、神崎冬弥も、そして瑛心までもが「どこが?」と言わんばかりの顔をしているのを見て、沈淵はこめかみを押さえた。「ミスター……」《悪いが、俺はあやめの味方だ》口ではそう言いながら、神崎冬弥は悠然とソファに座り、珈琲を口にしている。そこに罪悪感は一切ない。完全な傍観者の顔だ。(……自分だけが騒いでいるみたいだな)沈淵は一度目を閉じ、深呼吸をした。感情を整える。ここで苛立っても意味はない。「あやめ」呼びかけに、あやめが静かに視線を上げる。二人の視線が正面からぶつかる。「終わるまで、瑛心の保護を任せてもいいか?」その一言に、あやめの目がわずかに見開かれた。意外だったのだろう。その反応に、沈淵は小さく笑う。「なんだよ。こうなるって分かっていて、交渉を持ちかけたんじゃないのか?」《……七割だったもの》
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-04-19
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4-29

「黎、偉……」その名を呼んだ瞬間、空気の温度が一段階下がったように感じられた。自分の住まいであるはずの空間が、もはや自分の支配下にないことを、沈淵は本能で理解する。許可も気配もなく現れた男は、ただそこに立っているだけで場を掌握していた。思わず立ち上がった拍子にソファを蹴り、鈍い音が響く。その音すら場違いに思えるほど、黎偉の存在は静謐で、しかし圧倒的だった。次の瞬間、規律に統制された足音が廊下から押し寄せ、スーツ姿の男たちが無言で室内へと流れ込む。色は違えど胸元の白いポケットチーフが統一された彼らを見た瞬間、沈淵の背に冷たいものが走る。(……白虎)天覇龍門の四系統の中でも、唯一独立し、そして誰にも把握されていない組織。その長である黎偉が自ら動いたという事実だけで、事態の重大さは疑いようがなかった。彼が秩序を乱すと判断すれば、それがどれほどの家であろうと、どれほどの人物であろうと、容赦なく排除される。それは噂でも誇張でもなく、現実として積み上げられてきた“結果”が証明している。沈淵は自分がどれほど綱渡りをしていたのかを、いまさらながら突きつけられた気がした。(なぜ、ここに……)脳裏に浮かぶのはただ一つ。自分の計画が露見した可能性。しかし、その思考を深める前に、タブレットから瑛心の声が漏れる。《沈淵……?》その一言で、通話が続いていたことを思い出す。しまった、と動こうとしたが、身体は言うことを聞かなかった。拘束されているわけではない。ただ、黎偉と視線が交わった、それだけで、足先から感覚が凍りついたように動かない。格が違う、という言葉では足りない。もっと根源的な“支配”を前にしたときの、生物としての本能的な硬直だった。「蘇公女、ですか……」黎偉の低い声に、沈淵の喉がわずかに鳴る。白虎の一人が無言でタブレットを持ち上げ、黎偉へ差し出す。沈淵の位置からは画面が見えない。瑛心がどんな顔をしているのか分からないことが、妙に恐ろしかった。「なるほど」短い一言。その直後、ほんのわずかだが黎偉の表情が緩む。感情をほとんど表に出さない男の変化に、沈淵は息を呑む。「あやめ姑娘に、どこか似ていらっしゃる」その言葉に沈淵は一瞬理解が追いつかなかった。“姑娘”という呼び方も、あやめとの比較も、すべてが想
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-04-20
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4-30

「失礼するよ」その声は柔らかく、場の緊張をほどくような響きを持っていたが、実際に起きた出来事はそれとは裏腹だった。ノックも許可もなく、また一人の男が堂々とリビングへ踏み込んでくる。すでに白虎の面々と黎偉によって占拠されているこの空間に、さらに別の権力者が加わるという異様な状況に、沈淵は思わずこめかみを押さえた。自分の居住空間が、もはや自分の意思とは無関係に開閉される場所へと変わっている現実が、じわじわと神経を削る。しかし、顔を上げてその男の姿を認識した瞬間、その不快感は驚愕へと塗り替えられた。《お父様?》タブレット越しに響いたあやめの声が、その人物の正体を明確にする。柊謙一。日本の政界において重鎮とされる政治家一族の当主であり、あやめの父親。その存在は本来、このような場所に現れていい人物ではない。《どうしてそこに? 日本にいるはずでは?》当然の疑問に、柊謙一は穏やかな笑みで応じる。「ここにお忍びで来ることは慣れているしね」あまりにも軽い口調だった。《慣れている?》あやめの困惑をよそに、彼は肩を竦める。「ああ。彼とは飲み友達なんだ。今回も朝方まで付き合わされてね。少々飲み過ぎた」その“彼”が誰なのか、考えるまでもない。沈淵の視線は自然と黎偉へと向かう。天覇龍門の秩序を司る存在と、日本の政界の頂点に立つ男が“飲み友達”。常識という枠組みが、音を立てて崩れていく。「安心しなさい。花を添えず、男同士の酒だ。私は妻一筋だしね」軽口を叩きながらも、その目は鋭いままだった。そして唐突に、黎偉へ視線を向ける。「そう言えば、君は女性に興味はないのか?」あまりにも無遠慮な問いに、沈淵は息を呑む。しかし黎偉は動じない。「大兄、黙っていてくれ。いま私は猛烈に感動しているのだ」その言葉には、抑えきれない何かが滲んでいた。「そうだろうね。今回もずいぶん愚痴っていたものな」柊謙一は軽く笑いながら黎偉の肩を叩き、そのままぐっと力を込めて掴む。「そのために私の娘を使ったんだ。それ相応の礼は期待しているよ」穏やかな声音の裏に、鋭利な圧が潜んでいた。「承知している。今回は大兄とあやめ姑娘に迷惑をかけた」黎偉は部下にタブレットを持たせ、画面に向かって頭を下げる。《黎叔叔が、どうして……》あやめの声には戸惑いが滲む。「|叔叔《おじさん
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-04-21
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4-31

「誤解はしないでほしい。結婚そのものを止めろと進言しているわけではない」柊謙一は穏やかな声でそう言い、わずかに間を置いてから沈淵へと視線を向けた。その視線には評価と、同時に試すような光が宿っている。「黎小主の手腕は明白だ。ほぼ何も持たぬ状態から八十八の分家の一角に食い込み、その後も怠ることなく研鑽を積み、朱雀の中でも頭角を現している」その評価は客観的で、事実に基づいていた。「ああ、その通りだ。さすが大兄、よく見ている」黎偉が頷く。称賛の言葉を向けられているにもかかわらず、沈淵の胸の奥では警鐘が強まっていた。(……褒められているのに、落ち着かない)本能が、これが前置きに過ぎないと告げている。「だが問題は彼女だ」柊謙一の言葉が続く。「蘇公女の公表には問題がある」「……大兄?」黎偉がわずかに眉を寄せる。「誤解するな。資質を疑っているわけではない。ただ、彼女はこれまで表に出てこなかった」その指摘は冷静で、残酷なほど的確だった。「“蘇公女”と聞いて、多くの者が思い浮かべるのは蘇瑛心ではなく、異母姉の蘇麗娜だろう」その言葉に、タブレット越しのあやめが静かに頷く。《ええ、その通りですわ。それに瑛心小姐は確かに美しい方ですが、これまでの環境によって、その魅力が十分に引き出されていない》やわらかな声でありながら、内容は容赦がない。瑛心の過去を思えば、沈淵の胸がわずかに痛む。《公の場に立てば、すべての人と対話できるわけではありません。多くは第一印象で判断されます》柊謙一も同意するように頷き、黎偉も黙って耳を傾けている。《この状態で蘇公女として紹介されれば、必ず比較が起こるでしょう》あやめは断言する。その未来は容易に想像できた。華やかに装い、社交に慣れた麗娜と、表舞台に立つ経験の乏しい瑛心。比較は避けられない。《装いを整えるこ
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-04-21
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4-32

『……何をしているんだ』長身の体をカーテンの隙間に押し込めるようにして、どうにか気配を消そうと奮闘している沈淵を見つけた冬弥は、呆れを隠しもしない声を漏らした。冬弥の低い声に、沈淵は人差し指を口元に立て、「静かに」と無言で訴える。しかし――その制止は、あまりにも遅かった。「りーしゅーしゅー、みっけ」軽やかな足音とともに振り返った先には、冬弥の息子の楓が立っていた。どこで覚えたのか、まるで名探偵のように人差し指を突きつけて勝ち誇るその姿に、沈淵は観念したように肩を落とす。『見つかったか……』力なく呟く沈淵とは対照的に、楓は満面の笑みでその勝利を噛みしめた。「……平和だな」その光景に、冬弥は思わず苦笑を漏らした。「とーさまっ!」そんな冬弥に楓は飛びつき、父親の体をまるで木のように登る。もちろん、冬弥はそれを腕でフォローしているわけだが、肩車の状態になった楓は達成感に満ちた顔をしていた。その光景に、沈淵は口元を緩める。『平和だな……』血と策謀が渦巻く世界の中心にいる男たちが、いまは幼子相手にかくれんぼで敗北し、木登りの木の役割を果たしている。その落差に、どこか現実味のない穏やかさがあった。.*.振り返れば、あの日から三年という月日が流れていた。あのときまだ腕の中で泣くことしかできなかった楓は三歳になり、政治家や財界の名だたる家門の子どもたちが通う保育園に通い始めている。今日はたまたま休園日で、時間を持て余していたところに沈淵が訪ねてきた。遊び相手ができたと楓は大喜びである。(正確には“遊びに”ではないが……)冬弥は内心でそう訂正する。『小姐はどうした?』『女子会。夕飯までには帰るそうだが、急に来ても困ると
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-04-22
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『母親はどうしている?』冬弥の問いは、いつも通り淡々としていたが、その奥には踏み込みすぎない配慮が滲んでいた。『……相変わらずだ』沈淵はわずかに肩を竦め、苦笑で応じる。その「相変わらず」という一言に、三年という時間が何も解決していない現実が凝縮されていた。.三年前、あの日からすぐに起きた出来事は、あまりにも急で、あまりにも不可解だった。沈淵たちの父であり天覇龍門の頂点に立つ黎首領と、秩序の番人である黎偉との間でどのようなやり取りがあったのか、それを正確に知る者はいない。ただ一つ確かなのは、その直後に開かれた会議で、黎首領が八十八の分家当主を前にして突如として後継者の変更を宣言したという事実だ。次男である沈淵の名が告げられた瞬間、空気は凍りついた。ざわめきは抑えられ、誰もが言葉を選びかねていた。その中で、最も激しく反応したのは当然、長男であり既定路線とされていた沈烈だった。父に詰め寄り、理由を問うたが、返ってきたのはただ「決定事項だ」という冷たい繰り返しだけだった。その無機質な拒絶に沈烈はついに堪えきれず、会議室を飛び出した―――そして、それが彼の生きた最後の姿となった。その夜、沈烈は死んだ。発見されたのは彼の死から三日後。様子を見に来た部下が、リビングで倒れる沈烈を発見した。同じ屋敷にいた四人の愛人も、それぞれの部屋で死んでいた。事件の詳細は闇の中だが、断片的な事実だけが残っている。沈烈の遺体は、もはや原形を留めていなかった。無数の刺創はどれも急所を外しており、意図的に致命傷を避けて苦しみを長引かせたことが明らかだった。死因は出血多量。すぐには死ねず、時間をかけて命を削られていったことは想像に難くない。一方で四人の女たちは、ほぼ同時刻に大量の睡眠薬を摂取して死亡していた。警察は、彼女たちが共謀して沈烈を殺害し、その報復を恐れて自死を選んだという筋書きを描いた。それは一応の整合性を持っていたが、どこか歪で、何よりも“真実らしくなさすぎた”。だが、その違和感に踏み込む者はいなかった
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-04-23
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4-34

「家族とは、難しいな」寄り添っていた身体を通して低く響いた冬弥の声に、あやめはゆっくりと顔をあげた。行為のあとの倦怠と安堵がまだ身体に残っている。けれどその余韻は甘く、肌に残るぬくもりとともに、どこか心をほどくような心地よさがあった。だからこそ、普段なら眠気に負けて軽く聞き流してしまいそうな冬弥の呟きにも、自然と耳を傾けていた。「俺は自分の家のことを、家族なんて代物ではないと思っていたが、『普通の家族』なんてないのではないかと最近思う」低く落ち着いた声は、どこか遠くを見ているようだった。(……沈淵のせいね)あやめは心の中で小さく息をつく。おそらく、また母親絡みで何か吹き込まれたのだろう。けれど、過去に思いを馳せるような冬弥の横顔は、いつもとは違う柔らかさを帯びていて、その珍しさに、あやめは沈淵への苛立ちをほんの少しだけ引っ込める。「普通など目指さず、いいとこ取りをすればよろしいのではありませんか?」軽やかに返すと、冬弥はわずかに目を細めた。「いいところ……それなら、俺が見習うべきは父子仲のよいお義父上か?」「……娘の立場から言えば、あまりお父様に理想像を持たないほうがいいかと」首を傾げる冬弥に、あやめは苦笑を浮かべる。その拍子に揺れた髪が頬にかかり、くすぐったさに身じろぐと、冬弥は自然な仕草でその髪をすくい上げ、耳元へとかけた。指先が触れた一瞬、くすぐったさとは別の熱が走る。その優しさとどこか艶を含んだ空気に、あやめは不意に気恥ずかしくなり、視線を逸らした。「……あやめ?」呼ばれてもすぐには視線を戻せず、少しだけ間を置いてから口を開く。「……冬弥さんもお父様と同じく、家族以外に大事なものをお持ちです。気をつけてくださいね。下手をしたら、私のように楓に誤解されて嫌われてしまいます」「あやめのは、
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-04-23
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4-35

『沈淵。あなた、いつまでいるの?』あやめの問いは、朝の空気にそぐわないほど率直で、どこか刺々しかった。声を向けられた沈淵は、わずかに眉を寄せ、露骨に顔を歪める。朝食を取るために瑛心と共にダイニングへ向かっていたはずが、瑛心が部屋に忘れ物をしたと言い出し、結局一人で廊下を歩いていたところでの遭遇だった。まだ屋敷は完全に目覚めきっておらず、静かな時間帯であることも、このやり取りの温度差を際立たせていた。『朝の挨拶より先に言うのがそれか?』呆れを含んだ声音に、あやめは一切気後れせず返す。『言い忘れないように言ったの。それで、いつまでいるの?』沈淵は小さく息を吐き、『何もなければ、三日後に戻る』と短く答えた。その言葉に間髪入れず、『何かあることを祈っているわ』と返すあやめに、沈淵は肩をすくめる。『祈るのは、何もないことだろう。全く、ずいぶんと機嫌が悪いな』『……眠いのよ』端的な理由だった。あやめは元来、朝に強いほうではない。立場上、最低限の体裁は保とうとするが、今朝はその余裕すら削がれるほどに眠気が深く、加えて相手が沈淵であることが、遠慮という選択肢を消していた。『お熱いことで』沈淵が含みを持たせて言う。普段のあやめならば、その言葉に頬を染め、否定の言葉を並べただろう。しかし今朝は違った。羞恥よりも眠気が勝り、さらに沈淵の態度にどこか引っかかるものを覚えたからだ。『あなたも、機嫌が悪いわね。欲求不満?』軽口のつもりだった。昨夜、沈淵と瑛心が夜を共にしていたことは知っている。盗み聞きをしたわけではなく、楓が無邪気に「黎叔叔に瑛心を貸してあげるんだ」と言っていたからだ。だからこそ、成立しないはずの冗談だった。眠気に任せた八つ当たりでもあった。しかし返ってきたのは、予想外の反応だった。ぷいっと顔を背けた沈淵の様子に、あやめははっとする。冗談が、冗談として処理されなかった。慣れない言葉を使うものではないと、遅れて反省が押し寄せる。『ごめんなさい』素直に謝ると、『……謝るなよ』と沈淵は視線を逸らしながら答えた。その曖昧な空気が、かえって気まずさを増幅させる。沈黙が落ちる。言葉を失った二人の間に、妙に重たい時間が流れた。そのときだった。「かーさま、おはよー」場の空気を切り裂くように、明るい声が響く。楓の登場だった。二人にとっ
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-04-24
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4-38

『まさか、早苗さんと鷹見さんがそういう関係だったとは』『でも、お似合いですよ』妊婦用にと用意されたハーブティーを飲みながらあやめが呟き、瑛心がつき従うように頷く。その二人の向かいに座るのは、鷹見だった。「あの……恋バナをするなら、早苗のほうが良いのでは? 女ですし」「あら、鷹見さん。今の時代は男女平等よ」「……姐さん、本心は?」「恋バナの醍醐味はね、揶揄って慌てさせて、それを見て楽しむことなの。早苗さんが慌てるとでも?」「姐さんの為ならなんでもしますよ」「同情して慌ててもらっても楽しくないのよ」あやめは、ふうっとため息を吐いた。『すでに楽しいわ。胎教にいい気がする』『私もです。えっと、こういうときは二人の出会いから聞くのですよね』『恋バナにハウツーなんてないでしょう』喚く鷹見を、あやめはジッと見る。『二人の出会い……その響きだけで、胎教によさそうだわ』妊娠は二回目のあやめ。胎教をネタに楽しむ程度の“慣れ”があった。『出会い……ですか……』鷹見は観念したように肩を落とし、しばし視線を彷徨わせた。逃げ場はないと悟ったのか、やがて小さく息を吐く。「……話すと長いですよ」「構わないわ。むしろ長いほどいいの」「この通りそこまで堪能じゃないので、日本語の説明になりますよ」「通訳するから、大丈夫」あやめが即答し、あやめから説明を受けた瑛心も期待に満ちた目で頷く。鷹見は天井を仰ぎ、「どうしてこうなった」とでも言いたげな表情を浮かべたあと、ゆっくりと語り始めた。.*.早苗と出会ったときの鷹見は、十七歳。思い返すと、自由気ままで、甘やかされた『お坊ちゃま』だった。
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-04-24
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